Side story _クルサーティリ防衛線_06
「あの、通していただきたいのですが……。」
「ああ? なんだ? その口の利き方は。」
「俺たちは騎士だぞ。お前、平民の分際で指図しようってのか?」
「……大変失礼しました。こちらに下がっておりますので、どうぞお先に……。」
「はあ? 『どうぞお先に』じゃねえよ。ふざけやがって。」
「スカしてんじゃねえよ。平民風情が堂々と、俺たちの前に立ち塞がっているんじゃねえっ。さっさとそこに跪けっ。」
「何突っ立ってるんだ? 逆らおうってんなら礼儀を教えてやるぜ? おら、顔貸せよ!」
「ご勘弁ください。急いでおりますので。」
「おい。どこ行くんだよ。生意気言いやがったくせに、逃げようってのか?」
押し殺した言い争いの声が聞こえ、ゼーミュエルは立ち止った。グンナルの砦の旧居住区の一角である。この辺りは老朽化が著しいが、その一部に手を入れて補給部隊が物資の配給を行っているのだ。いくつかは民間の出店もある。その旧居住区から少し離れた石壁の陰から、その声は聞こえてきていた。
身を隠しながらそっと伺うと、グンナル騎士団の騎士がたむろしていた。その所属を示す、凝った紋章の入った短衣を身に着けている。だが全体的に薄汚れた感が目立ち、決してガラがいいとも言えなかった。
領主直属のファンフェルツ騎士団や、ヴァイズ・ルフスで華々しい功績を立てたエク・セドラス騎士団とは違い、昨今のグンナル騎士団は後詰めや街道警備など、地味な役割に回されることが多い。損な役回りの多い騎士団ではあるが、その歴史は古く、勇者イノーエの時代まで遡る。中央の目の届かない地方にあって、粛々とこの砦とその一帯を守ってきた、誉れと伝統を何よりも重んじる一団のはずだった。
その騎士団の騎士たちが、複数人で一人の若者を取り囲んでいる。お世辞にも良い雰囲気ではなかった。ふとその若者が誰かに気づき、驚いてゼーミュエルは隠れていた物陰から歩み出ていった。
「おう。ショーセじゃないか。」
ゼーミュエルは、ちょうど手にしていた馬用のブラシを弄びながら、偶然通りがかった風を装って声をかけた。騎士たちがはっとしたように左右に居流れたので、当人の全身が露わになる。こちらも突然見知らぬ相手に名を呼ばれたので、一瞬その表情に戸惑いが走った。
だが、なかなか肝が据わっているようだ。落ち着いた様子で切り返してくる。
「お疲れ様です。馬の世話をされていたんですか?」
「そんなところだ。そっちは配給の受け取りか?」
「はい。薬と包帯が足りなくなったので、補充していました。」
「それは大変だな。……お、そうだ。俺は実家から届けられた、秘伝の薬を持っているぜ? 風邪を引いた時に良く効くやつだ。少し分けてやろうか?」
「いただきます。最近、頭痛がするので。」
「ははっ。いいぞ。ついて来いよ。」
「はい。」
若者はゆっくりと、騎士たちの輪をすり抜けてきた。堂々としており、怯えの影は見られない。騎士たちがその横槍に腹を立て、「邪魔をするな」という視線をゼーミュエルに向けてきたが、それさえも「どこ吹く風」といった様子だ。
「残念だが、俺のお袋の風邪薬は頭痛よりも腹を下した時に効くやつだ。まあ、持ってけ。」
ゼーミュエルもその視線には気づかぬふりをして、親しさを装うために若者の肩に腕を回した。
――誰の目が光っているかも分からない場所で、よくこんな真似をする。
ゼーミュエルは思った。この行き詰まり感のある戦場で溜まった苛立ちを、この従者か騎士見習いの若者にぶつけて紛らわせようという魂胆なのだろうが、仮にも騎士が、同じ戦場で戦っている仲間に対してやっていいことではない。
余程のバカか、筋違いの度胸のある奴らだとは思ったが、流石に彼らも友軍の部隊の騎士相手に喧嘩を売るつもりはないようだ。余計な波風を立てたくはなかったので、ゼーミュエルも下手な牽制はせず、そのまま背を向けて歩き始めた。
「あの、ありがとうございました。」
