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俺たちは勇者じゃない  作者: 陶子
35/49

035_召集-4

 次に俺がギルフォン様と顔を合わせたのは、もう大分遅い時間になってからだった。さすがにセルウィエレ様にはゴスカデュロスから出迎えがあり、すでに帰った後だった。

「姫。本日はありがとうございました。」

 この時間まで自分も働いていたはずのギルフォン様が、俺を(ねぎら)った。僧房の食堂に通されると、門番のおっさんがお茶と軽食のトレイを運んでくる。かみさんはもう休んでいる様子だった。

「この食べ物はゴスカデュロスから届きました。代官様の奥方様のご配慮です。」

 勧められて、俺は小さく切り分けたサンドイッチに遠慮なくかぶりついた。空腹のせいもあっただろうが、滅茶苦茶美味(うま)い。ギルフォン様は別室にいた侍女にも声をかけた。残っていたのはあのヘルマさんだった。

 ヘルマさんも焼き菓子を手に取ったが、その前に俺のために茶を汲んでくれた。

「あ、ありがとうございます! すみません、食べてばかりで。」

 俺が慌てて礼を言うと、ヘルマさんは笑って「私はここで待機していただけですから」と首を振った。肩に毛布を掛けており、仮眠していた様子だった。

 ギルフォン様はのろのろとした動きではあったが、寝所のほうから毛布を持って来て、レドナス様やセオフェ様にかけてやっていた。さすがのレドナス様も座り込んだままそれを受け取り、セオフェ様はテーブルの前に座ったまま舟を漕いでいた。奥の部屋からは、どうにか血糊だけは拭き取った手術台の上で、ゴドハット先生が大いびきをかいているのが聞こえてくる。

「姫。今日のような事は、これからも続くでしょう。今後もどうか、ご助力をお願いいたします。」

「承知しました。」

 俺は(うなず)いた。元々そのつもりだったが、ギルフォン様にこれほど丁寧に頼まれたら、断る事など出来ない。だが「これからも続く」という言葉に、俺は暗い気持ちになっていた。その予想が否定できないものであったとしても、だ。

「姫。どうぞそう気を落とさずに。」

 俺の表情に気づいてか、ギルフォン様は言った。

「奥方様も憂慮しておられましたが、対策を講じられるおつもりのようです。必要な物資の調達を急ぐよう、指示を出すと仰っておりました。」

「近隣の町では、もう薬草が品薄になっていると聞きましたが……。」

「時間はかかりますが、中央都市(イクシマール)から直接取り寄せると言っておられました。南の街道はまだ断たれておりませんから、十分間に合うでしょう。それに、領主様もメドーシェン市の現状を正しく把握しておられるようです。物流を止めないために、街道の警備が強化されているとダイガン商会の者たちが言っておりましたよ。」

「しかし、今はメドーシェン市よりも、ルドガの古戦場の方がかなり厳しい状況にあると聞きました。」

 レドナス様が口を挟んだ。

「代官様にもクルサーティリへの騎士の派遣の要請があったばかりです。薬もそちらに流れてしまうかもしれません。」

 疲れ切った顔に焦燥感を隠せないレドナス様に、ギルフォン様は優しく言った。

「手練れの者を六人も送ったのだ、レドナス。きっとみな、上手くやってくれる。吉報を信じて、私たちも耐えて待とう。」

 俺の胸がずきりと痛んだ。

 食べていたサンドイッチが、喉につかえるようにしてようやく腹に落ちていく。まだ空腹は収まらなかったが、とびきり美味(うま)いソースの挟まれたサンドイッチが、急におがくずのように味気なくなった。

 将聖は今、クルサーティリ市にいる。

 ザインさん率いる派遣部隊に召集され、エティスの月(※)の半ば頃に出立したのだ。

 ルグフリートとその仲間三人も一緒だった。夏の間、ルグフリートたちが騎士の務めに一定の猶予を得てティーカの下で剣の稽古をしていた頃は、俺は後々こんな風に事態が転がっていくとは思いもしなかった。本人たちがどう思っていたのかは分からない。

 しかし、クルサーティリ市への部隊の派遣を急ぐ必要があったエリュースト卿は、このひと夏の集まりに目をつけた。機動力があり、連携の良い部隊だ。実績もある上、若くて順応性にも期待できる。

