第3話 王宮で飼われる事になりました
「ふう、ルトリア殿下の命令なら仕方がない。パントス、俺はこの馬を王宮まで曳いていくから、買い物は頼んだぞ」
「おうミルキード。しかし市場を買い占めろとか、ルトリア殿下も無茶を言うよな。おっと、売り切れる前に買い占めてこないと」
「ああ、しっかりな。……さて、と」
パントスが市場に向かったのを見届けたミルキードは一旦詰所へ戻り、新たな見張り役の兵士を引き連れて戻ってきた。
交代の見張り達も初めて見る馬の姿に興味津々だ。
「へえ、これが馬ってやつか。暴れたりしないよな?」
「今のところ大人しいから大丈夫だとは思うが……よっと」
ミルキードは先が輪になった荒縄を無造作に私の首に括りつけた。
(え? この人何をするつもり?)
「王宮はこっちだ。大人しくついてきてくれよ」
ミルキードが縄を引っ張ると、私の首が絞められて呼吸ができなくなる。
(苦しいってば! 止めてよね!)
私は苦しさから逃れる為に首を振り回すと、ミルキードはその力に引っ張られて後ろにすっ飛んでそのまま地面に叩きつけられた。
「ぐはっ……大人しくしてって言ったのに酷い」
ミルキードは私がどうして暴れたのか分からずに困惑している。
そもそも馬は首輪をつけて曳くものではない。
通常馬を曳くには無口と呼ばれる幾つかの輪っかで作られた道具を頭部に装着させ、それに曳き手と呼ばれる紐を付けて誘導する。
乗馬を嗜んでいる者には常識なのだが、馬との関わりが殆どないこの世界では、ある程度野生動物に詳しいミルキードですらそんな知識は持っていないようだ。
そもそも女神のサービスによって彼らの言葉が理解できる私にはいちいち引っ張って貰う必要すらない。
場所さえ教えて貰えれば自分ひとりでも行ける。
しかし馬である私は人間の言葉が話せないのでそれを伝える事ができないのがもどかしい。
こうなったら仕方がない。
私は地面にへたりこんでいるミルキードを置いて王子様が歩いて行った方角へ足を進めた。
「あ、勝手に行かないで!」
私に何かがあったら責任問題となるのでミルキードは血相を変えながら私を追いかけてくる。
「そう、この道をまっすぐ……あ、この交差点を右に曲がるんだ」
私の思惑通り、ミルキードは先行する私が道を間違えれば正しい道に誘導し、当たっていればそのまま進ませてくれた。
これならば言葉が通じなくても目的地まで行けるはずだ。
「不思議な馬だ。まるで俺の言ってる事を理解できているような……まさかな」
ミルキードは私を誘導しながら小首を傾げている。
はい、全部理解できています。
もしミルキードが「俺の言う事が分かるのなら首を縦に、分からないのなら首を横に振れ」と言えば私は迷わずに首を縦に振っただろう。
もちろん動物が人間の言葉を理解するだなんて普通に考えたら夢物語だ。
ミルキードも本気でそう考えていた訳ではなく、確認しようとは全く考えていないようだ。
そんなこんなで何事もなく王宮まで辿り着いた私は、ミルキードに代わって既に王子様から話が通っている王宮の騎士に案内されて中庭へとやってきた。
「馬を実際に見たのは初めてだが、本当に賢い動物だな。大人しく私の後ろについて来てくれた。まるで人間を案内するような感覚だったな」
私を中庭に案内した騎士は別れ際に率直な意見を漏らす。
私はただ騎士の後について行っただけないんだけどね。
しばらく中庭でのんびりしていると王子様がやってきた。
ボロボロだった服は既に着替え終わっており、どこから見ても童話に出てくる王子様の風貌だ。
怪我は既に完治しているようで、王宮の回復術師とやらの実力の程が垣間見える。
王子様は私に優しい目を向けながら手を伸ばし、よしよしと頭を撫でながら話しかける。