しばらく歩き、倉庫を離れてグンナル騎士団の野営地を抜けると、若者は腕の下をかい潜るようにそっと離れてから、深々と頭を下げた。
「助かりました。ファンフェルツ騎士団の派遣部隊の方ですね?」
「そ。ゼーミュエルだ。フォルカ隊の副隊長をしている。よろしくな。」
「ああ、副隊長殿でいらっしゃいましたか。失礼しました。どうぞよろしくお願いいたします、ゼーミュエル副隊長殿。」
そう言ってから、将聖は少し戸惑った視線を向けた。
「その、副隊長殿は、私の名前を、なぜ……。」
「あ、ああ。お前さん、俺たちの隊では有名人なんだよ。『まだ見習いのくせに、戦場のど真ん中に飛び出して暴れ回ってる、クソ生意気な命知らずがいる』ってな。」
「……え?」
「あはは。冗談、冗談。そんなに青くなるなよ。」
ゼーミュエルは笑って、将聖の顔を間近で眺めた。
印象的な目をした若者だ。吸い込まれそうなほど青い。浅黒い肌と対照的な銀色の睫毛のせいで、その蒼穹のような色合いがますます引き立って見える。
「うちの隊長とそちらのザイン隊長殿が懇意なんだよ。ザイン隊は人数も少ないから、全員の名前を知っている。突然呼びかけて悪かったな。」
「いえ、そんなことはありません。お陰で、あそこから抜け出せました。」
将聖はまた礼を言い、深く頭を下げた。ずいぶんと義理堅い性格のようだ。
「なあ、ショーセ。少し付き合ってくれないか? 俺はあっちで店を出している鍛冶屋に、研ぎに出していた剣と蹄鉄を受け取りに行くところなんだ。ただ、いつも表で待たされるんで暇を持て余してしまうんだよな。」
なんとなく、もう少しこの若者の事が知りたくなって、ゼーミュエルは声をかけた。身なりは貧しいが、その辺の騎士よりもずっと育ちの良さを感じさせる。あまり親に顧みられなかった騎士階級の次男坊三男坊は、時に在野の荒くれ男よりも手に負えないが、この若者は自分自身の振る舞いに配慮が行き届いており、言葉遣いも丁寧だ。
「途中まで帰り道も一緒だろ?」
「承知しました。」
若者は生真面目に頷く。
ふと中央都市で見かけるハイランダー族のことを思い出し、「こいつらって、こんなに流暢に話せたっけか」とゼーミュエルは首を傾げた。
――どうしてこんなことになったんだ?
将聖は鍛冶屋の前に伸びた長い列の中に立ちながら、途方に暮れていた。隣にはゼーミュエルという名の初対面の騎士が立っている。このファンフェルツ騎士団派遣部隊の副隊長は、ロドハルトと同じくらい長身で、彼よりは瘦せているが素晴らしく筋肉の盛り上がった二の腕をしていた。その両肩の上には、日焼けした、なかなかハンサムな顔が乗っている。そこに陽気で人好きのする笑みを浮かべていた。
そのにこやかな騎士から今、将聖は質問攻めに遭っていたのだった。
「お前、自警団の所属だったのか。」
「はい。メドーシェン市の農家で構成される自警団に入っています。」
「魔狩人でもなかったとはね。そこで活動して何年になる?」
「二年です。」
「ふーん。そんなもんか。で、今いくつだよ。」
「十九です。」
「え?」
聞いてゼーミュエルは、周囲が驚くほどの大声を上げた。
「お前、見たまんまの年齢なのか?」
「えーと、はい。見たまんまの年齢ですが……。」
そう言いさしてから、将聖も気が付いた。ハイランダー族は人間族よりも長命なのだ。人間族とはやや成長速度が違うのかも知れない。
自分が知っている数少ないハイランダー族であるティーカも、ザイン隊のメンバーより見た目は若かったが、彼らを手玉に取るほどに強かった。ずっと背が高く、それでいて俊敏であるという恵まれた身体能力のお陰かも知れないが、あの強さには、実は「年の功」のようなものも作用していたのだろうか。
「そうか。それであの動きなら、自警団は確かに勿体ないかもな。……まあ、この防衛線への参加はいい機会だったよな。エク・セドラス騎士団の騎士見習いを狙っているんだろ?」
「え、ええ、まあ……。」
