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03.誰も知らないもうひとつの物語

 双葉(ふたば)は、あ、と声を上げた。口元まで運んだ麦茶のコップを、中途で止める。つけっぱなしのテレビの中に、夜響(やきょう)が現れたのだ。夏の盛りの真っ昼間、辺りで一番高いビルの上、不安そうに見上げる人々をからかっている。

(高いところ、好きなんだよねえ)

 思わず溜め息をつく。高いといっても五階くらい、街灯に咲くプラスチックの花に商店街のアーケード、細い路地は双葉の住むこの街と、匂いが似ている。

(ここを、思い出してるの?)

 画面をみつめる瞳が(かげ)った。

〈今すぐ下りて来なさい!〉

 ハンディスピーカー片手に男が呼びかけ、屋上まで梯子が掛けられる。

「声枯れてるぞーっ、スピーカー使ってんだから、叫ばなくて大丈夫だよ?」

 ビルの上で、ちょこんと首をかしげる夜響。

〈余計なお世話だ! とにかく下りて来なさい!〉

「言われなくても下りるよーん」

 ゆらりと立ち上がる姿がアップになる。引いて撮れば、子供らしい仕草が毒を隠す。だが近付けば、赤い瞳に狂気が漂う。長く伸びた下睫と、大人か子供か分からない唇から、双葉は慌てて目をそらした。

 白い花びらのように、夜響は風に乗り街路樹へ飛び移る。枝に腰掛け足をぱたぱた振って、梯子を移動する人々の慌てようを楽しんでいる。

「テレビなんか消してちょうだい」

 ふいに後ろで(とが)った声がした。双葉はどきりとして振り返り、

「あ、お母さん、帰ってたんだ」

 確か今日でパートはやめるのだった。それを思い出して何か言おうとすると、

「よくそんなくだらないもの見てられるわね」

 ぐったりと疲れた母の顔を見ると、何を言うのも嫌になった。

(どうして気付かないの。いっちゃんはここにいるのに)

 テレビの中の夜響は散々ふざけて、調子の外れた笑い声をあげている。

(いっちゃんはあたしの前でだけ、いっちゃんだった?)

 そんなことはない。演技上手でうまく立ち回り、双葉に比べりゃ叱られないが、四六時中「いい子」を装ってたわけじゃない。一葉(いちは)はただ、反省も納得もしていないのに「はい、ごめんなさい」と答えられる、覇気のない奴だっただけだ。甘えず、無意味な口答えはせず、面倒を嫌い、一度怒られたことはしない。

 部活の先輩にからまれたとき、根は気の強い一葉(いちは)は、相当悔しかったのだろう、

「カッターナイフどこぉ?」

 などと言いながら、電話台の下から目当てのものを見つけだし、二階へあがるところを母に咎められた。

「いっちゃん、それをどうするの」

「別に」

 ふたりのやりとりに気付いた双葉は、二階から身を乗り出し、事件が起こるのを楽しみに待つ。姉が怒られれば、自分の株が上がる気がするからだ。

「そんなもの持ってゆくのやめなさい」

 母はエプロンをかけたまま階段の下まで出てきて、一葉(いちは)に厳しい声をかけた。「あなたのほうが怪我するわよ、一生見られないような顔にされたらどうするの」

「そんなこと考えてないよ」

 一葉(いちは)は母を振り返り、本当だよ、と繰り返す。「雑誌切り抜こうと思っただけ」

「本当に、馬鹿なことを考えるんじゃないわよ」

 階段をのぼる一葉(いちは)に釘を刺す。

「考えてるわけないじゃん。あたしそんな馬鹿じゃないよ、信じてよ」

 事件にならなかったことにがっかりして、双葉は部屋へ引き返す。一歩遅れて入ってきた一葉(いちは)は、嫌みを言おうとした双葉に、にやりと気味の悪い笑みを向けて、カッターナイフの刃を、ちち、ちちちと出したり引っ込めたりした。

「なんか用?」

 先ににらみつけた双葉に、くすっと笑う。「別に」

「雑誌なんか読まないくせに」

 と、椅子の上に広げたファッション雑誌を手に取った。畳に座り、椅子の足に背をもたせ、ページをめくっていると、頭の上でかん、と音がした。仰向けば、机の上にカッターナイフが転がっている。

「切り刻めば?」

 隣の椅子にのけぞる一葉(いちは)は無表情、その低い声が、なんとも憎らしい。無視して雑誌に目を落とすと、一葉(いちは)は窓の外を見上げて呟いた。

「二度と見られない顔になるって? あたしどうせかわいくねえし。あーあ、人類全て(とりこ)に出来るくらいの美貌が欲しいなあ」

 言葉の奥で、赤黒いインクがどろりと動く。そのとき双葉は流行(はや)りの服を見ながら、じゃあ少しは努力すればいいじゃん、部活で日焼けばっかしてないで、と嘲笑い、無視を続けていた。静かになった一葉(いちは)のほうを振り返ると、じっと、窓の外をみつめている。すぐ近くの団地に遮られ、見える空など限られたもの、星のまたたきも月の光もない。だが彼女の真摯な瞳には、見たいものの全てが映る。小さな闇へと手を伸ばす。違う世界に足を踏み入れた彼女を祝福するように、夜空から銀色の旋律が降る。

 いっちゃん、きみは全ての人の、注目と、愛と、関心が欲しかった。だからオニになった、いろんなものを捨てて。こんな古びた街もちっぽけな家も、忘れてしまうんだね、だけど――

(あたしも、お母さんもお父さんも、捨てて行っちゃうの、いっちゃん!)

 いっちゃんの中にずっと昔から潜んでいた、きらきらとした星屑のような夢のかけらにも、静かにうねる濁流のような狂気にも、あたしは()うに気付いていた。だけどオニを演じることで、夢も狂気も本当に満たされるの?

 一葉(いちは)が消えた二日後、双葉は母と町じゅうを探し回った。分かったのは、最後に一葉(いちは)を見たのは骨董品屋のじいさんだというだけ。花瓶を割った一葉(いちは)は、恍惚とした瞳のまま店を出ようとする。呼び止めるじいさんの制止も聞かず、恐ろしい力で彼の腕を払いのけ、よろめき街へ紛れていった。人間嫌いのじいさんは、気が動転した母に、ほかに何か知らないのかと、黄色い声で問い詰められ、偏屈な逆八の字眉を益々逆立て店の奥にこもってしまった。

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