夢の喫茶店『甘い蜜』 ~ほんの一時の甘い蜜~
「いらっしゃいませ。夢の喫茶店『甘い蜜』にようこそお越しくださいました」
おや? これは、これは、珍しいお客様ですね。
あなた様のように見えないお客様で、私の心の声を読める方は、些か何年振りでしょうか。
そんなことより、ここはどこかって? それは失礼。大変申し遅れました。
「私はここ、夢の喫茶店『甘い蜜』を営む、主と申します。以後お見知りおきを」
この喫茶店は迷いや悩み、恐怖を持った方々が訪れては、最後に笑顔で帰っていく憩いの場、となっているのですよ。
はい。……どうやったらここに来店できるか、と?
ふふ、簡単なことですよ。あなた様は今回特別な力を持って、この世界を覗いているようですが。些細な悩みや不安を持って、夜になったら寝るだけですよ。
そうすれば、私のお店へと何れは誘われます。
「……おや? どうやら、本命のお客様が来たようです」
ああ、もしよければ、私の喫茶店のお仕事を体験してみませんか? 心配しなくとも、私が接客は致しますよ。
あなた様は、ただ、見ていればいいだけですから。
お客様を待たせるのも悪いですから、カウンターへ向かいましょう。
あちらをご覧ください。緑色のドアが開く時、全ての夢が繋がり――甘い蜜へと誘われるのです。
時間です。そろそろ開きますよ。
「いらっしゃいませ、菜々様。ここは、夢の喫茶店『甘い蜜』でございます」
「え、喫茶店? 夢?」
この女の子は、私が直々に誘ったのですが……。どうやら警戒しているようですね。
夢の中だと言うのに、これは困ったものです。
私一人でどうしたものか。いえ、今は一人ではありませんね。
見えないお客様も、この子の話を、聞いてあげてくれますよね?
ほっ、良かった。あなた様ならそう言ってくれる、と信じていましたよ。
なら、まずは席に着かせないといけませんね。
「菜々様、立ち話もなんですから、そちらの席に座ってはどうでしょうか?」
「……何もしないですか」
「神、いえ、私の命に誓って何もしませんよ。ただ、あなた様の悩みを聞いてあげるだけですから」
ふう。おとなしく席に着いてくれましたね。
おっと、まずはここの説明をしないといけないですね。
「菜々様、ここは悩みや不安を持った方が訪れる喫茶店『甘い蜜』でございます」
この子は不思議そうな顔をしておられますが、まずはココアでも出してあげましょう。甘くとろける様に、とても美味しいココアを。
おっと、忘れるところでした! 見えないお客様、当然ですが、ここでの会話は他言無用でお願いしますよ?
他に知られると大変ですから。これだけは約束してください。
ココアの準備もできましたから、この子の悩みを聞いてあげるとしましょう。
「どうぞココアです。お熱いですから、ゆっくり冷ましながらお飲みください」
「あ、ありがとうございます」
礼儀の正しい良い子ですね。これは、悩みを無くしてあげたいものです。
「つかぬことを伺いますが、菜々様は、心々様のお友達でよろしいでしょうか?」
おや、どうやら顔色を暗くしてしまいましたね。
心々様と何かあった、とみて間違いないようです。まあ、知っていましたが。
わかりやすく言うなら、以前に悩みを無くしてあげたものですから。
「心々は、私の友達……それと、悩みでもあるの」
「どのような悩みか、私にお聞かせ願えますでしょうか?」
「うん」
話してくれるようですね。
一応言っておきますが、喫茶店の仕事はここからが本番、と思ってください。
絶対に、この子を刺激するような真似はいけません。
え、なぜかって? 簡単なことですよ。苦くなってしまうからです。
まあ、この話はさておいて。この子の話を聞いてあげましょうか。
「私ね、心々と星を見ていたの」
「ええ、存じております」
「でね、あの星座はあれだねって、私は言ったの。そしたら……心々ったら酷いんだよ!」
「菜々様、落ち着てください。少しココアを飲んで、リラックスですよ」
ふう、危ない。
急なことでも、苦くなってしまう……これが辛いところです。甘さは鮮度を保つのと同じことですから。
どうやら、だいぶ落ち着いたようですね。
「そのね。心々と星座の名前で言い争いをしちゃったの。どうしたらいいのか、私、もうわからない」
「その悩みはさぞ大変でしょう。私にはわかりますよ」
悩みを聞いてあげた後、あなた様ならどうされますか。
その人の気持ちに寄り添う、忘れればいいって慰める。または、そんな友達とは縁を切れって言います?
