Side story _クルサーティリ防衛線_12
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――あれからもう六日も経っているのか……。
将聖はぼんやりと考えながら歩いていた。偵察のために仮設した作戦拠点で丸二日を過ごし、今朝ようやく地面に降り立ったのだ。
今は荷物をまとめ、西に向かって移動している。足かけ四日の樹上生活はかなり体に堪え、まだ全身の筋肉が強張ったままのように感じられた。大木に体を縛り付け、ほぼうつらうつらしながら過ごしていただけなのに、全体的には睡眠不足で頭が朦朧とし、足も泥の中を歩いているように重かった。
森を走り抜けた魔物の数は、確かに大きな群れではあったが思ったよりも少なかった。六日前の襲撃から時間が経っておらず、魔界域からベラガホースへ移動していた数がさほど多くはなかったからだろう。しかし、散発的な移動はだらだらと続き、ほぼ危険が去ったと判断できるまでにはこれほどの時間を要したのだった。
「この辺りで少し休もう。」
小さな沢にたどり着くと、ルグフリートがみなに声をかけた。疲れ切って無口になっていたのは将聖ばかりではなかったからだ。革袋の水はすでに尽き、全員丸一日水を飲んでいなかった。完全に魔物が去った保証はなく、森からは早く抜け出るべきだったし、また砦の様子も気になってはいたが、その前に今一度休憩を取り、体調を整える必要があることは明らかだった。
グンナルの砦から見咎められることが気になったが、木々の枝が鬱蒼と覆い被さっている場所を選んで、隊員たちは火を焚いた。沢の丸石を拾って焼け石を作り、それぞれが持参した真鍮の椀の中で湯を沸かす。
「隊長は、無事でしょうか……。」
休息してしばらくし、ようやく話せるようになると、うち萎れた様子で将聖が呟いた。大木の上にいる間もずっと、そればかり考えていたのだった。
「『いずれまた暴走は起こる』と隊長は言っていたんだ。予想ができていたんだったら、あの人は必ず何とかする。そういつまでも落ち込むな。」
「そうだぞーショーセ。結局、鬼熊も拠点までは現れなかったんだしさ。」
落ち込みの理由を理解しているロドハルトとイザクシルが、励ますように言った。湯冷ましを飲み、干し肉と干し葡萄を食べたせいか、二人も声に力が戻って来ていた。
「……ですが……。俺が刺激しなかったら鬼熊が動くこともあり得なかったんです。俺があいつらを引き寄せてしまったから、鎧蜥蜴まで刺激してしまいました。あの暴走を引き起こしたのは俺です。鬼熊の接近に気付いて、鎧蜥蜴が威嚇の声を上げたからです。」
「……。」
ロドハルトは溜息をつき、イザクシルは両腕を杖に、足を投げ出したまま首を振った。この将聖の言葉を否定することはできなかったからだった。将聖には何の罪もないことは知っているが、因果関係としては正しく、彼の偵察を契機にして暴走は始まっているからである。
「とはいえ、あれで鬼熊が四肢蛇の後を追って来たことが証明されましたよね? 巨狼が走り過ぎても潜伏を続けていた鎧蜥蜴が、今回はあんなに騒ぎ立てたわけですから。」
分析力のあるナダルナニエが言った。
「これで、鎧蜥蜴がとりわけ鬼熊を警戒していることも分かりましたし、鬼熊が四肢蛇の能力を当てにして行動していることも証明されたと私は思います。途中に潜む鎧蜥蜴に気付いていたら、おそらく鬼熊は行動を起こさなかったでしょうから。」
「それに、最後まで作戦拠点に現れなかったことを考えると、鬼熊は途中から引き返している。つまり鬼熊にとっても鎧蜥蜴は脅威なんだ。一度の偵察でこれほどの情報を持ち帰れるのは、ショーセ、お前がいたからなんだぞ?」
将聖を慰めようとするルグフリートの言葉に、ロドハルトがにやりと笑った。
「要するに、俺の予想は完全に外れていたってことだ。ショーセ。」
ロドハルトは言った。
「『鬼熊が作戦拠点まで追って来るかも知れない』っていうのがお前の考えだっただろ? 鎧蜥蜴に救ってもらわなければ、それが現実化していたってことだな。俺だって、相当致命的なミスを犯している。いやあ、危なかったな。」
「まったく……。ロディのお陰で助かったよ。」
聞いて、ルグフリートは溜息をついた。