グイグイ問いかけてくるゼーミュエルに、将聖はお茶を濁す。「お前、昔っから侍になりたいとか言ってたろ?」と優希なら驚くかもしれないが、今の将聖に騎士階級はさほど魅力的ではなくなっていた。
将聖が憧れていたのは侍の「生き方」だ。己を律し、高みを目指し、泰然自若として不測の事態に備える。もしかしたら実際とは異なるかも知れない、祖父と見た「時代劇の世界の武士」に将聖は夢中になり、魅せられていたのである。
一方で、侍は人を斬る存在でもある。だがその一面については、地球世界にいた頃は特に考えもしなかった。殺人も戦争も重罪で、死刑さえも忌避される社会で育ったせいだろう。知識としては分かっていても、やはりそれは「知識」でしかなく、将聖の理想とする侍像の中に、「殺人者」としての要素は全く組み込まれていなかった。
もちろん、自分自身が誰かを傷つけたり殺したりすることも考えられなかった。剣道に夢中になっていたのも、純粋に試合に勝つことだけが全てだったのだ。
しかしイザナリアに来て、多くの魔物を斬った。魔物が相手であったとしても、生きていたものを殺したことに変わりはなかった。それはただ、死骸の山を積み上げるだけの殺し合いだった。周囲には共に戦った騎士たちが倒れ、千切れ、動かなくなっていた。
――自分が騎士になったら、人も斬らなければならなくなるかもしれない。
そう思うと、もう騎士階級を夢見ることはできなかった。今は刃物を握る意味にもはっきりと気づいている。何かを傷つけ、切り裂くために存在する。それが刃物だ。その「何か」が無生物であろうと、生物であろうと関係なく、である。
「もし他に道がなかったなら、魔狩人くらいならなってもいい」と将聖は思っている。ハノスとの約束もあって、自分の将来を思う時、魔狩人職はまだ彼の選択肢の中には含まれていた。
――でも、騎士にはなりたくない。多分、絶対に無理だ。
本音はすでに、喉元まで迫っていた。自分は誰も殺したくはない。それが自分以外の誰かの命令なら、なおのこと嫌だ。
だが、今それをゼーミュエルの前で明言することはできなかった。
それでもまだ、将聖は悩んでいたのだ。仕方のないことだろう。他人の家に居候をしている身であるし、決して見捨てることの許されない存在がもう一人、その家で待っているからである。
確かに、この砦への派遣はエク・セドラス騎士団への入団の足掛かりになる可能性がある。もしエリュースト卿から申し出があったなら、将聖にはその誘いを振り切れる自信はなかった。
「何だよ。エク・セドラス騎士団っつったら、この帝国じゃ一、二を争う人気の騎士団だぜ? 気乗りしないのか?」
将聖のためらいを感じ取ったのか、ゼーミュエルは疑問の声を上げた。
「さては、さっきの連中みたいな嫌な奴でもいるのかよ?」
「そ、そんな事はありません!」
将聖は慌てて否定した。ザイン隊のメンバーには、これ以上ないというほど良くしてもらっている。それなのに、ここで自分が変な受け答えをして、妙な噂話など立てられたくはなかった。
「ハイランダー族の掟があるのです。我々には『父祖の地』に仕え、守る義務があります。たとえ相手が王様や貴族や神殿の高位の人であっても、族長や長老の許しなく他種族の者に仕えたり、個人の栄達を望んだりすることは許されていません。」
夏にアーシファから聞かされた古い話を、将聖は口にした。昔ハイランダー族と人間族の折り合いが悪かった頃は、実際にそんな掟があったらしいのである。だが今は、言葉の問題さえ克服できればハイランダー族も人間族に仕えることが可能なのだと聞いている。ただし、騎士階級になれる者はほとんどおらず、せいぜい貴族のお抱え商人となったり、高名な職人に弟子入りしたりする形で「仕えている」らしい。
「あー、そうだな。聞いた事あるわ。」
何か思い当たることがあったようで、ゼーミュエルは顎をさすりながら頷いた。
「でもお前さんは『大鷲の一族』なんだろ? 『大鷲の一族』は確か、魔王出現のたびに勇者の元を訪れて、人間族と共闘していた一族のはずだったよな? 何せご先祖さんが勇者アイダなもんで、『父祖の地』を持たないからとハイランダー族が認めていたって話だったが……。人間族に仕えた奴もいただろ。ほら、何代目かの勇者と一緒に皇帝ユールドウィンに仕えたメルヒセルなんか有名じゃないか。」
