第6話 まずは乗ってみよう
この世界には乗馬という概念が無い。
しかし私がこの世界に馬として転生した事で、ルトリア殿下が乗馬に対しての興味を持ってくれた。
幸い私の前世は乗馬のインストラクターなので教える事は得意だ。
乗馬に興味があると言うのなら心行くまでその奥深さを教授しようと思う。
私が馬の姿になるのは太陽が昇っている間だけ。
今夜はひとまず王宮の一室で休ませて貰い、日が昇ってからルトリア殿下に乗って貰う事にした。
私はルトリア殿下たちと別れると、王宮のメイドに案内されて来賓用の寝室にやってきた。
王宮の寝室にある寝具は庶民のそれとはまるで別物だ。
ましてや草原の真ん中で風雨に曝されながら睡眠をとっていた頃とは比べるべくもない。
私はふかふかのベッドやかけ布団に包まれ、天に昇る様な気持ちよさを感じながら目を閉じた。
◇◇◇◇
「リナ様、そろそろ朝です」
私の至福の時間を邪魔したのは王宮のメイドだ。
私は寝ぼけ眼を擦りながら口を開いた。
「うーん、あと五分だけ寝させて……」
「お早く。日が昇ってしまいます」
「もう朝? まだ眠い……はっ」
私はベッドから飛び起きた。
日が昇れば私は馬の姿になってしまう。
ベッドの上で馬の姿に戻ったら間違いなくその体重によってベッドが潰されてしまうだろう。
ルトリア殿下は笑って許してくれるだろうけど、そんな事になればさすがに私の良心が痛む。
私はパジャマのままで中庭まで全力疾走をする。
私が中庭に辿り着いたのと日が昇り始めたのはほぼ同時だった。
私の身体が光りに包まれたかと思うと、次の瞬間には馬の姿に戻っていた。
足元を見ると私が着ていたパジャマの切れ端が散乱している。
馬の姿の戻った時に破れてしまったのだろう。
いちいち馬の姿になる度に衣服が破れるのは考えものだ。
かといって日が昇る直前にタイミングを見計らって衣服を全部脱ぐというのも現実的ではない。
それに夜に人間の姿に戻った時には私は全裸の状態になる。
これは由々しき問題だ。
何かいい手を考えないといけないな。
私が馬の姿になるのとほぼ同時に、ルトリア殿下が一人の男を引き連れて中庭へとやってきた。
その男はがっちりとした身体をしているが背が低く髭がもじゃもじゃでその姿はどう見てもファンタジーものではお馴染みのドワーフ以外の何者でもなかった。
「見たかゴリアス。ああやって変身する度に衣服が破れてしまってはリナ嬢も大変だろう。何とかならないだろうか」
「ほほーう、動物に変身する人間なんて初めて見たわい。いや、馬の方が本来の姿か? どちらにしろ驚きだ。長生きはするもんだのう」
ゴリアスと呼ばれた男は興味深そうに私の身体を舐めるように見回す。
(何なのこの男は。これでも女の子なんだよね。あんまりジロジロと見ないで欲しいな)
ルトリア殿下はそんな私の胸中を察してか、ゴリアスを制止した後に彼についての紹介をする。
「リナ嬢、私には今の君の言葉は分からないが、君はその姿でも私の言葉は理解できているのだったな。彼の名はゴリアス・バレンティン。見ての通りドワーフと呼ばれる種族だ」
「以後宜しく」
ゴリアスはペコリと頭を下げる。
私もそれに倣って申し訳程度に頭を下げる。
「ドワーフは手先が器用でな。君が姿を変える時でも破れないような服を仕立てて貰おうと思って呼び寄せた」
(へえ、そんなものが作れるんだ。さすがはファンタジーもので物作りに関しては右に出る者がいないと定評があるドワーフだ)
「それではちょいと動かないでくれよ」
ゴリアスは懐から取り出したメジャーで私の身体中の寸法を測り、それを紙に書き留めている。
「ふむふむ……なるほどなるほど。さて、次は彼女が人間の姿の時の寸法を知りたいのだが」
「ああ、それならステラというメイドが知っているはずだ。昨夜彼女のサイズに合うドレスを選ばせたからな」
「承知した。じゃあ俺はこれで失礼するよ」
ゴリアスは私とルトリア殿下に手を振りながら中庭を後にした。
いったいどんな服が出来上がるのだろう。
「それじゃあそろそろ……」
ルトリア殿下は玩具を前にした子供のように興奮冷めやらぬ様子で私の顔をちらちらと眺めている。
そうだった、ルトリア殿下は馬になった私に乗りたいんだった。
私はルトリア殿下の正面に横向きに立ち、乗ってよしという意味を込めて首を上に振り上げる。
「それではいざ!」
ルトリア殿下は私の背中に手を置き、跳び箱の要領でジャンプをする。
「よっ、はっ……う、うん? 駄目だ、上手く乗れないな」
馬は体高がかなりある。
ルトリア殿下は私の背に乗るだけで四苦八苦しているようだ。
考えてみれば今の私は裸馬だ。
鞍も鐙も付けていない。
通常乗馬クラブでは馬に乗る時は馬の左側に台を置き、その台の上から左足を上げて左の鐙に乗せ、そのまま今度は勢いよく右足を上げて半時計回りに身体を動かして馬に跨る。
慣れている人は台が無くても馬に乗れるものだが、それでも足を乗せる鐙がない馬に乗るのは大変だ。
乗馬初心者のルトリア殿下が苦戦しているのも当然だろう。
(何か台の代わりになる物は……もうあれでいいか)
私は中庭の端っこに置かれていた王宮の庭師が使っていたのであろう脚立に向けて首を振り、あれを使うように殿下に合図をする。
「成程、その手があったか!」
ルトリア殿下は持ってきた脚立の上から私の背中の上に飛び乗った。
「これだ、この感触が良いんだ」
ルトリア殿下はその手のひらで私の首や鬣の感触を楽しんでいる。
「それにしてもいつもの中庭なのに視点が高くなると世界が全く違って見えるな」
私はルトリア殿下の率直な感想に内心で賛同する。
視点が数十センチ違うだけで今まで見えなかったものまで見えてくるものだ。
これも乗馬の醍醐味の一つである。
(それじゃあ動くよ)
私はゆっくりと脚を動かして進む。
私個人としても王宮の美しく造形された中庭の様子には興味があるからね。
昨夜は既に日が暮れていたから良く見ていないんだ。
「よっ、とっ、意外と揺れるのだな」
ルトリア殿下は馬の背中の動きに上手くついていけないようでフラフラとしている。
まあ慣れないと難しいかな。
乗馬は人馬が一体となるスポーツだ。
上に乗っている人間の動きやバランスがおかしくなると馬も気持ちが悪くなって動きを止めてしまう。
馬に乗っている人は極力馬の動きの邪魔をしないように心掛けなければならない。
この馬のゆっくりと歩く動き、通称常歩は乗馬の基本だ。
常歩を制する者が馬術を制する……とは私の座右の銘だ。
私を乗りこなしたいのなら最低限その基本は身に付けて欲しいな。
中庭をぐるりと回った頃にはルトリア殿下は私の背中の動きに慣れてきたようで、私の背中の違和感は少なくなった。
中々飲みこみが早い。
しかしルトリア殿下はまだ満足していないようだ。
「リナ嬢、あの時君が魔物の群れの中に突っ込んでいった時、私には君の姿がまるで一陣の風のように見えた。私にもそれを体験させてくれないだろうか?」