11.まずはお友達から(後)
平気……。喉がちょっと痛かっただけ……。
「もう喋るな」
途切れ途切れに、吐息で伝えてくる子季の頭を引き寄せ、璇は自身の肩に子季の額をそっと押し当てた。
焙られた喉で、何を一生懸命に。
璇は濡れた髪に指を入れ、子季の耳元で囁く。
「子季。お前がここにいることは、この宮の者しか知らぬ。だから、お前が今案じていることは、まったくの杞憂だ」
これでいいか。これでお前は、心置きなく私のそばにいてくれるか。
璇本人は至って冷静なつもりでいるが、子季の喉が心配で、居ても立っても居られないのと、子季が今この瞬間にも、璇を置いて幽界に帰ってしまうのではないかという不安で、とっくに冷静さを失っていた。
璇は割と近い距離から子季の顔を覗き込んだ。
「私は何を言われても気にならぬが、その方がお前を守れると思って」
子季はびくりと身を震わせ、璇の視線を避けるように俯いた。
……何だ、その困ったような顔は。
璇は淡々と、だが矢継ぎ早に尋ねた。
「他にもまだ何かあるのか。ひょっとして、ここの住み心地が気に入っていないのか。嫌いなものが膳に出たか。褥の寝心地が悪かったか」
子季が顔を上げ、驚いたように首を横に振った。
「お前に何か意地の悪いことを言う者がいるのか」
そんなこと、と言いかける子季の唇に指を当て、喋るなと目で告げる。子季は瞼を伏せて首を振った。
「それなら――」
どうすればいい? どうすればお前は私のそばにいてくれる?
その問いの答えは知らなかったが、自分の望みなら知っていた。
「子季」
相変わらずの至近距離から、璇はまっすぐに子季を見た。
璇の大事な狐娘は、こんなにも璇の心を掻き乱しておきながら、ほこほこと気持ちよさそうに、花のような匂いをさせている。
「……頼む。傷が癒えるまででいい。黙って私の世話を受けてくれ」
子季は困惑の表情を浮かべ、どうしてそこまで、と唇の動きで問うた。
「どうして……?」
言わせるのか。
璇は淋しい月のごとく微笑んだ。
「私たちはもう、友だろう?」
子季の耳がぴくぴくと動き、包帯に覆われていない肌がほんのりと赤く染まった。
随分と嬉しそうである。
初めて出来た人間の友達、というところだろうか。
子供のようにはにかんで「うん」と頷く子季に、いつかの少女の姿が重なった。野原にひょっこりと現れた、白絹の袍の少女。最後の最後に垣間見た、雪のように真っ白な九つ尾。
九尾の小さな姫君が、無防備にも人の子の前に姿を現したのは、好奇心からか、それとも人恋しさからだったか。今の彼女から察するに、きっと両方だったのだろう。瑞獣のくせに危なっかしい。璇が瀕死の子供だったから良かったものの、これがもし元気いっぱいの悪い大人だったらと思うとぞっとする。
「ここを出ていくのは、お前の傷がすっかり治って、友を安心させてからだ。よいな?」
うん、と子季が神妙な顔で頷く。
璇は爽やかな笑みを浮かべて念を押した。
「言っておくが、黙って出ていったりするなよ。挨拶もなしに出ていく友などおらぬからな」
分かっている、というように子季がこくりと頷いた。
「よし」
璇は子季の頭のてっぺんに口づけを落として立ち上がった。扉口に向かおうと振り返った瞬間、巫婆と目が合う。
「婆は知りませなんだが、昨今の友というのは、頭に接吻――」
「喉が痛むようだ。診てやってくれ。私はこれで」
巫婆の言葉を強引に遮り、足早に扉口に向かう。それでも、出ていく前に侍女を一人、外に呼び出すのを忘れなかった。
「娘子は公子のお言葉に、少し拗ねておられたのです」
子季が娘子と呼ばれる度、璇の胸は甘くくすぐられる。
巫婆がそう呼んでいるから、巫婆に付けている侍女たちも、自然と子季をそう呼ぶようになった。娘子は令嬢への呼びかけでもあるが、どちらかというと「若奥様」への敬称で、璇はこの呼び方が頗る気に入っている。永逸宮の者には全員、子季をそう呼ばせるつもりである。
「まったく身に覚えがない……。本当に、私が子季の機嫌を損ねるようなことを?」
色を失う璇に、侍女は恭しく思い出させた。
――明日はいつ来られるか分からないが、お前のことを忘れた訳ではない。
「あー……そんなことを言ったかもしれないが……」
それの何が問題だと言うのだろう。ちゃんと気遣っているではないか。
「それで、娘子はこのように」
子季が包帯の下の蘆薈を指し、何かを探す素振りをした後、唇をとんとんと指して訴えるまでを、侍女は冷静に再現した。
「蘆薈を探しにいくと言えばいいのに、と」
「……」
分からない。何がいけなかったのか、璇にはさっぱり分からない。
「娘子はお寂しかったのだと思います」
「寂しい? 何故」
「巫婆から聞かされなければ、公子がしてくださったことを、知らないままだったことがです」
璇は耳まで赤くなった顔を覆った。