「い、いえ、私は『大鷲の一族』ではありませんので、そのような、その、と、特例は認められていないんです。」
会話は将聖の苦手な方向へ向かい始めていた。自分の過去を詮索されるのも困るが、ほとんど知識を持たないハイランダー族の風習にもあまり触れられたくない。将聖の口は重くなったが、逆にゼーミュエルはどんどん突っ込んだ質問をし始めた。
「そうか? 今思い出したんだが、普通のハイランダー族は人間族語を片言くらいしかしゃべれねえだろ。お前さんは流暢に話せるから、噂に聞くあの一族の出だと思ったんだがなあ。そういや本当に、耳も丸いんだな。」
「その、勇者の国の血を多少は引いているかも知れませんが、『大鷲の一族』ではないんです。『大鷲の一族』のことは、今は『草原の一族』の地に移住しているという事しか知りません。」
「はあ、なるほどね。お前さんは姻戚だが、別の一族っていうわけかい。」
ゼーミュエルにはここで納得してもらいたかったが、そういうわけには行かなかった。
「じゃあ、何でザイン隊に加わっているんだ?」
これは当然の疑問といえるのだが、将聖にはすでに「まるで誘導尋問だ」と思わずにはいられない状況になっていた。何か一つ質問に応えると、そこからさらに踏み込んだ、新たな問いが投げかけられるのである。「自分は魔物に荒らされた土地からの難民で、領民として受け入れてもらったことへの恩返しをしているのだ」と告げると、今度は「その土地はどこなんだ」と問いかけられる始末だ。
「や、山奥の小さな村です。副隊長殿はご存じないかも……。」
口ごもりながらそう応えると、将聖も何とか話題を逸らそうと、必死に質問を返してみた。
「そ、それよりも、副隊長殿は中央都市からこちらに赴任されたのですよね?」
この砦の裏に店を出している鍛冶屋は腕はいいのだが、そのために客が多くてなかなか順番が回ってこない。今も自分たちの前には数人の騎士が並んでいて、辛抱強く前の客が去っていくのを待っている。その用事を済ませるまでゼーミュエルに会話の主導権を握らせていたら、このイザナリアで一番恩を受けているハノスにさえ語れない自分の秘密を、一切合切掘り返されてしまうかもしれない。
「どんなところなんですか、中央都市は?」
「大きな街だぞ。ネハール様のお膝元だから当たり前だけどな。人が大勢いる。店も多いし、美味い物がたくさんあるぜ。」
ようやく、ゼーミュエルの口調が別方向に活気づいた。彼の本来の赴任地は、オリエディレン地方最大の発展都市なのである。商業が盛んなだけでなく、量も種類も豊富な木材を使った木工品の工房が軒を連ね、工芸都市としての側面もあった。そこがいかに素晴らしい街であるかを地方出身者に話すのは、ゼーミュエルにとってとても嬉しいことだったのだ。
「西門から東門まで一直線に歩くだけで、半刻以上はかかる。それくらい広いんだ。販路を広げたい他郷の商人や、都会で一旗揚げたい若い連中なんかが続々詰めかけて来るし、交易の荷馬車も次々とやって来て、そいつらの入行審査で四方の市門にはいつも長蛇の列ができている。朝は許可を得た馴染の野菜売り、果物売りや、籠や箒を扱う小道具屋くらいしか通る事ができないんだが、それも物凄い数でさ。市場はいつもごった返しているし、聖人様の市の立つ日はもうお祭りみたいな騒ぎだ。結構離れた町や村の連中も、夜明け前から家を出て、この市目当てに集まって来るんだぜ?」
将聖はほっとした。これがゼーミュエルのお気に入りの話題の一つだと分かったからだ。しかも自慢気だが、嫌味なところは全く感じられない。これはフォルカ隊の隊員たちがこの副隊長を慕う理由の一つでもあった。自分が好きな物は、ただ子供のように無邪気に熱烈に褒め上げる。そこに地方出身者を見下すような要素はまるで見られない。