「あそこで判断を誤っていたら、俺たちは確実に『暴走』に巻き込まれていた。冷静な意見に感謝している。」
どんなに最善を尽くしたとしても、物事は思い通り、確実に良い結果を出すとは限らない。吉と出るか凶と出るかは、その時の運次第なのだ。
だが、それでも「決断しなければならない時」はあるのだった。あの時迷ったまま動き出した事態に直面していたなら、戦略を定めたり罠を張ったりすることさえできず、終始後手に回って全滅していたかも知れないのである。
ロドハルトの意見があったからこそ、ルグフリートは腹を決めることができたのだ。
ナダルナニエやイザクシルにも、説明は不要だった。素直にルグフリートが感謝の意を示したので、ロドハルトは照れたように軽く肩をすくめた。
「みなさん、本当にありがとうございます。」
まだ背を丸めて地面に座り込んだまま、将聖は言った。
「俺に気遣いばかりさせて、すみません……。」
「ほらほら、もう謝らない。」
ナダルナニエがたしなめた。
「これ以上謝罪を口にしたら、隊長に言いつけますよ?」
「……はい。」
ザインの言葉を思い出し、どうにか笑顔を作って将聖は頷いた。
「それともう一つ。」
ザインに言及したことで、さらに何か思い出したのか、ナダルナニエは言葉を続けた。
「ショーセには『鎧蜥蜴が深手を負っている』ということを確認してもらいましたが、本当に隊長の予想は当たっていたわけですよ。そして、いまだにその傷が完治していないことも、あの暴走で証明されたわけです。この期に及んで鎧蜥蜴には動きが見られなかったわけですから。」
「それでも咆哮一つで、あそこまで魔物を怯えさせるんだからな……。確実に魔界域に追い払う方法が見つかればいいが。」
ルグフリートが首を振ると、ロドハルトがイザクシルの真似をして、足を前に投げ出しながらぼやいた。
「そういや魔狼や巨狼は簡単に浮足立っちまっていたようだが……、今回の四肢蛇は鎧蜥蜴様のお怒りにもめげず、だいーぶしつこかったな?」
「ええ。ずいぶん粘られました。」
ナダルナニエが言い、ルグフリートも頷いた。戦闘中、ずっと「いつになったら撤退するのか」と考えていたことを思い出す。
「四肢蛇ってのは、こっそり隠れて狙っていることを気づかれた時点で、大概逃げ出しちまう魔物だったはずだ。普段はあんなに諦めの悪い奴らじゃない。怒らせちまったらちょいと厄介だが、ザックなんか、穏便にお帰りいただくためにかなり上手く牽制していただろう? なのにあの夜は、なかなか引き下がろうとしなかったよな?」
「あはは。確かに、あの晩の四肢蛇はねちっこくてしつっこい奴らだったわ。」
振られたイザクシルは陽気な口調で応えた。日焼けした頬に、たくさんの皺の寄ったくしゃりとした笑みを浮かべる。実はザイン隊の隊員の中では唯一の三十代なのだが、気取らない性格のお陰か、まったくそんな年齢の差を感じさせなかった。
「どこにでもいるもんだねえ、いつまでも居座って帰らない迷惑な客ってのは。」
そう言ってから、何か思いついたように「お、そうだ」と呟いてイザクシルは身を起こした。座り直し、日にさらされてトウモロコシの髭のように色の抜けた金髪を掻きあげる。
「あともう一つ。俺は重要なことに気付いちまったんだが……。」
重々しくイザクシルは言い、人差し指を上げた。
「四肢蛇の鳴き声なんだけどな。ありゃ、豚に近いわ。」
「豚の声……?」
「そ。普段無口なのは雄に似ているし、低くて遠くまで響くのは、雌の発情期の声だろ。」
ナダルナニエがプスッと空気が抜けたような音を立てると、ルグフリートとロドハルトが声を上げて笑い始めた。つられて将聖も腹を揺すってしまう。一体何を言い出すのかと身構えた分だけ、笑いが収まらなかった。
落ち込む将聖を励ましながらも、みな疲れ切り、どこか精彩のない笑みを浮かべていた。
特にも「暴走」があったその時に、砦を留守にしていたことが彼らの心の重荷になっていた。ザインの安否を気遣っていたのは将聖ばかりではなかったのだが、どれだけ焦ってみたところで砦への距離が縮まるわけでもなく、みな一足飛びに帰り着けない自分たちの歩みに焦燥感を募らせていたのである。
