第一章 入学式
横浜海岸高等学校卒業式の日、体育館での卒業式が終わり全校生徒は教室に戻った。
「私は将来、子ども達を支える保育士になります!!」
教室の前で私はクラスのみんなに宣言した。
私、栗原小雪は保育士の仕事をするパパとママの間に生まれた二女。保育士の両親から育ったため家にある物は子どもが遊ぶ遊具ばかり。菜乃花お姉ちゃんは影響されて保育士をやっている。私も影響されて保育士を目指そうと考えている。高校を卒業したら東京に上京して保育士資格が取得できる「水玉学園水玉保育専門学校」に入学する。
春休み、バド部の送別会や友達とのお別れ会、友達との卒業旅行をやって楽しく過ごした。クラスのみんながそれぞれの道に進むために、引っ越しの準備やアルバイトを始めたりしていた。
私も東京で一人暮らしをするために菜乃花お姉と部屋の物件を選んだりして準備をした。節約のために部屋は学校から近くて電車通勤のない安いマンションを探した。部屋の家具は中古で揃えて購入し、その他の物は百均店で買うようにした。
あとは実家の私の部屋を整理整頓したら、保育士になるための予習としてキーボードでピアノの練習をしたり保育士のための要点ブックを見て予習をした。
「小雪お姉、遊ぼう遊ぼう!!」
四歳の理緒が小雪の部屋に入ってきた。
「小雪は忙しいの。ママと遊んで」
「ママは保育園に行っちゃった」
「あー、そっか土曜保育か……じゃあパパに頼んで」
「わかった!」
父の翔太があくびをしながら部屋に入ってきた。
「パパは夜勤で今朝帰ってきたばかりで眠いんだ。悪いが小雪、理緒と遊んでやってくれよ」
「琴音がいるじゃん」
「今からバドの部活!」
中二になる妹の琴音み顔を出して言った。琴音も将来は保育士になりたいと言っている。琴音が小さい頃はよく一緒に手遊びして遊んだけど、最近はバドミントンに熱中している。そのせいで日焼けした肌が目立つ。
「そっか……じゃあいいよ。小雪と遊ぼっか」
「うん!」
理緒が部屋に入ると父は部屋を閉めた。
「じゃあ行ってくるから」
琴音は玄関で父に言った。
「気を付けて!」
「♪ワニのおとうさん ワニのおとうさん
おくちをあけて パカッ
おひげを じょりじょり
おひげを じょりじょり
およいでいます」
小雪と理緒は手遊びをして遊んだ。
「理緒すごいね。頑張って覚えたんだね。偉い偉い!」
小雪は小さく拍手しながら言った。
「あとね、これも覚えたの。見てて」
「♪こぶたがみちを(ブーブー) あるいてゆく
なんだかとっても いいにおい
はながのびて はながのびて はながのびて はながのびて
ぞーうさーんに なっちゃった!
うそ! うそ! うそ!うそ!うそ!」
理緒は覚えた手遊びを必死に思い出しながらやった。不器用でうる覚えだが最後までやり遂げた。小雪は理緒と一緒に手を動かした。小雪は「こぶたが道を」という手遊びを知っているため上手にやることができた。
「先生がね、やっていたやつを覚えたの」
「そうなんだ。最後まで覚えたんだ。保育園頑張っているんだね」
理緒は笑顔になった。
「ねぇねぇ、次は何の動物にする?」
「動物じゃないと駄目?」
「理緒ね、たくさん知ってるよ。キツネやキリンとか」
「そうなんだ。小雪もたくさん覚えなきゃ」
そのあと二人は動物の絵を描いた。動物図鑑からゾウの写真を見て描いた。
「こんなものかな?」
「理緒も描いたよ」
二人の描いた絵にはゾウだけではなく、草や花が描いてあった。
「これがゾウさん?」
「そうだよ!」
「ゾウさんには足と尻尾が着いているんだっけ?」
「うん!」
「そうなんだ。じゃあ、足や尻尾も描いてみようか」
「わかった!」
理緒は小雪に言われたとおりにやってみた。
二人が絵を描いていたら父が部屋に入ってきた。
「あれパパ?寝たんじゃなかったの?」
理緒は手を止めて言った。
「気になってドア越しに聞いていたんだ。それよりも小雪、理緒の褒め方とてもよかったよ」
「えっ、どの辺が?」
「手遊びを覚えたという結果だけでなく、過程や努力も一緒に褒めていたところがよかったよ」
「そうなんだ。理緒といつも通り遊んでいたからとくに意識はしていなかったよ」