出会ったばかりだが、将聖もこの男を好きになり始めていた。
「あと、余所から来た奴はみんな、ネハール様のお屋敷に驚いているな。とても壮麗な建物なんだ。大きくて美しいが、そればかりじゃない。俺の親父殿に言わせると『品格がある』んだ。俺は気の利いた言葉は思いつかないけどな、親父殿の言う意味が分かるよ。どこかの詩心のある奴も言っていたんだ。『羽を休めた水鳥のようだ』ってな。」
ゼーミュエルの手が、思い入れたっぷりに大きく動いた。
それから彼は、また将聖の方へ身を乗り出した。
「どうだ、お前も中央都市に行ってみたくはないか? 訪ねてきたら、案内するぞ?」
「え? あ、はい。機会があったら是非。ありがとうございます……。」
突然振られて、将聖は思わず気の抜けた返事を返してしまった。
将聖にとって中央都市は、「いくしまある」という六音で構成された、ただの記号に過ぎなかった。観光ガイドブックのようなものが存在しないことはおろか、周囲にその地を踏んだ者すらほとんどいないのだから、関心を抱く以前の問題なのである。ダイガン屋敷の下男たちなら色々と知っているのだろうが、そんな世間話ができる仲ではないし、夏に知り合いになったハイランダー族のミシュハルフがそこに店を構えればまた気持ちも違ってくるのだろうが、今のところは全く未知の世界と言っていい。
将聖にはまだ、自分がその地を訪れることなど想像もつかなかったのだ。
「ん? 何だ。中央都市に興味があるんじゃなかったのか?」
「い、いえ、そうではなく! そ、その、今まであまり話を聞いた事もなかったので、まだイメージできないというか、分からないというか……。」
――ああ、またやってしまった……。
焦って言葉を返しながら、将聖は内心溜息をついた。どうしてこう、自分には「雑談力」がないのだろう。地球世界の学校でも、いつもこの調子だった。うまく会話をコントロールできないことに自己嫌悪する。
「大きな建物、といっても、私が知っているのはこのグンナルの砦くらいですよ? メドーシェン市の代官様のお屋敷も、これほど大きくはありませんから……。」
「ああ、ああ! こんなもんじゃないって!」
もともと気を悪くしたわけではなかったゼーミュエルはすぐさま手を振った。「目の前に現物がなければ分からない」という将聖の主張にも、あっさりと納得してしまう。
「そうだよなあ……。比べられるのがこの砦くらいしかないんじゃ、分からないか。俺も説明は得意じゃないし……。」
「そ、その、副隊長殿は先ほど、中央都市には美味しい物がたくさんあると仰っていましたよね? 私はそちらのほうに興味があります……。」
「ははっ。やっぱり、『リシェンテ(※)は羹で』だよな!」
ゼーミュエルが行きつけの店の話を始めたので、将聖は胸を撫で下ろした。「雑談の話題なんて、お天気かご飯の話をしとけばいいでしょ」というのはまりあの至言である。あの姉は存在感が強すぎて時々ムカつく事も多かったが、何だかんだで世渡りに関する将聖の手本でもあった。
そして確かに、食べ物に話題を振ったのは正解だったようだ。ゼーミュエルは庶民的な料理屋が好きらしく、焼き鳥や、揚げ魚や野菜の煮込みなどを出す店の話を始めた。あまり外食をすることは出来なかったが、それでも日本で食べた料理で舌と知識が肥えている将聖も、この話題ならついて行ける。衣をつけて揚げた、その名も「テンプラー」という料理があることには驚いたが、「清拭」を思い出してすぐに納得した。
以前から「魔狩人(探索者)」や「弓手」など、イザナリアでも地球世界の言葉とほぼ同じ意味を持つ単語が使われていることに気付いてはいた。料理や習慣も、そしてそれらの単語も、おそらくは歴代勇者が持ち込んだものなのだろうと思う。確かめることはできないが、「白き森」の長老アーシファからハイランダー族やドワーフ族の種族名の話を聞かされてからは、余計にその可能性が高いように感じている。
