008_神託
「あなた方…、もしやディフリューガル山脈の大鷲の一族の方ではありませんか?」
「…?」
俺は将聖を見上げた。将聖がフォーリミナから教えられたという予備知識の中に「大鷲の一族」という名詞は含まれていない。将聖も、ハノスさんの言うことがよく分からなかったようだ。
「俺たちはウィクタ・ノファダから来ました。ディフリューガル山脈の中腹にある、ハイランダー族の村です。」
前回同様、フォーリミナから教えられたままに将聖が答える。俺は巨大樹の森で会った男たちとのやりとりを思い出し、少しハラハラした。少女も交じるこの人々に警戒する必要はないのかもしれないが、身寄りがないのをいいことに襲い掛かられるのはもうたくさんだ。
だが、この時のハノスさんの反応は、俺の最悪の想像のさらに上を行くものだった。
「やはり、大鷲の一族の…!」
ハノスさんだけではなかった。将聖の告げた村の名前に、周囲に集まってきた人々の間にもざわめきが広がった。
「ほかに…。ほかに生き残った方は…。」
「今ここにいるのは、俺たちだけです。」
将聖も、この反応は予想していなかったようだ。不信感はないようだが、緊張した面持ちで慎重に言葉を選んでいる。
将聖はそれ以上説明する必要がなかった。俺たちが魔物に追われて故郷を捨ててきた難民だという例の作り話をするまでもなく、ハノスさんたちの間では、すでに話はできあがっていたらしい。
「そうでしたか…。誇り高き『ディフリューガルの大鷲』は、女神への誓いを果たされた、ということですな…。」
ハノスさんは感極まったように、親指の付け根で涙を拭った。一体何のことだと俺たちが戸惑っているうちに、集まった男たちの中の、年若い一人に指示を出す。
「代官様にお伝えしろ。『ディフリューガル山脈の東は落ちた』と。大鷲の一族は最後の砦を守り続けるという誓いを貫かれたが、やはり村には今、どなたも残ってはおられないようだとお伝えするんだ。」
どういうことだ?
俺と将聖は再び顔を見合わせた。フォーリミナが将聖に詐称させた出自は、とんでもない一族のようだ。
だが、将聖が踏みつけた地雷の破壊域は、それだけに止まらなかった。連鎖爆発のように、その周辺まで破壊していく。ハノスさんは俺のほうへ目を向けながら、さらに言葉を続けた。
「ただし、翼の姫君はご無事だ。ここに生きておられる。」
え?
聞き覚えのある言葉に、俺はポカンと口を開けた。
先ほどリーシャも同じことを言っていた。一体、この人たちは何を言っているのだろう。
ハノスさんは俺に手を差し出した。腰を屈めた低い姿勢から、求められているのが単なる握手ではないことは明らかだった。
「お会いできまして光栄です、姫。よくぞ生きて、メドーシェンまでたどり着かれましたなあ。」
――「姫」だって?
俺の思考が停止した。言葉の意味さえ頭から吹き飛んでいた。
先ほどのリーシャの様子といい、ハノスさんの今の態度といい、なにか途方もなく大きな誤解をされていることだけは間違いなかった。正直、気味が悪くて背筋がむずむずする。なのに、どう反応したらいいのか皆目分からない。
俺はただ、身をすくませてその場に突っ立っていた。
…これって、「言っていることの意味がよく分かりません」とか、ほいほい言っちゃっていいものなのか?
