頼れるデザイナー
翌朝、千夏が出社すると、エントランスに美穂と冬馬がいた。冬馬が高窓を開けるのを手伝っていた。
「ダメよ。人の仕事は奪ってはいけないのよ」
美穂がたしなめるも、冬馬は聞く耳を持たないようだ。
「でも、美穂さんてちっちゃいし、踏み台、取りにいったり片づけたりして、時間かかっちゃうでしょ。俺は手足が長いから、便利な男ですよー」
「もおー。本当に便利な男よー。でも、何も出ないわよ。あら、ちなっちゃん、おはよー」
美穂が千夏に気づいて楽しそうに手を振ってきたので、軽く手を振り返す。
「おはようございます」
「おはよう」
冬馬の挨拶にはまともに返す気はない。千夏はあさっての方向を見て挨拶してやる。三年前の冬馬との一件を聞かせていたからか、美穂自身は何か言いたそうにしつつ、黙ってニヤリと笑うだけだ。それからエレベータの扉が開いた。千夏が乗り込むと、冬馬も乗ってくる。ドアが閉まり、冬馬が三階のボタンを押す。
「美穂さんのお手伝い。偉いですね」
千夏は顔もみず、つっけんどんに言う。本当は喋りたくもない。冬馬はわざと驚いたような顔をむけてくる。
「はっ。エロい?」
「え、ら、い」
「それ聞き飽きた。でもありがとうございます、天野さん」
千夏は冬馬の横顔をまじまじと見る。この男は知らないんだろうな。いや、この男に限らず、他の社員も知らなそうだ。春菜は美人なだけでなく、社内では清純派で通っている。
どこに中年男と資料室でイチャイチャする清純派がいる。けれど自分が言ったところで、どうせ冬馬は信じない。だからこそ、この動画を見せたら? エレベータが六階につき、降りていく冬馬の後ろ姿と自分のスマートフォンを交互に見つつ、千夏は鼻で笑う。
午前中、千夏は電話対応に追われていた。進行が遅れている案件が二件あり、バタバタしていた。そこへ、営業部の社員が部屋に駆けてきた。入稿した制作物が、まだ下版になってないのかという確認だった。千夏は色校正が遅れている旨を伝えた。
下版というのは、デザインしたデータが印刷屋のチェック工程を全て終え、印刷スタンバイOKの状態になったことだ。色校正というのは、刷り上がった印刷物の色味をチェックすることで、今回は印刷屋と、その印刷現場に行った黒岩とが喧嘩しているようだった。
「俺、ちょっと高光、行ってきます」
事情を察した冬馬ははっきり言うと、千夏は思わずホッとする。冬馬は入社後間もないのに、黒岩の懐に上手く入り込んだらしい。何より、冬馬は顔がいいし口も上手い。隣の席の黒岩のおしゃべりによく付き合っている。気難しい黒岩を手のひらで転がすことなど造作もないのだろう。高光は歩いて五分ほどのところだ。時間はかからない。
「本当ですか。助かります」
千夏は礼を言い、風のように部屋を出ていく冬馬を、いつになく頼もしく思いながら見送る。
昼休みになり、千夏は自席で弁当を広げた。ディレクター達は外に食事へ行ったらしく、制作部の部屋にいるのは千夏と白井だった。そこへ、冬馬が帰ってきた。
「おつー」
冬馬はコンビニのレジ袋を机に投げ出す。
「お帰りなさい。黒岩さんは? 下版できたんですか」
白井がドーナツを食べながら尋ねる。
「ん。大丈夫」
冬馬は説明するのも面倒とばかりに、首をぐるぐる回す。千夏は遠巻きにその様子を見ながら、一件落着したようだと判断する。
「あの。昼飯食い終わったら見てほしいんですけど」
白井が自分のディスプレイを冬馬の方に向けながら言う。
「なになに。もうできたの、沢井モーター」
冬馬は白井の作成したデザイン案を見ながら、レジ袋に手を突っ込む。
「はい。どうですかね」
「いーじゃん、カッケーよ。レイアウトもいい感じじゃん」
「わー。ありがとうございます。ちょっと自信なくて」
千夏の席からは見えないが、白井はなかなかいい感じのデザイン案をつくったらしい。千夏は茹でたササミを食べながら、チラチラ二人を見やる。
「たださ。もう少し、ビシッとおさまりのいいフォント使ったほうがいいよ。これだとちょっと丸いっていうか。ダサい」
冬馬はディスプレイをさし、意見しながら割り箸を割る。
「はい」
白井は緊張した感じで首を縦に振る。
「ここも色ベタ、重すぎる。もっと淡いほうが写真が生きるよ」
冬馬は画面を割り箸で指さし、自分は焼きうどんを食べる。
「おー、確かに。ありがとうございます」
白井はマウスを動かし、修正をはかっているようだ。
「もうちょい淡く」
冬馬は白井の横に張りつき、アドバイスを続ける。
「はい」
「もう五パーセントくらい」
「はい」
「んー、そんくらい」
「おー。なんかよくなった感じします」
「だろー。これなら長谷川さんからもオーケーもらえるよ」
冬馬は機嫌良さそうに笑い、ペットボトルの飲み物を飲む。
「冬馬さんは、どんな感じにするんですか」
「はーん。ライバルにそれは教えられねーよ」
「えー。俺ばっか見せて、ずるくないですか」
二人は楽しそうに笑い合う。千夏が見たところ、白井は冬馬に送る視線と黒岩へ送る視線が明らかに違う。後から入ってきたにせよ、冬馬の実力を早くも認め、慕っているようだ。冬馬は黒岩と違って圧をかけてこないし、説明の仕方が穏やかなのだ。
千夏は食べ終えると、弁当箱を洗いに部屋を出た。
給湯室で洗い物をしながら、千夏はぼんやり冬馬を思った。中途採用で入ってまだ三週間なのに、仕事を覚えるのが早いと思った。千夏やディレクター達も新規の仕事は任せておらず、すでに制作したものの修正対応を主にやらせているが、そのすべてをそつなくこなしてきた。本人のセンスをさりげなく活かして綺麗に紙面を収めるのも、デザイナーとして腕がいい証拠だと思えた。黒岩と比べても遜色ない感じがするし、何よりトラブルが起きても冷静だし、度胸があった。そのまま客先にも行けそうだと思った。デザイナーという枠組みを越えて活躍しそうな感じがするし、他の社員達よりも大胆でキャパシティが大きそうだった。
制作部の自席に座り、パソコンに向かうと、机上のスマートフォンがバイブした。メッセージアプリのアイコンの右上に「1」の丸数字が表示されていた。メッセージを開くと、正秋からだった。
『金曜の夜、あいてる? 一緒にご飯行こうよ』