歴代勇者は様々なものをイザナリアに持ち込んでいる。その中でも、食事と公衆衛生に関する分野へは、並々ならぬ情熱を持って改善に取り組んでいたようだ。気持ちは分かる。
「テンプラーが食いたいのか? じゃあ、食いに行く時は言ってくれ。あれはちゃんとした専門の店で食った方がいい。揚げたてで、衣がサクサクしたやつが美味いんだ。」
「本当においしそうですね。」
懐かしさに将聖の頬が緩んだ。本当に、地球世界で食べたような天婦羅が食べられるのだろうか。将聖はまりあが大学に合格した時に、ただ一度だけ家族で訪れた料亭を思い出していた。地元の有名店で、円卓のように調理場を囲むカウンター席に座ると、大将が目の前で天婦羅を揚げてくれるのだ。本来は日本酒と共に料理を楽しむような店なのだろうが、誰も酒を飲まない将聖の家族は、ただひたすら大将の鮮やかな手際を興味深く眺めていた。締めにかき揚げの乗った茶漬けが供されて食事はお開きとなったが、あの幸せな思い出をまた追体験してみたいと思う。
「ショーセ。どうしたんだ? そんなところに立って。」
声をかけられて将聖は振り返った。ルグフリートがナダルナニエと連れ立って、足早に近づいてくるところだった。
「心配したぞ? いつまで経っても帰って来ないから……。」
「すみません。実はこちらの方にお世話になりまして……。」
正直ほっとしながら将聖はゼーミュエルを手で指し示した。紹介しようとしたが、事の次第を説明する前に、当の本人が割り込んで来た。
「おーお。ようやく現れたか。こいつが変な連中に絡まれていたんで、助けてやったんだぜ? そちらさんの天幕に送り届けてやろうと思ったんだが、俺の用事もあったんでな。少し付き合ってもらっていたところだ。」
「それは……。そうですか、そんなことが……。」
ルグフリートは一瞬、目元に厳しいものを走らせたが、すぐ気を取り直し、頭を下げた。
「ファンフェルツ騎士団派遣部隊、副隊長のゼーミュエル殿とお見受けします。当方の隊員がお世話になりました。」
「へえ、俺を知っているのかい?」
「お名前はかねがね。この春先にミサックガルフ高原で素晴らしい手柄を立てられたそうですね? ヴォルキダーテン地方から南下してきた白狐を追う部隊に参加された際、幻覚をうち破るのに多大な貢献をされたと聞いております。」
ぴくん、とゼーミュエルの頬が震えた。褒めたつもりだが気を良くしている風ではなかったので、ルグフリートは急いで言葉を続けた。
「失礼。申し遅れましたが、私はエク・セドラス騎士団所属、ザイン隊のルグフリートです。お見知りおきを。」
「……そちらさんも派遣部隊の副隊長、だろ……?」
ゼーミュエルの声がぼそぼそと小さくなった。別にルグフリートが名乗り遅れたことに腹を立てたわけではない。自分はつい昨日、ザイン隊のメンバーの顔と名前が一致したばかりだというのに、このエク・セドラス所属の副隊長は、自分の名前と肩書はおろか、大抜擢されるに至った経緯さえ把握済みだったのである。そのことに、同じ副隊長として焦りを感じてしまったのだ。
ゼーミュエルは気づかなかったが、将聖の姿を認めてそのまま声をかけようとしたルグフリートを、腕を取って制したのはナダルナニエだった。将聖の隣に立つ人物に気付き、その素性を素早くルグフリートに耳打ちしたのは彼である。ナダルナニエは、このグンナルの砦に駐屯する騎士たちのうち、少なくとも「長」という肩書を持つ者の顔と名前、そして知り得る限りの経歴をその頭に叩き込んでいた。彼がエク・セドラス騎士団に入団を許されたのは、その剣の腕前だけが理由ではない。
ナダルナニエのこの行動はゼーミュエルに対して何かを含んだものではなく、腹心として、ルグフリートが侮られることのないようにと取った振る舞いだった。だが期せずしてそれはゼーミュエルを牽制する効果をもたらした。
「ショーセへのご配慮、感謝いたします。しかし、我々がついておりますのでお見送りには及びません。ありがとうございました。」
「お、おう。分かったよ。」
