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再会

カーテンの隙間から漏れる四月の朝日を顔に感じて、天野千夏(あまの ちなつ)は目を覚ました。


朝はやる気ない。いつもいつもやる気ない。ハキハキとかハツラツとか、大嫌いな言葉だ。月曜の朝は特にそうだ。日本人の若者の自殺率が高いのは、月曜の朝にミーティングと呼ばれる公開処刑があるからだ。そこで部下は上司に前週の不始末を責められ、シメられ、息の根を止められる。


千夏はベッドから起き、床に立って背伸びする。さらに部屋を見回して、げんなりする。げんなりするのはこの日だけではない。この部屋は築四十六年、倒れそうな木造アパートの二階にある。北西向きで日当たりは悪く、壁は薄い。夏は暑くて冬は寒く、隣室のくしゃみもおならも丸聞こえだし、プライバシーもクソもない。だけど東京二十三区内にあって、自宅から会社までドアトゥドアで三十分、さらに家賃四万円で済むから我慢している。


その激安ボロアパートの一室は散らかり放題だ。家具はベッドと小さな折りたたみ式のテーブル、座椅子、テレビのみである。そこへ、まだクリーニングに出していない冬のコート、各種占いの本や自己啓発本、近所のドラッグストアでもらった化粧品のサンプル、ラーメン屋の割引券などを放って、床は見えなくなっている。千夏は足元に落ちている不動産のチラシを拾い上げる。物価はどんどん高くなっていて、女が一人で生きていくには節約は必至だ。近い将来にマンションを買えるよう、今は頭金を貯めている。


雑多な物に溢れたテーブルの上からリモコンを発掘すると、テレビをつける。画面の左上に表示された時刻を確認すると、六時五十分だ。千夏はユニットバスの折り戸を開け、用を足す。それから顔を洗い、汚れた鏡に映る自分の顔を見る。ボサボサの黒いロングヘアの、ホームベース型の顔で、目は大きくないし鼻も高くないし、ぷるんとした魅力的な唇どころか、皮がむけてガサガサだ。人生に退屈していそうな女の顔が、鏡の向こうから睨み返してくる。


ブスだ。綺麗さも可愛らしさもない。なんなら若さもないし、ほおにわずかにほうれい線ができていて、ますますげんなりする。次の誕生日が来れば三十三歳だ。社会人になって十年が経ち、その間、彼氏はできていない。ずっと独身だ。


結婚願望は人並みにある。むしろ強い方だと思う。いまだに忘れられない男がいるが、もうずっと会えてない。まさに自分の理想を絵に描いたようなイケメンだったが、今更それは口にしない。どうせいいことはない。


千夏は戸を開けてパジャマを脱ぎ、下着姿になると、すぐそばにあるアナログの体重計に乗る。六十二・五キログラムと針がさす。千夏の身長は百六十センチメートルで、自分は言うほどデブじゃない、ぽっちゃりという程度だと言い聞かす。でも、洗濯カゴに山積みされた服を漁り、淡いグレーのチュールスカートを履こうとしたとき、現実を思い知らされてしまう。ファスナーが一番上まで上がらないのだ。腹に力を込めて凹ませ、無理やりファスナーを閉めると、勝利のガッツポーズを決める。それから寝ぼけたオレンジ色のニットに袖を通す。


テレビに目を向けると、ちょうど民放のハジテレビで星座占いのコーナーが始まった。

「今日の運勢第一位は…、おめでとうございます、天秤座のあなたです」

千夏は画面を食い入るように見つめる。これを見るのが毎朝の日課だ。その後もランキング上位から順々に発表されていく。

「双子座は?」

千夏はつぶやいた。自分は双子座だ。しかも、現実に双子でもある。片割れはとっくに結婚していて子どもがいる。見た目だけでなく、やることなすことそっくりな女だ。でも、今は全然違う人生を歩んでいる。


「最下位は…、ごめんなさい、双子座のあなたです」

千夏はテレビ画面に向かって顔をしかめながら、テーブルの上から化粧ポーチとスタンドミラーを手に取る。今日から新年度だというのに、出だしは最悪だ。すぐにでもリモコンで画面を消してやりたかったが、今日のラッキーアイテムについての説明がまだだ。ポーチから出したヘアバンドをつけ、化粧水を顔にペタペタとつける。化粧下地を塗りながら「ピンク色のアクセサリー」というところまで聞き届けると、すぐにチャンネルを変える。今度はジャパンテレビだ。こちらも占いコーナーをやっている時間だが、血液型占いだ。普段はあまり見ないが、星座で最下位だった場合にチェックしている。

