030_ハイランダー(中)
男はずんずんと歩いて行き、南門を抜けて更に街道を南下していった。ずいぶん歩くな、とは思ったが、身の危険を感じることはなかった。この辺り一帯はメドーシェン市よりも低い位置にあり、畑ばかりが続いている。南門からすっかり見渡せるし、その畑には知り合いの農家の人々が大勢働いているからだ。その上俺を先導する男は、その均整の取れた体を素晴らしくセンスの良い服で包んでいる。ただ歩いているだけで、人々が仕事の手を止めて顔を上げたり振り返ったりして二度見するのだ。こんなに目立つ男がこんなに目立つ場所で、俺をどうこうするとは思えない。
男が街道から脇道に進路を変えたので、ようやく俺にも目的の場所が分かってきた。古い採石場跡地の小高い丘だ。今も堆積物の上に伸びる雑草の隙間から、蜂蜜色の削られた岩肌を見ることが出来る。かつては切り出した石を積んだ荷馬車が往来したのであろう緩やかなスロープの上に、数人の人々が腰を下ろして休んでいた。
こちらに向かって小さく手を振った人影を見て、俺はやや安心した。将聖もそこに座っている。男の歩くスピードはとても速かったので、俺はやや息を切らしながら、最後のスロープを小走りに上って行った。
そこには将聖のほか三人の男と、女が一人、毛布を広げて車座になっていた。
「連れてきたか。ご苦労だった。」
将聖の右手二人目に座った男が言った。藤色の髪を緩やかに後ろで束ね、若い割に落ち着いた雰囲気をした男だ。
案内の男は肩をすくめただけだった。何だかこいつには最初から嫌われているような、敵愾心さえ抱かれているのではないかと思うような気配を感じたが、促されるままに俺は毛布の傍まで近づいていった。
「座ったままで失礼する。」
また、藤色の髪の男が言った。唇が動いたようには見えなかったが、俺にはそう聞こえた。
「あなたに創造神イズナーグの恩寵があらんことを。『山の一族』の娘よ。私の名はアーシファ。『白き森の一族』の長老衆の末席を汚している者だ。」
「あなたにも、女神様の恩寵が天上から惜しみなく降り注ぎますように。」
俺は、何度も将聖に練習させられたハイランダー族の挨拶を口に乗せた。チビりそうなほどの勢いで震えあがっていたので、歯の根がうまく合わなかった。
「私の名は優希。ウィクタ・ノファダから避難して、今はメドーシェン市に寄寓している者です。お会いできてうれしく思います。」
「長老衆」と聞こえたようだが、それほど老いている者は一人もいなかった。案内してきた男と淡い緑の髪をした女が二十代前半、ほかの三人はみな三十代の前半から中頃といったところである。俺は「何だかよく分からんが、偉い人がいるらしい」という事にますます緊張しながら、藤色の髪の男に向かってお辞儀をした。
顔を上げると、人々は全員、俺を凝視していた。
ハノスさんは「ハイランダー族は表情が読めない」と言っていたように記憶している。だが、俺の目にはそんな風には映らなかった。確かに耳が尖り、肌や髪の色が違う。人間族とは明らかに種族が異なるので、親近感が抱きにくく近寄りがたい印象を与えるのかもしれない。しかし、今はむしろその顔に、大きな動揺のようなものが浮かんでいるように感じられた。
――俺、まずったか?