先に嘘をついたのは俺たちのほうなのだ。
「あの…。その『翼の姫君』って…?」
恐る恐る俺が尋ねると、何の疑念も抱かぬまま、ああ、とハノスさんは頷いた。
「第三十六代勇者のアイダ様を、我々オリエディレンの人間族は『翼の勇者』とお呼びしているのですよ。アイダ様は名のあるハイランダーの部族の中でも、大鷲の一族のご出身でいらっしゃいますから。」
俺がいつまでも握り返さないので、ハノスさんも手を引っ込めて体を起こした。もしかしたら、それは失礼なことだったのかもしれないが、ハノスさんはそんな気配はおくびにも出さなかった。
「もしアイダ様がお亡くなりになる前に、ご自身の一族に『代々ディフリューガルの守護者となり、生涯大陸の盾として、山脈の東域を守り続けるように』とお命じにならなければ、ほかの勇者様の家系のように、いつかは忘れ去られていたかもしれません。しかしそのご遺言により、長きにわたり、オリエディレンの地はみなさまによって守られて参りました。ですからアイダ様の血筋の方は、我々の間では『翼の守護者』または『翼の姫君』と呼ばれているのですよ。」
ハノスさんはもう一度、今度はその手を自分の胸に当ててお辞儀をした。
「勇者様の直系の血筋の方でいらっしゃいますね? ハイランダーの黒髪は珍しいですから、一目で分かりました。」
俺は頭がくらくらした。
この世界のことが全く分からない上に、チートスキルも便利なアイテムも与えられていない。いっそ最強を張れないのなら、できればただのモブとして、目立たず騒がず、ゆっくり周囲に馴染んでいきたいと思っているのに、勇者の血筋を疑われている。
――それだけならまだしも、この俺が「姫君」とは。
冗談にも程があるわっ!
俺の全身にぶつぶつと鳥肌が立った。低身長のせいで小学生に間違われているほうが、まだマシだ。
「あの、俺たちそんな大層な者じゃありません。」
俺の外見がMK2型ハンドグレネードに酷似してきたのを見て、さらなる爆発が起こるのを恐れてか、将聖が大急ぎで割り込んできた。慌てたらしく、言葉遣いまでややぞんざいになる。
「俺たちは、ごくごく普通の家庭で育った、ただの若造二人です。今はただの難民です。特別な血筋とかではありません。」
「おお、存じ上げております。」
ハノスさんは訳知り顔で頷いた。
「ハイランダー族では、みなに選出された族長と長老は敬意の対象となりますが、それ以外の人々はみな平等に扱われるそうですね。」
ダメだ。ハノスさんは将聖の言葉をかなり曲解している。弔意を含んだ丁重な態度も崩れなかった。
「ハイランダー族の方々は、他種族とあまり交流されませんからご存じないかもしれませんが、人間族にとっては、血筋は重要な意味を持つのです。勇者アイダ様がこの大陸をお救いになられたことを、我々人間族は決して忘れてはおりません。」
「その…。あ、会田さん(相田さん?)の功績をずっと覚えていてくださったことには感謝いたします…。」
将聖はぼそぼそとそう答えるしかなかった。自分の故郷の偉人と思われているわけだし、実際同じ地球世界からやってきた勇者なのだ。第三十六代ということは、イザナリアには数百年から数千年前に現れたことになるわけで、これほど長い年月の間その記憶を風化させず、深い謝意とともに伝えてくれているとしたら、それは感謝してしかるべきだろう。
ただし、俺たちが礼を言うのは少し筋違いという気がするが。
だが、この期に及んでさらなる爆弾がハノスさんの口から飛び出し、俺たちの理性を吹き飛ばすとは、思いもしないことだった。
「それに、私どもの市の神殿に女神さまのご神託が届いたのです。近日中に、勇者様の血筋の方がメドーシェン市にやってくるという内容でして。ディフリューガル山脈から来られた大鷲の一族というなら、お二人のことで間違いありませんよ。」
いやあ、こんなに当たるとは、と感慨深そうなハノスさんを他所に、俺と将聖は爆心地の更地の上で化石と化していた。
…神託、だとぉ?
フォーリミナの奴、一体何しやがったんだ?
