第2話 王子様がやってきました
ああもうめちゃくちゃだよ。
女神のとんでもない勘違いによって白馬に転生した私は群れの馬達と生活を共にするしか道はなかった。
どうやらここは牧場ではなくただの草原。
私達は飼育されている馬ではなく野生の馬のようだ。
自分の親や兄弟と思われる馬たちは美味しそうに足元の草をむしゃむしゃと食べている。
人間だった頃の記憶が残っている私にはそんな物を食べるなんてとても無理だと思ったけど、動物である以上何かを食べないといずれ飢えて死ぬ。
馬とはいえ折角生まれ変われたのにいきなり空腹に苦しむなんて嫌だ。
背に腹は代えられない。
(ええいままよ)
私は覚悟を決めて足元に生えている草を無理やり口の中に入れた。
(むしゃむしゃ……あれ? 意外と……)
馬になった事で味覚も変わったのか、足元に生えている草はまるで有名レストランのサラダのように大層美味に感じられた。
◇◇◇◇
馬としての生活に慣れてきたある日の昼、遠くから大勢の足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。
馬は基本的に臆病な動物である。
群れの馬達はその正体不明の足音に驚き我先にと逃げ出す。
そんな中、私は足音の主を確認する為に木陰から様子を伺っていた。
女神様は王子様が私を迎えに来てくれるように運命を調整すると言っていた。
つまりこちらに向かってきているのは王子様とその一行のはずだ。
当初の予定とはずいぶん違うけど、もしこのまま王子様の馬としてお城に迎え入れられることになるのだとしたらまずは王子様がどんな人物なのかを見定めなければいけない。
もし王子様が私の好みと違っていたらどうするのかは言うまでもないだろう。
足音はどんどん大きくなり、やがて立派な身なりをした青年男性の姿が視界に入ってきた。
間違いない、あれが王子様だ。
歳は十代後半から二十代前半といったところだろうか。
まだ少し少年らしさを残しながらも、通った鼻筋に綺麗な青い瞳。
まさに童話に登場する王子様像そのものだ。
しかし何か様子がおかしい。
王子様は負傷しているようで苦悶の表情を浮かべながら息も絶え絶えに足を引きずって歩いている。
そして王子様の後ろからついてくる配下の兵と思っていた者たちの姿に私は息を飲んだ。
遠目では分からなかったが、彼らは明らかに人とは異なる姿をしている。
それは正にアニメやゲームで見たゴブリンのような魔物そのものだ。
王子様は魔物に追われていたのだ。
「はぁはぁ……ここまでか……」
王子様はこれ以上逃げられないと悟ったのか足を止め、迫りくる魔物の群れに向き直り剣を構える。
「魔物どもよく聞け、私は剣王ホラントの子ルトリアだ。もはや逃げも隠れもしない、我が剣技で一匹でも多く道連れにしてやる!」
勇ましいセリフとは裏腹に王子様の足はがくがくと震えている。
それは傍目からも虚勢を張っているだけのようにしか見えなかった。
「ギョヘ、ギョヘ……」
魔物の群れは不気味な笑みを浮かべながらあっという間に王子を取り囲んだ。
王子様がどれだけの強さなのかは知らないけど、このままでは間違いなく魔物に殺されてしまう。
(助けなきゃ!)
私は無意識に王子様の下へ走り出していた。
「ギョギョ?」
私の接近に気付いた魔物は棍棒などの原始的な武器を手に迎撃をしようとするが、私は構わずに突き進む。
「ギャハッ!」
「グヘッ!」
馬のパワーを侮ってはいけない。
馬になった私にとって、人間と同程度の体格の魔物達を撥ね飛ばすのは容易い事だった。
「な、なんだこの動物は!?」
王子様も突然現れた私の姿に驚き戸惑っている。
私は構わずに王子様の服に噛みついてその身体を持ち上げ、無理やり私の背中に乗せる。
(振り落とされないようにしっかりと掴まっていてね)
王子様が私の背にしっかりと跨ったのを確認すると、私は再び魔物達を弾き飛ばしながら囲みを強行突破する。
「ギャヘギャヘ」
「ギュワワー!」
そのままある程度進んだところで後ろを振り向くと、魔物達は私達を追いかけようとはせず悔しそうに遠吠えをしながら私たちを眺めているだけだった。
どうやら王子様を襲うのを諦めたらしい。
「この動物……私を助けてくれたのか……一体どうして……うぐっ……」
私の背に跨っていた王子様は緊張の糸が切れたのかそのまま気を失い、私の首を抱きかかえるように前のめりに倒れ込む。
このまま放っておく訳にもいかないので、せめて人がいるところまで連れていこうと思い私は王子様を背中に乗せたままゆっくりと足を進めた。
この世界に転生してからしばらくの間、私は馬の本能の赴くままに走り回っていたのでこの付近のおおよその地形は把握している。
私が歩く先には人間の町がある。
そこまで連れていけば後は町の人が何とかしてくれるだろう。
それにしてもこの王子様はさっき気になる事を口走った。
私を見て、確かに「なんだこの動物は」と言った。
私の見た目がどこからどう見ても馬のそれなのは、川で水を飲む時に川面に移った自分の姿を見て確認している。
この世界の人間にとって馬はそんなに身近な動物ではないんだろうか?