俺はとっさに将聖に視線を走らせた。しかし将聖もまた、ハイランダー族の人々の方を注視したままだ。
「うん。やはり君も、我々の『声』に驚かないか。」
今度こそ、俺はしゃべっている相手がはっきりと分かった。藤色の髪の男が、ふうっと溜息をついて相好を崩す。ごく自然な表情だった。
「試すような真似をして済まなかった。アーシファは私だ。その円座の上に座るといい。サガロアの葉のお茶を飲むかね?」
アーシファさんはそう言って金属製の器を取り出し、傍らに置いた鉄瓶からとても香りのいいお茶を注ぐと、俺に手渡した。
俺は将聖の隣に座り、礼を言って聞き慣れない名のお茶を口にした。それはジャスミン茶に似た味で喉に心地良く、麦わらを編んで作った固めのクッションは、足を投げ出して座るのに丁度いい高さだった。もちろん俺は、ハイランダー族の中の紅一点の女性の真似をして、斜め座りをしてスカートの中に足を隠している。将聖は他のハイランダーの男たちと同様に円座の端に胡坐をかいていて、まるでその場は戦評定をする侍の一団のようだった。
「こちらがミシュハルフ。彼女がシャレイラ。その隣がルムリャ。そしてそちらがティーカだ。」
アーシファさんが人々を順々に紹介した。俺を案内してきた男がティーカだった。
「彼は目立つだろう。我々の護衛担当だが、広告塔も兼ねている。彼が着ていると、高い物でもよく売れるのでね。だから時々、こうして一人でお使いにやるんだ。君たちもなかなかいい筋をしているよ。」
アーシファさんはそう言って、俺や背筋を伸ばして座る将聖に好もし気な視線を向けた。最初に会ったのがティーカだったせいで、ハイランダー族はみな超絶美形のカリスマ集団かと勝手に思いかけてしまったのだが、ほかの男たちはもう少し平凡で気持ちのいい顔立ちをしていた。体つきも太からず細すぎず、健康的ではあるがティーカほど研ぎ澄まされているわけではない。
とはいえ、その清潔感はみな共通していて、着ている物の質も俺たちとは全く違った。将聖が身に付けている人間族の服とデザイン的には大差はないのだが、良い布地を使い、カッティングも優れているせいか、ずっとシャープな印象を与える。余分な装飾を施す代わりにシンプルに徹することで、素材そのものの良さを前面に押し出しているという感じだ。
唯一人、シャレイラさんだけはとても凝ったデザインの服を着ており、着けている装身具も多めだった。銀細工はどれも繊細で、素晴らしく手が込んだ造りだ。シャレイラさんもとても綺麗な女性なので、やはり「歩くファッション誌」の役割を果たしているのだろう。
「ずっと俺たちを探してくださっていたと聞きましたが……。」
慎重に将聖が切り出した。
「ウィクタ・ノファダの生き残りを探していたという事ですか?」
「まあ、そうとも言えるし、そうでないとも言える。」
アーシファさんは曖昧な言い方をした。そして自分でも煮え切らないと思ったのか、苦笑した。
「では、俺たちにどのような用があって来られたのでしょうか。」
将聖が質問を重ねる。警戒している。まあ、これまでの苦労を思えば仕方がないことだろう。
「こちらから押しかけておいて、あれこれ聞き出すのは不躾かも知れないが。」
アーシファさんはその問いには答えず、穏やかに切り出した。
「先に、こちらの質問に答えてもらいたい。我々は一族を代表して、ウィクタ・ノファダに関する情報を集めている。これは『白き森の一族』だけではなく、『山の一族』や『峡谷の一族』なども含んだ『族長会合』と『長老衆評定』双方からの命によるものだ。」
「……その『族長会合』と『長老衆評定』から命令が出ているという事を、証明できるものはありますか?」
「お、おい……。」
将聖は畳みかけた。俺は相手を怒らせるのではないかと内心怯んだが、将聖の背中は微動だにしなかった。
「君。初対面で警戒するのは分かるが、それほど我々が信じられないか?」
ルムリャさんが言った。俺たちに対し、一番厳しい目を向けていた男だった。
「君たちを探して、ずいぶん長い道のりを越えて来た。これでも、道中それなりに苦労もしたのだが。」
「……申し訳ありません。しかしこちらも、確認もせずに安易に何もかもさらけ出すわけには行かないのです。俺一人の問題ではありませんから。」
