歓送迎会②
千夏は冬馬の横顔を見て切なくなり、自分のテーブルに目を戻した。
それからビールを飲みながら頬杖をつき、視線を右にずらす。隣の正秋は空いたグラスにビールを注いだり、料理を取り分けたり、店員に追加オーダーはするものの、生野に調子を合わせるでもなく、千夏をかばうでもなく、ほぼ頷いているだけだ。飲み会なのに会話に混ざらないとか、お前は何をしにきたんだ。それでも営業か。
腹立たしくなり、再び視線を左前方にずらす。そこにはやはり、冬馬の存在がきらめいている。冬馬は自分とは対角の位置にあるテーブル席につき、一人一人に何か話しかけながらお酌をしている。と思ったら、今は一人の女子社員に熱心に話しかけている。千夏はそれを見て顔を歪める。春菜だ。
冬馬は春菜から目を逸らさず、夢中で話しかけている。それを見ていると、千夏の目の前に店員が料理を運んでくる。スキレットに乗せた大きなフランクフルトとベークドポテトで、ジュウジュウと熱そうな音を立てている。千夏は目下のフランクフルトを、先の尖った割り箸で突き刺した。
「痛っ」
突然、生野が悲鳴をあげた。何ごとかと思って千夏が視線を生野に向ける。生野はいつの間にか顔を真っ赤にして、ベロベロに酔っ払っている。
「もおー、天野さんったら、そんな乱暴にしないでえ」
生野はフランクフルトと千夏を交互に見て、自分の股間のあたりを押さえ、ニヤニヤしだす。千夏はフランクフルトと生野を交互に見て、そういうことかと理解する。フランクフルトは二十センチ以上あるな、と見ながら思う。
また、セクハラだ。こいつはすぐにこういうことを平気で言う。ここで顔を赤らめたり、怒ったりすれば相手の思うツボだ。千夏はニコニコして大いに頷いた。
「またー。生野さんのは、これの倍はありますよねえ」
千夏はフランクフルトを箸で突き刺したまま、豪快にかぶりつく。それを見た柴田がビールを吹く。
「そうなんすか、生野さん」
「柴田君、間に受けんなよ」
生野は急にオロオロし始める。千夏はほくそ笑みながら、隣の正秋をちらりと見る。正秋は無表情でサラダを食べている。生野は恐れをなしたような眼差しを千夏に向けると、グラスを持って別の席へ行ってしまった。柴田も別の席の社員に呼ばれ、移動した。
「お疲れ様でーす」
いつの間にやら、今度は春菜が同じテーブルに着席した。千夏は少し驚き、後方に身を引く。どうした。冬馬とのおしゃべりは飽きたのか。千夏は春菜の様子を観察し始める。
春菜は正秋の正面に座ってお酌している。満面の笑みで頬杖をつき、その笑いに嘘臭さはない。心から楽しんでいるふうに見える。
「係長ー。今日はとことん飲みましょー」
千夏は気圧されて、二人の様子を交互に見る。乾杯して笑い合って、何やらいい雰囲気だ。春菜はとても嬉しそうだし、正秋も優しい笑みを浮かべている。とにかく今日の春菜は目がすごい。春菜は目で会話ができるのだ。それも、とても上手に。男を惑わせるよう、揺さぶりをかけながら。
そこへ冬馬がやってきた。千夏の正面に座ると、隣の春菜に顔を近づける。
「春菜ちゃーん。待ってよ。話してたのに」
「冬馬さん、しつこくないですかー」
春菜はグラスを持ってない方の手で冬馬を制し、嫌そうな顔を向ける。千夏は春菜をじっと見つめる。本当に迷惑そうな顔をしていると思った。
「色男。春菜にあんま、しつこくすんな」
正秋がほぼ表情のない顔と声で牽制する。
「でも俺の友達が、春菜ちゃんがめっちゃタイプっていうから。春菜ちゃん、王美林大学出身でしょ。俺の友達が同じ大学で、春菜ちゃん有名人だったんだってねー。今度会ってやってよ」