「…あのクソ女神がどんな大ウソを…。」
「し、神託ですか? そ、それは本当に俺たちのことで間違いありませんか? 詳しくお聞きしたいんですがっ。」
俺がブチ切れる前に、将聖が言葉をかぶせた。善意丸出しのハノスさんと、徐々に殺気立っていく俺の間で、将聖が忖度を発揮しすぎて青ざめている。
「ええ、確か『ディフリューガルの東より、樹海を越えて、勇者の国の血がメドーシェンへ訪れる』という、星読みの巫女様からの直筆の書状でした。年頃や性別などの詳しい記載はありませんでしたが、一目見れば勇者様の血筋と分かるから、心してお迎えせよ、というご指示でして。メドーシェンではこのようなことは、先代の勇者様が亡くなられて以来初めてのことでしてなあ。天地をひっくり返すほどの大騒ぎでしたよ。私どもは大鷲の一族の方が森を越えてお出でになると思いまして、きのこ狩りなんぞをしながら、ずっとこの森の中をお探ししておったのです。」
うわぁ…。
すん、と将聖まで目を細めて黙り込んだ。俺たちのことを大鷲の一族だと言い切ったのなら、まだ「神のくせしやがって、何つー大嘘こきやがる」と責めることもできただろうが、微妙な言い回しで決して嘘はついていないから、俺と同様癪に障ったのかもしれない。
…わざわざあの森の中に放置したのも、これが理由か。
ようやくフォーリミナの意図を察して、俺はますます頭を抱えた。
初めから誤解させるために仕組まれたことだとして、仕組んだ相手が「神」なら、俺たちはどうやってそれを否定したらいいというのだろう。
「その…。申し訳ありませんな。お二人の境遇も考えず、浮かれたことを言いました。」
俺たちが沈黙したままでいると、ハノスさんはまたその理由を誤解して謝った。俺たちは一応「故郷を失った難民」という位置づけなのだ。その来訪を、海外セレブの来日のように受けとめていたことへの謝罪のようだ。
「いえ、とんでもない。かえってこのように出迎えていただきまして、ありがとうございます…。」
将聖がまだ黙ったままだったので、仕方なく俺が謝罪を受けた。申し訳なさも手伝って、日本人を発揮して深く頭を下げると、ハノスさんやリーシャばかりでなく、周囲の人々も改まった様子でお辞儀を返してくる。俺の一挙手一投足に過剰に反応されている気がして、俺はどうにも落ち着かなかった。
できればこの手のやりとりは、全部将聖に担当してもらいたかった。フォーリミナからいろいろ聞かされているのはこいつだし、この誤解を晴らしたほうがいいのか、乗ってしまうべきなのか、そんな判断すら俺には容易に付けられなかったからだ。
それなのに将聖は難しい顔をして、突然ぷつりと黙りこんでしまった。一体どうしてしまったというのだろう。
仕方がない。誤解はおいおい解いていくとして、今はこの人たちに助けてもらったほうがいい。
「その、俺たちは初めてこの場所に来たので、いろいろと戸惑っているんです。もし差し支えなければ、どこかで保護してもらって、食事と寝る場所を提供してもらえませんか。俺たちに今、お支払いできるものはありませんが、明日からでも働きに出て、受けたご恩はお返ししますから。あ、あと、もしよかったら、働けそうな場所なんかも教えていただければありがたいです…。」
「食事と宿ですな。もちろん、喜んでご用意いたしますよ。」
ハノスさんは人懐こい笑顔を取り戻して言った。
「お二人には尾鞭虫退治にも協力していただきましたし、私の娘も救っていただきましたから、お世話するのは当然のことです。」
どうぞこちらへ、と促され、ようやく会話が途切れたので、俺はほっと胸を撫でおろした。
ふと見まわすと、俺たちと一緒に歩き始めたのは女子供ばかりだった。ハノスさん以外の男たちは、尾鞭虫と呼ばれた魔物の後始末に残るらしい。ゲームの世界のように、魔物を倒せばその体が煙になって消えてくれるような、便利なシステムはないようだ。魔物の死骸は人里近くにあってよいものではないらしく、処分できる場所に運ぶための解体作業がすでに始まっていた。
「大丈夫だった? 怪我してない?」
「怖かったわねえ…。」
「最近、本当に数が増えてきてない? いきなり五匹なんて…。」