「それこそ信頼関係が深まったなによりの証拠だよ。褒め方を工夫すれば子どもは自信が持てて意欲が湧き行動力が高まるんだ。小雪の褒め方、つまり言葉使いを子どもは模倣するというからね、他の人にも優しくすることができる子どもに成長していくんだ」
「すごいね。私の何気ない声掛けが理緒にとっては重要なことでもあったんだね」
「そうだよ。それにお絵描きもそうだ」
「えっ、でもお絵描きは別に褒めていたわけじゃないよ」
「一緒に完成した絵について話している。他に描きたせるものがないか引き出せている。それに小雪はただ見守っているのではなく、一緒に楽しく塗っているところがいい。小雪の絵は理緒にとって手本となる。一緒にやることでお絵描きをすることに興味が湧き、表現力と想像力を豊かにしていくんだ」
「そうなんだ」
「もうしっかりと保育がやれているようだな」
父は小雪の頭を撫でた。
「……ありがとう、パパ」
小雪は素直に嬉しかった。
そんな日々を繰り返しているうちにあっという間に実家を離れる日が来てしまった。母の真衣と理緒が見送ってくれた。父は仕事で琴音は部活でいなかった。
「とうとうこの家ともお別れかー!」
「何言っているのよ。夏休みと冬休み、それと実習の時期はここを利用するじゃない」
「そうだけど、ここを離れるのって生まれて初めてだから。なんだかドキドキしちゃって」
「じゃあね小雪姉」
「理緒は私がいなくなって寂しい?」
「寂しくないよ。小雪姉がいなくなったら琴音姉と遊ぶから。じゃあ私そろそろアニメの続き観るから!」
理緒は家の中へ入っていった。
あっ、そうかい。
「しっかりね」
母は小雪の肩を叩いた。
「うん、ありがとうママ」
ピンクのスーツケースを持って最寄り駅まで向かった。
小雪は学校から歩いて行ける距離に部屋を借りた。「ゴールデンライフ」という家具付き物件のアパートで、203号室に住む。
このアパートは水玉学園の所有物件で、学生は安く借りることができる。水玉保育専門学校は駅から徒歩五分圏内にあるため、実質このアパートは駅からもかなり近いことになる。
「一人暮らしだあぁー!!」
小雪は付属のベッドで横になって叫んだ。
「……うるさいな」
隣の壁先の部屋204号室に住む近藤陸は言った。
「隣の奴も引っ越して来たのか。あんなうるさい奴とは同じ学校でなければいいのだが」
そう言うと陸はイヤホンを付けて再びテレビゲームをし始めた。
一方の小雪はというと、部屋の模様替えを開始した。百円ショップでいくつか商品を購入して部屋の所々をアレンジしていった。
【百円ショップ部屋の模様替え】
①ワイヤーネットでキッチンを収納
料理する時に使用するフライ返し、おたま、トングなどはすぐ
に使用できるともっと便利になるよ。百円ショップで購入し
突っ張り棒とワイヤーネットを使用すればすぐにキッチンに取り付けられる収納スペースとなるよ。二つを結束バンドで固定するよ。あとは好きなにS字フックを吊るすとオシャレな収納スペースの出来上がり。
ここで注意してほしいところは、火を使用する近くで取り付けると油が飛びちったり、汚れたりするので、少し離れた場所に掛けること。
②冷蔵庫は本棚のように整理整頓
新しい物を上からどんどんと積み重ねていくと古い物が使われずに捨ててしまうことになる。そうならないように栗原家では本棚で使用するブックスタンドを冷蔵庫に入れているよ。そうすることで品物を分類ごとに分けることができる。また、品物を本のような並べ方をすることができるため古い物が見えなくなることもないんだ。
それぞれの品物に日付の書いたシールメモを張るのを忘れないように。
③机の中の隙間はスポンジで埋めよう
机の中は小さいトレーを使用して分類ごとに分けよう。そうすることで物がぐちゃぐちゃにならないよ。でもどうしても机を引き出す時に物が動いてしまいバラバラになってしまうことがあるよ。そんな時にはメラミンスポンジを使おう。スポンジを引き出しの奥やトレーとトレーの間に挟んでおくことで、トレーが動かなくなるよ。
「よし、だいたいこんな感じかな」
部屋は綺麗に整理整頓された。