明確な答えが出ない、ですか。それは違いますね。答えが出ないのは、答えが無いからです。
ですが、ここでの答えが無いはいけません。
喫茶店『甘い蜜』本来の仕事を始めますよ。
「菜々様、甘く優しい世界に、心々様のように誘われたいでしょうか?」
「心々は誘われたのね」
「ええ、そうですよ」
この子もやはり、同じ悩みを持つ者ですね。
甘い誘惑に代償はつきものですが、どんな返事をするか楽しみですね。
え、代償があるとは聞いてない?
聞いてないも何も、あなた様に聞かれませんでしたから。私は聞かれれば答えていますので。
ほら、決意が決まったようですよ。
「私も、お願いします」
「菜々様の願い、引き受けました。少しだけ眠ってもらいますよ」
「え? なん、で……」
静かに眠ってくれたようです。
寝かせないといけないのは、この後の仕事上は絶対不可欠なのですよ。
プロであっても準備を怠れば、失敗するのと同じ原理ですから。
それでは私と共に、この子の記憶を一緒に覗きに行きましょう。
記憶を覗く理由、ですか。見てればわかります。
「では、行きますよ」
女の子の記憶をむやみやたらに覗きたくはないですね。
ここは、記憶の一部を辿る、いわば道とでも言っておきましょうか。
あなた様は他人の記憶を覗く、なんて行為はできないですよね。
話しているうちに見えてきましたよ。あれが、菜々様の言っていた悩みの記憶です。
先ほども言いましたが、絶対に刺激してはいけません。……記憶ともなれば、なおさら。
夜ですね。
あの遊具の上で話している二人の子は……菜々様と心々様。
この記憶で間違いありません。
近づいて話を聞きましょう。話すわけでは無いですからね?
「ねえ菜々! あの星座は『ふたご座』だよね!」
「うん、そうだよ」
聞いていた話と違って、だいぶ落ち着いているように見えますね。ですが、この後に何かあったとみて、間違いないのかも知れません。
しばらく静かに見守ってみましょう。
「それで『こいぬ座』があれだよね」
「心々、あれは『こいぬ座』じゃなくて『かに座』だよ?」
「菜々の馬鹿! 『かに座』はあっちでしょ!」
なるほど。これはひどいものですね。
心々様が指しているのはポルックスが近いので、菜々様の言う『かに座』が正解なのですが。
「ふんだ。わからず屋の菜々なんて、もう知らないんだから」
「何よ。私だって、怒りんぼの心々なんて知らないもーん」
見てわかったでしょう。人はちょっとの食い違いで喧嘩をし、思ってもいないことを口にする。とてもか弱い生き物なのです。
こんな悪夢のような記憶は、さっさと忘れさせてあげましょう。
どうするかって? こうすればいいのですよ。
甘い蜜に誘われ、記憶は夢のように消えていく。ほら、どんどんとろけて、美味しそうに歪んでいますよ。
「いただきます」
ふう。記憶の蜜は、いつ飲んでも甘くて美味しいですね。
え、何を言っているのかわからない? さっき見ていたでしょうに、私が記憶を蜜にして吸っている姿を。
私たち、夢の喫茶店は……辛い悩みを持ったお客様が集まる、憩いの場ですから。
わからないのは良いことです。
さて、記憶を飲んだことですし、元居た場所に戻りましょうか。
もちろん、夢の喫茶店ですよ。あの子を起こしてあげないといけませんから。
「……菜々様、起きてください」
「うーん。ここは?」
「あなた様は悪い夢にうなされていたのですよ」
顔色や意識を見るに、大丈夫そうですね。
おや、どうやら、この子はそろそろお目覚めのようです。見送ってあげましょうか。
「何しに来たか忘れちゃった! でも、ありがとう……えっと」
「申し遅れましたね。私は主と申します」
「うん。主さん、ありがとう! バイバイ」
「本日はご来店いただきありがとうございました」
緑のドアが開き、あの子は夢から覚めたようですね。
悩みを聞いた後、忘れた様に笑顔で帰っていくお客様は、何万と見てきましたが……良いものです。
実はですね。些細の悩みや怖さを、寝たら忘れるのは、夢の喫茶店があるおかげなのですよ。
無論、夢の喫茶店に甘えない方もおりますが。
おや? どうやら、あなた様も目覚める時間のようですね。
あなた様が私のお仕事のお相手をしてくれたので、とても素晴らしい有意義な時間でした。
また、夢の中で会える日を心よりお待ちしておりますよ。
「次は本当のお客様として、来店していただいても構いませんよ?」
それはお断りしたいですか。残念ですね。
「本日は夢の喫茶店『甘い蜜』にお越しいただきありがとうございました。私はあなた様の幸せを、心より、お祈りしております」
この度は、数ある小説の中から、私の小説をお読みいただきありがとうございました。
今回の作品は、ちょっとした休養として書かせていただきました。
ほのぼのとした一人称での語り方、どうでしたか?
評価や、感想を書いていただけると嬉しいです。