俺の友達が、ではなく、俺が、だろう。千夏は密かに舌打ちし、脳内で突っ込む。
「私の推しは係長です」
春菜は冬馬を一瞥してから、正秋を見て言い返す。冬馬は露骨に悔しそうにして、正秋にビールを注ぐ。
「係長と天野さんって、同期なんですよね。なんか夫婦みたいですね」
千夏は冬馬のそのニヤけた言い方から、バカにした響きを感じ取る。
「は?」
千夏は腹立たしげに冬馬を睨めつける。
「天野さんってホッとできるっていうかー。母ちゃんみたいな感じしますよねー。はい、春菜ちゃん、どうぞ」
冬馬は手に持っていた瓶ビールを傾けて言い、春菜の空いたグラスにビールを注ぐ。
「それ、すっごい失礼だから」
そう言いながらも春菜はビールに口つけ、わずかに口角を上げる。千夏は春菜の密かな笑みを見逃さなかった。冬馬はヘラヘラし、千夏と堂々と目を合わせる。
「昨日も昼に、デカいおにぎり、三個も食べてたし。田舎の母ちゃんでしょ、もはや」
母ちゃん。独身の女が一番言われたくない言葉だ。それはつまり、生活臭が漂うおばさんだと言っているに等しい。唾を飲み込み、侮辱に耐える。
「春菜ちゃん、ほら、サラダがまだ残ってるよ。取ろうか」
冬馬は、機嫌よさそうにサラダを取り分け、春菜の前に小皿を置く。
そんな冬馬を千夏が能面のような顔で見ると、正秋が店員を呼ぶ。千夏がなんとはなしに厨房がある方角を見ていると、店員が巨峰サワーの入ったジョッキを運んできた。正秋は千夏が手に持つビールのグラスをさっと奪い取り、代わりに巨峰サワーを持たせる。千夏は急に安堵した。そう、どうせ飲むならサワーがいい。それも、グアバサワー。それがなければ巨峰サワーがいいのだ。
「ホッとできるのは分かる。千夏のおかげで安心して仕事を任せられる。いつもありがとう」
優しい。本当に正秋は優しい男だ。だてに係長になった男じゃない。こういうゲスだらけの飲み会に参加していると、その良さがより引き立つ。千夏が上機嫌でジョッキを手前に差し出す。正秋も笑顔でビールのグラスを軽くぶつける。春菜は不機嫌そうな顔を向けてきたが、冬馬は仲良し夫婦ですねーと、はやしたててくる。
正秋は冬馬にもビールを注ぐ。なんとなく粗暴な注ぎ方だ。冬馬はあざーす、と言い、そのビールを一気飲みする。自由人が多いデザイナーにしては珍しく、ノリは昔の体育会系の人間のそれだ。
「仕事の方は期待してるぞ。敏腕デザイナー」
正秋の冬馬に対する言い方は少し辛辣だ。ただ、部署は違えど冬馬にとって正秋は新しい上司である。正秋がガンガン仕事をとってきている営業部のエースだということは、社内メールを通じて冬馬も知っているはずだ。千夏は冬馬の顔を見る。冬馬は抜け目なさそうに切長の目をさらに細くし、正秋を堂々と見てニヒルに笑う。それから急に背筋を伸ばし、頭を下げる。
「はい。ご期待に応えられるよう頑張ります。ね、一緒に頑張ろう、春菜ちゃん」
「だから、私は係長としか一緒に頑張りませんから」
春菜は冬馬には不機嫌な顔を、正秋には可愛らしい笑顔を向ける。正秋もあいまいに笑い返す。
「こんなに可愛い後輩に推し認定されてるなんてね。よっ、モテるね係長」
千夏はわざと余裕ぶって言い、正秋の肩をペシペシ叩く。叩きながら内心では、冬馬が春菜に気があるらしいことに傷つく。
一方、正秋の笑顔が急に引っ込んだ。千夏が少し不思議がって見ていると、正秋はぐーっとビールを飲み干し、グラスをガタンと音を立てて置く。それから千夏を真顔で見つめる。
「俺のタイプは千夏」