紅茶とジンジャエールを混ぜた飲み物を飲んで大人の味を味わいながら窓を開けて眺めた。窓からは公園が見えた。公園には遊んでいる子ども達とその家族がいた。小雪は自分が保育園で働く保育士となって子どもと公園で楽しく遊ぶ姿を想像した。
「入学式は四月一日の月曜日、開始時間は十時からか……よーし!!」
小雪はキーボードでピアノの練習を始めた。窓を開けていたため音が外に漏れてしまった。曲は「チューリップ」「ちょうちょう」「めだかのがっこう」。
公園にいた子ども達は楽しく歌い始めた。曲が終わると子ども達とその家族は笑顔になった。
四月一日の月曜日の朝がやって来た。
「うっ、あまり眠れなかった。ははは」
小雪は楽しみであまり眠れなかったためコーヒーを炊いて飲んだ。
「菜乃花姉から貰ったトースターと明里姉の彼氏が作った手作りヨーグルト!!」
トースターで温めたパンにバターを塗り、ヨーグルトにハチミツを入れて食べた。部屋はコーヒーの香りが漂った。
一人暮らしって楽しいな。
朝シャワーと歯磨きを終え、長い黒髪をヘアブラシでとかし黒縁メガネをかけてスーツに着替えていると、母から電話が掛かってきた。
「もしもしママ?」
「もしもし小雪、九時に小雪の部屋で合流だったけど、電車が遅延したから後でパパと行くね」
母は電車の隅で電話した。
「うん、わかった。はーい」
「あっ、式には理緒も来るから」
「理緒も来るの!?わざわざ保育園を休むの?」
「久し振りの東京だから、式が終わったら理緒とパパと観光しようかなって。あっ、小雪は式が終わってもホームルームで説明があるってパンフレットに書いてあるから、終わったら一人でそのまま帰っていいからね」
「わかった」
私の式はついでなのかい。
小雪は自分に一人でツッコミをいれながらも歩いてあわび保育専門学校に向かった。
学校は街中にあって全身水田模様の大きなビルの建物で出来ている。水玉学園は十六の専門学校、二つの大学、二つの高等学校、三つの保育園、二つのスポーツ施設を所持している。それぞれの学校同士で共同行事を行うこともあり、特に学園一の特大イベントである十六の専門学校による体育祭は毎年大盛況を遂げる。
体育館での入学式が始まる前に生徒はそれぞれ決められたクラスの教室に移動する。クラスはそれぞれ四つあり、それぞれ二十名いる。小雪は一年二組に所属することになった。このクラスで二年次も共に過ごすことになる。
「よお、小雪!!」
同じ学校、しかもまたクラスも一緒。
小雪と保育園の時からの付き合いでずっとクラスが一緒だった男、緒方光。クラスが被りすぎて友達に何度も付き合っていると誤解されることがあった。卒業式が終わった後の教室で小雪の保育士になるという宣言を聞いた。
苗字が少しだけ近いせいなのかクラスが割り振られると私の右隣にいつもなる。
「どうやら高校で同じ進路なのは俺とお前だけのようだな」
「……そうね」
小雪は落ち着いた態度で言った。
「おいおい何クールぶってんだよ!」
小雪は無視した。
「中学高校で同じことして失敗しているのに懲りないな!!」
周りの生徒はクスクスと笑い始めた。小雪は恥ずかしくなって顔が赤くなった。
「光!あんたねぇー!」
「ははは、やっぱり昔のままだ!」
光とは保育園からの付き合いだからこそ、私の黒歴史を誰かに話さないように釘を刺しておかないと。
話をしていると、ベリーショートで鋭い目をしている女性が教室の前にやって来た。生徒は一斉に静かになった。
「今日から二年間、このクラスを担当する中谷明日香です。『子どもの食と栄養』などの授業を受け持っています」
中谷先生は壁掛け時計を見た。
「本来ならもう少し私の紹介や一人一人の紹介をしたかった所ですが、式の事前会議が少し延びてしまったため、それはまたオリエンテーションの時にしましょう。それではみなさん、廊下に並んで体育館に移動しましょう」
私達は番号順に二列に並んで体育館に移動した。
「開式の辞、これより水玉学園水玉保育専門学校の入学式を執り行います」
五十代前半の小泉教頭という女性司会者がマイク越しに言った。
「新入生入場、会場の皆さんは拍手で迎えてください」
司会者の合図とともに吹奏楽部による音楽が響いた。
新入生の席まで一組から移動していった。体育館には学校の先生と二年生と新入生の親御さんと来賓者がいた。
