第5話 王子様に見染められました
王宮の来賓室に案内された私はルトリア殿下がメイドに持って来させたドレスに着替えると、柔らかいソファーに腰を下ろし、差し出された高級そうな紅茶が入ったコップに口をつける。
「んっ……」
程良く熱い紅茶が私の喉を潤しながら胃の中へと流れ込んでいく。
夜風に曝されて冷えた身体が少しずつ温まっていくのを感じる。
「ふぅ……」
一時はどうなる事かと思ったけどルトリア殿下が話が分かりそうな人で助かった。
私は一息ついた後、見つかったのが衣装室に忍び込む前で良かったと安堵した。
少ししてルトリア殿下が一人の青年男性を引き連れて来客室にやっていた。
「待たせたな。気分はどうだ」
「ありがとうございます、ルトリア殿下。お陰様で落ち着きました」
「それは良かった」
「ふうむ……」
ルトリア殿下の傍らの青年は私を鑑定するかのようにじろじろと見つめながら口を開いた。
「この国の者ではなさそうですな。それでお嬢さん、中庭で何をしていたのか聞かせて貰えるかな?」
「えっと、あなたは……」
「これは申し遅れました、私はボンドール・フォン・ブランカ。王宮の回復術師をしている」
「あ、ご丁寧に。私は相馬里奈と申します。あ、相馬が姓で里奈が名前です」
「姓が先にくるのか。珍しいな。やはりこの国の者ではあるまい」
「はい、話せば長くなるんですが……私は日本という国から……あ……」
私は言いかけて言葉が詰まった。
何て説明をすればいいんだろう。
この世界とは異なる世界から転生してきたとか、さっきの馬が本当の姿だとか言っても信じて貰えるだろうか。
返って怪しまれたりしないだろうか。
返答を誤れば致命的だ。
私は考えながら心を落ち着かせるために再び紅茶を口に含んだ。
「殿下、この娘は異世界からの転生者ではないでしょうか?」
「ぶっ……ごほっごほっ」
むせた。
私が答えるまでもなくボンドールさんに正解を当てられてしまった。
色々余計な事を考えていた私が馬鹿みたいじゃないか。
「大丈夫かリナ譲。ボンドール、彼女を診てやってくれ」
「こほっ、こほっ……いえ、大丈夫です」
むせたくらいで王宮の回復術師の手を煩わせる訳にはいかない。
「その反応、やはり君は転生者なのか」
「はい、その通りです。でもどうして分かったんですか?」
「ああ、世界は広い。異世界から転生した者の話は至る所にある」
「あー……この世界では転生者は珍しくありませんでしたか」
「そんなにしょっちゅうある事ではないがな。歴史を紐解けばかつて異世界からやってきた勇者が魔王を倒したという話や、異国の食文化を伝えた者、聖女として民衆を導いた者の話など世界各地で様々な伝承がある。もっとも、辺境の村に籠ってスローライフを送っただけで特に世界に影響を与える事もなかった転生者の話も同じように多々あるがな」
「なるほど」
それならば私がこの世界に転生してきた経緯を話してもいいかな。
あ、でも白馬の王子様目当てという事はあえて言う必要もないだろう。
私は前世で不遇の死を遂げた後、馬としてこの世界に転生した事、夜の間だけ人間の姿になれる事を殿下たちに伝えた。
「そうか、私を救ってくれたあの馬がリナ嬢だったのか……ならば私が今こうして無事でいられるのはリナ譲のおかげだ。礼を言わせて欲しい、この通りだ」
ルトリア殿下は深々と頭を下げる。
「いえ、そんな……しかし殿下はどうしてあの時あんな場所にいらしたんですか?」
一国の王子様が人里から離れた地でお供も付けずに一人でいるなんて襲ってくれと言っているようなものだ。
ルトリア殿下は私の問いに小首を傾げて少し考えた後に答えた。
「それが、私にもよく分からないのだ。あの日、あの場所へ赴くようにと不思議な声が聞こえてきて、私はその声に導かれるままに王宮を後にしたところまでは覚えている。そして次に気が付いた時には魔物達の縄張りに足を踏み入れてしまっていたようで、その結果があの体たらくだ」
「殿下、その声というのは魔族の呪いの類ではないでしょうか? 歌声で人を操る事ができるセイレーンという魔物の噂を聞いた事があります」
ボンドール氏は真剣な眼差しで自らの意見を述べる。
「そうかも知れんな……急ぎ呪いに詳しい呪術師を雇い王宮内の警戒をさせよう」
ルトリア殿下とボンドール氏の二人は魔物の仕業だと疑っているが、それについては心当たりがある。
恐らく原因は魔物の呪いなんかじゃない。
女神は私の下に王子様が現れるように運命を調整すると言っていた。
恐らく原因はそれだ。
でもまさか女神の仕業だなんて口が裂けても言えない。
この件については今後誰にも話さずに墓の中まで持っていこうと思う。
ルトリア殿下はそんな私の胸中に気が付くはずもなく、逆に姿勢を正して私の目を見つめながら改まって言った。
「それでリナ嬢、君の今後についての相談なのだが……」
「あっはい」
「このまま王宮に留まってくれないだろうか。私が一生君の面倒を見よう」
「え……?」
これってプロポーズ?
まさか王子様が私に一目惚れ?
それとも命を救われた事に対するお礼という事なのかしら。
でも一生面倒を見るだなんて、そう言った意味としか考えられないよね?
いや、でもそう決め付けるのは早計だ。
殿下は違う意味で言ったのかもしれない。
女神様だって勘違いをするんだ。
もう一度殿下の言葉の意味を良く考えてみないと……。
ルトリア殿下の思いもよらない言葉に私は思考が追いつかずに頭の中が真っ白になる。
ルトリア殿下から視線を外すと、私と同様に驚愕の表情を浮かべているボンドール氏や王宮メイドの顔が目に入ってきた。
どうやらルトリア殿下の言葉の意味は私が思った通りのもののようだ。
ルトリア殿下ははにかんだ笑みを浮かべながら話を続ける。
「恥ずかしながらこのルトリア、君の上で眠り続けていた間ずっと安らかな温もりを感じていた。まるで豊穣の女神に抱き締められているかのような……もう一度あの感触を味あわせてくれないか」
「は……はい? 感触?」
それってただ馬の触り心地が良かったってだけの話だよね。
まあ私も前世ではよく馬を撫でてたからその気持ちは分からなくもないけど。
馬と触れ合う事でストレスを軽減させたり精神を落ち着かせたりするホースセラピーという療法もあったくらいだしね。
でも別の事を期待してしまった私のこの気持ちをどうしてくれる。
少し遅れてルトリア殿下の言葉の意味を理解したボンドール氏とメイドさんも肩透かしを受けたように溜息をついている。
「リナ嬢、できればまた君の上に乗せてもらえないだろうか」
「殿下、それは構わないですけどまず言い方を何とかして下さい。知らない人が聞いたら誤解されます」
ルトリア殿下は割と天然なようだ。