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俺たちは勇者じゃない  作者: 陶子
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003_イザナリア

本小説ページにお立ち寄りくださいましてありがとうございます。

特にもブックマークをして下さった方、ポイントを付けて下さった方には感謝申し上げます。

励みになっております。


 自分の身体からだの変化に気づいても、俺はすぐに反応できなかった。

 ぽっかーん。

 まさに、そんな感じだ。頭の中が真っ白だった。

「なに? 何で? 俺今女なんだけど。」

 しばらく呆けた後、俺はようやくまた、その驚きを言葉にした。

 自分で自分に言い聞かせないと、何が起こっているのかよく分からない。

 女の胸がある。丸く膨らんだ袋が二つ、胸板にぶら下がっている。それがただただ、気持ち悪い。気持ち悪すぎて、触ってみようという気も起きなかった。

「え? 何これ。ええええ~…。」

 俺は何度もシャツの中を確認した。何度見ても結果は変わらないのだが、何度見ても現実とは思えない。驚きの渦に飲み込まれて、ひたすらぐるぐると攪拌かくはんされているような気分だ。大声で悲鳴を上げたいのに、ひどく乾いた言葉しか出てこない。

 将聖がようやく、あきらめた様子で振り返ったが、俺がもそもそとベルトを外して前ファスナーとトランクスを下げ始めると、こむら返りでも起こすんじゃないかという勢いでまた顔を背けてしまった。

「…ない。ない。俺のが、ない。」

 目の当たりにして、ようやく声が震えてきた。自分の声が、見えない壁の向こうから聞こえてくる。

「俺の息子が、どっかへ行った。」

「…それ、俺がお前のパーツをいろいろ貰っちゃったから。」

 将聖がのろのろと口を開いた。

「お前、息子が二つもあるのか?」

「いや二つはないけど。俺の筋肉支えるためには、下垂体とか副腎皮質とかが強くなければならないとかなんとかで、全部じゃないけど、いろいろ移し替えられちゃって。だから、お前を『再構築』でまた男にするのは危険だって言われて…。」

「じゃ、お前、俺が女にされたの、知ってたのか?」

 俺はまだ、何の感情も抱くことができぬまま、将聖に尋ねた。

「…うん。…ごめん…。」

 躊躇ためらい躊躇い、将聖が答えた。顔を背けたまま、俯いている。

 へえ、と俺はつぶやいた。もうそれしか言いようがなかった。

「なあ、将聖。これって、元に戻るよな?」

 俺は将聖に訊いた。え、という声を一言発したきり、将聖は固まった。

「俺たち、転生しちゃったから少し体がおかしいけどさ、だんだん元に戻るんだろ?」

 将聖がいつまでも動かないので、仕方なく俺はトランクスとスラックスを着なおした。きちんとベルトも締めて顔を上げると、ようやく将聖が振り返る。

 深刻な表情かおだった。いまだかつて見たこともないほど、深刻な表情で、将聖が俺を見ている。

 しばらく見つめあって、…俺はようやく理解した。

「…これ、戻らないのか?」

「…俺はやめてくれって言ったんだ。」

 将聖がかすれた声で言った。言い訳だと気づいたらしく、またさっと顔と目を背けてしまう。振り払って隠そうとしたらしいが、その目から涙が飛び散った。

 ようやく、俺の胸にじくじくとした不安が込み上げてきた。

 どうやら転生と同時に、俺は女にさせられてしまったらしい。そしてどうやら、男には戻れないらしいのだ。

「な、何するんだ?」

 突然俺がふらつく体を踏ん張って立ち上がろうとしたので、将聖が引き留めるように肩をつかんだ。俺はその手を振り払って、また無理に立ち上がろうともがいた。

「便所。俺、ちびりそう。」

 手足がぶるぶると震えた。おそらく今の四肢には慣れていないせいだろう。将聖がまた助けようと手を出してきたが、俺はもう一度、今度はもっと力を込めて振り払った。

「こっち来んじゃねえよ。それから、絶対に、こっち見んなっ。」

 俺は必死に立ち上がった。

 頭が重い。体のバランスがうまく取れない。

 俺はふらふらしながら焚火の光の届かない、藪の中へ入っていった。

 ――ションベンって、どうやってするんだっけ?

