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俺たちは勇者じゃない  作者: 陶子
44/49

Side story _クルサーティリ防衛線_07

 ――何だか、遠足にでも行くような気分だな。

 将聖は思った。

 食料を背負い、手にした杖で下生えをかき分けながら、色づいた木々の間を進んでいく。周囲への警戒を怠ることはできないが、久しぶりに森に入ったのと、疲れ切った表情(かお)をしたグンナル騎士団の騎士たちの気配がないというだけで、心が浮き立つのを押さえられなかった。天候までからりと晴れて、陽の光が鮮やかな紅葉越しに降り注いでくる。

 ここはヴァイラメッヒの森の中。

 ルドガ大渓谷の、グンナルの砦の対岸である。

 グンナルの砦の対岸正面は小さな支流が走っており、細いがやや深い沢が形成されている。左右の台地はその沢に向かってなだらかに落ち窪み、低い対岸部の中でも特に渓谷の河床に近かった。いわば開口部の広い漏斗(ろうと)のような地形である。そのためだろうか、魔物は渓谷に降りやすいこの沢周辺に特に集まりやすく、勇者井上(イノーエ)の時代もこの場所が防衛の拠点となっていたのだった。

 だが、その沢の対岸は大きな岩壁が立ちはだかり、魔物の直進を阻んでいる。「グンナルの砦」である。かつてはこの岩壁こそがその名で呼ばれ、敬われていたのだった。この付近は大渓谷も大きく蛇行しているため、河床に降りた魔物を弓矢で縦横から狙うことも可能だった。しかも支流の両岸も谷のように切れ込んでいるため、狭い上にいまだに浸食が進まず、ごろごろと岩が散らばっていて足場が悪い。ここを駆け下りる魔物にとって決して安全な道とは言えず、そのため接近に対策し易く、とても守備し易い場所なのである。

 とはいえ勇者井上(イノーエ)の時代には、その支流周辺はおろか、ヴァイラメッヒの森さえも埋め尽くすほどの魔物が押し寄せ、大渓谷の底にひしめいたのだという。それを完全に封殺することは不可能で、魔物たちは下流から谷のクルサーティリ側へ駆け上がり、砦を包囲して勇者井上(イノーエ)を苦しめたのだった。砦前の広い河岸を抜け切ることができれば、ソーサノルド川の下流にはクルサーティリ側から流れ込む支流もいくつか存在するため、その沢伝いに魔物が駆け上がることも容易である。もちろん川下にも魔物の接近を知らせるための監視塔は設けられているが、この広い河岸一帯を全て防壁で囲む事など出来はしない。

 ここまで来てしまえば、もう魔物の足を止める事はできない。だから砦を守る者たちにとっては、このグンナルの砦付近で確実に魔物を止めることが最重要課題となっているのだ。

 砦には、南北二箇所に見張り台が設置され、昼夜を問わずグンナル騎士団が監視をしている。

 その見張りの厳しい目をかい潜るように、将聖たちは大渓谷の上流から大きく迂回してソーサノルド川を越えたのだった。まだ暗いうちに出発したのと、将聖が見張りの位置を捉えて常にその死角に入るように移動したため、背後に対する懸念はない。

「歩きやすい森ですね。」

「そうだな。」

 将聖の呟きに、ルグフリートが応えた。

 ヴァイラメッヒの森の大渓谷側は炭焼きに使われているため、細い道が通っている。邪魔な枝が払われ、適度に間引かれてよく管理されたその内部は、この半年ほど人が入らなかったとはいえ、とても歩きやすかった。

「やはり魔物もこの道を使っていますね。ほら、ショーセ。そこに足跡が残っていますよ。」

「あの沢に魔物が集中するのはそのせいもあるのかもな。この森に入る時は、木こりや狩人もあの沢伝いに渓谷を上るから、ここらの道は大体あの沢に通じているんだ。」

「ああ、なるほど……。なら、この辺りの道を利用する手があるな。谷のこちら側で魔物を迎え撃つなら、この道に罠を張ってみてもいいかもしれない。」

「罠を張るなら、こっち側に(やぐら)も置かないか、ルー。それ一つあるだけで全然違うんだわ。渓谷越しに弓矢で狙うのは大変でねえ。」

 進みながら、ルグフリートたちは気づいたことを思い思いに口にした。しっかりと任務を意識した会話であるが、どこか口調がのんびりとしている。久しぶりに、親しい顔ぶれだけが揃った遠出である。作戦行動には違いなく、魔物が潜んでいると思われる方角に向かって交代で露払いを務めながら進んでいるのだが、砦を離れていくにつれ、募る解放感が抑えられなかった。