だとしたら乗馬という概念自体が存在しない可能性もある。
それじゃあこの人は白馬の王子様じゃなくてただの王子様だ。
……まあ王子様である事に変わりはないからこの際白馬の件はどうでもいいか。
そんな事を考えながら歩き続け、人間の町の入り口に辿り着いたのは日が暮れ始めた頃だ。
入り口では見張りの兵士らしき二人の男性が自分達に近付いてくる私の存在に気付いて指を差す。
「おいミルキード、何だあの動物は? こっちに歩いてくるぞ」
「知らないのかパントス。あれは馬といって、草原とかで群れて生活している動物だ。こんな所に現れるなんて珍しいな」
「へえ、お前良く知ってるな。俺は都会っ子だからよ、田舎者のお前と違って野生動物の事はあんまり詳しくないんだ」
「田舎者は余計だ。でもまあ確かに都会にはいねえな」
二人のやり取りを耳にして私はほっと胸を撫で下ろした。
良かった、ちゃんと馬の事を知っている人間もいるんだ。
でも彼らの話を聞く限りではやはりこの世界の人間はあまり馬との関わりが無いらしい。
あくまで野生動物の一種に過ぎないようだ。
「おい、ちょっと待て。馬の背中に誰か乗っているぞ!」
「あれはまさか……ルトリア殿下じゃないのか!?」
のんきに談笑していたパントスとミルキードの二人は私の背中の上で力なく首にもたれ掛かっている王子様の姿を確認すると、大慌てで私の下へ駆け寄り背中から王子様を下ろして声を掛ける。
「殿下、ご無事ですか!? しっかりなさって下さい!」
「酷いお怪我だ……まさかこの馬にやられたのですか!?」
(いや、そんな訳ないでしょう)
否定しようにも馬である私には人間の言葉を話す事はできない。
私の口からは「ヒヒーン」という嘶きが発せられるだけだった。
しかし都会っ子パントスの誤解はミルキードによって即座に解かれた。
「落ちつけパントス、馬はそんな凶暴な動物じゃない。それに殿下の全身のお怪我、恐らく魔物にやられたに違いない。どうして馬の背中に乗っていたのかは分からないが」
「む、そうか。じゃあ早く回復術師様の所にお連れしなければ」
「いや、回復術師様をここに連れてきた方が早い。俺が今から王宮へひとっ走りして……」
「う……ここはどこだ……お前達は確か見張りの……」
二人が慌ただしく右往左往している間に王子様は意識を取り戻した。
「殿下、ご無事でしたか! 私は見張りのミルキード、こちらがパントスです」
「ここは王都の入り口です。今すぐ回復術師を呼んできますので殿下はここで安静に……」
「よい、それには及ばん」
王子様は首を横に振って答えた。
「この不思議な動物の上で十分休ませて貰った。もう自分の足で歩ける」
王子様はふらつきながらも自身の足で立ち上がる。
「しかし殿下……」
「よいと言った。それよりも……」
王子様は私の方をじっと見つめ、少し間をおいてから言葉を続けた。
「私はこの動物に助けられた。ひとまず王宮へお連れしろ」
「え? 馬をですか?」
「ミルキード、この動物は馬というのか?」
「はい、草原に生息している草食動物です。私の生まれ故郷の田舎にも群れが棲息していました。もっとも我々人間にとっては毒にも薬にもならない存在で……いや、殿下をお救いしたのですね。失礼を申し上げました」
「うむ。分かったら直ぐに王宮へお連れしろ。丁重にな」
「は、はい」
「それとミルキード、お前は馬の好物などは分かるか?」
「そうですね……ニンジンとかをよく美味しそうに食べているのを見ましたが……あとはリンゴやバナナなどの甘い果物に対しても食いっぷりが良かったですね」
「そうか分かった。ではパントス、お前は今から市場へ行ってそれらを買い占めてこい。私の名前を使ってもいい」
「はい、ルトリア殿下。仰せのままに」
「うむ。それでは私を救ってくれた馬という動物よ。後でこの先にある王宮で会おう」
そう言うと王子様はひとりで王宮へと歩いて行った。