シグルドの思い出
母の肖像画はそんなに多くはなかった。
シグルドが6歳になるくらいに、事故で亡くなっ
たのだから。
それは突然の事故だった。
誰かが悪い訳ではない。
たまたま、雨の日に起こった事だった。
たまたま、乗っていた馬車が横転して…。
たまたま、馬車の側の崖が崩れて……。
そして、逃げて来た業者が事の顛末を話して。
そして………。
勿論、すぐに捜索が始まったのだけど、死体を
引き上げられたのは、数日後になってしまった。
「お母様は、どこに行っちゃったの?」
「なんでお母様は帰って来ないの?」
「お父様、お母様は……どこにいるの?」
何度もせっついて聞いた記憶がある。
その度にはぐらかされて、母親の死を受け入れ
たのは物心ついた時だった。
その頃から、妹のように慕っていたティターニ
ア皇女がしつこく言い寄るようになった。
『シグルド、貴方は私と結婚するのよ!さぁ、
今日も遊びましょう』
『シグルド、何をしているの?他の女性とは
話さなくてもいいのよ?私だけを見ていて』
『何よ?その女?友人?なにそれ…シグルドに
は私がいるじゃない。他には要らないでしょ』
何かにつけて常に自分優先だった。
ティターニア皇女の言葉は絶対で、誰も逆らえ
ない。
それをわかっていて言っているのだ。
なんとも浅ましい女だった。
「あんな女と結婚だって?……冗談じゃない」
いつしかそんな想いが芽生え始めていた。
ティターニアを見ても、一向に綺麗だとは思わ
なくなった。
顔を見るのも嫌になって行った。
小さい時はいつも一緒にいても、可愛いと思っ
ていたはずなのに……。
小さな手で、小さな身体で、必死に走ってくる
姿は、まるで実の妹のようで可愛らしかった。
それがここまで憎く思えるとは、過去の自分も
思わなかっただろう。
父はまだ、ティターニア皇女との仲は良好だと
思っているようだった。
ただ、シグルドが駄々をこねていると考えてい
るようで、何度も注意されもした。
最近、よくティターニア皇女を見かけるように
なった。
それも、宮中の端っこ。
黒の騎士団の訓練場の側でだった。
陛下が、黒の騎士団に随行せよと言われてから
きっと泣きながら嫌がるのだと思っていた。
だが、意外と問題もなく、過ごしているようだ
った。
そして何より気に入らないのは、最近彼女が
じっと見ている先にいるのがガゼル卿だった
事だ。
視線の先はいつもシグルドだった。
だが、今は違っている。
まるで恋しているかのような熱い視線をシグ
ルド以外の男に向けているのだ。
ずっと離れないと思っていただけに、最近は
それが気に入らない。
見ているだけでイライラするのだ。
それがどうしてなのかは、未だにわからない。
ただ、ガゼル卿というのが気に入らないだけ
なのかもしれない。
いつも比べられる対象で、足元にも及ばない
くせに、反抗的な視線が鼻につくからだ。
「平民のくせに……」
いつも思っている事を口に出す。
ティターニアもいつもそう言っていた。
それなのに、パーティーの時などは、平民の
女性騎士に自分のドレスを着せていた。
昔、見た事があるドレスだったからだ。
しかも、彼女とダンスを踊っていたのだ。
シグルドが相手にしないからと言って、まさ
か平民と……。
文句を言える立場ではないが、それでも身分
というものをわきまえて欲しいものだった。