「う、わ……っ。」

 不意に体に弱い電流が走ったように感じて、将聖は声を上げた。決して嫌な感覚ではなく、冷たい水に肌の内側を洗われたような心地よさがある。続いて背中の強張りが解け、全身の至る所から妙な力が抜けていった。知らぬ間に外部から強いストレスを受けており、それに耐えていたらしい。

「大丈夫か、ショーセ。」

 異変に気付いたらしく、ルグフリートがすぐに振り返った。

「は、はい。大丈夫です。」

 こくこくと(うなず)いて応えてから、将聖は周囲を見回した。

「こちら側に来たら、急に感覚が開けたような気がするんです。」

 どう説明したらいいかと、少しの間将聖は迷った。

 端的に言えば、鈍っていた索敵能力の感度が戻って来たのだ。おそらくここは、渓谷の底にいるよりも魔法粒子(イリューン)の流れがいいのだろう。これほど鬱蒼と木々が茂っているにもかかわらず、失われた五感をまた取り戻したのではないか、と思わせるほどの鮮烈さがある。

 肌感覚が森の奥まで広がったような、と言えばいいのだろうか。魔物がいない(いとま)を伺うように素早く飛び回る野鳥の気配が、肩に触れられたように生々しく感じ取れていた。

 むしろ河原や砦の向こうにいた時の、あの目や耳を塞がれたような感覚は一体何だったのだろうと将聖は思った。魔物を大量に殺し過ぎたせいで、周辺に大量の瘴気(ヌアン)が籠っているのかも知れない。

「分かるぞ。今、急に体が軽くなったよな?」

 ロドハルトが同調する声を上げる。

「ええ。視界も開けた気がします。急に辺りが色鮮やかになったというか……。」

「あー。しかも、音までよく聞こえるわ。」

 先頭を行くナダルナニエと、そのすぐ後ろを弓矢を手にしたまま追うイザクシルも(うなず)いた。

「砦付近は大丈夫なのでしょうか? 回収し忘れた魔物の死骸が川底に残っていたりしなければいいのですが。」

「帰ったら要確認、だな。隊長にも報告しておく。」

 眉を顰めるナダルナニエに、副隊長のルグフリートが同意した。

 ――なるほど、そういう事もあるのか。

 将聖は心の中で感心した。この派遣部隊に参加してから、学ぶことは多い。

「ショーセ。少しは分かりやすくなったか?」

 ルグフリートは将聖を振り返った。

「はい。距離が伸びているかどうかは分かりませんが、手応えは感じます。」

「だからといって、ここから『鎧蜥蜴(ガーヒーク)』を『視』に行っては駄目ですよ。分かっているとは思いますが。」

 心配性のナダルナニエがそっと釘を刺す。将聖は笑って「はい」と応えた。

 いまだ「清浄域」に分類されているとはいえ、時として魔物が大群で現れるこのヴァイラメッヒの森で、体力を使い果たして倒れるわけには行かないのだ。その辺りの判断は将聖にもつく。

「おーい。先行くぞぉ。」

 イザクシルが気負いのない声で呼びかけてきた。

 索敵範囲を絞ってはいるが、前方に強い魔法粒子(イリューン)の流れを感じる。魔物特有の乱れた波長なので、瘴気(ヌアン)と断定して間違いない。

 その瘴気(ヌアン)の発する場所に、鎧蜥蜴(ガーヒーク)がいる。

 将聖は革製の胴着の上から軽く胸を叩いた。そこにアーシファからもらった小刀がぶら下がっている。

 気を引き締め直し、将聖は再び前進し始めた。



「大分奥まで来たよな?」

 またしばらく歩いた後で、ルグフリートが言った。周囲の様子がすっかり様変わりしたからだった。

 ヴァイラメッヒの森の渓谷側は日本でいう「里山」だった。それに対し、ベラガホース側は「奥山」だ。下生えが密生し、木々も間引かれていない手つかずの自然林が広がっている。

