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極甘~ガワだけ爽やかな不遇の公子、ずっと心密かに思い続けた初恋の人を野で拾い、連れ帰って偏(ひとえ)に愛を注ぐこと~  作者: 初春餅


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40.璇の最期

 権がいかにも甘えた声で、「一度休憩にしよう」と言うので、璇は早々に行軍を停止させた。


 ――早いな?

 ――ええ。


 蘭舟と素早く視線を交わす。王都を出てまだ二刻と経っておらず、これは予想外の早さだった。


 今は曲がりなりにも友軍の救援に向かう途中であり、さすがに璇の出す休憩の指示を待つと思ったのだが、権はそういう建前に付き合う気もないようだ。


「そんなに待てぬのか」


 休憩がではなく、璇を仕留めるのがである。


「或いはここで仕損じても、まだ何度でも挑めるように、早めに仕掛けておきたいのかもしれませんね」

「……」


 今更傷つくほど純情ではないが、蘭舟の物言いは明け透けに過ぎた。


 璇の率いる騎兵たちは、異例尽くしの行軍にも不満ひとつ漏らさず、馬を停めた瞬間から、十重二十重とえはたえにさりげなく璇を守っている。


 権に不審な動きあらば、彼らが即座に制圧することは疑いようがなかった。


 長年共に戦地を駆けてきた仲間である。白粉や権の手の者が紛れ込む余地は毛ほどもない。


 璇はつかず離れずの距離にいる蘭舟にぽつりと言った。


「本当に、権は一体どうやって私を殺るつもりなのだろうな」

「遠乗りにでも誘うんじゃないですか」

「行軍の最中にか」


 璇は一笑に付そうとして、いや、それもあり得る、と思い直した。まさかそんなことはしないだろう、という正にそんなことをする権に、少し前にも足元をすくわれたばかりである。


 権は今、護衛と称する取り巻きたちと何やら楽しげに盛り上がっている。


「兄上、少し離れたところに川があるらしい。皆で行って水を汲んでくる」


 璇の返事など、当然待たない。


 勝手な行動は慎め、などと言ったところで無駄だった。砦は襲撃を受けていないし、権には行軍の意識もない。だが、もし本当に砦が襲撃を受けていたら、迷わず置いていくところである。


 本当に、すべてが馬鹿馬鹿しかった。


「――追え」


 馬に乗っていずこかへ向かう権たちを、璇は騎兵二名に追わせた。何をしているのか、一応把握しておかなくてはならない。


「私は誘われなかったな」


 となると、遠方から火矢でも飛んでくるのだろうか。射られるとしたらどこからだろう。璇は物憂く嘆息し、周囲を見渡した。


 直後、夕方の月を背にした騎兵の姿に、璇の目が釘付けになった。


 茱軍の騎兵の恰好をしているが、見覚えのない顔だった。死人のように虚ろな目で、馬上から璇を見下ろしている。彼が乗っている馬は、小さな獣を入れた網を引きずっていた。


「――子季!」


 血で汚れた雪白の毛並み。力なく体に巻きつく九つ尾。この世ならぬ美しい獣が、網の中で弱々しく目を開く。囚われの九尾の瞳は金で――確かに、璇と目が合った。


「すぐ行く!」


 璇は馬に飛び乗り、死人のような騎兵目掛けて猛然と駆けていった。


「いけません! 公子、罠です!」


 男は璇が向かってくるのを確認するや、馬首を転じて素早く馬に鞭をくれる。

 網の中の小さな体が引きずられ、「キャン」という鳴き声が上がった。


 ――おのれ。八つ裂きにしてくれる。


 体をはすに構え、風に乗るように馬を駆る璇の騎馬は速い。璇が本気を出せば、蘭舟でも追いつけぬほどである。だが、これは速過ぎた。蘭舟が璇を猛追するも、璇との距離は開くばかり。璇の追う騎兵と璇は、人知を超えた速さでみるみる遠ざかってゆく。


「公子、お戻りを!」


 咆哮のような蘭舟の絶叫も、もはや璇には届かなかった。


 騎兵と璇の姿はいつしか世界から消え失せ、二人は延々と続く、代わり映えのしない山道を、土埃を上げて駆けていった。


 追う璇が、やや速かった。


 狭い山道を縫うようにして、璇が虚ろな騎兵と並ぶ。ひらりと相手の馬に飛び乗り、前に出る体の動きで相手を払い落す。


 璇は馬を宥めて速度を落とさせ、網を引き上げ、腕に抱えた。


「子季、無事か」


 網の中の小さな獣は、ぐったりとして動かなかった。


「子季、子季」


 すぐには止まらぬ馬がもどかしく、璇は縋るように馬の首を撫でた。


 ようやく並足程度になると、璇は網を抱いて馬から飛び降りた。


 地面に膝をつき、大切な宝物を取り出すように網を広げる。


 ――違う。子季ではない。


 そう気づいた瞬間、璇の胸は甲冑ごと貫かれていた。


 唇から真っ赤な血を吐きながら、璇が地面に崩れ落ちる。つい先程まで、璇の腕の中にいた白い獣は、今やしゃなりとした優しげな男の姿になっている。


 男は目を糸のように細め、「危なかった」と呟いた。


 命の終わりはあまりにも呆気なく、璇が己の死を自覚したかどうかも定かではない。だが、彼の目はもはや光を映さず、唇はもう子季と呼ばない。


 人形のように美しい男の死に顔を、蛇だけが静かに見下ろしていた。

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