ティーカがじろりと将聖を睨んだ。毛布の外に立ったままだが、その長い腕で大剣を振るったなら、将聖の首など簡単に飛ぶ距離だ。しかも俺以外のこの場にいる全員が、将聖より年上で、ずっと体が大きいのである。
それでも将聖はルムリャさんを真っ直ぐに見返して、しゃんと背筋を伸ばしていた。虚勢ではなく、俺の未来にも関わる事だからだ。それを知っているので、俺も精一杯胸を張って顔を上げていた。
「……難しいな。この命令は、口頭で受けたものだから。」
アーシファさんが膝から片手を軽く上げながら言った。落ち着け、という合図だろう。
「直接ナザラート様からこのことを伝えられたのも、私一人だ。他の四人は、友人として私に同行してくれただけなのだ。」
「『族長会合』から旅費を支給された時にいただいた明細書が残っておりますよ、アーシファ様。」
憮然とした口調でルムリャさんが言った。溜息をつきながら、革で出来た書類入れの中から一枚を抜き出す。
「『同胞捜索資金として支給す(聖地及びその周辺地域担当)』とあります。もうすっかり赤字ですけどね。」
「……やはり、ルムリャを連れてきたのは正解だったな。」
「ですね。アーシファ様に会計を任せていたら、僕らの方が路頭に迷って、捜索隊が出されていたでしょうから。」
アーシファさんの呟きに、ミシュハルフさんが低く笑い出した。その間にルムリャさんが手送りで、明細書を将聖に手渡す。
「これで納得したまえ。他にはもう、何もないぞ。」
ルムリャさんが言い、将聖も書類を検めて頷いた。送りながら覗き込んだ限りでは、その書類の上に並んでいるのはインクで描かれた「優美なつる草」といったところだ。神聖文字でも人間族文字でもない。俺たちにとっては意味不明の記号の羅列に過ぎなかった。
しかし、疑われる事を何よりも嫌っているらしい、ルムリャさんの鞄から出てきたという事に意味があったのだろう。将聖もようやく少し警戒を解き、明細書を返しながら言った。
「分かりました。ウィクタ・ノファダに関する質問に応えます。」
だが、続けてこいつはきっぱりと言った。
「しかし俺たちは、女神フォーリミナに誓いを立てております。ですので、質問されても答えられないことがあります。」
「構わないよ。今の言葉で大分はっきりした。」
アーシファさんの表情が明るくなった。腑に落ちた、というように眉を開く。
「創造神イズナーグではなく、創造神の娘、守護の女神に誓いを立てていると言ったね? なら君たちが何者であるかについては、もはや自明と言える。私の憶測は、確信に変わった。」
「……あと、これから俺たちの話すことを、他には漏らさないと約束していただきたいんです。これも、女神様のご意志です。」
先に納得されてしまってやや戸惑った様子だったが、将聖は言葉を続けた。
アーシファさんは頷いた。
「勿論だ。私の方からもお願いしたい。今日ここで話し合うこと、話し合ったことはすべて、他の者には話さないでもらいたいのだ。君たちの事を教えてくれたドワーフ殿にもだ。これから話し合う事については、慎重に取り扱うよう命じられているのでな。」
「ありがとうございます。ここで話し合われたことは誰にも話しません。誓います。」
「誓います。」
将聖に続けて、俺も、声に出してそう約束した。
「私も誓おう。今日のこの話し合いの内容は決して他言しないと。君たちも誓ってくれるな?」
アーシファさんが連れの人々を見渡すと、みな声に出して「誓います」と言った。
全員が明確に意思を示してくれたので、将聖は頭を下げた。
こんな会話を交わしながら、俺はこの出会いで気づいた二つの事に思いを巡らせていた。
――やっぱり、「大鷲の一族」というのは人間族の側の呼称だったんだ……。
内心、俺は頷いていた。勇者の相田さんを受け入れた一族は、ハイランダーの間では「山の一族」とされているのだ。そしてそれは「大鷲の一族」などという大仰な名前より、はるかに当たり前で受け入れやすいもののように思われた。日本人の名字だって、大半は住んでいる場所の土地柄に由来しているものだ。
もう一つ、俺が注意を引き付けられたのは、「創造神イズナーグ」という言葉だった。
――魔王イズナーグを「創造神」と呼んだな?