 すでに境界域の道なき道を進んでずいぶん経つ。なかなか近づくことができないと思っていたベラガホースが、いつしか(こずえ)越しにぐっと迫っていた。

 ルグフリートが確かめるようにみなに問いかけたのには理由があった。

 やはり、魔物がいない。

 それは将聖以外のザイン隊の隊員たちにとって、異常事態とさえ思える状況だった。

 以前ルグフリートたちが駐屯していたヴァイズ・ルフスにも、一時期鎧蜥蜴(ガーヒーク)が現れたことがあった。負傷していた時に限るが、当時は遠く離れた監視塔からさえその姿を視認することができ、そうでなくてもその存在感は、頻繁に表れる巨狼(ワーグ)魔狼(ガルム)の群れによってまざまざと見せつけられたのである。これらの脚力のある中型の魔物は、群れとなって連日のように近隣の集落や農地を駆け抜け、人々や家畜を傷つけ、殺し、家屋ほかの建造物にさえ甚大な被害を与えたのだった。そのいつ終わるとも知れない危険と隣り合わせの日々により、多くの者が情緒不安定になり、鎧蜥蜴(ガーヒーク)が去った後でさえ長くその恐怖に苦しんだのである。

 そんな戦地の経験を持つルグフリートたちには、この静かな森の様子がかえって不気味に感じられるのだった。突風に煽られ地面を転がるように舞う落ち葉や、木の枝がぽきりと折れる音にさえ、過敏に反応してしまう。

「ショーセ。近くに何か、魔物はいるか?」

 みなの視線が将聖に集まる。これほど信頼されるとかえって重圧(プレッシャー)を感じてしまうが、慎重に周囲を確かめてから、将聖も首を横に振った。この先の森の奥も、恐らく魔物と接敵する確率は低いように思われる。

「このままでは、鎧蜥蜴(ガーヒーク)のねぐらへ直行してしまいますね。」

 そう将聖が告げると、ルグフリートは髪を指で梳き上げながらのほほんとぼやいた。

「いい男揃いだからなあ、俺たちは。歓迎されてしまったか。」

 ロドハルトが受けた。

「この手の誘いには、いい思い出があまりないんだ。俺はもう少し慎ましやかな()が好みでな。」

「すぐ誘いに乗るからいけないんですよ、ロディ。あなたは安易に笑顔を振りまき過ぎなんです。ちゃんと相手を見ないと、食いつかれますよ?」

「まあ、ダンなら相手が誰だってそうだろ。」

 ナダルナニエも冗談に加わり、イザクシルも口を挟みながら肩を震わせる。

 将聖も一緒になって笑ったが、みなが緊張をほぐすためにわざと軽口を叩いていることを感じ取っていた。

 どれくらいの距離を進んだのかは、誰にも分からなかった。木材の切り出しや粗朶(そだ)集め、炭焼きでこの森に入る人々が使う林道はすでに越えてしまい、この辺りは地図にもなく、目印になるようなものもない地点である。途中で迂回を余儀なくされた場所も数箇所あり、体感的にはかなりの距離を踏破した感覚があった。

 もはやそう簡単にこの森から抜け出すことはできない。

 そう思うと、口の中が妙に乾いて仕方がなかった。何者かにここまで誘い込まれたような、不吉な想像をしてしまいそうになる。

「これ以上、鎧蜥蜴(ガーヒーク)に近づくのは危険だと思うが……?」

 ルグフリートが訊いた。

「……はい。もう十分接近できたと思います。」

 将聖は声を固くして応える。

「よし。じゃあ、先に作戦拠点を確保しよう。」

 その指示に、みな一様に(うなず)いた。ルグフリートとナダルナニエ、将聖の三人と、ロドハルト、イザクシルの二人がそれぞれ一組となり、この辺りで一番大きな木とその近くの大木に登る。邪魔な枝を払い、魔狼(ガルム)巨狼(ワーグ)も届かない場所に素早く上り下りできるように(つな)を垂らした。巨狼(ワーグ)が体当たりで大木を揺さぶっても簡単に落下しないよう、太い枝と枝の間にも(つな)をかけ、その上に(あみ)を被せて固く縛る。

