第4話 半人半馬
「里奈さん、元気そうで何よりです」
(ええ、おかげさまで前世と比べたら体調だけは万全ですよ。でもなんで人間じゃなくて白馬に転生させてるんですか! 普通話の流れで違うって分かるでしょう! 元々馬だったのならともかく、人間だった頃の記憶を持ったまま野生動物の生活をするのがどれだけ大変だったか想像できますか?)
私は女神を睨みつけながら今まで積もり積もった不満をぶちまけた。
「あらら、やっぱり勘違いでしたか。実は何かおかしいなと思って様子を見に来たんですよ、おほほほほ」
正確には私の口から出たのは人の言葉ではなく馬の嘶きだったが、こんなでも相手は女神様だ。
馬である私とも意志の疎通はできているようだ。
女神は悪びれもせずてへぺろして誤魔化そうとするが、こんな酷い間違いを見逃せるはずもない。
落とし前はつけて貰わないと。
(女神様、今すぐに私を人間にして下さい。女神様の力ならばそのくらいできますよね?)
「あー、それなんですけど……」
女神様はバツが悪そうに私から目を逸らす。
「一度転生した者の姿を後で変える事は世界への影響が大きいのでちょっと難しいです」
(影響? どんな影響ですか?)
「もし里奈さんを人間の姿に変えたとすると、一年以内にこの辺りで大地震が発生して王都アルトヒルデ全体が廃墟になりますね」
(は? たったそれだけの事でどうして……)
「日本にも風が吹けば桶屋が儲かるという諺がありますよね? それと同じで因果が巡り巡って徐々に大きなうねりとなり、やがて天変地異を引き起こすまで世界に変化を引き起こしてしまうんです」
(そんな……それじゃあやっぱり私は死ぬまで馬のままって事ですか?)
私はがっくりと肩を落とす。
女神はそんな私の肩に手を置き、慰めるように言った。
「いえ、我々女神はそこまで無慈悲ではありません。あなたを完全に人間にする事はできませんが、半分だけ人間にする事はできます。それならばこの世界への影響はほとんどないはずです」
(半分人間って……私、ケンタウロスみたいになるって事ですか?)
それではまるで魔物だ。
人間に見つかり次第討伐される対象になるかもしれない。
馬のままならこの王宮で何不自由ない暮らしが約束されているので、そんな姿になるくらいならこのまま馬として生きていた方がまだましだ。
しかし女神様はふふんと得意そうな笑みを見せ、首を横に振りながら言った。
「まさかそんな事はしませんよ。女神の力であなたを夜の間だけ人間の姿になれるようにしてあげます」
(え? そんなことができるんですか? 是非そうして下さい!)
女神の勘違いのせいでこんな事になっているのに『してあげます』という上から目線なのが気になったが、夜だけでも人間の姿になれるのならば今とは全く状況が変わってくる。
私は二つ返事で願い出る。
「よろしい。それでは女神である私の力であなたを夜の間だけ人間の姿になれるようにして差し上げましょう。うむむむ……ていっ!」
女神が私に手をかざして掛け声を上げると、私の身体が一瞬光に包まれた気がした。
「はい、終わりましたよ」
「はやっ……どれどれ……?」
中庭にある池を覗き込むと、そこには前世と全く変わらない私の顔が写っていた。
「本当だ、人間に戻ってる……あっ、ちゃんと人間の言葉もしゃべってる……」
「当然です。夜の間だけとはいえ、あなたはもうこの世界の人間そのものですから」
確かに凄い力だ。
色々と抜けているところがあるとはいえ、さすがに女神というだけの事はある。
でも、私は池の水面に映った私の姿を見てもう一度がっくりと肩を落とした。
「あの、女神様……どうして私裸なんですか? 服ぐらいサービスしてくれてもいいじゃないですか」
女神は再び私から目を逸らして言った。
「あー……服までサービスするとまたこの世界に影響がでてしまいますからね」
「影響って……何が起きるんですか?」
「具体的には王都の南にある休火山が噴火してこの付近一帯が溶岩に埋もれて大勢の死傷者が出ます」
「ええ……」
さすがに無関係の人間を犠牲にしてまで服を出してくれとは言えないが、王宮の真ん中で全裸でうろついてたらただの変態だ。
仕方がないので私は中庭に掲げられていた王国の旗を降ろしてそれをバスタオル代わりに身を包んだ。
「後でちゃんとした服を手に入れないと……」
幸い今は夜だ。
警備兵以外は皆眠っているだろう。
うまく衣装室に忍び込んで服を手に入れるしかない。
って、これじゃあ空き巣と変わらないな。
しかもここは王宮だ。
見つかったら冗談では済まされないだろう。
でも背に腹は代えられないからやるしかない。
「私にできる事はここまでです。そろそろ天界に帰りますね」
渋い表情でこの後の身の振り方を考えている私を横目に、女神は無慈悲にも帰宅宣言をする。
「え? ちょっと、まだいろいろと聞きたい事とか……」
「いえ、誰かがここに近付いてくるみたいですので私はもう行きます。私の姿をこの世界の人に見られると色々と面倒ですからね。それではごきげんよう」
「え? 人が来るの? あっ……」
女神は私の問いに答える間もなく一瞬で光と消えた。
まずい、私も急いで隠れないと……。
「誰だ貴様は!?」
「うひっ……」
遅かった。
その声は私のすぐ後ろから聞こえた。
「あ、あの……私は怪しい人ではありません。話せば分かります」
私はテンパるあまり、既に言い逃れができないような状態に陥っている人間のセリフを吐きながら後ろを振り返る。
「あ、あなたは……」
私はその人物の顔を見て驚きの表情のまま固まってしまった。
そこに立っていたのは私をこの王宮に連れてきた張本人であるルトリア殿下だった。
「見ない顔だな。こんなところで何をしている?」
「あ、あの私は……」
「待て、おかしい。馬がいないぞ。貴様、ここにいた馬がどこへ行ったのか知らないか?」
私が弁解の言葉を告げる前に、ルトリア殿下は中庭にいたはずの馬がいなくなっている事に気付いて私に問い詰める。
そうか、殿下は私の様子を見に来たんだ。
もし私の事を王宮に忍び込んだ盗人か何かと勘違いされてしまったらそれこそ大問題になる。
返答によっては私はどんな目に遭わされるか分からない。
考えろ私、この窮地を逃れられる方法を。
しかし私は焦るばかりでうまく言葉が出てこない。
「ん? おい、貴様……」
「あっ……」
ルトリア殿下はいつまでも答えない私に痺れを切らしたのか、私に向けてその手を伸ばす。
終わった。
「その姿普通ではないな。何があったのか話してみろ」
しかし私の予想とは異なり、ルトリア殿下は自身のマントを外して私の身体に被せる。
今の私は服を着ておらず、旗をバスタオル代わりにしてその身を包んでいるだけだ。
そんな私の姿を見てルトリア殿下はまず第一に私の身を案じてくれたのだ。
「ひとまず奥の部屋まで来い。落ち着いてから事情を聞かせてくれ」
良かった、ルトリア殿下は紳士だった。