45.その後の話
※グロ注意。
最終話にこんな。
黄願がちょっとアレなことになります。
お食事中の方や繊細な方は真ん中らへんを読み飛ばしてください。
茱に新しい王が立った。後に中興の祖と呼ばれる賢君、袁璇である。
前王からの譲位であった。
未だ王位に恋々とする袁威を真っ先に見限ったのは、宮中の風見鶏たちだった。
帝王の資質を持ち、瑞獣の加護まで受けた若き逸材が、すぐ後ろに控えている。ぐずぐずと湿っぽく、床から起きられぬことも多い半病人に、彼らは容赦なく冷たい尾を向けた。
新王の最初の仕事は、彼を殺した者たちの処断であった。
璇が密かに呼び寄せた、砦の守備軍の将が正殿に姿を現すと、居並ぶ百官は騒めいた。砦は襲撃を受けていないという証言が淡々となされ、璇は「ご苦労だった」と彼を労い、下がらせた。
「さて」と璇は百官を睥睨し、
「砦の襲撃を報告した兵士と、彼の年老いた母親については、誰も手出しが出来ぬよう、私が安全な場所で保護している」
その意味が分かる者だけが青ざめた。
璇は衛兵に合図を送った。
「――連れていけ」
後ろの方に控える官吏たちが、次々と捕らえられていく。
「この陰謀に関わった者が、かくも多いとは」
璇は嘆息し、高官たちが決まり文句を述べるのを待った。
「臣の罪でございます。どうか罰をお与えください……」
「そうか」
璇は追加で呼んでいた衛兵たちに命じた。
「高官たちを全員捕えて獄につなげ」
「陛下!」という悲鳴のような声が上がる。
璇は涼やかに笑って言った。
「形式だ。何ら疚しい所のない者は、何も恐れる必要はない」
そう、何ら疚しい所のない者は。
璇には彼らに逃亡も証拠隠滅もさせるつもりはなかった。獄につないでいる間に調査を進め、陰謀に関わっていたことが判明した者は刑に処す。
下の者たちばかりが処分され、首謀者たちがのうのうとしている国など、滅びた方がましだと思っていた。
今や茱の大将軍となった蘭舟が、璇の傍らでにやりと笑った。
「お見事です」
「何の。敵失と、彼らの慢心に乗じただけだ」
前王がはびこらせた膿を一掃すると、璇の宮廷には新しい風が吹くようになった。
璇の殺害を教唆した廉で、廃后となった魏氏については、璇は帰還当日、権の取り巻きたちに選ばせたように、彼女にも二つの選択肢から彼女自身に選ばせた。
今後は彼女の母と同じように、洗濯女として王宮に仕えるか。それとも、罪人として一生幽閉されるか。
魏氏は後者を選んだ。
丸囲みした「囚」の字が、腹と背に大きく書かれた囚人服を着、水のような粥をすすって、魏氏は残りの人生を過ごした。
彼女は世を儚むこともなく、七十六年の天寿を全うした。
黄願の最期は誰よりも呆気なかった。
権と袂を分かち、ぷらぷらと彷徨っていた黄願は、ある日、とろりと蕩けるような匂いに誘われて、小さな村の外れに身を寄せた。
匂いの先には、間に合わせの屋根に覆われた、簡素な醸造所があった。
病の母と幼い弟妹たちを持つ若い娘が、日々の暮らしの為、そこで酒を造って売っていた。
その酒は大変、黄願の口に合った。
酒も娘も味見がしたい黄願は、「昔からずっと隣に住んでいる親切な黄願さん」となり、何かと用事をかこつけては、娘の仕事場に顔を出した。
娘は酒を盗み飲んでいる蛇に気づいていた。
黒と黄の派手な格子模様を持つ、いやらしい蛇である。
これ以上売り物をかすめ取られる訳にはいかぬ、と娘は蛇が己の杯のようにしている甕に殺蛇散を入れた。
翌朝、娘が仕事場に顔を出してみると、果たして蛇が悶え苦しんでいた。
おのれ、まだ死んでいなかったか、と娘が庖丁を手に取り、再び蛇に向き直ると、蛇の頭の部分が見知った人の顔になっていた。
「お……黄願さん?」
蛇の体から黄願の顔や手足がにょきにょきと生え、まだらに人と蛇であるものが、草の上でのたうち回っている。
「お姉ちゃん……?」
「阿敏! こっちに来ちゃ駄目!」
眠い目をこすって現れた幼い弟に、まだらの生き物がずるずると向かっていった時、娘は迷わなかった。
庖丁を振り下ろし、化け物の体を真っ二つに叩き切る。
それでもまだ生きていたから、娘は更に庖丁を振って、まだらの体を四つにした。