 その(あみ)の周辺には、最初に払った枝を縛り付けた。足場になるほどの強度はないが、目隠しにはなる。持って来た糧食を運び上げて、これも邪魔にならない場所を選んで縛り付けた。

 ごく簡単な造りだが、短時間のうちに、二本の大木の上に寝場所を兼ねた作戦拠点が出来上がっていった。イザクシルとロドハルトが担当した木は、より見張り台としての役割を強くしているため、足場は確保されているが目隠しはされていない。イザクシルの矢を遮ってしまうからだ。

「ショーセ。他の事は気にしなくていいからな。」

 ロドハルトが言った。すでにイザクシルとナダルナニエは見張りの木に移っている。

「始めてくれ。」

 ルグフリートが将聖の体を木に固定している(つな)の結び目を確かめてから言った。体を縛るのは、長距離の索敵を行っている間、将聖はほぼ気を失っているような状態にあるからだ。目覚めてからもしばらくは激しい消耗のため動けない。そんな最中に突如魔物が襲来し、ほかの者の意識がそちらに取られても、将聖の体が地面に落下することがないよう予防策として行っているのである。

 加えてルグフリートとロドハルトが傍に控えている。万が一飛び上がった巨狼(ワーグ)の牙がこの高さまで届いたとしても、その体は確実に守られるはずだ。

 すうううう……。はああああ……。

 すうううう……。はああああ……。

 将聖は目を閉じ、何度も深呼吸をした。右手の中に左手を握りこむようにして、意識をベラガホースの山裾の一画へ集中させる。

 将聖の頭がゆっくりと下がっていった。全身が脱力し、まるで居眠りでもしているかのようだ。

 だが、その胸元に灯る青い光が、眠っているわけではないと告げている。淡い光だが服と胴着の隙間から漏れ出して、(あご)や首筋の辺りを照らしていた。

「出発したか。」

 ロドハルトが言った。

「ああ。」

 将聖の顔を覗き込んでいたルグフリートはそれだけ呟くと、顔を上げ真剣な面持ちでディフリューガル山脈の山並みに目を移した。



 将聖の意識は、鎧蜥蜴(ガーヒーク)の下までたどり着いていた。大きく迂回をしたが、時間的にはさほどのロスを感じない。戦闘後ではなくさほど疲れがないせいか、よく集中できているのだろう。

 迂回したのは、大事を取るためだった。感覚を飛ばしているだけなので、今の将聖なら生い茂った下生えや木の幹も()けずに突っ切ることができる。だが、鎧蜥蜴(ガーヒーク)にも索敵能力があり、何かの気配が接近していることを気取られていた場合、その道筋を逆走して自分たちの隠れている大木まで直行されては困るからだった。

 鎧蜥蜴(ガーヒーク)の存在感は圧倒的だった。気圧(けお)されて、前進できなくなったことも一度や二度ではない。将聖は幽体分離などをしているわけではなく、魔法粒子(イリューン)に自分の感覚を乗せて飛ばしているだけなのだ。その魔法粒子(イリューン)が乱されれば、当然先へ進む事などできなくなる。最悪、出発地点を変えて一から出直すことも考えたが、しっかりと大地に根を張る周囲の木々に身を隠すことで、ここまでたどり着くことができたのだった。

 これらの木々の放つ魔法粒子(イリューン)は微弱である。今の将聖の目には、その姿は半ば透き通り、エックス線が捉えた影のようにしか見えない。だが、それでも力強い盾となって鎧蜥蜴(ガーヒーク)に接近するための死角を作ってくれるのだ。

 ――地球世界(アルウィンディア)だって食物連鎖の下層にいる生き物のほうが、上層の生き物より圧倒的に数が多いからな。イザナリアでも、大量の魔法粒子(イリューン)を保持するものだけが強者ではないっていうことか……。

 そう思うと何やら感慨深いものがある。そんな思考の寄り道をしながら、鎧蜥蜴(ガーヒーク)の様子を探るために、ゆっくりと木陰から首を伸ばした(ヽヽヽヽヽヽ)時だった。

 ――ぐっ!