小雪はパパとママと理緒を発見した。理緒は手を振っていた。
国家斉唱を終えて入学許可宣言により青山校長というメガネを掛けた年老いた小さな女性が教壇に立った。新入生はクラス担任に名前を呼ばれたら返事をしなければならない。
「続きまして一年二組」
小雪は少し緊張していた。
母は理緒に小雪がもうすぐ呼ばれることを伝えた。
「栗原小雪!」
中谷先生がマイクで言うと、「はっ、はい!」と両手をビシッと伸ばしながら言った。
「小雪姉!!」
理緒は保護者席から大きく叫んだ。
会場にいる人達はクスクスと笑った。
もう理緒ったら。
小雪はとても恥ずかしくて顔が赤くなった。
中谷先生も笑ってしまい次の生徒を呼ぶのに少し遅れた。
「近藤陸!」
「はい!」
全ての生徒が返事を終えると、「以上、八十名!」と司会者が言った。
「学校長式辞」
再び青山が教壇に立った。水玉学園の有馬理事長は不在のため、お祝いの手紙を頂戴しており読み上げた。
「来賓祝辞」
来賓者席には二十名の学園関係者が座っていた。その中から代表で偉い人が三人ほど教壇に立ったが、小雪は後々どんな人が何を言っていたのかを全て忘れてしまった。
「来賓紹介」
肩書きと名前を司会者に呼ばれた残りの来賓者は立ち上がって短い言葉で新入生と保護者に向かって祝いの言葉を告げた。
「祝電披露。本日の入園式に際しまして、多くの祝電を頂戴しております。時間の関係ですべてはご紹介 できませんので、この場にていくつか披露させてせていただきます」
高校とその校長の名がいくつか紹介された。小雪と光の出身の横浜海岸高等学校も名前が出てきた。小雪は自分の学校の名前が出たときに、校長の名前が富田であることを忘れていた。
「歓迎の言葉」
二年生で成績一位の小柳和泉が代表で前に出た。見た目がクールで近付きづらいオーラを発している。
「新入生の皆さん、入学おめでとうございます。また、御家族をはじめ皆さんを支えてこられた方々に心よりお祝い申し上げます。ーー
――最後に、これから始まる皆さんの学生生活が、多くの可能性の芽を広げられる期間となることを願い、歓迎の言葉といたします。
在校生代表 二年二組 小柳和泉」
誰かの小さな拍手から式場の誰もが拍手をしたことにより盛大なものとなった。
和泉が席に戻ったのを確認すると「新入生代表挨拶」と言った。
センター試験でもっとも成績がよかったショートヘアの斎藤千花が代表で選ばれた。
「暖かい日差しに包まれ、春の美しい花も咲き始めた今日この頃、私たち八十名は、無事に水玉保育専門学校の入学式を迎えることが出来ました。――
――最後になりましたが、綾瀬西高校の生徒という自覚を持ち、これからの規律、マナーを守り、勉学に励むことをお約束し、新入生の言葉とさせていただきます。
新入生代表 一年二組 斎藤 千花」
再び盛大な拍手が式場を響かせた。
「校歌斉唱、新入生および在校生はご起立ください」
【校歌 水玉学園共通歌詞】
【一番】
円の幸の小さな模様
水玉綺麗な我が母校
滴の道をどこまでも行く
海原へ進む 水玉学園
【二番】
水の晶の綺麗な光
円の思いは絆一つ
水玉合わせ乗り越えて行く
大空夢見る 水玉学園
学生は舞台の壁に写されるモニターに書いてある歌詞を見ながら歌った。
「着席ください」
学生は席に座った。
「閉式の辞、以上を持ちまして、あわび学園あわび保育専門学校の入学式を閉会したします……新入生が退場します。会場の皆さんは拍手でお送りください」
司会者の合図とともに吹奏楽部による音楽が響いた。
新入生は立ち上がりそれぞれの教室に戻る。
小雪は歩く時に理緒と目が合ったので睨みつけた。
「なんか小雪姉が怖い顔をしてたよ」
「緊張しているんじゃないか?」
父は理緒に小さく囁いた。
理緒は小雪がなぜ睨んだのかわからなかった。
教室に戻った学生は担任が来るまで少しばかり時間があった。
うーん、なんでいつもトイレはこんなにも混むんだ。
式終わりの混雑した女子トイレから解放されるのに時間が掛かった小雪が教室に戻ると、既に楽しそうに話して打ち解けている学生達を見た。
どうしよう、もしかして友達がいないの私だけかも。