「今日の運勢最下位は…、B型のあなたです。ラッキーアイテムは腕時計です」


千夏はリキッドファンデーションのボトルを握り締め、盛大に絶望する。自分はB型だ。何もいいところがない。今日は絶対に残業せず、定時で上がろうと心に決める。化粧が済むと、ピンク色のアクセサリーと腕時計を探しまくる。すると、収納ケースの中にあったクッキーの缶の中で、サーモンピンク色のベルトの腕時計を発掘した。


それは昔、友達がクレーンゲームで取ったもので、要らないというからもったいないと思い、もらったものだ。女児向けの美少女戦隊アニメ「ぷるきゅあ」がモチーフの、華美な装飾がついたデジタル時計で、電池が切れたのか何も表示されていない。いかにも子どもっぽいそれを、千夏はパッと見では服の袖で分からないよう、手首よりも上の部分に付ける。ベルトがきつくて前腕に食い込んだが、どうにか付けられたからよしとする。


それが済むとキッチン台の前へ行き、炊飯器からご飯をすくいあげると、おにぎりを(こしら)える。水筒に砂糖をたっぷり入れたミルクティーも仕込む。


テレビ画面内の時計を見ると、七時五十五分だ。マーガリンを塗りたくったトーストとコーヒーをかっこむ。ところがアパートを出る手前で早速、双子座B型へのあてつけのごとく、災難が降ってくる。


まず、玄関ドアに付属のポストに入っていた、ガス料金改定の通知書を手に取る。今月から基本料金を値上げするという。舌打ちをしてドアを開け、鍵を閉める。それから通路を通り、階段を降り、道路に出たところで鳩のフンを踏む。地上に落ちてきてからまだ真新しいやつだ。千夏は叫びたい気持ちを押し殺し、パンプスの裏についたそれを、近くに生えてる雑草でなんとか削ぎ落とす。再び歩みを再開した直後、後ろから駆けてきたらしい男子高生に突き飛ばされる。男子高生は謝ることもせず、駅めがけて駆けていってしまう。千夏は歩道に倒れ込み、ストッキングが伝染しただけでなく、膝の手のひらを擦りむいたのに気づく。軽く足首をひねったらしい。ゴマ粒大になった男子高生めがけて放送禁止用語を叫んだ後、ひょこひょこ歩きながら駅へと向かう。そのせいで電車に乗り遅れてしまう。


都内の某ターミナル駅から徒歩三分ほどのところに、千夏が勤める広告制作会社、ヒロイン・デザイン株式会社があった。創業四十年の歴史を持ち、創業当初はパチンコ店や質屋、飲食店などのチラシ、ビラ制作に始まり、現在は企業や大学、病院向けのパンフレット制作、WEBサイトやバナー制作、動画を制作する会社となった。古ぼけた鉄筋コンクリートのオフィスビルの六階と七階を間借りしており、オフィスは今どきのデザイン会社のようなスタイリッシュさもトレンド感も皆無で、昭和の時代から引きずってきたような内観だった。かろうじて天井のLED照明だけは現代らしさはあるものの、室内には灰色の事務机とキャスター付きの椅子、棚が並んでいるだけだった。


千夏は痛みをこらえ、なんとか始業十分前に到着する。六階の制作部の部屋に入り、タイムカードを通し、自席の椅子の背もたれにもたれて座り、パンプスを脱ぐ。他の社員がこちらを見てなかったので、こっそり伝染したストッキングも脱ぐことにする。室内用のゆったりしたスリッパに履き替えると、水筒のミルクティーを飲んで一息つく。それからエレベータに乗り、七階の会議室に入る。


社員全員がそこにいて、正面を向いて立っている。千夏はひょこひょこした足で上司や同僚に頭を下げ、その場に合流する。正面のスクリーンの前には社長が立ち、その後ろには新入社員が数名、並んでいる。そのうちの一人を見て、千夏はあっと声を上げた。

それは千夏が過去に処女を捧げた相手、冬馬(とうま)だった。

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