 将聖の意識の頭(ヽヽヽヽ)がのけぞった。

 そのまま、感覚が遠い肉体に戻りそうになる。すんでのところでその場に留まり、今度は慎重に、鎧蜥蜴(ガーヒーク)の方向に意識を戻した。

 ――これほどとは……。

 将聖の背筋に寒気が走った(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)。この魔物から放たれている瘴気(ヌアン)の量はただ事ではない。例えるなら、台風で増水した川の濁流に、あと一歩のところまで肉薄されている気分だった。何もかも押し流す、暴力的なまでのエネルギーがすぐ目の前にあり、それに飲み込まれてしまいそうなあの感覚である。

 凄まじい恐怖に、一瞬体がわなないた(ヽヽヽヽヽヽ)。だがそれを押し留め、あえて時間をかけながら、将聖は鎧蜥蜴(ガーヒーク)の様子を観察し始めた。

 ――メドーシェン市の市門のアーチに肩が届くくらいの体高(たいこう)、か。ルーの言った通りだな。

 最初に視線(ヽヽ)が行ったのは、やはりその体の大きさだった。本来なら将聖の実力では、バレルドほど詳細な索敵は出来ない。だが、今日に限っては将聖にも、鎧蜥蜴(ガーヒーク)やその周囲の状況をつかむことができた。大量の瘴気(ヌアン)が教えてくれるのだ。お陰でその姿さえ、ほぼ目で見るように捉えることができる。

 ――すごいな、この大きさ。やはり巨狼(ワーグ)とは比べ物にならない。

 今さらのように将聖は思った。巨狼(ワーグ)をミニバンに例えるならば、鎧蜥蜴(ガーヒーク)はまさしく二トントラックである。

 頭頂部と顎、それと四肢に強烈なエネルギーの流れを感じた。巨狼(ワーグ)と似た流れだ。ずんぐりとした体つきをしているが、獲物に素早い動きで飛びかかり、顎でかみ砕くスタイルは同じなのだろう。特にも、頭頂部から発する瘴気(ヌアン)の強さは別格である。

 さまざまな文献に詳しいザインによれば、過去の勇者の手記には「鎧蜥蜴(ガーヒーク)はその重量を武器に突進し、頭突きで防御を蹴散らしてくる」と書き記されているのだそうである。そのほかの人々の記録にも、鎧蜥蜴(ガーヒーク)には密集隊列もバリケードも突き崩され、その突貫力に非常に手を焼いたことが記されているとのことだった。

 確かにこの二トントラックが突っ込んで来たなら、迎え撃つのは至難の業だろう。当時は市門さえも簡単に破壊して乗り込んで来たため、内部から破壊された城塞都市も少なくなかったのだという。

 ――でも、巨狼(ワーグ)のような三次元の動きは、絶対にムリみたいだ。

 鎧蜥蜴(ガーヒーク)の巨大な頭部を見ながら将聖は思った。跳躍するには向かない体つきだ。その突進の最中(さなか)に突然方向転換することも難しいだろう。少なくともその進行方向はあらかじめ予測することが可能なように思われる。

 さらに鎧蜥蜴(ガーヒーク)の様子を観察して、将聖はそのことに目を留めた。

 ――やはり、隊長が予想した通りか……。

 負傷している。

 鎧蜥蜴(ガーヒーク)の体はボロボロだった。全身の至る所に瘴気(ヌアン)を大量に放出している部分がある。回復させているのだ。まだ新しい傷口なのか、それともだいぶ治癒が進んだものなのかまでは分からない。だが、それでもその放たれる瘴気(ヌアン)の量から、かなりの深手だということだけは将聖にも窺い知ることができた。

 ――こいつは間違いなく、今簡単には動けない状態にある。

 それはザインが想定していた事だった。過去の経験から、負傷していることだけはルグフリートらも予測できていたようである。

 だが、「深手」と断定したのはザインだった。少ない手掛かりからそんな事まで推測できてしまうところが「エク・セドラス騎士団の智将」と呼ばれる所以(ゆえん)なのだろう。

