第67話 聖女は再び祖国の地を踏む
リオルドは悪い笑みを浮かべた。大変整った顔立ちを持つこの男は、悪い笑みでもそれはそれでまた絵になる。
「実はな。先日奥方が書いた返信はまだ隣国へ渡していないのだ」
「殿下」
何故ですか、と侯爵が問う前に王子は続ける。
「シスレー候もおかしいとは思っただろう? あの表面上は愛のこもった家族からの手紙に対して奥方の返信はあまりにも冷たく不自然だった。その上、翌日には早馬で候が連絡してきて俺だけに打ち明けたい秘密があると言うではないか。だから」
リオルドは横に立つ男を指差した。デボラは彼の顔に見覚えがある。確か前回の来訪時も王子の傍らに立っていた男性だ。ただの侍従にしてはよく鍛えられている身体を持つ為、おそらく護衛を兼ねたリオルドの側近。それもかなりの信頼を置いている人間なのだろう。
「コイツが手紙を直前で差し止めるよう手配してくれたのだ」
ここに来てたまりかねたのか、リオルドはククと笑いを漏らした。
「向こうの使者はな、国境際に居座り毎日返事はまだかまだかと催促をしているそうだ。終いには『聖女は返事も書けないほど弱っているのではないか』と言い出したらしい。……最初からそういった印象づけが狙いだったのだな。だがそうはさせない」
リオルドは口を閉じ、暫く目をつぶっていたがそれが開かれた時には先程よりも目の輝きがギラリと強くなっていた。
「よし、今から俺が言ったことを一言一句、間違いなく書くように」
デボラの前に便箋とペンがアシュレイによって置かれた。リオルドはゆっくりと、想定した文面を口にする。
「『オズマお兄様へ。お手紙拝見し、優しいお気持ちが伝わってきました。でも、どうかご心配なさらないでください。私は今とても幸せです』」
ここまではデボラが先日書いた返信をほぼなぞる形である。彼女はペンを手に取り、言われたままをサラサラと書き綴る……が。
「『シスレー侯爵は私を心から愛してくださっています』」
「!?」
それまで彼女によって美しく整然と列を成していた紙の上の文字が大きく乱れた。しかしリオルドの言葉は止まる様子がない。
「『私を祖国に返すなどとてもできない。離ればなれになったりしたら身を引き裂かれそうになるとまで仰って。私も彼を愛するようになりました』……おや、どうかしたか?」
「で、殿下それはあまりにも現実味が……」
言葉を濁しつつも抵抗する侯爵に対して王子はにんまりとした。
「そうか? 少なくとも奥方はまんざらでもないようだが?」
「え!?」
侯爵とアシュレイは思わず振り向く。ペンを握りしめ、顔を真っ赤にしているデボラの姿がそこにあった。
「……」
ゲイリー・シスレーはデボラになんと声をかけたものかと迷ったが、その間にリオルドが「では続けよう」と口述を再び始めてしまった。彼は基本的に情けはあるが容赦はあまりしない。
「『ですから、私はこのままこの国に居たいのです。けれど私の帰りを皆が待っているというのはどういう事でしょうか? 何かお困りごとでもできたのでしょうか? とても心配です。私だけがこんなに幸せになるのでは心苦しい気持ちになります。ぜひともお兄様やお父様お母様の近況をお知らせください。またお手紙をお待ちしています』」
デボラは顔を赤くしたまま、懸命にリオルドの口述を書きとった。
まあ、当然ながら最初に書いた一枚は「これではだめだ。書き直せ」と言われたのだが。途中から文字が乱れに乱れていたのでやむを得ない。
書き直した二度目の手紙を見て、第二王子は満足そうに頷いた。
「ではこれを彼の国に送っておく。さて、どんな反応を見せるかな?」
◆◇◆
その手紙がマムート王国に渡されてから、一週間ほどして。オズマからの手紙が再び国境に届けられた。
「意外と時間がかかったな。人質を生かして利用するか、殺して都合よく事実を歪めるか、かなり揉めたのかもしれないが。まあ結果は予想通りだ」
リオルドはそう言ったらしい。
彼の予想通りとは、マウジー公爵とマムート王家は今は少なくとも前者の方向に傾いたのである。デボラがシスレー侯爵に溺愛されているのなら利用価値がある。手紙の内容を疑ってもいるだろうが、もし嘘だとわかればその時に改めてデボラに自殺を促すか、刺客を差し向ければいいと考えたのだろう。
兄からの返信については要約した内容しか教えて貰えなかったが「デボラが幸せなら何よりだ。マウジー公爵領は小麦がやや不作だが、心配するほどの事ではない。また手紙を書くよ」というものだったそうである。
それを聞いたデボラはほっと胸を撫で下ろした。暫くの間は彼女の身の安全は約束されたのだから。
「暫くではなく、永遠に向こうが手出しできないようにしてやろう。まあ、その為には今後少し働いてもらうと思うが」
リオルドからの伝言にはそうあったが、手紙の返信を書く指示はなかった。
デボラも不思議には思ったが、侯爵に尋ねてみても「殿下にお任せしているから安心してくれ」と微笑むばかり。
実はその裏で、彼はシスレー領から多くの小麦を今回の作戦のためにリオルドへ献上していたのだが、彼女がそれを知るのはもう少し先である。
◆◇◆
フォルクスよりも北に位置するマムート王国は、それだけ冬の訪れが早い。それを考慮したリオルドはかなり迅速に事を進めたのだと思う。
オズマからの返信が来て一ヶ月半後にはデボラはリオルドやシスレー侯爵と共に、自分を捨てた家族や王家の人間と対面した。
王国民達を飢えさせぬように、と大量の小麦を支援物資として持参して。
今まで「心優しき聖女デボラ」という噂に疑問を持っていた者達も、今回の件でその疑念を払拭した。彼女が祖国を救うために夫と第二王子に支援を願い出て、妻を溺愛するシスレー侯爵が快諾したというエピソードを聞いたからだ。
その噂は瞬く間にマムート王国中に広がった。