「イズナーグ」の呼称は、人間族の間では「魔王」の名前とされている。初代勇者の時代からそう認識されており、それ以外の何者でもない。
だがハイランダー族にとっては、依然としてイズナーグは「創造神」なのだ。それは彼が堕落して「魔王」となり、勇者が現れるよりも以前からの信仰が、いまだに残っているという事を示している。裏返せば、それだけハイランダー族は古くから存在する種族であるという事だ。
ただし、これはある意味、ハイランダー族にとって危険な事なのかもしれなかった。イザナリアよりも文明的に進んでいる地球世界にあってさえ、二十一世紀になっても宗教戦争が続いていたのだ。今や多数派の種族である人間族から「悪」と見なされている相手を信仰しているという事は、差別や攻撃の理由を与えているという事にもなりかねない。
ハイランダー族が「交易の場以外では多種族との交流を好まない」という理由は、その辺りにあるのだろうかと俺はぼんやりと考えていた。
しかし、俺の思いを余所に、アーシファさんの話は続いていた。
「では、最初の質問だ。」
将聖が顎を引く。俺も膝の上で組んだ両手に力が籠った。
「君たちは、ウィクタ・ノファダで生まれたのかね?」
「いいえ。」
「じゃあ、ウィクタ・ノファダには一時的に寄寓していたのかな? 聞いたところでは、『ウィクタ・ノファダから逃れてきた難民』と称しているという事だが。」
「その通りです。俺たちは、以前は別の場所に住んでいましたが、その後ウィクタ・ノファダに移り、それからメドーシェン市に避難してきました。ウィクタ・ノファダより前に住んでいた場所については。」
将聖はここまで一気にしゃべって、大きく息を継いだ。
「お話しできません。」
「うん。」
アーシファさんはこの答えを予期していたのか、あっさりと頷いた。
「では、ウィクタ・ノファダを出てきたのは、いつの事かな?」
「二年前、正確には一年半ほど前の秋です。レクセイオンの月の下旬になります。」
「そうか。その頃、ウィクタ・ノファダでは何があった。」
「ワイバーンの襲来がありました。ウィクタ・ノファダは天然の要害で、偏西風の山おろしにも守られているので魔物が現れることは滅多になかったはずですが、そのワイバーンはどうやらそれまでの生息地を失ったのか、群れで頻繁に現れるようになったんです。外部と村を結ぶ街道が通行できなくなり、助けを求められないまま、大きな襲撃を何度も受けてほとんどの人が亡くなりました。もしかしたら俺たちのほかにも脱出できた人はいたかも知れませんが、……それはもう分かりません。現在、ウィクタ・ノファダがどうなっているのかも分からずにいます。」
「なるほどな……。うん。ウィクタ・ノファダの東側の谷周辺は、今はワイバーンの営巣地になっている。いつか取り戻したい場所ではあるが、……まあ、遠い先の事になるだろうね。」
アーシファさんは悲しそうに遠くを見やり、逆に俺たちは目を伏せた。
俺たちはウィクタ・ノファダの不幸の影に身を寄せて、自分たちの過去を隠している。それが何やら申し訳なかった。
だが、そんな中にあっても将聖の言葉に嘘はなかった。俺たちが転生した直後、あの天空の不思議な空間から最初に降ろされた場所がウィクタ・ノファダだったのだ。俺は「再構築」の後遺症が激しくてその場で目覚めることはなかったが、将聖は俺を動かせるようになるまで、短期間ではあるがその地に滞在していたと聞いている。その間に、フォーリミナからイザナリアに関するレクチャーも受けていた。「ワイバーンの襲来云々」の話も、その時教わったものだ。「物は言いよう」なのかも知れないが、将聖が嘘をつくまいと必死に努力しているのが俺にも感じられた。
だが、ふと目をやると、ルムリャさんは「ますます信用ならない」というように目を細めて俺たちを見ていた。ミシュハルフさんやシャレイラさんも、難しい表情をして黙っている。俺は何を疑われているのかも分からず、ただただ居たたまれぬ思いのまま、身を固くしてその場に座っているしかなかった。
――やっぱり俺たちのことを、「最後の砦」を逃げ出した「裏切り者」だと思っているのか?