人々がぞろぞろ歩き始めると、一時それぞれの身内同士での会話が始まった。とはいえ先ほどの恐怖が尾を引いているのか、空気はまだピリピリとしていた。みな周囲を警戒するように、声を潜めたままだ。
俺も将聖と並んで歩きながら、低い声で話しかけた。
「なんか、ようやくラノベっぽくなってきたよな。」
俺は嫌味っぽくこいつに言った。急にハノスさんの相手を放り出して、今まで黙っていやがって。
「この俺が、どこぞの名家の令嬢扱いだ。そのうちどこかの女と男を取り合って、盛大に振られるぜ?」
「俺を取り合うのか? それだけは止めてくれ。」
「…なんでこの俺が、お前をどこかの女と取り合わなくちゃならねえんだよ…。」
「だって俺たち一応、もう夫婦っていう設定なんだし。」
軽口を叩いているように見せかけながら、どこか上の空といった様子で将聖が言った。何か思いつめたような表情だ。
「やっぱり、フォーリミナが準備していてくれたんだな。」
将聖がぼそりと言った。俺は意味が分からず、今の苛立ちをただこいつにぶつけていた。
「俺たちが転生してきたことは隠せっていう話だったろ? なのに今度は子孫を騙れって、どういうことだよ。それに、勇者の血筋っていうなら、お前のほうが相応しいだろ。なんで将聖が銀髪で、俺のは元のままなんだ?」
「多分、それが優希の『加護』なんだと思うよ。」
将聖は視線を地面に向けたまま言った。
「本当に、フォーリミナは俺たちのことを考えて、いろいろと手を打ってくれたんだと思う。俺に何かあったら、お前を守れる奴がいなくなる。それが一番不安だったんだ。でもお前が勇者の子孫ってことになれば、ここの人たちが守ってくれるだろ。…あながち嘘でもないんだし。お前だって『再構築』すれば、勇者になれる資質は持っているんだから。」
「…『何かあったら』って、何だよ。」
俺は低い声で尋ねたが、将聖は答えなかった。
俺の喉がごくりと鳴った。「何かあったら」。その意味を俺は知っている。ついさっき、自分で体験しそうになったことだ。この野郎、また変なことを考え付きやがって。
俺は将聖に噛み付きそうになったが、固く握りしめているこぶしを見て思いとどまった。
「フォーリミナは近年急速に『魔界域』が拡大していると言っていた。ディフリューガル山脈の東が落ちたということは、ここは大陸の『清浄域』の最前線なんだ。」
「要するに、ウィクタ・ノファダの村を襲った魔物たちは、これからここを攻めてくるってことか?」
「…と、いうことだと思う。あの森を抜けるのは容易じゃないから、まだ時間はあるだろうけど。」
「お前が背負うことじゃないだろ。」
「これが、俺の仕事だ。」
将聖は俯いていた顔を俺に向けて、きっぱりと言った。
こいつが状況を的確に判断できる奴で本当に良かった。名家の令嬢扱いされて困り果てている俺を見て、ただにやにや笑っているだけだったりしたら、俺は「俺を食ってくれ!」と叫びながら、さっきの魔物の仲間を探しに森に飛び込んでいたところだ。だが将聖は、その背後にあるフォーリミナの意図を、おそらくは正しく理解している。
将聖は視線を地面に戻すと、張り詰めた表情のまま、また黙々と歩き続けた。
俺だって、空気が読めないわけじゃない。そんな将聖を見上げて、俺もやはり黙っているしかなかった。
こいつがこんなにも俺のことを思っていてくれたことには驚いた。話がこんなに大事になってしまったというのに、ほっとしている。それが、俺のため。
それに、フォーリミナもなかなかの曲者という気がする。こんなことにならなければ、将聖は俺たちの過去を、できるだけ当たり障りのない作り話で曖昧にまとめていたのではないかと思う。嘘というのは真実の中にほんの少し紛れ込ませるから効果を発揮するのであって、今の俺たちのように、自分でも確信が持てないまま、おっかなびっくり口にするものではないからだ。フォーリミナは将聖のこの性格を見抜いた上で、本人たちもあずかり知らぬところで勝手に事を進めていった。この「設定」を将聖や俺に納得させるよりも、そのほうがずっと話が早いと踏んだのだろう。
