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第10話 そしてシェリーは陥落した

 ◆



 メイドのシェリーは困惑していた。


「デボラ様、おはようございます」

「おはよう。今日も良い天気ね」

「!」


 シェリーが朝の支度をする為デボラの部屋に入ってみれば、既に彼女は着替えをすませ、その美しい赤い髪を自らくしけずっているところだった。予想していたこととは言え、その異様さに思わずブラシを持つデボラの手を凝視してしまう。彼女はその視線を受け、微笑みつつも残念そうな口振りで言った。


「ああ、今日こそシェリーの手を借りずに支度が出来るかと思ったのに。もう少し早起きをしなければいけないかしら」

「これ以上早起きをなさっては体に毒ですよ!」

「でも、シェリー達はもっと早く起きて自分の支度を済ませてからここに来るのでしょう?」

「それは仕事だからです! 私たちの仕事を奪わないでくださいませ!」


 シェリーはそう言うとデボラの手からブラシを奪い、彼女の髪を引き続き()かした。髪の毛はブラシの歯の間をするりと通り抜けていく。既に香油も塗ってあり、これ以上の手入れは必要ないくらいだ。数日前とは全く違う。

 シェリーはため息をつきそうになり、すんでのところで呑み込んだ。


 デボラがシスレー邸に来て一週間が経つ。先週、初めてデボラの朝の当番を務めたシェリーは度肝を抜かれた。ドアを開けて目に飛び込んできたのは、下着だけになったデボラがドレスを着ようと一人で悪戦苦闘している姿だったのだ。


 最初は、隣国とはいえマムート王国は文化が全く違い、高位貴族でも自分の身支度を自分でするものなのかと思った。しかしデボラは全く不慣れな様子でボタン一つを留めるのにも時間がかかる。彼女が持ってきたドレスの多くはこの国同様、人の手を借りないと着付けられない物だった。


「私は人質だから、あんまり皆の手を煩わせてはいけないと思って……」


 いつも作り笑顔以外の表情は乏しいデボラだが、それでも言い訳をした時の彼女はほんの少ししょんぼりとしているようだった。シェリーはそんな事を気にしなくていいとデボラに言ったのだが、翌々日、着替えをマスターした彼女は簡易なドレスなら一人で着られるようになっていた。

 その次は髪の毛だ。次の朝シェリーが部屋に入ると、モジャモジャになった髪の毛にブラシがひっかかったまま、やはりしょんぼりとしているデボラと目が合った。シェリーは彼女の絡まった髪を丁寧にほどいてやったが、自身の混乱した感情をほどくことはできなかった。


(え……アシュレイさんの言う通り、やっぱり偽者なの? 公爵令嬢のやる事じゃないわよね?)


 デボラが、いつか真実が露見してシスレー侯爵邸から放り出されるか、または無事マムート王国に帰れたとしても公爵家に戻れない可能性を考えて、自分の身支度くらい自分でできる様にならないといけないと考えている事など、シェリーには想像もつかない。


(でも偽者なら、こんなに怪しまれるようなことをわざわざするかしら? 普通の高位貴族のようにツンとすまして全部使用人に任せている方が、ずっと楽に替え玉を務められる様な気が……)


 何にせよ、勝手にこのようなことをされては美しい髪が傷む一方だ。シェリーは異例中の異例だとはわかりながらも、ブラシは最初に毛先の方から徐々にかけていくのが正しいということや、香油を使って手入れをする方法をデボラに教えた。

 そして今日、デボラはそれらを完璧にこなして見せたのだ。


「次は髪の結い方を教えてほしいわ。自分で出来る簡単なのでいいから」

「デボラ様、勘弁してください。私がローレンさんに叱られます」

「そうなの……?」


 鏡越しに見るデボラの灰色の瞳に陰がかかる。無表情ゆえ見る人によって勝手にその表情を解釈してしまうだけかもしれないが、シェリーにはデボラがしゅんとしているように見えた。


(あああ! もう!)


「……三つ編みくらいならご存知でしょう? デボラ様が三つ編みのおさげ姿でいるのは許されませんが、三つ編みを丸めた纏め髪に髪飾りを挿したなら、まあなんとか見られるでしょう」

「ほんとうに? 私にもできるかしら?」

「デボラ様は手先が器用でいらっしゃいますから」


 事実、デボラに今まで教えたことはあっという間に吸収してモノにしている。シスレー邸にメイドに上がる前は小さな妹達の世話をしていたシェリーにとって、子供の様に何も知らないのに教えたことは二度と訊かずやってみせるデボラの存在は奇跡的でもあり、教え甲斐があった。


 シェリーはデボラの髪を纏めながら、鏡越しに彼女が興味津々で自分の手元を見ている様子を微笑ましく思い……ハッと気づく。


 自分は彼女に肩入れしすぎている。この人はマムート王国の令嬢なのに。皆の大事なあの人を奪った、憎くて憎くてたまらない敵国の人質なのに。けれど、デボラ本人の人柄は、その憎しみをぶつけるに値しないのではと思ってしまう。

 いっそのこと、彼女が普通の令嬢のようにツンとすましていたら簡単に憎めていたのに。


 シェリーはまた、ため息を呑み込んだ。


(これでこの人がもしも偽者だっていうなら、とんでもない凄腕だわ……)


 その日の午後の休憩時間、ローレン夫人が先日アシュレイから聞いた婚約破棄の話をシェリーにしたことで、彼女は完全にデボラに同情するようになってしまった。

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