 将聖は周辺の様子にも注意を向けた。これほどの瘴気(ヌアン)が放出されているのなら、周囲を魔物がうろついていてもおかしくはないからだ。「黒魔石使い(ヌアンバゼルグ)」のように回復能力を持つ魔物の中には、時に自身よりも格上の魔物にさえ襲いかかる者がいる。

 ――何もいない。理由は、あれか……。

 将聖は鎧蜥蜴(ガーヒーク)の体を包んでいるものに注目した。

 鎧蜥蜴(ガーヒーク)は、岩穴の中に隠れている。

 それは高山ベラガホースを水源とすると思われる伏流水が地面の中央を走った、少し奥行きを感じさせる洞窟だった。洞窟の内側は、その巨大な体躯にほぼ埋め尽くされている。

 ほかの魔物の姿を見ないわけだ、と将聖は思った。

 洞窟はまるで鎧蜥蜴(ガーヒーク)の鎧のようにその体を守っている。狩りのために岩場に潜伏するオオカミウオのような位置取りだ。もし接近するなら入り口付近、つまり鎧蜥蜴(ガーヒーク)の正面から向かうしかないのだが、うっかりその入り口に立とうものなら、瞬時にその大きな顎に捕らえられてしまうことになる。

 もしかしたら実際に、鎧蜥蜴(ガーヒーク)の足元には魔法粒子(イリューン)を吸い取られた魔物の死骸が積み重なっているのかもしれない。その可能性もなくはなかった。一向にお目にかかれないヴァイラメッヒの森中の魔物は、実は死骸となってこの洞窟の周辺にうち捨てられているということもあり得るのである。これまで将聖に感知できなかったのは、鎧蜥蜴(ガーヒーク)瘴気(ヌアン)のために、その死骸がわずかに留める瘴気(ヌアン)が打ち消されてしまっているからかも知れない。

 とはいえ様子を伺う限り、たとえ狩りのためであっても、この魔物に動こうとする気配はないように思われた。まるで「今は雌伏(しふく)の時」と決意しているかのように、そこに静かに身を横たえている。さらに言うなら、大分長い間この伏流水の流れる洞窟から動けなかったのではないかという印象があった。周辺には最近踏みしだかれた下生えも、倒木や枝の折れた木々も見られないからだ。

 ――大丈夫だ。こいつは、俺には気づかない。

 将聖は自分に言い聞かせた。

 立ち込める瘴気(ヌアン)は濃い。動きはないといっても、その岩塊がのしかかってくるような圧迫感だけで息苦しさを感じるほどだ。

 しかしこれほどの瘴気(ヌアン)を自身で抑えることができず、洞窟に隠れるしかないとするならば、鎧蜥蜴(ガーヒーク)にはいわゆる「逆探知」のような能力はないといえそうだった。要するに、今の将聖のような「実体のない魔法粒子(イリューン)の接近」に気づくことはできないのだ。確証は持てないが、自分の放つ瘴気(ヌアン)の反射を使って獲物の接近を把握している可能性が高い。

 それでも相手が相手だけに、一応距離を取ったまま、将聖は次の行動について思案した。ザインが将聖たちに指示したのは、この鎧蜥蜴(ガーヒーク)の偵察ばかりではなかったのだ。

鬼熊(メラグ)を探し出せ。一度だけ、魔狩人(シーカー)に目撃されている。」

 そう言われて面食らったのは、将聖ばかりではなかった。ほかの隊員たちも、虚を突かれた様子で目を見張っていた。前向きなグンナル騎士団の協力が見込まれない中、鎧蜥蜴(ガーヒーク)の対策だけでも頭を抱える問題だというのに、別な大型の魔物を探せとはどういうことだと思ったのだ。

 確かに、その情報はあった。メドーシェン市の魔狩人(シーカー)たちの多くがクルサーティリ市に流れたのは、「大群が現れた」という一報の中に鎧蜥蜴(ガーヒーク)鬼熊(メラグ)の名前があったからである。鎧蜥蜴(ガーヒーク)鬼熊(メラグ)も、長く記録上にしか存在しない魔物だった。多くの人々が、その名前すら耳にしたことがない相手だったのだ。だからこそその討伐にかけられた報奨金は巨額であり、巨狼(ワーグ)を相手に自信をつけた魔狩人(シーカー)たちの競争心に火を付けたのである。

