43.接吻
胡服を着た後ろ姿は普段通り恬淡として、自分が非業の死を遂げたことなど、一切気にしていないように見えた。
いつもと変わらぬ飄々とした様子に、何かが胸にこみ上げたのも束の間、子季は急に彼が小憎らしくなって、このまま白い毬のように、背中にぶつかってやろうかと思った。
いや、違う。やっぱり腕の中に飛び込んで、抱きしめてもらおう。
クン、と甘えるように一鳴きすると、ひとつに結った射干玉の髪が揺れ、璇が振り返る。
「ああ、子季」
と、璇は驚いた様子も見せず、にこっと笑った。
「会いにきてくれると思っ――」
子季は一回転した勢いのまま、柔らかい草の褥の上に璇を押し倒した。
璇はきょとんと子季を見上げ、真面目くさった顔で言う。
「気をつけろ。首が転がるだろう」
「乗せているだけなのか⁉」
璇の首には、きっと消えることはないのであろう、刃が入った生々しい痕がある。
璇が堪えきれずにクッと肩を震わせたから、子季はからかわれたと知った。
「もう!」
子季は怒って離れようとしたが、璇がいち早く子季を捕え、噛みしめるように呟いた。
「お前は本当に、私の上に覆いかぶさるのが好きな奴だな……」
「何だ、その言い方は!」
多分に語弊のある言い方だった。
子季は眦を上げて璇に反論しようとしたが、言われてみれば、この角度から見下ろす璇を、確かに子季は見慣れている。璇はいつだって大人しく子季に覆いかぶさられ、か細い手足を振り回して、儚い抵抗を見せたのは、初めて出会った時だけだった。
ああ、まただ。涙で滲んで璇がぼやけ始めた。
「……泣くな。持って生まれた身分と定めによっては、このような死が避けられぬこともある」
人が変わったのか、と言いたくなるほど、璇はすっかり自分の死を受け入れていた。
「どうして。お前はもっと……」
「最後に再びお前と出会って、心も通じ合った。元は十二で死ぬ定めだったと思えば、望外の人生ではなかったかと思う」
璇は愛おしげに子季の頬を撫でた。
「会いにきてくれて嬉しい」
なんて諦めのいい――。
人の身である璇にとって、こうなった以上、死は受け入れるものでしかないのだろう。
それは理屈では分かるのだが、彼の中では子季への思いもすっかり決着がついているように見え、子季はつい、彼を責めるような言い方をしてしまった。
「馬鹿。わたしを置いて死ぬことに、もう少し苦悩や葛藤はないのか。残されたわたしがどれほど悲しむか、お前は考えたりしないのか」
理不尽なことを言っていると自分でも分かっていた。
璇は花がほころぶように笑った。
「なにが可笑しい!」
「可笑しいのではない」
嬉しいのだ、と璇の声は蕩けそうだった。
「好きな女に押し倒されて、愛の言葉を囁かれている。これ以上の幸せがあるか」
「お前はもう、どうしていちいちそういう言い方を!」
「――許せ、子季」
璇が子季を引き寄せた。
「好きで置いていくのではない。こればかりはどうにもならぬのだ」
璇の声が本当に苦しげで、子季はこの瞬間、未だ肝心な話をしていないことに気づいてさっと青くなった。
「璇、ちょっと、大事なことを伝えたいから、起きて話を聞いてくれない」
「これがお前と過ごす最後のひと時ならば、私もお前に伝えたいことがある」
永遠の別れの前に、伝えるべき言葉があるのは璇も同じであった。
「――愛している。天に誓って、心から」
毅然として美しい、涼やかな目に射抜かれて、子季の体からくたりと力が抜ける。
子季の背に緩く回されていた璇の手が、すっと子季の体を撫ぜた。
「ま、待て、何を……」
璇の手が不審な動きを見せたから、子季は慌てて人間の手を突っ張り、璇から距離を取ろうとした。
「往生際が悪いぞ。この流れで」
「で、で、でも、お前、こんなところで、一体何を始める気だ」
子季は明らかに本気で焦っていた。
逃げようとする子季の体をしっかりと抱きとめつつ、璇は少し傷ついた顔をした。
「何って……。お前もそのつもりで、会いにきてくれたのではなかったのか」
「どういう意味だ。いや、本当に」
「言わせるのか……。ほら、あれだ。死にゆく私に一夜の情けを……いたた」
子季は璇の鼻をつまんで「馬鹿」と呟いた。
本当に、馬鹿。
「わたしはお前に会いにきたんじゃない」
上から覆いかぶさって、素っ気なく告げる。
「――迎えにきたんだ」
子季が璇の上に身を屈め、璇が唇を薄く開く。
唇が重なる直前、子季は目を閉じた。