イザクシルの「四肢蛇の鳴き声」説は、いかにもイザクシルらしく、そんな重苦しい空気を「ほっこり」させるような効果があったのだった。メンバーがみな明るい笑い声を上げているのを見て、イザクシルも満足そうににこにこと相好を崩した。
――そうか、豚か……。
たまに牧草刈りや豚糞の運び出しなどの仕事を依頼される、マシェアスの家の養豚場を将聖は思い出した。豚舎の掃除の方に気を取られていたので、改めて記憶を探ってみてもはっきりと雌豚の鳴き声を思い出せはしなかったのだが、言われてみれば確かに、姦しい雌豚の柵に比べると、雄豚の柵はぐっと静かだった印象がある。
豚の鳴き声、養豚農家のマシェアス、マシェアスの長男のヨルンと来て、将聖は芋づる式に優希のことを思い出した。「四肢蛇の声は発情期の雌豚の鳴き声」と言われて、優希ならどんな表情をするだろうか。
「リツカの奴、可哀想に……。あいつ、豚の鳴き声に怯えていたのか。瘴気酔いって怖えなあ?」
ケラケラ笑いながら、優希ならこれくらいは言ってしまいそうな気がする。
不意に将聖の胸に、この偵察から生きて帰れることへの喜びがこみ上げてきた。鬼熊の放つ瘴気を受けた時、身を隠す場所さえない大木の上で走り抜ける魔狼や巨狼の姿を見下ろしていた時、「もう駄目かもしれない」と思ったことは幾度となくあったのだ。
だが自分はちゃんと生き延び、砦に帰ることができる。
平和な日本から共にイザナリアに転生して来たせいだろうか。優希は将聖の「当たり前の日常」のトレードマークのような存在になっていた。脳裏に優希の笑顔が浮かんできた途端、ともかくも今回の任務は終わり、その「当たり前の日常」に帰るチャンスが繋がったことが将聖にも強く実感されて来たのである。
将聖の胸いっぱいに、安堵と感謝が広がっていった。
「それにしても、ショーセ。今回は回復が早かったですね。」
「そうですね。自分でも驚きました。」
ようやく屈託のない笑みを浮かべた将聖に、ナダルナニエも微笑んだ。
「何か良い回復方法が見つかったのですか?」
「よく分かりませんが、俺は青魔晶石よりも、普通の白魔石の方が上手く扱えるみたいなんです。安上がりなので自分でもありがたいですが。」
将聖は腰に付けた小さな革袋を外し、中身を手のひらの上にあけた。
幾つかの安っぽそうな白魔石に混じって、乳白色のガラスの欠片のような、きらきらと光を反射する破片が幾つか、袋の中からポロポロとこぼれ出て来た。ナダルナニエは、まだ気だるそうな身を乗り出してその破片を一つ指でつまんだが、すっかり脆くなっていたのか、持ち上げた途端それは粉々に崩れて散ってしまった。
「すごい。すっかり砕けてしまっていますね。」
白魔石は使用されるごとに、また時間の経過とともに内包した魔法粒子を吐き出してしまい、最後にはただの石になってしまう。純度の高い魔晶石ならさらに砕けて砂になってしまうのだが、魔石は不純物が多すぎるために、逆にその形状を留める傾向があった。市販の白魔石はそのほとんどが、元はと言えば魔物から取り出された黒魔石を加工したものである。だからだろうか、最終的なその残骸は多くの場合、軽石か骨の海綿質のような姿をしているのだった。
ボロボロになってしまったということは、将聖が持っていた物は、魔石とはいえ純度はそれなりに高かったのではないかと思われる。ナダルナニエは革袋から出て来たほかの白魔石も示して、将聖に尋ねた。
「そちらの魔石で今、疲れを取ることはできないんですか?」
「試してみたんですが、無理みたいです。こっちの魔石はそれほど馬力がないみたいで。」
庶民の間で出回っている安価な白魔石はすぐにその効力を失ってしまうため、なけなしの金をはたいては幾度となく、将聖はこの白魔石を買い替えていた。どのような作用が働けばこのような物体が魔物の体内で生成されるのか想像もつかないが、硬質な表面と意外に持ち重りする重量は、それが骨や爪とは異なる物質であることを告げている。きちんと処理されていれば、あからさまに「魔物の体から取り出した物」に見えることもなかった。
だが、不純物の多い白魔石はやはりどこか魔物を思い起こさせる青黒味を帯びた色合いをしていた。例えるなら、解体工事現場の周辺に落ちているコンクリートの破片に近い。時折そこに血溜まりのような黒い筋が入っていることもあり、それがその出自を彷彿とさせて生々しいのだった。