 ちなみに、鎧蜥蜴(ガーヒーク)鬼熊(メラグ)の報奨金額は、巨狼(ワーグ)の討伐に支払われる金額をベースに、最後の魔王が倒された当時と同じ比率(レート)で設定されている。だから討伐の難易度に見合った適正価格であるはずなのだが、その金額が魔物の危険度にも正比例しているというのなら、鬼熊(メラグ)は一頭で巨狼(ワーグ)群れ(ヽヽ)の四倍危険な相手だということになる。

 だが今や、その噂については口にする者さえほぼいなくなってしまった。散発的な魔鳥の飛来を除けば、砦に襲来する魔物はほぼ巨狼(ワーグ)魔狼(ガルム)だけだったからだ。

 そしてまた、だからといって魔狩人(シーカー)たちのやる気が失せるということもなかったのである。巨狼(ワーグ)魔狼(ガルム)も、一獲千金を狙える相手ではないが凄まじい数にのぼる。依然グンナルの砦は、魔狩人(シーカー)たちにとって実入りのいい、絶好の(あさ)()のままだったのだ。鬼熊(メラグ)の名前など、忘れ去られても仕方なかった。

 だが、そんな影の薄い魔物も、ザインの記憶から逃れ去ることはできなかったようである。

「おそらく、奴がまだベラガホースのこちら側をうろついているとしたら、山麓の森の中にいるだろう。川を探せ。強い魔物は水場の近くにいるものだ。奴も姿を隠しているようだが、鎧蜥蜴(ガーヒーク)の潜伏先からそう遠くない場所で見つかると思う。」

 ザインは言い、将聖の顔を見た。

「見つけたら、できるだけ観察してくれ。周辺の様子、負傷の有無、空腹の度合い、動きのクセなど、特徴なら何でもな。それから一番重要な事だが、お前の接近に対する反応には特に気をつけてくれ。微細な周囲の魔法粒子(イリューン)の流れにも敏感かどうか、それが知りたい。ただし、無理は許さんぞ。何も見つけられなかったら諦めて帰って来い。」

 将聖は少し肩をすくめながら(うなず)いた。冗談めかしてではあったが、ザインは最後の言葉を強い口調で言い含めたからだ。

 将聖にはザインの思惑を詮索する気はなかった。この隊長が自分よりもはるかに長い間魔物と戦っており、経験も知識も数段豊富だということを知っていたからだ。自分はただその指示通り、鬼熊(メラグ)の存在の確証をつかんで帰りたいとだけ思っている。

 ――そろそろ先へ進まなければ……。

 そう思いながらもしばしの間、将聖はそこを去るのを躊躇(ためら)った。

 もうこれ以上この場で観察を続けていても、得られるものがないのは分かっている。しかしここから先は鎧蜥蜴(ガーヒーク)の頭越しなのだった。その強烈な瘴気(ヌアン)をまたぎながら、自分に鬼熊(メラグ)の気配を捉えられるのか、それが不安だったのである。

 遠距離になると、将聖はバレルドのように、群れで動く巨狼(ワーグ)魔狼(ガルム)などの頭数を見分けることができなくなる。「群れ」とは判別できても「瘴気(ヌアン)の大きな塊」としか認識することができなくなるのだ。魔鼠(ベグダ)甲殻妖虫(デグミル)のような小型の魔物も、より大型の魔物の気配にかき消されてしまい、その存在を感知することすら難しくなってしまう。

 そしてこの鎧蜥蜴(ガーヒーク)の持つ瘴気(ヌアン)の量は、それらの群れが放つものよりもさらに突き抜けて膨大なのだった。その先を見通すのはかなり骨が折れることになるだろう。晴れ渡った満月の夜に、その月影(げつえい)の周囲に星を探すようなものだからだ。

 自分の索敵能力がバレルドのような「偵察型」に特化していないことが恨めしい。近距離ならあえて意識しなくても常に全方位に向かって能力(ちから)が働いているので、その方向性が少し違うということなのだろう。