フォーリミナに対する先ほどまでの怒りが、急速に冷めていくのを俺は感じた。
…クソったれ。
本当は、もっと怒っていたかった。こんな大きな欺瞞は俺たちの手に余る。「あいつのすることは、何もかも無茶苦茶だ!」と心底なじっていたかった。
なのに、もう握りしめたこぶしを振り下ろすことはできなくなってしまっていた。かといって、背筋が痒くなるような居心地の悪さも振り払うことができない。おそらく真逆な気分でいるであろう将聖を思って、俺は一人唇を噛んだ。
俺だって男だ。異世界転生なんて、ラノベ好きの十代なら誰もが望むようなシチュエーションを手に入れたのだ。できることなら俺も将聖みたいに強くなって、「俺たち最強!」と吹かしながら肩で風を切って歩きたい。
だが実際の俺は、ただの足手まといに過ぎない。戦闘能力も魔力もなければ、腕力、脚力さえ平均点かそれ以下だ。一瞬、フォーリミナが厄介なお荷物を手早く「処分」するために、わざと俺の体をこんな風に作り替えたんじゃないだろうか、という思いが頭をもたげたが、その考えを俺は振り払った。
まだ完全に信頼しているわけではないが、意図的に嫌がらせをしたり、誰かを邪魔者扱いして強引に排除したりするような真似だけは、フォーリミナは決してしないような気がする。
「その、ハノスさん。俺たちのことは、どれくらいの間探してくださっていたんですか?」
将聖がまだ考え事に没頭しているので、俺は意を決してハノスさんに話しかけた。驚きのあまりしばし忘れていたが、周囲の人々からの視線に、また俺の人見知りが発動し始めていたからだった。「姫君」という要素も加わって、人々の視線はさらに熱く俺に注がれている。その恐怖を拭おうと、あえて俺は口を開くことにしたのだ。今更ながら一人称を改めていなかったことにも気付いたが、それはもう仕方がないと思い返した。
ハノスさんは名前を呼ばれて気をよくしたらしく、俺の言葉遣いは気にも留めない様子で、畏まっていた頬を緩ませた。
「大したことはありませんよ。星読みの巫女様が神託を授かったのが七日前。メドーシェン神殿に帝都からの早馬が到着したのが三日前になります。豚どもに最後のドングリを食わせたり、ゆっくりと栗拾いやきのこ狩りをしたりするのには、ちょうどいいくらいの日数ですわ。」
なるほど。俺と将聖がイザナリアに降ろされる前日には、もう報せは届いていたというわけか。
俺は頷いた。
確かに俺たちは、ただ無責任に異世界に野放しにされたわけではなかったらしい。
「では、三日も探していただいたんですね。魔物に襲われる危険があったわけですし、実際遭遇させてしまいましたし、本当に何と言っていいのか…。」
俺がちらりとリーシャに目を向けると、いいから、いいから、というようにハノスさんは大きく手を振り、リーシャもぶんぶんと頭を横に振った。
「この辺りは昔から俺たちの共有林です。最近魔物が多くなり、出入りが制限されるようになりましたが、メドーシェンで生まれた者はみな、昔からここで粗朶を集めたり、薬草採りをしたりしとりますので、気にせんでください。このたびは久しぶりにみんなで来たお陰で、だいぶいい収穫もありましたし。」
そのうえ今回現れた魔物五匹のうち、三匹を倒すのにお力添えいただきましたので、と聞かされて俺は驚いた。もちろんそれは将聖のことである。突然現れた尾鞭虫の群れの出鼻をくじくように、将聖もいきなり茂みから飛び出すと、石を投げてその勢いを削ぎ、持っていた木の枝で応戦を始めたのだそうだ。残念ながら、その枝はすぐにあの強靭な触手にへし折られてしまったらしいのだが、ハノスさんが自分の鉈を投げ渡すと、凄まじい速さで二匹に斬りかかり、その動きをほぼ封じてしまったのだという。半泣きになって逃げまわっていた俺とは雲泥の差だ。
とはいえ、あの魔物は一対一の剣術だけで倒せるような相手でもない。一人遅れ、人々とは反対方向に逃げ出したリーシャを追いかける時に、ハノスさんは将聖に、援護射撃の合図の笛を渡してくれたのだそうだ。
「俺も自警団に入って長く魔物狩りの手伝いをしてきましたが、あれだけの剣技を見たのは、さすがに初めてですわ。大鷲の一族は、本当にお強いんですなあ。」