残っている魔石はみな、そんな安物の特徴を示した小粒のものばかりだったのだ。
「回復に使えたのは、魔石と魔晶石の中間くらいの透明がかった石でした。今思えば、結構な掘り出し物だったのかも知れません。」
「それならそいつは、治癒系の魔法を使える魔法使いが持っていた魔石の質流れ品かもしれないな。」
将聖の言葉を聞いて、隣からロドハルトが口を挟んだ。
「医療関連の『魔石職人』はメドーシェン市にはいないからな。」
バレルドのように自分自身の感覚を増幅させ、遠く離れた場所の様子を見たり音を聞いたりするような能力や、ミシュハルフやルムリャのように魔法粒子を操作して空気の渦を作るような能力、アーシファのように思念を直接相手に伝える能力を持つ者たちを総称して、イザナリアでは「魔法使い」と呼んでいる。要するに「単独でその能力を具現化させ得るほど強い魔法を使うことができる者」を「魔法使い」と定義しているわけだ。そして「魔法使い」は数が少ないため、貴重な存在とされているのだった。
一方で、イザナリアには「白魔石に特別な能力を与え、一定の用途に合わせて使用可能にする」という、一種の「付与魔法」のような能力を持つ者ならば、意外に数多く存在しているのだった。彼らに「魔法使い」の呼称は使われないが、それでも「魔法を使っている」ことに変わりはなく、イザナリアが「魔法が当たり前のように存在する」世界であることを如実に示す人々と言うこともできるのかも知れない。
将聖が寄寓先として世話になっている園芸農家のハノスは、白魔石に熱を発生させる能力を持っている。それを冬季の畑の温度管理に利用しているのだ。
また蠟燭代わりに使われている白魔石の照明や、冬場の監視塔で魔物を警戒する見張り番がしばしば携帯する白魔石の懐炉は、「魔石職人」によって「加工」が施されたものなのだった。こういった白魔石の加工品は高価ではあるが、メドーシェン市内でもごく普通に売られているのである。
規模の大きな神殿には必ず備え付けられているという白魔晶石を動力源とした時計を、将聖もメドーシェン神殿で見たことがあるし、ダイガン屋敷では中央都市でも滅多にお目にかかれないという「魔石コンロ」を所持していると聞いたこともあった。火力はまだ今一つのようだが、ラノベでいうところの「生活系魔道具」と呼べそうな商品が、イザナリアでもすでに市場に出回っていたのである。
言うなれば魔石や魔晶石は、「その内包する魔法粒子に、魔法を使うことのできる者が『能力を同調させる』ことにより、『同じ作用』を引き出すことができる道具である」と定義することができるかもしれない。だから「魔石職人」にとって、白魔石は蝋燭や懐炉といった道具を作り出すための「原料」となり、「魔法使い」にとってはその能力を増幅させるための「触媒」となり得るというわけである。
ロドハルトが言う「治癒系の魔法を使える魔法使いが持っていた魔石の質流れ品」という意見は、要するに「購買目的で加工された『回復系魔石』ではないが、治癒の能力を持つ魔法使いに使われ続けることによって『自然と回復の能力が備わってしまった魔石』なのではないか」という意味なのだった。
「あ、なるほど……。そういうことかもしれませんね。」
将聖も頷いた。残念ながら、自分には回復系の能力はないのではないかと薄々思ってはいたのである。
「メドーシェンに帰ったら、この白魔石を売ってくれた店に行って、どこで仕入れたのか聞いてみます。」
「お。それなら、その店を俺にも教えてくれよな?」
身を乗り出してそう言ったのはイザクシルだった。
「最近は魔物が増えすぎたせいで、魔石もずいぶん出回るようになったんだが、きちんと加工されていない石を扱うもぐりの売人が多くなってきたんだよな。最近、俺の鏑矢は鳴りが悪い気がするんだ。」
イザクシルも「付与魔法」の能力を持っている。その能力を白魔石の小さな破片に注ぎ込み、矢尻に打ち込んで使っていた。この白魔石が鏑矢の音響を上げたり、征矢が飛翔する際に、短時間空中にその軌跡が残ったりするような効果を与えているのである。殺傷力を高めるような能力ではないところが、いかにもイザクシルらしい。
「はい。では、その時はお声がけしますね。」