ルグフリートが「来い」という身振りをしたので将聖が伺うと、ゼーミュエルも肩をすくめて「行けよ」というように首を振った。
「本当にお世話になりました。ありがとうございます。」
もう一度、将聖は深く頭を下げた。これでもう何度目になるか分からない。その義理堅さにゼーミュエルはまた笑顔になり、「よせやい」と言いながら手をひらひらさせた。
「……まあ、なんだ。今のこの砦は、ちょっとした火の気でもボヤ騒ぎが起こりそうなほど、空気が乾き切ってるっていうことだな。しかもそこら辺を可燃物がうろうろしてやがる。困ったもんだぜ。気を付けろよ。」
「はい。」
「気の利いた事は言えない」と言っていたのではなかったか、と思いながら、将聖は笑って頷きかけ……、そして固まった。
さっと砦の胸壁を振り仰ぐ。その突然の張り詰めた表情に、ゼーミュエルは驚いた。
奇妙な空気は続いた。このハイランダー族の若者の振る舞いに呼応するように、ルグフリートとナダルナニエもその視線の先を追ったのだ。
「ショーセ。」
何か言いかけた若者を、ルグフリートが素早く制した。ナダルナニエも首を振る。だが、二人の騎士はどちらもぴりぴりとした殺気を放ったままだ。
三人が注視しているのは、見張りの騎士が疲れた様子でもたれかかっている胸壁の上ではなかった。その意識は砦を越え、さらに向こうに注がれているようである。
プオオオオッ……。
不意に、華やかだがどこか牧歌的な音が響いてきた。ちょうど三人の視線の先からだった。
プオオオオッ……。
また聞こえた。それは角笛の吹き鳴らされる音だった。もし魔物が現れたのなら、見張り台から鐘が鳴り響き、方々から金管楽器や呼子が吹き鳴らされ、クルサーティリ市内にもそのことを伝えるために狼煙が上げられるはずである。
見張り台は静かなままだ。
「……襲撃ではなさそうですね。」
ナダルナニエが言った。
「魔物の死骸の回収が終わったんだと思います。これから、ヴァイラメッヒの森に廃棄に向かうのかと……。」
若者もようやくこちらに意識を戻し、自分の副隊長に向かって言う。ルグフリートは頷いた。
「さあ。もう行こう。」
背中を向ける三人に、思わずゼーミュエルは引き留めるように踏み出しかけた。
――今。
突然周囲を満たし、これまた突然霧散した緊迫した空気に、ゼーミュエルの呼吸はやや乱れていた。
――こいつら、角笛が鳴るより先に振り返ったよな?
特にゼーミュエルには、真っ先に反応したハイランダー族の若者よりも、その若者に対する二人の騎士の様子のほうが気になった。
絶対的な信頼感、というのだろうか。
何かがあって部下の一人が血相を変えて駆け込んで来たとしても、ゼーミュエルが即座に心を乱されることはない。まずは話を聞き、情報を集め、冷静に事態を把握してから次の行動に移ることに徹している。それが彼の役割だからだ。
騎士が、特にも彼らの上に立つ者が下の者から何か注進を受けた場合、それが迅速に対処を要するものか、そうでないかは慎重に判断しなければならない。即断即決を必要とする場面もないわけではないが、何も考えずにその話を鵜呑みにしたり、一緒になって動揺したりしていたなら、決して良い結果へとたどり着く方向へ進むことはできないからだ。
ましてや騎士見習いですらない農民の若者が何かに怯えたくらいで、その挙動にいちいち反応するなど本来ならあり得ない。
だが、若者の表情が変わった時、二人はその反応の理由に何の疑問も持たなかった。ただ同じように頬をこわばらせ、同じように胸壁のその先を振り仰いだだけである。瞬時に最高レベルまで高まったその緊張感は、若者が持つ「何か」によって引き出されたものだった。
そもそもこの若者は、ザイン隊の隊員たちからずいぶん大切に扱われているようだ。昨日も大渓谷の底から砦の中庭まで担いで運ばれていたのを見かけているし、今日も一応味方の駐屯地である砦の中にいるもかかわらず、騎士二人が探しに来ている。
隊長のフォルカの言葉が、ゼーミュエルの耳にまた蘇っていた。
――私が今一番気になるのは、あの若者なんだ。