はっはっは、とハノスさんは笑い、その口調もようやく砕けた調子になってきた。そんなハノスさんの様子につられたのか、子供を連れた女たちの緊張も徐々に緩み始め、俺たちの周りに近づいてきた。
「それにしても、こんなに小柄なハイランダー族には初めて会いましたよ。やっぱり、勇者様の血の力は末代まで強く残るという噂は本当だったんですね。」
おばさんの一人が、俺に話しかけてきた。恰幅がよくて気さくそうな人だ。だがせっかく話題を振ってくれたのに、俺は何と答えてよいか分からず、また言葉に詰まってしまった。
おばさんが「小柄」と言った将聖は、ハノスさんより頭一つは背が高い。俺も、将聖から見れば「小さい」らしいが、人間族の女と比べるなら、おそらく平均よりやや高い身長なのではないかと思われた。少なくとも、ここにいる女たちと並んでいる限りではそんな感じだ。
ハイランダー族の平均身長など、俺に分かるはずもない。しかし、このまま黙り込んでいるのもどうかという気がする。
仕方ない。正直に話してしまったほうがいいだろう。
「あの…。実は俺、ほかの部族のハイランダーには会ったことがないんです。俺たち、そんなに小柄なんですか…?」
そう尋ねると、おばさんは軽く驚いた表情をしたが、別段気にする風でもなく、そうねえ、と頷いた。将聖も言っていたが、ハイランダー族は人口が少なく、他種族との交流も極端に少ないために、その実態は、人間族にはほとんど知られていないのだそうだ。部族同士の集落も離れており、それぞれが「父祖の地」を守ることに強い誇りを抱いているため、同じハイランダー族同士であっても、互いの集落を訪れることも滅多にない。
俺たちがウィクタ・ノファダのハイランダー族の姿に変えられたのには、一つにはその村が壊滅してしまったこと、二つには背が低く、耳が短くて外見が人間族に似ているのがこの一族の特徴だからであるが、このあたりの事情も、重要な要素として含まれているのだ。
だから俺が「ほかの部族の者とは会ったことがない」と言ったところで、おばさんは、そんなものか、くらいにしか思わなかったのだろう。
「仕方ありませんよ。私だってメドーシェン市から出たことはありませんから。向こうから会いに来てくれなきゃ、よその土地の人間のことなんか分かりませんよねえ。」
今度は別な若い母親が言葉を挟み、数人の女たちが「そうよねえ」と笑って頷いた。ああ、そういうこともあるのか、と俺はひそかに心に留めた。
ここは正直に打ち明けて良かった、というところだろうか。
俺の質問には、ハノスさんが答えてくれた。
「俺が昔会ったハイランダー族は、人間族より頭二つは背が高かったな。」
俺と比べれば、その差は頭二つ半になるけどな、と付け加えると、ハノスさんは陽気にくるりと頭を撫でた。
「それに、ちと近寄りがたい雰囲気でしたわ。何というか、表情が読みづらくてなあ。お前さんたちのように会話が通じる気がしませんでしたよ。」
「ハイランダー族はエルフの末裔なので、言葉はなくても共感力で分かり合えてしまうところがあるんです。そういう意味では、ウィクタ・ノファダの者は意思疎通に会話を重視しますので、内面性が人間族に近いとされているそうです。…俺も他部族とは会ったことがないので、よく分かりませんが。」
今度は将聖がフォーリミナの受け売りで答えた。つい先ほどまで自分に賛辞が向けられていたのだ。いつまでも自分の殻に閉じこもって、それを無視できるほど身勝手な性格ではない。
「お前さんたちが人懐こくて、助かりましたよ。」
ハノスさんがそう言うと、将聖は少しだけ表情を緩め、「それはありがとうございます」と頭を下げた。
急に将聖は俺に向かって「疲れたか?」と尋ねた。俺の足取りがまた遅れがちになってきたせいだろう。本当は疲れのせいではなく、腕の痛みが辛くなってきたためなのだが、うん、と俺が頷くと、将聖は俺の肩に腕を回して自分のほうへ引き寄せた。
そして、耳元で低く囁いた。
「頼む。優希。『勇者の血筋』の件、引き受けてくれないか。」
将聖の声には、何か切迫したような響きがあった。