「なんだよ。ザック一人だけ連れて行く気じゃないだろうな。俺も誘え。」
将聖が応じると、ロドハルトが投げ出した足の爪先だけを回して、将聖のふくらはぎをぽんぽんと叩きながら言った。
「ロディ。水を飲んだくらいで酔ったんですか? そんなに絡まなくたっていいじゃないですか。私は勝手について行きますよ?」
「俺も行く。まだメドーシェン市は目抜き通り以外、知らない店が多いからな。」
ナダルナニエとルグフリートもそう言いだしたので、結局全員連れて行くことになるのか、と将聖は苦笑いをした。ティーカからハイランダー式の戦闘訓練を受けていた時も、彼らはいつも連れ立っていた。共に何度も死線を潜り抜けることで、分かちがたい絆を感じるからなのだろう。
「分かりました。その時はちゃんと、みなさん全員お連れします。」
思わず溜息交じりになりながら、将聖は承諾した。「よし」とロドハルトは笑顔になったが、その爪先はそれでもまだ将聖のふくらはぎを柔らかく叩いていた。
しばらくして、ルグフリートが言った。
「もうそろそろ、出発するか。」
「そうですね。」
ナダルナニエが応じる。
ロドハルトが焚火を消している間に、イザクシルと将聖は椀の湯冷ましを革袋に詰め替えた。残った焼け石を使って沸かしておいたものだった。ルグフリートとナダルナニエも糧食の袋をしまい、荷物をまとめる。
再びロドハルトを先頭に、みな歩き始めた。魔物たちが踏み荒らして道を作っている場所は多かったが、やはり往路同様、その行程は楽ではなかった。巨狼なら一足飛びに越えてしまうような急斜面や沢も、将聖たちにとってはおいそれと簡単に越えることができない場所が多かったからである。鬱蒼としたヴァイラメッヒの森では元来た道を探し出すのも困難で、結局復路もまた、藪の袋小路に入って枝や雑草をかき分けたり、迂回したりしながらの長い道のりとなったのだった。
ようやく人の手が入っている道に入った時は、みなほっとした表情を浮かべた。そしてしばらくし、色づいた木々の隙間からグンナルの砦が見えて来た頃だった。
――何かおかしい。
嫌な予感がして、将聖は立ち止まった。ルグフリートらも驚いて振り返り、歩みを止める。
砦に魔物の群れの襲撃があったことは分かっていた。この偵察の当初に気付いていた瘴気の残滓を、また周囲に色濃く感じる。相応の被害が出ていることも覚悟していた。出発前から連日立ち昇っていた、死者を火葬していることを示す黒い煙が数本、今日も中空に向かって伸びている。
「待ってください。人の気配がします。」
低い声で将聖は言った。少し離れた場所に、いくつかの隊に分かれた人々がいるのを感じる。気になるのは彼らがみな藪陰に気配を殺しており、殺気に近いビリビリとした空気をまとっているということだった。魔物の襲撃があった後なのだから当然のことかも知れないが、それぞれの隊の人数は二、三人といったところである。魔狼や巨狼を警戒しているとすれば、余りにも少ない隊編成だ。
――グンナル騎士団の騎士たちだ……。
その数と動きから、将聖はすぐにその正体を察した。
しかし、たしかグンナル騎士団の上層部は、自団の騎士が大渓谷の対岸で戦うことはおろか、それ以外の作戦行動を取ることさえ嫌がっていたはずだ。何故彼らはこの森の中に潜んでいるのだろう。
――まるで俺たちの帰還を待ち構えているようだ。
将聖は思った。索敵能力のお陰でまだ距離に余裕があるうちに気付くことができたが、迂回しようにも、どうやらルドガ大渓谷の対岸に渡れる箇所は全て彼らによって押さえられているようである。
将聖は感じたままをルグフリートに伝えた。人の気配はグンナル騎士団の騎士たちのもので、彼らの行動は待ち伏せのように思われること。このまま進めば否応なく彼らと鉢合わせることになりそうだと告げる。将聖たちはザインから秘密裏に行動するよう指示を受けている。おそらくザインは初めから「この偵察では、魔物を刺激してしまうことは避けられないだろう」と予想していたのだろう。今ここでグンナル騎士団に見つかるのは得策とは言い難かった。
ルグフリートは眉を顰めたが、決断は早かった。
「夜を待とう。」