「今日はお前のおかげで助かったよ。お礼と言っては何だが、これからはこの王宮で私がお前を保護しよう」
しかし私は撫でられながら他の事を考えていた。
動物全般に言える事だけど頭の上に手を出されるとどうしても攻撃されると考えて身構えてしまう。
馬を愛撫する時は頭を撫でるのではなく首をポンポンと叩くといい。
王子様も悪気があってやっている訳じゃないのはよく分かっているけど、どうしても気になってしまう。
正しい知識を伝えられないのが歯がゆい。
少しして王宮の使用人たちがニンジンや果物が乗せられた籠を手に中庭へとやってきた。
「これは命を救われたお礼だ。好きなだけ食べてくれ」
王子様の指示で使用人たちは私の目の前に次々と食料を運んでくる。
(美味しそう。久々にお腹いっぱい食べられるぞ)
私はお預け状態の犬のようにそれを眺めていた。
しかし彼らはいつ終わるかも知れない程何往復も食料を運び続ける。
気が付けばそれは2トントラックが一杯になる程の食料が目の前に積み上げられていた。
とても私一人で食べきれる量じゃない。
(少しは加減ってものを考えてよね)
「さあ遠慮せずに食べてくれ」
王子様はそんな私の心の内も知らずに、バナナをひとつ手で掴みながら私の口の前に持ってきた。
(その持ち方だとバナナを掴んでいる手ごと噛まれちゃうよ)
などと考えながらも私は王子様に促されるままバナナにかぶりついた。
(んー……美味しい!)
リンゴやバナナなどの甘い果物は野生の馬にとって日頃は味わうことができないものだ。
普段食べている草原の草とは次元が違う。
もし私が料理アニメの主人公なら食材が光り輝いたり、私自身が巨大化して王宮を破壊するような過度な演出が行われた事だろう。
「喉は乾いていないか?」
私が甘味を堪能している間に王子様はどこからともなく水が入った大きなバケツを持ってきて私の前に置く。
うん、これは普通の水だ。
いつも飲んでいる川の水と変わらない。
馬が野生の動物だから自然のままの水を用意したんだろうけど、私が働いていた乗馬クラブでは一仕事を終えた馬へのご褒美としてただの水ではなくスポーツドリンクなどのジュースを飲ませていた。
実際に馬はただの水よりもそういったジュースを与えた方が方が喜ぶ。
この世界にスポーツドリンクがあるかどうかは知らないけど。
それにしても量が多すぎる。
もうこれ以上食べられないよ。
私は王子様に食事が終わった事を伝える為に食料から首を背ける。
「なんだもういいのか? 後日王宮の外れに君専用の小屋を建てさせよう。それまではひとまず中庭でゆっくりしていて欲しい。さて、これから忙しくなるぞ」
王子様は使用人たちに食料を片付けさせると王宮の中へと戻っていった。
私を飼う気満々のようだけど、馬の生態がよく分かっていない彼らに果たして馬の世話がちゃんとできるのかどうか不安だ。
でも柵の中に閉じ込められているという事でもないので、いざとなったら脱走すればいいか。
普通の馬だったら間違いなくこのまま逃げるよね。
気が付けばすっかり日も暮れて辺りは夜の帳に包まれていた。
そろそろ眠ろうか。
ここは草原ではないので肉食獣や魔物に襲われる心配もない。
私は身体を横に倒して完全にリラックスした状態で目を閉じた。
「……ナ……き……」
ん?
誰かの声が聞こえる。
……気のせいかな?
「……ナさ…………リナさん…………私の声が聞こえますか?」
いや、気のせいじゃない。
誰かが私を呼んでいる声が聞こえる。
どこかで聞き覚えがある声だ。
私は身体を起こして目を開き周囲を見回す。
(誰?)
「やっと目を覚ましましたか。お久しぶりですね里奈さん」
(え? あなたは……)
月明りに照らされて浮かび上がったその人影は、私をこの世界に転生させた女神様だった。