 魔物の襲来は、メドーシェン市にとってもかなり深刻な問題となっている。だが、エリュースト卿にとっては、クルサーティリ市の状況も無視するわけには行かない理由があった。ルグフリートらと一緒に将聖を派遣したのは、エリュースト卿が採った苦肉の策だった。騎士を大きく動かすわけには行かない分、同程度のスピードと練度で戦える、民間からの召集兵を送り込むことにしたのである。



 大陸最大の魔界域フィナン・ジディ。

 メドーシェン市はこの危険地帯に最も近い場所に建設された街だ。ディフリューガル山脈から流れ下るサティシュ川の流域は、このフィナン・ジディから現れる魔物たちの、格好の通り道になっている。他地域では川や沼が天然の要害となって清浄域と魔界域を隔てている事が多いそうだが、このサティシュ川は市を取り巻く農耕地を斜めに横切り、市街地の西側(ヽヽ)を走って下流域へと抜けていく。要するに、メドーシェン市は川の魔界域側(ヽヽヽヽ)に位置しているのだ。このため、メドーシェン市は文字通り背水の陣にあり、その防衛は難しいと言われている。

 歴史的に見ても、代々のオリエディレンの領主たちはメドーシェン市から流れてくる魔物の排除に苦慮していた。この街には「魔狼(ガルム)の散歩道」などという全く有難くない異名まで(たてまつ)られている。寒冷地を好み高山にも生息可能で、小型だが機動力があり、殺傷能力も高いというこの魔物がメドーシェン市近郊にはうじゃうじゃと現れるのだ。

 だが、第三十九代勇者井上さんが魔王と戦った当時、主戦場となったのはクルサーティリ市だった。「古戦場」という呼称が、それを端的に表している。

 クルサーティリ市はメドーシェン市よりも南西(ヽヽ)に位置する城塞都市である。要するに、メドーシェン市は一時壊滅し魔界域に呑み込まれかけ、最終的な防衛ラインとなったのがクルサーティリ市なのだ。

 クルサーティリ市は、地形的にはメドーシェン市よりも数段恵まれている。市の東の農地の先に氷河によって削られた渓谷があり、それにより天然の防壁が立ちはだかっているようなものなのだ。渓谷の下を、幹川(かんせん)ソーサノルドが走る。サティシュ川も流れ込む大河だ。クルサーティリ市付近ではまださほど水量も多くはないが、下流域の水深は深く、たくさんの船が行き交っていると聞く。

 ルドガ大渓谷は対岸の方が標高が低く、河畔にはいくつもの集落が点在するそうだが、クルサーティリ側は厳めしい門扉のようにそそり立ち、その河面(かわも)と集落を眼下に見下ろしているのだそうである。

「グンナルの砦は地球世界(アルウィンディア)の沿岸要塞を彷彿とさせる。まさに、魔界域という海原(うなばら)を見下ろす断崖の砦といえる。」

 そう、井上さんは手記に書き残している。ルドガ大渓谷のクルサーティリ側の崖は、魔物をたやすく寄せ付けず、視界も良く防衛の要となったために「グンナルの盾」「グンナルの砦」と名付けられ、今なお人々に知られているのだ。

 井上さんは「グンナルの砦」の向こうは魔界域だと書いているが、現在は、ルドガ大渓谷は清浄域に区分されている。いや、「区分されていた(ヽヽ)」と言うべきだろうか。

 ルドガ大渓谷の対岸の、渓谷を越えた先には森が広がっているが、その鬱蒼と茂った木々のさらに向こうには、ディフリューガル山脈に連なる高山ベラガホースが(そび)えている。

 その高山には、ハイランダー族の集落もあった。あの相田さんの血縁者が多い「山の一族」の集落である。「白き森」から聖地ウィクタ・ノファダまでを繋ぐ「供物の道」の通過地点にあり、厳しい自然環境の中にありながら、高級毛織物と「霜柱石(ソエレニア)」の加工で知られた宿場町だったのだそうだ。