これまでの状況から、グンナル騎士団の者が夜通しこの森の中をうろつき回ることは考えにくかった。できるだけ早く帰還して、ザインに偵察の結果を報告したいところではあるが、丸四日砦を離れた後では、それが一日増えたところで大差はない。
ほかのメンバーもそろって頷いた。
闇に紛れ、ザイン隊は大渓谷の上流を目指して歩いていた。将聖を先頭に、できるだけ目立たぬ場所でソーサノルド川を越えるためである。
夜になり、ほとんどのグンナル騎士団の騎士たちは対岸の砦に戻って行った。しかし、一部の騎士たちは依然としてヴァイラメッヒの森に潜んだままである。このように、もっと早くに渓谷の対岸への戦力の配備を決断していたなら防衛に有利な環境を作ることも、襲撃を受けた際の被害を減らすこともできただろうに、と思うのだが、今もってそれが「魔物への対策」のために行われているわけではなさそうなのが何やら腹立たしかった。
どうやらザイン隊が秘密裏に偵察に出たことを、グンナル騎士団に勘づかれてしまったようである。しかもそれが気に入らないのか、帰り道を塞ぐように隠れ潜んで待ち構えているようだ。まるでザイン隊を犯罪者のように見做し、現行犯で取り押さえようとしているかのようである。
それでも将聖は、その理不尽さを敢えて考えないように努めていた。
今は冷静さが何よりも必要だった。落ち着いてグンナル騎士団の騎士たちから距離を保ちつつ、ルグフリートらを砦に帰還させなければならない。
魔物に踏みつけられ、丈の高い青草が横倒しになっている場所を歩いていた時だった。
パキッ。
将聖の足が何かを踏みつけた。驚く暇もなかった。聞き慣れてしまったその音の正体に気付いた時には、くるぶしに巻き付いた紐がその体を逆さに吊り上げていた。
「ショーセ!」
低くナダルナニエが叫んだ。ロドハルトが手を伸ばす。大きく踏み出した足の下で、今度は地面が音を立てて崩れ落ちた。
「ダン! ロディ!」
ルグフリートが声を上げる。二人に手を貸そうと乗り出したその体を、イザクシルが後ろから抱きかかえて引き留めた。直後に、またさらに広い範囲の地面が崩落する。
――ダンさんっ。ロディさんっ!
吊り上げられた反動で息を吐き切ってしまい、声も出せぬまま将聖は目を見開いた。
対魔物用の罠なら、乱杭が仕掛けられている可能性があるのだ。誤ってそこに落ちたのなら無傷では済まない。そればかりか、命の危険すらある。
そんな最悪の事態が脳裏をよぎったのだが、二人は無事だった。かかったのは単純な落とし穴だったようである。
だが予想以上にその奥行きは深かった。跳躍力のある巨狼でも、簡単には脱出できないほどの高低差がある。二度目の崩落で舞い上がった土煙に咳き込みながら、それでも落ちた二人はすぐに立ち上がり、脱出する可能性を探して罠の縁を振り仰いでいた。
音に反応するように、近づいて来る気配があった。森に潜む幾組かの小隊がすべて、こちらに集まって来るのを感じる。
対応が早い。意味するところに気付いて、将聖は唸り声を上げた。
罠を張るのは、自分たちが四肢蛇を撃退する時にも使った手段だ。同じ手口に引っ掛かってしまったことに対する屈辱感もあったが、魔物相手に仕掛ける際には散々渋ったグンナル騎士団が、ザイン隊を相手には平然と用いてきたことへの怒りも募った。
「ルー、誰か来ます!」
低く叫んでから、将聖は山刀を引き抜き、くるぶしの紐を切ろうとした。腹筋で身を折り曲げ刀を振るおうとするが、背中の荷物の重みが邪魔して手が届かない。いったん荷物を放り投げ、もう一度くるぶしに向かって身を起こすと、頭から地面に落ちることも覚悟のうえで、再度山刀を大きく振った。
紐は細く、硬かった。将聖自身の体重で張り詰めているにもかかわらず、切断するには至らない。弾力性があり、渾身の山刀の一撃でも表面が小さく削れる程度である。よくよく目を凝らすと細く綯った麻紐を更に組み紐状に組んだ精巧な造りで、かなりの強度があるのが見て取れた。
「クソっ。」
将聖は呻いた。これほどの罠を仕掛けてくるのは、相手がその対象を「巨狼や魔狼よりも知性があり、切断可能な道具を所持する者」と想定しているからに他ならない。
森の中から複数の足音が迫って来た。
木々の陰からその姿が現れると、輪を作ってザイン隊をぐるりと取り巻く。
リーダー格と思われる騎士が言った。
「見つけたぞ。裏切り者ども。」