もう一度、ゼーミュエルは踏み出しかけたが、ようやく思いとどまった。先ほどのルグフリートの様子を見る限り、問い詰めたところで何も教えてはもらえないだろう。それに、そんな寄り道をしていたら、剣と蹄鉄を受け取る頃にはこの短い日が暮れてしまう。
ふと腰に付けた巾着に手が当たり、ゼーミュエルは「お?」と我に返った。大急ぎでそれを外すと、すでに大分離れたハイランダーの若者に向かって声をかける。
「おーい、ショーセ!」
ゼーミュエルに呼びかけられ、将聖は振り返った。説明抜きにぽんと何かを放り投げられ、慌ててそれをキャッチする。
「約束だからな。そいつは中身が大分減っちまってるが、持ってけ。」
手のひら大の小さな巾着だった。古着か何かを再利用したものらしく、布地はくったりとして張りが失われている。だが縁は丁寧にかがられ、結びつけられている組み紐もしっかりしていた。軽く握ると、いり豆程度の大きさの、丸い粒がいくつか入っているのが感じ取れる。
「頭痛にも効くといいけどな!」
ようやく将聖も、それが何かに気が付いた。にっと白い歯を見せるゼーミュエルに、つられたように破顔する。
「ありがとうございます!」
思わず遠慮を忘れて手を振った将聖に、ゼーミュエルの笑顔が大きくなった。本当に、人好きのする笑顔だ。小隊とはいえ、騎士の集団の副隊長を務める割には言動が軽い印象を受けるが、この気さくさが仲間をまとめるのに一役買っているのだろう。
「何だ? それは。」
歩きながらルグフリートが尋ねた。ナダルナニエも同じ疑問を顔に貼り付けて、将聖を振り返る。
「風邪薬、というか胃腸薬だそうです。下痢に効くと言っていました。俺が『最近頭痛がする』と言ったので、くれたんです。」
「頭痛の薬に整腸剤ですか? 正しい選択とは思えませんが。」
「頭痛がする? 早く言えよ。薬なら俺が持っていたのに。」
「いえ、それはその、話の成り行きで……。」
将聖は少し小さくなって肩をすくめた。
「とりあえず、迎えに来てくれて助かりました。ありがとうございます。こんなに遅くなってしまって申し訳ありません。」
律儀に礼と謝罪を口にする将聖に、ルグフリートはやれやれ、と微笑んだ。
「別にいいさ。いろいろと事情があったようだし。でも、隊長にはちゃんと説明が必要だからな。まずは何があったのか話を聞かせてくれ。」
遠ざかる三人の後ろ姿を、ゼーミュエルはずっと見送っていた。
――さすが、フォルカ隊長……。よく見ているな。
心の中で自分の上官に向かい、感嘆の言葉を漏らす。
確かに興味深い相手だった。ザイン隊の隊員たちはどうやら隠している様子だが、あのハイランダー族の若者には何か特別な能力があるようである。
おそらく戦場で役に立つ能力のはずだ。ずっと戦闘時のザイン隊の勘の良さ、応戦の素早さに舌を巻いていたが、あの動きと何か関わりがあるに違いない。
――今の出来事は、隊長に報告しないとな。俺の予想と隊長の考えが合っているなら……。
もしゼーミュエルの考えが正しければ、今後の魔物の襲来への対応は、その内容が大きく変わって来る可能性があった。
密集隊列で魔物を迎え撃つことを基本的な戦闘スタイルにしているフォルカ隊にとって、「後の先」を取ることが戦いの行方を大きく左右するのである。
いつ、どこで、どんな魔物と遭遇するのか。
それらをほんの少しでも早く予測できるなら、もっと有利に戦うことができる。いや、密集隊列にこだわる必要さえなくなるかもしれない。
――そういや、次に群れの襲来があった時は、俺たちの隊から二人、騎士を派遣することになっていたな。その貸しを隊長がどう返してもらうつもりでいるのかは知らないが……。まあ、有効な切り札にはなるんじゃないか?
ゼーミュエルはにやりと笑った。
(※ リシェンテはイザナリアの野生の鳥。美しい羽根を持つ。観賞用に飼われることもあるが、主に食用として捕獲され、スープの具などに使われる。『リシェンテは羹で』とは、『花より団子』の意。)




