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極甘~ガワだけ爽やかな不遇の公子、ずっと心密かに思い続けた初恋の人を野で拾い、連れ帰って偏(ひとえ)に愛を注ぐこと~  作者: 初春餅


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27.狐狩り

 心地よい薄闇を作る帳も紗もない、剥き出しの牀榻の上で子季がぷるぷると身を震わせると、上から芸欣げいきんの声が降ってきた。


「娘子、お目覚めになりましたか」


 子季の目の上には濡らした布が乗せられていて、そこから爽やかな香りがする。


 芸欣が布を取り、子季がすっきりと腫れの引いた瞼を開いたのは、もう昼に近い時刻のことだった。


『ここは……』


 芸欣に尋ねかけ、はたと思い出す。巫婆の部屋だ。


 芸欣は意味ありげに微笑み、「こちらにいらしたんですね」と言った。


「どうです? お気に召しましたか?」

『え? うん、まあ……?』

「公子が気にしておられました。気に入ってくれただろうか、と」


 何故璇が。

 朝から気分の悪い名前を聞いてしまった。


『いいんじゃないか? あんまり巫婆らしくなくて、ちょっと意外だったけど』


 ずらりと並ぶ酒甕も、怪しげな薬草の束もない、普通に女性らしい部屋である。

 子季が気のない様子で答えると、芸欣は不思議そうに首を傾げた。


「巫婆? いえ、こちらは娘子の……ええと、つまりその、要するに、公子妃のお部屋でございますが」

『え?』


 娘子はわたしを指す呼び名だろうけど、公子妃って何。


 子季の反応をどう取ったのか、芸欣は「まだ準備中ですけどね」と慌てて手を振った。


「昨夜はこちらにお泊りになったと聞いて、公子は大層お喜びでした。――昨夜のことは、夢ではなかったのだな、と」

『……』


 おのれ袁璇。調子に乗りおって。


 芸欣がきりりとした顔を作り、微妙に璇の口調に寄せてきたせいで、璇に対する怒りがいや増した。


「そうそう、公子がお昼をご一緒に、とのことです。じきにお帰りになりましょう」


 芸欣が大事なことを言ったが、怒りに震える子季は、彼女の言葉を何ひとつ聞いていなかった。


 芸欣がポッと頬を染め、


「ところで、昨夜何があったかお聞きしても」


 子季はふらつく頭を抱えて扉口に走った。


「あっ、娘子!」


 ぐずぐずしている暇はなかった。そもそも昨夜、璇に因果を含めた後、すぐに出ていくつもりだったのに。


 ここは永逸宮の最奥で、子季の部屋は出口の近くである。つまり、このまま廊下をまっすぐ走り、子季の部屋の前を通り抜ければ、その先にあるのは出口に外ならない。


「誰か! 娘子が!」


 芸欣の悲鳴に応じるように、宮付きの従僕たちがわらわらと湧いて出た。


「驚いた。巫婆の予言通りになったな……」

「何としても娘子をお止めしろ!」


 ――わたしを止めるだと?


 人の姿を取っていても、そこは神獣である。動き出しからして速さが違った。


「うっ」

「何てすばしこい」


 灰褐色の髪がなびき、裾から覗く裙がいたずらに翻る。四ツ足の生き物のような俊敏さで、時に大きく上に撥ね、時に低く頭を伏せて、子季は縦横無尽に従僕たちを翻弄した。彼らが示し合わせて飛び掛かっても、彼らの手は子季の体にかすりもしない。


「何をやっている!」

「廊下が……廊下が勝手に伸びたり縮んだりして娘子を逃がすんです!」

「そんな訳があるか!」


 これでもまだ本気ではなかった。二日酔いがひどくて、本気を出すと吐いてしまいそう。


 かわしても躱しても、まだ詰めてくる彼らを余裕で躱し、何故か足下に張られている縄を避ける。


 何だろう、これ……。


 狩られているような気分だった。


 今日は蘭舟はいるのだろうか。彼ほどの手練れとなると、手加減はかえって難しい。出来ればいてほしくなかった。誰のことも傷つけたくない。


「――そこまでじゃ、娘子」


 子季がはっと立ち止まる。


怡若いじゃくがどうなってもよいのか」

『怡若!』


 廊下の先には、怡若の喉元に小刀を突きつける巫婆の姿があった。


「娘子、申し訳ありません。不覚を取りました」


 普段は冷静な怡若が小鳥のように震えている。こういう時、割り切ってれる質だった。これが芸欣だと役者が悪過ぎて子季が騙されない。


「大人しくあの方のお帰りを待ってもらおう」


 子季は微かに顔をしかめ、風圧で小刀を叩き落とした。


「ギャアア!」


 手加減したつもりだったが、枯れ木のような手には衝撃が大きかったらしい。戦意を喪失した巫婆と、巫婆にしがみつかれたままの怡若など、子季の敵ではなかった。二人の脇をあっさりとすり抜ける。今日は蘭舟はいないようだ――もらった。


 子季は清々しい気持ちで外に躍り出た。


 久々の屋外である。何執事が創り出した幻想の庭は、そろそろまじないも解け、子季の知らぬ本来の姿に戻りつつある。

 特にこれといった感想もなく、子季は永逸宮の門を目指してひた走った。


 あの門を出たら――。


 狐の姿に戻るのは久しぶりである。


 一回転するべく手を前に出した子季は、丁度門を潜ってきた璇の胸に飛び込んだ。


「ああ、子季……。出迎えなんて」


 璇が子季をしっかりと抱きしめ、子季の頭に頬をすり寄せた。


 変化へんげの中断を余儀なくされた子季の体は、雷に打たれたように痺れ、指先ひとつ動かすことができない。


 宮から出てきた使用人たちが歓声を上げた。


「公子が見事、捕獲なさったぞ!」

「ああ、良かった。すみません、あまりにもすばしこくて……」

「さすが公子。我らでは歯が立ちませんでした」


 惜しみなく璇を称える声がこだまし、辺りは一転、安堵の空気に包まれる。


 子季を抱いている璇の腕にぐっと力がこもった。


「……ほう?」


 子季の耳のすぐ上で、爽やかさなどひとかけらもない低い声がした。

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