 不意にゆらりと周囲の白い陰が動き、将聖は驚いて身を縮めた。幽霊の群れが一斉にお辞儀をしたように見えたのだ。強風に木々が揺れたのだと気づくまで、わずかだが時間がかかった。

 ルドガ大渓谷一帯は、風が強い。ディフリューガル山脈からの山おろしが周囲の大気を巻き込んで、谷底を一気に駆け抜けるからだ。ふと将聖は、身を隠していたウーレオの木(※)を見上げた。放つ魔法粒子(イリューン)は弱く、末広がりの枝は半ば周囲の空気と溶け込んでしまっている。しかし今の将聖にとっては、これほど頼もしい存在はなかった。この大木は強風と鎧蜥蜴(ガーヒーク)瘴気(ヌアン)の双方から将聖を守ってくれている。

 ナダルナニエやロドハルトの顔が浮かんだ。今頃ロドハルトは自分の体を縛り付けている縄がきつ過ぎないか確かめているところかも知れない。ナダルナニエはルグフリートに、水やリカタロを準備しておくよう声をかけているかも知れなかった。

 ――いや、行く。行こう。結局何も分からないかも知れないけど、行ってみなければそれだって分からない。

 将聖は決意した。今ザイン隊が待機している場所は、おそらく鎧蜥蜴(ガーヒーク)から三ペリルスレーナ未満の距離だ。あと二ペリルスレーナほど先までなら、自分は進むことができる。

 将聖は考えることを止めた。これ以上躊躇(ためら)わないためだった。



 将聖は直進を避け、ベラガホースの山裾の南斜面の方角を目指した。作戦拠点にある肉体から触手のように伸ばしている魔法粒子(イリューン)の筋が、鎧蜥蜴(ガーヒーク)に掛からないようにするためである。途中に鎧蜥蜴(ガーヒーク)がいると、その強力な瘴気(ヌアン)に影響を受けてしまい、将聖には他の魔物の気配を感じられなくなってしまう。それを避けるためには、また迂回するしかなかったのだ。

 だが、真っ直ぐベラガホースの中腹を目指すよりも、南斜面に向かったほうが起伏が緩やかなせいもあった。魔物にとっても移動しやすいルートである。接敵する可能性が高いかもしれない。

 さらに進んだ先のことだった。

 鎧蜥蜴(ガーヒーク)が背後に離れ、その瘴気(ヌアン)の影響が薄らぐ。と同時に、前方に別な瘴気(ヌアン)を捕捉した。強くはないが、同一種の魔物の群れが動いているようだ。

 ――ビンゴ!

 予想が当たって、将聖の気持ちが(はや)った。もはや巨大樹の()を突き抜けて、その先に意識を伸ばす。

 だが近づくにつれ、将聖は自分の感覚を疑いそうになった。

 ――この気配は……。

 確かに、それがその場にいること自体は、決して「可能性がない」とは言い切れないことだった。魔物の生態については様々な仮説が提示されているが、どれも根拠に欠けるため、なかなか「定説化」されるには至っていない。第二十八代勇者山田(ヤマーダ)や第三十二代勇者中島(ナクジム)魔刃蜂(ビシュパズ)の撃退方法を探り続けたように、第十三代勇者長谷川(ファセガー)や第十八代勇者齋藤(サイト)らが大鬼(オーガ)の特徴を書き残したように、多くの人々が魔物の行動に仮説を立て、観察し、その記録を残してきたが、大概の魔物の実態は闇の中なのだ。勇者とその血筋以外は魔界域に入れず、また魔王が現れるたびに記録の多くが戦火の中で散逸してしまうのであれば、仕方のないことなのだろう。

 しかし今の将聖にとって、それは全く予想だにしなかった相手だった。

 何故、それはルドガ大渓谷に押し寄せた巨狼(ワーグ)魔狼(ガルム)ではないのだろう。

 何故、それはこれほどに大きな群れを形成しているのだろう。

 将聖は思わず、ごくりと唾を飲み込んだ(ヽヽヽヽヽヽヽ)

 ……それは、四肢蛇(サビク)の群れだった。


(※ ウーレオはイザナリアの針葉樹。欧州唐檜オウシュウトウヒに似ている。)




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