 フィナン・ジディ魔界域の魔物がメドーシェン市を経由せずにクルサーティリ市へと進む場合、この高山ベラガホースを迂回して大森林を抜け、ルドガ大渓谷を渡った後、さらに「グンナルの砦」を乗り越えなければ人域にたどり着くことは出来ない。たとえメドーシェン市を越えてきたとしても、やはり「グンナルの砦」に阻まれることになるのだ。

 これほどにクルサーティリ市は魔物にとって「難関」なのである。この市の周辺では早くから農業が発展し、商業都市が建設されたそうだが、それは長い間この土地が安全だったことを示しているのだ。

 しかし、魔界域の深奥で何が起こっているのかは、誰にも想像がつかない。

 いや、ハイランダー族が長い間守り続けてきた「供物の道」が魔物によって断たれた時、既にその予兆はあったのかも知れなかった。

「ルドガ大渓谷の東岸に、魔物の大群が接近中。」

 そんな報せが、メドーシェン市に到達した。中央都市(イクシマール)からの早馬がエリュースト卿の下へ駆け付けるよりも、魔狩人(シーカー)たちの情報網の方が早かった。

「クルサーティリ市が魔狩人(シーカー)を募集している。」

「狩った魔物に応じて、金を出すそうだ。」

 魔狩人(シーカー)たちにとっては、蜜のような報せだった。情報を受け取った魔狩人(シーカー)たちは、色めき立ってメドーシェン市を出て行った。彼らにしてみれば、今はクルサーティリ市が「漁場いさば」なのだ。メドーシェン市で散発する魔物の襲来を待つよりも、大群を相手に思う存分暴れたほうが、実入りがいい。

 魔狩人(シーカー)たちの「大移動」が始まって、市民もこの異常事態に気付いた。金を出して彼らをメドーシェン市に引き留めるべきだと主張する者もいたが、多くは戸惑っていた。

 ルドガ大渓谷が魔物の勢力圏に収まれば、メドーシェン市は退路を断たれ孤立することになる。それを避けるには、魔狩人(シーカー)たちがクルサーティリ市に向かう事も許容しなければならないのだ。

 それにレドナス様が言うように、ルドガ大渓谷の戦況の方が、現在のメドーシェン市よりも厳しい事も事実だった。

鬼熊(メラグ)鎧蜥蜴(ガーヒーク)が目撃されているのが問題だな。ああいう大型の魔物が現れるから、追われて巨狼(ワーグ)魔狼(ガルム)が移動してくるんだ。」

 ゼヒュロンド生まれだが、長くオリエディレン地方で魔物狩りを続けていたという魔狩人(シーカー)のヒュンバットさんが言った。ライナルさんの屋台によく昼飯を買いに来る、既に髪や顎髭に白いものが混じり始めたおっさんである。ライナルさんの店には、飲み代のツケの支払い代わりに譲り受けたというこの地方周辺の地図がある。俺がクルサーティリ市の場所について質問すると、その地図を指さしながら色々とレクチャーしてくれたのだ。

巨狼(ワーグ)追われて(ヽヽヽヽ)出て来るんですか?」

「まあな。鎧蜥蜴(ガーヒーク)ってのは巨狼(ワーグ)よりもずっとデカい魔物だから。」

 俺はライナルさんを振り返ったが、ライナルさんもまた、眉間に皺を寄せ固い表情のまま首を横に振った。

 要するに、メドーシェン市の人々ですら、その名を聞くことは稀なのだ。ミニバンサイズの巨狼(ワーグ)よりも大きいと聞いたところで、俺の頭の中にさえ動物園で見たカバや象のような草食動物しか浮かんでこない。だが、その鬼熊(メラグ)鎧蜥蜴(ガーヒーク)に退路を断たれるようにして、魔物たちが大渓谷を越え進出しているというのである。

「最初は魔鼠(ベグダ)甲殻妖虫(デグミル)なんかか増える。鶏小屋の鶏が全部殺されたり、小さなガキが襲われたりしてな。それから魔狼(ガルム)巨狼(ワーグ)の群れが駆け込んでくるんだ。ま、今のメドーシェン市でも似たような事が起きているんだが、後ろの方に鎧蜥蜴(ガーヒーク)なんかが潜んでやがると、その展開が早くなる。昨日一組の群れが現れたと思ったら、次の日には五組も通り過ぎた、なんて事もあった。」