四つになっても、蛇はまだ生きていた。
娘は勇気を奮い起こし、今度は蛇に油をかけて火をつける。
二股に割れた舌が人間の唇から突き出され、恨みに満ちた目が業火の中から娘を睨みつけた。
まだ死なないのか――と、娘の心が折れた。
四つの体が燃えながら、四つとも彼女に向かってくる。彼女は幼い弟を背に庇い、もはや何か分からない四つの塊をぼんやりと目に映していた。
「退!」
深みのある声がして、何か分からない四つのものは、見えない壁にぶつかったように弾き返された。
いかにも大人物らしい、高そうな着物をまとった上品な老人が、いつの間にか娘の前に降り立っている。
老人は娘に背を向けていたが、彼が手に持つ見事な九つの房の扇が、優雅に揺れているのが肩越しに見えた。
随分と変わった意匠で、九つの立派な房のうち、五つは透き通った銀の色、四つは青い夕闇に沈む雪の色だった。
「もう大丈夫じゃ。勇敢なお嬢さん。後は私が」
「あなたは」
「私はあの蛇を追っていた方士じゃ。あれは実に悪辣な蛇でな。よく退治してくださった」
「いえ、私は何も」
振り返った方士が、謙虚な娘に優しい笑みを投げかけた。うっとりするほどの美老人であった。何をどうしたら、こんなに美しいまま年が取れるのだろうか。
「お嬢さんはもう戻りなさい」
「はい、方士様」
娘は弟の手をしっかりと握って頷いた。
方士は焚火を眺める好々爺のように無邪気な顔で、燃えゆく蛇を眺めているが、蛇を包む炎はいよいよ青く激しく燃え盛り、娘にはこの老人が絶対に何かしているとしか思えなかった。
娘が弟と共に去り、黄願はほどなくしてただの炭となった。
老人は炭を見下ろし、ぽつりと言った。
「つまらぬのう、黄願。お前が焚きつけた人間どもは、婿殿が始末してしもうたし、お前はお前で、若い娘にしてやられておるし」
炭は音もなく粉々に砕け、風に乗って散っていった。
「黄願、つまらぬことよ――」
茱の百官が見守る中、赤い大袖を翻して輿から降りた花嫁は、この世のものとは思われぬほど美しかった。
柔らかな風の祝福を受けながら、彼女は一歩、また一歩と袁璇の待つ正殿へと階を上がってゆく。
彼女が戴く金冠には、大粒の真珠が嵌め込まれていた。
袁璇が贈った愛の証であった。
この日、袁璇は最愛の人を妻に迎えた。
ようやく彼の許にやってきた王后、趙氏の手を取り、袁璇が何事か囁く。趙氏が微笑み、おっとりと応える。
――来たか。
――来たよ。
それは、本当に他愛のないやり取りで。
袁璇が趙氏に看取られ、八十年の幸せな生涯を終えるまで、二人は常にこのようであった。
二人の婚姻からしばらくの後、「趙氏は九尾の狐である」という噂がまことしやかに茱の国土を駆け巡ることとなる。
この噂は広く受け入れられ、いつまでも人々の心の中に根差すこととなった。
趙氏本人が匂い立つように美しい人であったことと、袁璇の治世が非常に平らかであったことが、その遠因とされている。
この頃、先の時代より格段に、文学的にも円熟した王都では、二人の出会いを様々に想像した、胸躍る戯曲が数多く書かれた。
市井の老若男女が芝居小屋へ詰めかけ、幾通りもの二人の恋の成就をはらはらと見守ったのである。
どの筋書きにおいても、袁璇は必ず趙氏と結ばれ、大衆は最後まで粘った袁璇に大喝采を送るのだった。
最も人気の演目は、三つの難題を突き付けられた袁璇が、これらすべてを鮮やかに解き、意気揚々と趙氏を連れ帰るというものだった。
市井の戯曲や稗史がお祭りのような盛り上がりを見せる一方、正史は淡々とした筆致を貫いた。
袁璇の謎めいた美しい妻、今となっては名も不明である趙氏について、茱の正史は遥か遠い山岳地帯に住む、有力部族の娘だったと記している。
間違っても「九尾の狐である」などということが、正史に記されることはない。
ただし、記した者がよもや何かと取り違えたか、或いはそれが純然たる事実だったからか、二人の仲睦まじさを正史はまた、このようにも伝えている。
たった一文。
至極、甘ヤカナリ――と。
おしまい♡
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