それはそれで一大事ではあるが、俺には更に気掛かりな事があった。
――ルムリャさんたちはもしかしたら、俺たちがハイランダー族を自称していることも受け入れられないのかも知れない。
俺自身に、自分をハイランダー族だと位置づけることに対する抵抗感があっただけに、その「嘘」が彼らを怒らせているのではないかと俺は恐れていた。
俺は「転生者」だ。ハイランダー族の風習にも精通していない。レニオラやリーシャから受ける質問のあれこれを「一族の掟だから」と称してかわし続けてきたが、レニオラやリーシャに対しても、ハイランダー族に対しても、ずっと心苦しさを募らせてきた。
しかし俺たちはもう、外見上は完全にハイランダー族なのだった。この姿で人間族やドワーフ族を名乗ることは出来ない。たとえ自分自身が「俺は人間族だ」と思っていたとしても、そう名乗るしかなかったのだ。
将聖は「日本の風習が分からなくても、海外の日系人だってそう名乗っているんだから、そんなに気にするな」と言ってくれたが、それでも他人に成りすましているような気持ちは消えなかった。そう言う当の将聖も、ハイランダー族に対する責任のようなものを感じていたようで、その名を汚すような行いだけは厳に慎んでいたのだからなおさらだ。
冤罪であるにも関わらず、「裏切り者」の汚名をただ風化させようとはせずに、自警団の活動を通して命懸けで払拭してきたのも、差別や侮蔑を振り払うためばかりでなく、そうすることで自分が傷つけてしまったハイランダー族の名誉を回復させようと感じていたのではないかと思うこともある。
だから、出来る事なら俺はハイランダー族に「俺たちの事情」くらいは理解してもらいたいと思っていた。「自分たちの一族の者」であることは認められなかったとしても、俺たちを恨んだり、「裏切り者」として蔑んだりはしないでほしかったのだ。
だが、ルムリャさんの表情は硬く、その他の人々も押し黙ったままだった。
この雰囲気に、将聖も居心地の悪さを感じているのか、唾を飲み込む音がゴクリと大きく聞こえた。
「君は嘘を言っていないのかも知れない。」
しばらく考え込むように黙ってから、アーシファさんが言った。
「ただ、君の話には、色々とつじつまが合わないことがある。ウィクタ・ノファダは我々の聖地だ。君の言う通り、霊峰ディフリューガルの山おろしに守られて、長く魔物はおろか、瘴気さえも寄せ付けぬ清浄の地だった。魔界域を眼下に見下ろしながら、ね。彼の地に至る道は一本しかなく、その道を『白き森の一族』はずっと守り続けてきたし、今も守り続けている。だからこそ言えるのだが……。」
アーシファさんは一瞬言葉を切って、俺たちの顔を交互に見た。
「我が一族が守る道を通って入山することを認められるには、まず下界で百四十年以上、『山の一族』であっても七十年以上生きた『長老』でなければならないとされているのだ。長老方のお世話をしたり、月々の供物を届けたりする役目に就くだけでも、『山の一族』なら六十歳を越えていなければならない。」
ルムリャさんが軽く顎を引いた。彼もこの辺りが引っかかっていたのだろう。
「そして、ウィクタ・ノファダへ続く『供物の道』がワイバーンによって破壊されたのは五年前だ。あそこには勇者アイダの時代に築かれた砦の遺跡が残っているが、それ以外は長老たちのお住まいと、創造神に祈りを捧げる祭壇しかなかった。井戸や小さな畑があったとは聞いているし、果樹も植えられていたそうだが、聖地の長老方はほぼ、供物の食料と燃料を頼りに暮らしておられた。ワイバーンが現れた後、何度も何度も、……それこそ何度も長老方をお救いするための討伐隊が編成されたが、成功せぬまま半年が経過し、……我々は諦めた。その後、『供物の道』も半分以上魔界域に呑まれて既に三年になる。」
俺たちは動揺を隠せなかった。フォーリミナは将聖に嘘でも教えたのかと思ったが、将聖の顔を見ると、頬が張り詰めている。もしかすると詳細な時期までは伝えられておらず、それを直前の事だと間違って認識していたのかもしれない。
「我々が知る限り、ウィクタ・ノファダに君たちのような若者はいなかった。それに、『山の一族』は数が少ない。今は『草原の一族』の地に移住して共に暮らしているが、あの地に残っているのも六人だけだ。姿は似ているが、君たちが『山の一族』である可能性は低い。正直、君たちが何者であるのか、私には分からないのだ。」
そう言いながらも、アーシファさんの表情は柔らかだった。将聖の話をそのまま受け入れられないとはしながらも、決して責めているような気配は見せない。
それでも、俺の心臓はばくばくと激しく鼓動していた。
――やはり、俺たちが何者なのかを探りに来たのか。
俺は思った。「ウィクタ・ノファダに関する情報を集めている」というのは方便に過ぎなかったのだ。俺たちが「ハイランダー族の聖地」にいたと主張している事が許せないのか、それとも存在自体が受け入れられないのかは分からないが、こうして調査のための一団が派遣されるほど、ハイランダー族にとっては見過ごしては置けない事態だったらしい。
