36.これは熱のせい
「まったく、あなた様方ときたら! よくもまあ飽きもせず、こうも交互に、婆をこき使ってくれるものじゃ!」
「巫婆、後で聞く。それより子季は何故こんなことに」
子季は赤い顔をして、ぐったりと寝台に横たわっている。巫婆は子季の顔や体を、あれこれと見たり触ったりした後、億劫そうに告げた。
「理由などない。そのうち治まる」
「理由などない⁉ そんな訳――」
ぐいぐい詰め寄ってくる璇を、巫婆は「カッ!」と威嚇して黙らせた。
「強いて言うなら、金持ちの子供がなるやつじゃ」
「何だそれは」
「どこも悪いところがなくとも、心が起こした癇癪で、体が参ってしもうたのじゃ」
璇は綺麗な目を瞬かせ、すぐに巫婆が言っていることを理解した顔になる。
「では、大したことはないのだな」
「ない。あやしてやりなされ」
璇はにんまりと微笑んだ。
「聞いたか、子季」
身を捩って逃げようとする子季の体の横に手をつく。
「毎日あやしてやるからな」
「そういうのは止めい」
子季はふかふかの掛布団から顔の上半分だけを出し、潤んだ目で璇を見上げた。
「よいのだ。板挟みになって、つらかったろう」
山に戻れぬ理由を無理やり作り出した体が愛おしく、璇の声は蕩けるように甘い。
子季はすっかり子狐に戻ってしまったかのように、璇が少し動くだけで、不安げに璇を目で追った。
「案ずるな。ずっとここにいる」
璇は苦笑まじりに、「ほら」と深く座り直した。
――随分と素直ではないか。矩を踰えてはならぬ、大人たちの言うことを聞かねばならぬ、と気を張っているお前よりずっといい。
安心したのか、やがて子季が寝息を立て始めた。
その様子を見届けた璇が、ほっとしたような表情になり、こちらもまた、うつらうつらと微睡み始める。
やがて、子季の褥の端に、璇は音もなく体を沈めた。
窮屈な姿勢ながら、幸せそうに眠っている璇の肩に巫婆が袍を掛けた。
「……ほどほどになされ、公子様。あなた様とて、まだお体は万全ではない」
璇は呆れたような苦言も届かぬ夢の世界にいる。
穏やかな微睡みの時間は、数刻も経たぬうちに破られた。
王家の侍医が来たことを告げに、怡若が部屋に入ってきた時、いつの間に目を覚ましたのか、璇は体を起こしていた。
顔つきもいつもの読めない公子様に戻っている。
こういうところが「人間離れしている」と怡若に評される所以である。
「ここへ通せ」
璇は寝台の前の紗を下ろし、眠っている子季の姿を隠した。
瀟洒な卓で形式的に脈を取られ、
「もうすっかりご快復でしょうか」
「ああ」
璇は求められている答えを返した。
侍医が恭しく出ていくと、蘭舟が入れ替わりに入ってきた。
「お部屋に戻りましょう。肩をお貸しします」
璇は残念そうにぽつりと言った。
「休暇が終わってしまった」
「それは仕方ないですよね。吃驚するほど情熱的に、娘子を抱き上げて帰ってきたらしいじゃないですか。一体何人が目撃したとお思いで?」
「子季が心配だったのと、いつもの癖でつい」
永逸宮から一歩外へ出た瞬間から、たとえ高熱に喘いでいようと、毒矢で体が痺れていようと、弱々しいところなど璇は毛ほども見せたことがない。
「ま、いいから、お部屋に戻ってお休みください」
「子季のそばにいると約束した」
「娘子が起きたら、公子のお部屋に行くよう伝えますから」
璇は美しい眉を寄せた。
「それは何か違わぬか」
「無理やり抱きかかえられて運ばれたいですか?」
「……」
紗の奥からくすくすと忍び笑いが漏れた。
気だるげに横たわったまま、子季が紗を軽く上げる。
「璇、戻れ」
いつから起きていたのか、事情をすっかり承知のようである。
側に控えていた怡若が璇の意を受け、紗を上げて留めた。
「子季、気分は」
「うん。大丈夫」
どうだかな……。
ちぐはぐな返答であった。
璇は少し考えてから、小声で怡若に何事か指示した。怡若が畏まって出ていき、璇は「怡若が戻るまで待て」と、寝台の前にゆったりと腰を下ろした。
「私がいなくて平気なのか」
「平気じゃないけど我慢するよ」
う、と璇が苦悶の表情を浮かべ、顔を覆った。
「子季が私の妻だったら、こういう時は同じ寝台で眠れるのに」
普段の子季なら真っ赤になるような言葉だったが、熱で潤んだ目がゆらゆらと璇を見上げ、得も言われぬ優しい弧を描いた。
ほどなくして戻ってきた怡若は、小さな人型の置物を捧げ持っていた。
「これは、胡人灯だ」
璇は怡若から置物を受け取り、子季の枕元にちょんと置く。
それは両手を顔の横に上げて、満面の笑みで踊る、胡服姿の男を模した室内灯だった。腹の部分がぱかっと開くようになっていて、その中に燭台が付いている。
「こういうのって、どこで手に入れるの……?」
「昔、刃を交えた草原の族長にもらった」
「ふうん」
子季が分かったような分からないような顔で頷いた。絶対に分かっていない、と後ろに控える蘭舟は思う。公子様、それでは何の説明にもなってないでしょう。
「これを私だと思え」
しどけなく横たわったまま、子季が目を細めた。
「璇のこういうところが好き」
「えっ」
子季はくすくす笑いながら、「嘘」と呟く。
途端に璇が胡人灯と真逆の表情になった。
子季はとろりと璇を見上げ、
「お前の全部が好きだよ」
「……」
璇がゆっくりと動きを止め、そういう胡人灯のように動かなくなった。
「璇……?」
「そ、そうか。よく休め」
「うん。璇もね」
ふらふらと立ち上がった璇が、覚束ない足取りで出ていく。
蘭舟は小声で、「恐ろしい方だ……公子はああ見えて初心な方なので、あまり翻弄しないでください」と、言い捨てて主の後を追った。
子季は愛おしげに胡人灯を撫でる。
勤勉な公子様を労わるように訪れた、二度目の休暇はこの日、呆気なく終わりを告げた。