小雪は少しばかり出遅れた気分だった。誰かに話し掛けようと周りをキョロキョロと何度も見回した。
すると教室の窓際の後ろ側で話す二人の女の子が気になった。座っている髪の長い女の子とその近くで立って話している女の子だ。なにより立っている女の子は新入生代表の挨拶をしていた人だ。
「なっ、何の話してるの?」
小雪は緊張気味で言った。
二人は小雪を黙って見つめた。
えっ、何で何も言ってくれないの?せっかくこっちから話し掛けたのに。
このとき小雪はあることを思い出していた。幼い頃、自分はどうやって友達と仲良くなっていったのかと。
浜辺保育園の園児で理緒と同じく四歳の時、中途採用で入った保育士の女の先生の初日の出勤の時には他の先生と違ってエプロンにはフェルトやワッペンで作った名札がなかった。前の保育園では名札やエプロンはしていなかったらしい。
小雪は名札の入っていない新しい先生と最初にどんな会話をしたのか思い出した。
園長先生の園の説明を終えた中途採用で入った先生が小雪と他の子ども達がいる部屋に入ってきた時、四歳の小雪はままごとのリンゴとコップを持って不思議そうに先生を見た。先生は小雪を見るとニコッと笑った。
「今日からここの保育園でみんなと楽しく遊ぶ高橋先生です。君のお名前は?」
名札が付いていたが、高橋先生は小雪との距離を縮めるために敢えて会話でキャッチボールした。
「……私、小雪」
「小雪ちゃん、よろしくね!ところで小雪ちゃんの持っている物はなんだい?」
「リンゴだよ。今ね、リンゴジュース作っているんだ」
「そうなんだ。高橋先生に作ってくれない?」
「いいよ!」
小雪は閃いた。そして高橋先生がやっていたことを真似してみることにした。
「私は栗原小雪、よろしくね!」
小雪は二人の反応を見た。二人はクスッと笑っていた。
「私は森下菜摘、よろしく!」
「よろしくお願いします」
「私は斎藤千花、よろしくね」
「よろしくお願いします。斎藤さんは入学式で新入生代表で挨拶してたね」
「うん、千花でいいよ」
「私も気軽に菜摘って呼んでいいよ。小雪!」
「わかった」
「私達もさっき知り合ったばかりでね、たまたま混雑しているトイレでで後ろにいたのが知佳ってわけ。あっ、ちなみにここ私の席ね」
「そうなんだ。それでさ、二人で何の話をしていたの?」
「学費の話をしてたんだよ。学費はどうやって払っているのかって」
菜摘は言った。
「うん、それで?」
「私はバイト先の奨学金返済制度を利用しているんだ」
「私は特待生制度を利用して学費は半額なの」
「そうなんだ」
「小雪は?」
千花は言った。
「私はね、兄弟姉妹減免制度を利用しているよ。前にお姉ちゃんがここに通っていたんだ」
「そうなんだ。そのお姉さんって今は何をしているの?」
菜摘は言った。
「彼氏と同棲しながら幼稚園で働いているよ」
「ここの学園は色んな制度があるから学生や親御さんの財布には優しいね」
千花は言った。
「でも結局はみんな親に学費を払ってもらっているんだ」
「そりゃそうだよ。本当に親には感謝しかないよ」
小雪は菜摘に言った。
「オープンキャンパスで来たときにね、社会人になってある程度お金を貯めてから入学したって言ってた二年生がいたな」
「それっていつの?」
千花は菜摘に言った。
「私が行った時は八月だったかな」
「私は五月に行ったけど、その時にいた二年生の人は高校生の時に起業して自分でお金を貯めて自分で学費を全て払ったって言ってたよ」
小雪は言った。
「そうなのか。そういう人は自分だけでやりくりしていて尊敬するな」
「私も生活費の足しにするためにアルバイト探して節約するんだ。この前も引っ越した部屋を百円ショップの物を活用してみたんだ。例えばね……」
「皆さん、席に戻ってくださ!」
小雪が千花と菜摘に部屋の模様替えの話をしようとすると、担任の中谷先生が教室に戻ってきた。学生は直ぐ様自分の席に戻った。
知佳は私の左だった。
「さて、いよいよ学生生活がスタートしますが、皆さんはこれから保育士または幼稚園教諭を目指すことになりますね。すなわちこれらはどちらも子どもの見本となるような保育者を目指すことになります。先生方は皆さんが成長できるように一生懸命サポートしていきます。二年間、よろしくお願いします!」