将聖も黙り込んでいる。どう切り返したらいいものか、考えあぐねている様子だ。
俺も「さっきまで『君たちが何者なのかは自明だ』なんて言っていたくせに」と腹の中では毒づいていたが、それでも何も言い返すことが出来ずにいた。
「で、どうなのさ? やっぱりこいつらは嘘つきだったわけ? それとも、俺たちの知らない『謎の一族』の奴らなのか?」
不意にティーカが横から割り込んだ。シャレイラさんが天を仰いで溜息をついた仕草から見て、これはかなり言葉遣いが悪いか、無作法な行為なのだと思った。
構わずボキボキと指を鳴らしながら、ティーカは言った。
「そんなら、もう下手な口は利けないように、ぶちのめしておいてもいいぞ?」
「待て。そう簡単に決めつけてはいけない。」
ルムリャさんがすかさず言った。
「確かに、彼の言う事は我々の知る事実とは大きく異なっている。だが、だからこそ何か事情があるのかもしれない。もし我々を騙そうとしているのなら、ここまではっきりと明言はしないはずだ。」
剣呑そうな目つきで見てくるわりに、ルムリャさんは公正な人だった。今度はミシュハルフさんが笑いながら、ルムリャさんに気づかれないように天を仰ぐ。
「それに、彼らはアーシファ様の『声』に驚かなかった。我々の一族の長老方に、なにがしかの縁のある者であることには間違いないだろう。」
「まあね。でもこいつの『声』って、何だか節操がねえだろ?」
今度はルムリャさんが天を仰ぐ番だった。
「……アーシファ様の『声』が、何だって?」
「いや、この女の『声』が、だよ。この女、俺やドワーフのおっさんや人間族のガキに向かって、全員と一気に『声』使って話しやがる。」
どういう事か分からなかった。俺の目配せの問いかけに、将聖も怪訝な表情で応える。
だが、シャレイラさんは何かに思い当ったらしく、はっと息を呑んだ。ルムリャさんとミシュハルフさんも、そろって目を剝いた。
アーシファさんだけが表情を崩さず、「説明してくれ」とティーカに向かって言った。
「俺があのドワーフのおっさんと迎えに行ったらさ、その女はおっさんに飛びついて、『久しぶり~』とか何とか、ペチャクチャしゃべり始めたんだ。おっさんはドワーフ語で普通に会話しているようだったんだが、傍にいた人間族のガキはニヤニヤしているし、俺も言ってる事が全部分かったから『あれ?』と思っちまった。俺はドワーフ語ならちっとばかしは聞き取れるし、あのおっさんもハイランダー語が多少は分かるみたいだから、案内くらいなら互いの言葉で何とかなったんだが、そういうのとも全然様子が違うんだよな。カタコト同士のやり取りじゃねえ。だから、ああ、これは長老様が使っている『声』だな、とは思ったんだけど、長老様はああいう使い方はしねえだろ。うちの祖父様もいつも言っていたんだぜ? 『声』ってのは、みだりに使っていいものじゃない、相手の心にずかずか踏み込むようなものだから、ってな。」
「それは相手が話したくないと思っている時や、雑念の激しい『声』を、無理矢理聞かせた時だけだよ。そんな事をしたら当然、抵抗される。」
ミシュハルフさんは衝撃を受けた様子だった。
「ただ会話や伝達を円滑にしているだけなら、『声』が使える術者ほど重宝される者はいない。このアーシファ様が隊商の同行に引っ張りだこなのは何故だと思っている。」
「要するに、彼女は複数の相手に向かって、普段から日常的に『声』を使っている、という事なのか? ……つまり、もしかすると今も?」
ルムリャさんが俺の顔を問いかけるように見たが、俺も訳が分からず身構えているのを見て、溜息をついた。
「しかも、どうやら無自覚らしいな。」
ルムリャさんは、今度はシャレイラさんを見た。シャレイラさんも将聖を見ながら、躊躇いがちに口を開いた。
「ええ。ダイガン商会の方に連れられて訪ねて行った時、そちらの少年は人間族の友人方と、仕事帰りに水浴びに行く話をしていました。というか、そんな事を話しているんだろうな、と思いました。私には、彼の言っている事しか分からなかったので。でも、ちゃんと意思の疎通は出来ているようでしたので、私は友人の方々の方が私たちの言葉を理解しているのだろうと思っていたんです。……ああ、でも確かに。」
シャレイラさんは思い出したようにくすくすと笑い出した。
「私が『一族の者がこの少年と話があるので連れて行きます』と言っても、友人方はぽかんとしていました。それから、ずいぶんと冷やかされたような。あれは、私が少しばかり彼らを誤解させてしまったという事なのかも知れませんね。」
「そうか、なるほど……。いや、待て。」
呆然とするルムリャさんとミシュハルフさんを余所に、アーシファさんだけが楽しそうだった。
「勇者アイダの血筋の者は、人間族のように発声することが出来る。それと混同しているだけかもしれない。少し試してみたい。ユウキ、だったか。悪いがちょっと、我々の真ん中に立ってもらえるかね?」
――何が始まるんだ?