「せっかくフォーリミナが用意してくれた加護なんだ。いろいろ思うところはあるだろうけど、受け取っておいてくれないか。こんな姿だけど、俺たちは本物のハイランダーにはなれない。早晩身元を疑われることになると思う。だからこれは俺たちの言葉に信憑性を持たせるための、保険なのかもしれない。」
俺は将聖を見上げた。また思いつめた表情をしている。頭が良く、先々が見通せるからこそ不安になるのだろう。だが、不安なのは俺も一緒だった。
「…バレたらそんなにヤバいのか? だったら直系なんて名乗るほうが、よっぽどボロが出やすいだろうが。」
「分からない。分からないけど、お前にはこの加護があったほうがいい。」
将聖は苦しそうな表情だった。このフォーリミナの「加護」に、何か感じるところがあるようだ。だが、それをうまく言葉にできず、焦っているように見える。
将聖はいつも俺の心配をする。自分のことより先に、俺のことが気にかかるらしい。俺は溜息をついて、将聖に頷いた。
「分かった。じゃあ、俺のご先祖には会田さんがいたってことにしといてやる。ただし、俺にお姫様らしい何かを求めるのは止めてくれよな。そういうフリとかは絶対しないから。あっちが勝手に誤解しているから、好きにさせてやるだけだ。」
「うん。それでいいと思う。」
「言っておくが、俺は男。お・と・こ、だからな。女扱いなんかしやがったら、お前だってただじゃおかねえからな。」
「分かってる。俺の前では男でいい。ただ、ほかの人たちの前では少しだけ遠慮してくれ。」
「股開いて座ったり、人前で鼻くそほじったりするなよ、って話だろ? アイアイサー。そこら辺は努力する。」
俺は男だった時だって、人前で鼻をほじくり回したことはない。将聖のためにわざと言ってやったのだが、向こうもそれに気付いたらしく、くすりとようやく笑った。まったく、こいつの眉間の皺を気にするだけで、俺は年を食っちまいそうだ。
「一つだけはっきりしたことがあるよな。」
俺は溜息をつきながら、できるだけ明るく言った。
「フォーリミナは正しかった。血筋でこの騒ぎじゃ、俺たちがモノホンの転生者だと知られても、ろくなことにはならねえわ。」
「そうだな。」
「お前もさあ、クソ真面目はいいけど、初めっから肩肘張るなよな。フォーリミナのご要望ってヤツ。まずは彼女作るところから始めたらどうなんだ?」
「…。」
将聖は一瞬黙り込んで、それからプッと吹き出した。
「か、考えもしなかったわ、それ。」
笑いながら将聖は言った。俺なら真っ先に熟考するわ、と言ってやると、うんうん、俺も考えとく、と答えながら、将聖は涙を拭った。
…こいつの笑顔は太陽だな。
俺は思った。俺の中に垂れこめていた、厚い雲を払っていく。
将聖は何かを振り切るように、突然空を見上げた。
「やっぱ、こいついて良かったわ。」
将聖がつぶやくようにそう言った。俺は聞こえなかったふりをして、足早に俺を手招きするハノスさんに近づいた。
ハノスさんが大きな笑顔を浮かべて、前方を指さす。
森の出口が見えてきた。その先、牧草地を越えたさらに向こうに、尖塔の立つ街並みが、穏やかな陽光を浴びてたたずんでいた。
前回の投稿で、初めて☆をいただきました。
なんだかすごくドキドキしてしまいました。
ありがとうございます。
また11月2日にユニークアクセスがようやく500件を超えました。
初投稿から141日目での達成です。長かった···。
これも現在の実力の結果と受け止め、精進していきたいと思います。
こうして日々本小説ページにお立ち寄りくださる方がいることが、
毎日の執筆の励みになっています。
この小説が人生2作目なので、読み苦しい点も多々あるかとは思いますが、
今後もお付き合いいただければ幸いです。
本当に、本当に、ありがとうございます。
なお、都合により、次回の投稿は2021年2月1日(月)を予定しています。
ただでさえ月一度というスローペースなのに、さらにお待たせすることになり
本当に申し訳ありません。
(可能であれば2021年1月1日(金)に間に合わせたいのですが…。)
ご理解くださいますようお願い申し上げます。