階(きざはし)の瞳
千年晴れぬ黒雲の彼方に、空を見出そうとする者は最早いない。仰いでも、曇天に溶けるような一基の塔の曖昧な輪郭があるだけだ。
齢五百とも千とも言われる塔主の支配下、人々は塔を伸ばすことだけに従事する。自らも塔の一部となり、曇天に溶けるが如く。
ある日、塔主の耳に知らせが届いた。十年ぶりの脱走者。自律衛兵が処理するだろうが、久々の騒ぎだ。塔主は会う気になった。
塔主は、若々しい肉体に不釣り合いな、万色に濁った目を見開いた。衛兵に取り押さえられる幼い脱走者。天を射抜くようなその目は、空色だった。世界から喪われて久しい色。遠い昔、幼き塔主が瓦礫の下から垣間見た、自由の色。
その日から、塔の伸長は止まった。塔は少しずつ低くなり、やがて更地となった。
塔主に独占されていた知と富は、人々に共有され、分け与えられた。瞳を濁り曇らせるほどに堆積したものが、塔主の中から晴れてゆく。知と富は各地で芽吹き、人々の手は、やがて空へと届いた。
陽光を浴びる花畑で、空を見上げるのは二対の瞳。萎びた体を車椅子に乗せる、澄んだ虹色の瞳。そして、その背を押す、空を映した透明な瞳。
草葉の陰に小さな石が積まれている。天へ挑む塔のように。