みんなが何に騒いでいるのか、だんだん俺にも飲み込めてきた。フォーリミナが俺や将聖にくれた加護、「意思疎通」の能力に驚いているらしい。そしてどうやら、先ほどアーシファさんが予告なしに俺たちに「声」とやらを聴かせたように、また別な方法で、今度は俺たちの使う言葉の正体を聞き出そうとしているのだ。
俺は将聖に、この「実験」を受け入れていいか、目で問いかけた。
俺自身は、それくらいの事には付き合ってもいいと思っていた。むしろ俺自身に何が起こっているのか知りたい気持ちがあったのだ。将聖のように火の魔法などは使えなかったが、この「意思疎通」も何か特別な能力であるならば、転生者の端くれとして、そうである事を知っておきたい。
将聖は頷いた。俺はライナルさんの店で売り子もしているので、先ほどの抜き打ち検査のように、どこかで知らぬ間に試されてしまう事もあるかも知れないからだろう。俺たちは彼らがメドーシェン市に滞在している間中、ずっと黙っているわけには行かないのだ。ならばこっそり探られるよりも、今協力してしまった方がいい。
俺は立ち上がると、固いワリに座り心地のいいクッションをつかんで毛布の真ん中に進み、また腰を下ろした。アーシファさんが促すと、シャレイラさんが俺の方へ身を乗り出して、嬉しそうに口を開いた。
「改めまして。シャレイラよ。よろしくね。えっと、ユキィ、だっけ?」
「え……、っとその、ユークと呼んでください。メドーシェンのみんなには、そう呼ばれていますから。」
「そう。分かったわ、ユーク。少しお話ししましょう。質問してもいい?」
「……私も多分、全ての質問にお答えすることはできないですが、いいですか?」
「あら、そんな身構えなくていいわ。この街で一番美味しいお菓子を売っているお店とか、女の子に人気のお店を教えてほしいの。私はこの格好で、そういうお店を回るのが仕事だから。」
「甘い物ならダイガン商会の店ですね。」
俺は、三方から囲むアーシファさん、ルムリャさん、ミシュハルフさんの胸に白い光が灯るのを目の端に捉えながら言った。光っているのは魔石だろう。メドーシェン市に来る行商人たちには、旅の安全を祈願して魔石のお守りを首から下げている者が多い。
「中央都市で流行りの食べ物をいち早く取り入れて、メドーシェン市に紹介するのはあの店ですから。」
俺は言葉を続けた。
「それじゃ、つまらないわ。」
シャレイラさんが首を振った。
「そんなお菓子じゃ、みんな特別な日にしか食べないでしょう? 私は、普段からみんながちょくちょく覗きに行くような、そんなお店に行きたいの。メドーシェン市の人達が自分たちの街のお菓子と思っているような、*********、****************。」
「え? ……ええ?」
俺は急にシャレイラさんの言葉が分からなくなって戸惑いの声を上げた。
「シャレイラさん、ちょっと待って!」
「*****? *********?」
シャレイラさんも驚いた表情をしていた。向こうも俺の言っている事が理解できなくなったらしい。身振り手振りで「私も分からなくなったわ」と伝えてくる。
「あの、シャレイラさんの話している言葉が、急に分からなくなりました。」
俺はアーシファさんを振り返った。
「みなさんは、私が言っている事が分かりますか? 私は今、ちゃんと普通に話していますが……。」
アーシファさんは、その綺麗な目を大きく見開いて俺を見ていた。少し驚いたような、それでいて納得したような表情で「******……」と呟いている。
ルムリャさんやミシュハルフさんが精神統一を解いてしばらくすると、ようやくシャレイラさんが何を話しているかが分かってきた。
「ユーク! 大丈夫? 怖くなかった?」
大丈夫です、と俺は言ったが、シャレイラさんの言う意味は分かった。心の準備が出来ていたからまだ落ち着いていられたが、やはり話し合っている最中に、突然相手が何を言っているのか分からなくなるというのは動揺する経験だったからだ。それに俺はその間中、何か息苦しさのようなものも感じていた。
