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9.衝撃の事実

「下がれ」


 年かさの女と若い男が、璇に揖礼してそそくさと出ていく。璇が大股で寝台に近づき、紗を払って荒々しく子季の顔の横に手をついた。上から子季を覗き込んでいる。間一髪、目を閉じていた子季は、ごく自然な寝息を立てた。


 ややあって、「今のは聞いていなかったようだな」と璇が独り言ちた。子季は心を穏やかに保ち、自然な呼吸に集中している。璇はそのまま離れる気配もなく、じっと子季を見つめていた。


「子季のどこが醜いのか分からない」


 ぽつりと漏れた璇の言葉に、危うく呼吸が乱れそうになった。そんな訳があるものか。今は包帯で覆われているが、子季の顔の左半分を覆う火傷の痕を、璇が知らぬはずがない。子季とて鏡を突きつけられた訳ではなかったが、体に残った痕を見るに、顔の方もおおよそのことは察していた。


 出来てしまったものは仕方ないし、顔や手足に傷を負ったり、痕が残ったりすることは、山ではままあることなので、子季たち獣は人間ほどには外見を気にしない。

 それでも、子季も年頃の娘だったから、顔に残った火傷の痕がまったく気にならないと言えば嘘になった。


 ――子季のどこが醜いのか分からない。


 馬鹿め。


 璇に見つめられると落ち着かない。


「蘆薈と包帯を替えますから、さっさと出ておいきなされ」


 後ろから洪巫婆の声がして、璇はふいと出ていった。


「起きてご用意なされ――娘子おじょうさま


 巫婆が寝台に向かって面倒臭そうに声をかけた。狐娘の狸寝入りなど、先刻ご承知だったらしい。巫婆の侍女たちが小刀で蘆薈の皮をむき、ぬるぬるした果肉を取り出していた。あれを柔らかく潰し、何かの汁と混ぜたものを、子季はこれから体中に塗られる。

 寝台の縁にちょこんと座り、侍女たちの作業を何となく見物しているうち、子季は今日の蘆薈がいつもより大振りで、かつ青々としていることに気づいた。


「自前のものがそろそろ尽きてきたのでな。今日はあの方が自ら、野生のものを探しにゆかれた」


 あの方? ああ、璇か――え? 璇が?


 物問いたげな目をする子季に、巫婆が億劫そうに返事をした。


「そうじゃ」


 どうして? 璇はこの家の若様なのだろう? だったら――。


「自分で行くと言って聞かなかったのじゃ。まったく困った公子様じゃわい」


 え? と子季は目を瞬いた。


 聞き捨てならない言葉が今、飛び出したような気がする。


 公子? 巫婆、今、公子って言った?


「理由なぞ本人にお聞きなされ」


 子季は顔をしかめて首を振った。


 違う! そんなことを訊いてるんじゃない!


「ええい、質問は声が出るようになってからにせい!」


 何となく成り立っていたやり取りが、巫婆の一喝で打ち切られた。


 準備が整ったのか、侍女の一人が子季の着物を脱がせ、包帯を外し始める。

 包帯の下の様子を確認している巫婆に、子季は吐息で「公子って?」と尋ねた。


「何じゃ。知らなかったのか」


 巫婆は呆れたような顔をしつつも教えてくれた。


「あの方は茱国第一公子、袁璇様じゃ」


 ――なんだって⁉


 子季の尻尾が飛び出そうになった。


 茱の国と言えば、人間たちの国の中では最大の版図を誇る、豊かな北の大国である。






 璇って公子様だったんだ、「お育ちのせいで性格は捻じ曲がっておるが、まあそうじゃ」というやり取りが部屋の中で続いている頃、永逸宮の最奥にある璇の部屋では、謝執事を呼びつけた璇が静かに激怒していた。


「我が意は皆によく伝わっておらぬようだ」


 謝執事が拱手し、深々とこうべを垂れる。


在下わたくしめの罪でございます。どうか罰をお与えください」

「決まり文句はよい。それより、子季に対する非礼は決してあってはならぬ」


 璇は言葉を切り、低い声で命じた。


「私の妻となる女性に仕えるように、子季に仕えよ」

「つ……! つ……!」


 謝執事は衝撃のあまり、つの先が言えなかった。


「……ものの例えだ」


 璇は小声でそう付け加えたが、ぶっきらぼうに顔を逸らす仕草といい、あの娘への普段からの接し方といい、謝執事にはそれがものの例えでは済まぬような気がしてならない。


「それでもまだ足りぬくらいだ」などと、信じ難いことを言っている主に、謝執事は一命を賭して諫言を試みた。


「恐れながら、お戯れが過ぎるのではありませんか」


 命惜しさというより情けなさで、謝執事の両の目からは涙がこぼれそうになっていた。


「素性の怪しい娘を宮中に引き入れたばかりか、あまつさえ公子妃の待遇をお与えになるなど、どう考えても行き過ぎでございます」


 普段から何を考えているやら分からない主ではあるが、ここまでとは思わなかった。悲憤慷慨の涙が眼球を覆う。すべての士大夫の憧れ、憤死が今なら出来そうである。


 璇はしばし悩ましげに眉を寄せ、「近う」と謝執事を呼び寄せた。

 かろうじて聞き取れるくらいの小声で告げる。


「あれは、瑞獣だ」


 涙に濡れた目が、至近距離からぎょろりと璇を見た。


まことでございますか」

「嘘など言うものか。あの者が野に火柱を立たせ、雨を呼ぶのを私はこの目で見た」

「なんと――」


 璇は重々しく頷いた。


「縁あって手負いのあの方を保護したが、この宮のもてなし如何いかんでは早々に去っていくだろう。それでもよいのか。子季の本性は雪のように白い九つ尾を持つ、ありがたい狐仙娘娘なのに」

「なりませぬ。心尽くしのおもてなしで、ずっとここにいて頂かなくては」

「そうであろう」


 璇がもっともらしく頷いた時、璇の所在を尋ねる侍女の声がした。あちらで巫婆の入出許可が出たのだろう。いつまで経っても璇が入ってこないので、どうしたのかと探しにきたらしい。


「このこと、口外無用」


 璇はそう言い捨てて、さっと部屋を出ていった。


「あっ、


 主の部屋に置き去りにされた謝執事は、慌てて主の後を追った。

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