 ヒュンバットさんはエリュースト卿と同時期にヴァイズ・ルフスにいた事があり、一度だけ鎧蜥蜴(ガーヒーク)の姿を目撃したこともあるという。ヴァイズ・ルフスは近隣にさほど大きな魔界域はなく、帝都(ティオキリアス)に近い事もあって周辺の警備が行き届いた地域なのだが、なだらかな地形と農業の盛んな豊かな環境のため、ふらりとこのような魔物が流れて来る事があるのだそうだ。

「デカかったぞ、鎧蜥蜴(ガーヒーク)ってのは。鬼熊(メラグ)鎧蜥蜴(ガーヒーク)も、名前だけはみんな知っているが、誰も見た事はなかったからな。みんな上を下への大騒ぎだった。最後に魔王が現れてから百年以上も経つと、あんな恐ろしい魔物の事もみんな忘れっちまうってことだな。結局、神官様が昔の文献を片っ端から探して記録を見つけ出して、この名前を教えてくれたんだ。」

 この時目撃された鎧蜥蜴(ガーヒーク)は、三カ月もの間ヴァイズ・ルフスの砦の東の森の中を徘徊していたらしい。巨体でありながらいったん潜伏されるとその動きを追う事は難しく、時折ちらつく熾火(おきび)のように赤い光や、煙のように立ち上る瘴気(ヌアン)の筋を、砦の騎士たちは昼夜問わずに監視し続けたのだそうだ。

 魔界域の深奥に潜む魔物たちは、互いの持つ魔法粒子(イリューン)を奪い合って生きている。強力な魔物は回復魔力を持ち、殺し合いの過程で受けた傷を、その魔法粒子(イリューン)を使って短時間で修復するのだ。赤い光や瘴気(ヌアン)(もや)は、魔物が傷口を修復している時に見られるものだ。この鎧蜥蜴(ガーヒーク)も、受傷している時ばかりはその存在を隠すことが出来なかったらしい。

 最終的には、この大型魔物は遂に砦に到達することなく、森の向こうへ去って行った。その出現については「獲物となる巨狼(ワーグ)の群れを追ってたまたま清浄域に足を踏み入れたが、対象をほぼ狩り尽くし、また魔界域に帰って行ったのだろう」と推定されている。清浄域の生き物よりも巨狼(ワーグ)のような魔物の方が、彼らにとっては余程旨味のある獲物なのだった。強力で、多くの魔物から魔法粒子(イリューン)を吸収しており、それを魔石に変えて体内に蓄積している。魔界域にはそのような得物が多いのだから、そちらに帰ったほうが良い狩りができるだろう。

 とはいえ「終わり良ければすべて良し」と結論付ける事は出来なかった。

 この鎧蜥蜴(ガーヒーク)の接近により、巨狼(ワーグ)魔狼(ガルム)の群れが、連日のように近隣の集落や農地を通り過ぎて行ったのだ。それだけでも十分悪夢である。

 ましてやそれほどの存在が、いつも森の彼方に去ってくれるとは限らない。

 クルサーティリ市からの要請を受けた中央都市(イクシマール)からの指示に、エリュースト卿はすぐに動いた。

 いくらメドーシェン市も予断を許さない状況ではあるとは言え、クルサーティリ市の重要性をこの代官が知らないわけがない。「グンナルの砦」が魔物によって破られた際のその余波は、オリエディレン全体を大きく揺さぶる事になる。

 俺もその事は十分承知していた。噂話はすでに街中を飛び交っていたし、メドーシェン市に残った魔狩人(シーカー)は他にもおり、彼らからも色々と聞かせてもらっていたからだ。

 だから、エリュースト卿が将聖に白羽の矢を立てて召集した事についても、頭のほうでは納得していた。少数精鋭部隊の一員として選ばれた事が、自分の事のように誇らしかった。

 しかし、感情のほうはそういうわけには行かなかった。

 ザインさんがエリュースト卿の命を伝えに来た時からずっと、膝から下に力が入らないような変な感覚に付きまとわれている。肋骨の内側にも、硬い板のようなものを差し込まれてしまったような苦しい感じが消えなかった。


(※: 地球世界アルウィンディアの九月。エティスは豊穣の守護聖人。農業全般を司る。)



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