「今、何をしたんですか?」
俺の問いに、ティーカが言った。
「魔物と戦う時の目くらましを使ったんだよ。」
「……?」
「我々の魔晶石を使って、君を中心に強い魔法粒子の渦を作った。そうすることで、内側の空間と外との魔法粒子の流れを遮断したんだ。」
乱れた息を整えながら、アーシファさんが補足した。
「我々は人間族ほど数が多くはないのでね。魔物との戦闘の際には、こうやって我々の人数や能力を気取られないようにしているんだ。」
「……それにしても、驚いたな。」
ミシュハルフさんも肩で息をしながら言った。どうやら、この「目くらまし」というのはかなり体力を消耗するものらしい。
「この子がしゃべっているのを聞いたかい? この子の本当の言葉は、神聖言語だ……!」
「まあ、ある意味ヒト族の共通言語だな。」
呆れたように頷いたのはルムリャさんだった。
「我々ハイランダー族とドワーフ族にその名を付け、ヒト族として人間族と結びつけたのは勇者だから。」
それから、ルムリャさんはアーシファさんを少し避難がましい目で見た。
「あなたも人が悪い。この子たちが何か、特別な子供だと知っていて黙っていたのですね?」
「ああ、そうだったな。」
アーシファさんが済まなそうに頷いた。
「この捜索の旅に君たちも連れ出しておきながら、詳細を伝えることが出来なかった。『族長会合』と『長老衆評定』の命で、この二人の事は軽々しく口に出来なかったのだ。余計な期待もさせたくなかった。許してもらいたい。」
「……なるほど。目的の相手が二人だという事も分かっていたという事ですか……。構いませんが、他にも何かあるのでしょう?」
ルムリャさんが不意に笑い出した。拳で口元を押さえながら、ちょっと意地悪そうにアーシファさんを見る。
「そうでなければ、あなたが道中買い込んだ大量のオムツと、彼が現れた時に見せたあの慌てようの間に説明がつきませんから。」
「確かに、もっと幼い者を想定してはいた。」
アーシファさんが憮然とした口調になった。
「それには相応のワケがあるのだ。だが私は自分でその理由を説明するよりも前に、彼らの口から真実を聞きたいと思っている。」
アーシファさんは俺たちに真っ直ぐに体を向け、真剣な表情になった。
「私は創造神と、我が母の名に誓って言う。私は決して君たちの秘密を漏らさず、君たちの言葉を否定せず、君たちの過去をみだりに詮索はしない。また君たちの正体を知ることで、君たちを利用したり、君たちに不利に働くような行いをしたりはしない。私は創造神に仕える者として、ハイランダー族の未来を守ると誓った者の一人として、真実を知るためにこの地に来た。どうか、私を信じて教えてほしい。君たちは一体何者なのかね?」
俺は将聖を見た。ハイランダー族と出会った時、最終的にどうするかは、将聖は既に腹を決めていたのだ。
「いざとなったら、本当の事を話す。」
そう将聖は言っていた。
「下手な嘘をつけるほど俺は頭が回らねえし。イザナリアのことだってまだ知らねえからさ。女神様も『転生の事は隠した方がいいが、いつかは明かさねばならぬ時が来るだろう。その時の判断は、お前に任せる』と言っていた。何が起こるか分からないが、墓穴掘って後で恥かくより、本当の事言って信じてもらえない方がマシだ。」
将聖は、大きく深呼吸をした。
「俺たちは、『転生者』です。地球世界からきました。」
アーシファさんが深い溜息をついた。満足そうな、大きな微笑みをその顔一杯に浮かべる。
「なあ、おい。何黙ってるんだよ。やっぱりこいつらはぶん殴っておいたほうがいいか?」
その場に落ちた沈黙を破るように、ティーカが言った。
新年あけましておめでとうございます。
遅くなりましたが、第30章を投稿しました。今月も無事投稿出来て、ほっとしております。お楽しみいただければ幸いです。
本年も精進してまいります。応援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。