学生達はいよいよ始まるんだという思いで緊張感が増した。
「子どもと話す時、大切なのは子どもの目線で話すことが大事です。『そうですね』ではなく、『そうだね~』と言うように子どもと対等な関係で接すること。また、目線は子どもに合わせるようにしゃがんで中腰になったり座ったりしましょう。真上から話し掛けられると威圧感があり命令されていると感じます。実習では実際に子どもと関わり保育活動で『遊び』を行います。子どもの興味が惹くように、尚且つ安心して活動に参加できるように、声掛けが重要となってきます。こんな風に……さあ!みんなよく来てくれたね」
先程までの堅苦しい喋り方との違いにクラスにいた学生は驚いた。
「今日は四月一日、季節は春だね。春になると桜が咲いたり入学式があるね。春と言えば、他には何があるかな?」
中谷先生は学生二人に答えさせた。学生は「菜の花」「ふきのとう」と言った。
「花や食べ物の他にも色々あるね。例えば、キャベツを食べる青むしさんも土の中から出てくるね。みんな『キャベツのなかから』っていう手遊び知っているかな?手を前に出してやってみよう。知らない子も先生と一緒にやって覚えてみよう」
学生は言われたとおり手を前に出した。
「それじゃあ、いくよ~!せーの!」
「キャベツの なかか~ら あおむし でたよ
ニョキ ニョキ おとうさんあおむし
キャベツの なかか~ら あおむし でたよ
ニョキ ニョキ おかあさんあおむし」
小雪は理緒とよく二人でやっていた手遊びだったため、手慣れた手付きで真似した。
手遊びを終えると学生達の緊張感は解れた。
「……とこんな風に手遊びなどで導入した後、メインの保育活動に移行します」
中谷先生は再び元の堅苦しい喋り方をし出した。
「みなさんも子どもの興味を惹かせる独自の導入を考えてみてください。先生は今回は手遊びをしましたが、手遊びだけでなく、ピアノや絵本を読んだりすることもできます。活動にあった曲や本を選択することでより保育活動の内容を掘り下げていくことができます」
学生はこれからの生活に期待に胸を膨らませた。
小雪はホームルームが終えると、父と母と理緒のいる学校前に向かった。父はスマホで入学式看板をバッグに小雪の記念撮影を撮った。
「みんないつの間に着替えたの?」
小雪は三人が私服に着替えていることに気が付いた。
「これから三人で東京スカイツリーを登るんだ」
「あっ、そうなんだ」
東京観光ということね。私の入学式はついでだったのね。
「小雪も来るかい?」
母は言った。
「小雪姉も行こうよ」
「いいけど、私服持ってきてないよ」
「大丈夫。スーツ姿の人が歩いていても違和感ないよ」
せっかくの家族との時間なので、行くことにした。入学式という新しい環境の気疲れがあったが大丈夫だろうと自己暗示した。
小雪は家族に連れられて東京のあちこち観光した。スカイツリーを登り、水族館に行き、子ども向けアトラクションのあるテーマパークに行き、動物園に行った。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。
「今度部屋の様子を見に行くからね」
「じゃーね、小雪姉!」
「うん、それじゃあね。バイバイ」
渋谷駅の改札口を最後に三人を見送った。
入学式よりも東京観光の方が長くてすごく疲れたよ。私よりも走り回ったりした理緒の方が疲れるはずなのに、まだまだ元気。子どもって本当にすごいや。高校の頃に部活でバドをやっていたから少しは体力があったけど、引退後はほとんど運動しなかったから、もうあの頃の体力はもう無いんだな。実習に行ったら大変かもしれない。子どもの体力に負けないように運動して体力をつけとこう。
辺りはすっかり暗くなっていた。満員電車に乗ってようやく帰宅した小雪は、中谷先生がやっていた手遊びを思い出した。
専門学校は楽しい、すごく楽しいよ。パパ、ママ、私はこの学校を選んで正解だったよ。
小雪はベッドで横たわり、枕を抱えてニヤリと笑った。
「よーし、頑張るぞ!!」
ドタバタと音を立てて体を奮い立たせた。
「……うるさいな」
隣の部屋の陸はイヤホンを強く押さえてゲームをしだした。