 思考が完全に停止してしまっていた。ファスナーを下げて自分の一物いちもつを探すが、手を突っ込んでも見つからない。

 ――ああそうだ。女はしゃがんでするんだったな。

 体ががくがく震え始めた。早くしないと、スラックスがびしょ濡れになってしまう。

 俺は左手を巨大樹の幹にかけて体を支え、右手でベルトのバックルを外し、スラックスとトランクスを下げた。そろりそろりとしゃがみ込み、ようやく用の足せそうな体勢になったが、今度はションベンが出てこない。あんなに切羽詰まった感じだったのに、ぴたりと止まってしまっている。

 この場所まで来て、この体勢になるまでの苦労を考えると、出さないで帰るのは得策ではない。俺がしばらくいきんでいると、ようやくちょろちょろと流れ出てきた。ションベンと一緒に、涙も出てきた。

 なんだかとてつもなく気分が悪かった。ケツを全開にしないと用が足せない。それだけでも何か無理やり無防備にさせられてしまった感じがするのに、後始末まで必要な感覚だった。軽く振って水気を落とせばいいというものではないらしい。俺は必死で手近にある草の葉を引きむしった。薄暗い光の中で、何度も変な虫がついていないことを確かめてから、ションベンが流れ出た辺りを拭く。それでもそのままトランクスを穿くのが躊躇ためらわれ、俺は目を閉じてスラックスごと引き上げた。変な場所を触ってしまったので手も洗いたいのだが、ここに水はない。また柔らかそうな草を引きむしり、よくもんだものをおしぼり代わりにして指先を拭いた。爪の間まで緑に染まったが、その青臭い匂いでションベンの臭いが消えることを願った。

 無事に用を足せたことに安心し、大きく深呼吸をして。

 …そして俺は絶叫した。

「何だよこれぇっ!」

 涙が噴き出した。気持ち悪い。とてつもなく気持ち悪い。

 あまりにも恐ろしいことが起こってしまった。

 自分が吸血鬼になってしまったとしたら。自分が狼男になってしまったとしたら。

 ほかにどんなことが起こったら、こんな風に感じるのだろうか。

 魂が、肉体を脱ぎ捨ててしまいたいと切望するほどの、自分自身への嫌悪感。

「何だよこれっ! 何だよこれっ! 何だよこれっ!」

 俺はわめき、体をかきむしった。どこかへ逃げたくて森の奥へ駆け出そうとしたが、すぐに地面に倒れこみ、ますます身悶えするほどの怒りに駆られた。立ち上がろうとしたが手足が言うことを聞かない。俺は肘と膝をついたまま、頭を地面に打ち付けた。

「こん畜生っ! こん畜生っ! こん畜生っ!」

 将聖が血相を変えて飛んできた。

「何してる、優希っ!」

「放せクソが! この卑怯者!」

 背後から腰に腕を回して、地面から強引に俺を引き上げた将聖に向かい、俺は怒声を張り上げた。涙声まで甲高く耳に突き刺さる。

「知ってて黙ってたな? さっきから素知らぬ顔しやがって!」

「いや、その、素知らぬ顔をしていたわけじゃ…。」

「じゃ、何で最初っから言わねえんだよっ。」

 将聖は上を向いたまま、真っ赤になって黙っていた。真面目な将聖は、こういうとき、一人で責任を感じて反論を止めてしまうのだ。その目からも、あとからあとから涙がこぼれてくる。

 クソ。俺だって分かっている。これはあいつのせいじゃない。

 あいつが悪くないってことは、分かっている。

 だけど、…だけど。

 俺は将聖の腕から逃れようと、手足をばたつかせた。

 受け入れられるものと受け入れられないものってのがあるだろっ!

 こんなことが受け入れられるか! こんな、こんな恥ずかしくて気持ち悪くて最悪なことが受け入れられるわけないだろが!

 受け入れられるか! 受け入れられるはずあるか!

 俺は男だ! 男として十七年を過ごしてきたんだ!

 俺は、男だ!

 今さら、女なんかやってられるか!

「何だよこれっ! 何だよこれっ! 何だよこれっ!」

 俺はわめき続けた。わめいていないほうがおかしくなってしまいそうだった。

「最悪だ。最悪だっ。…最悪だ最悪だ最悪だっ!」

 俺は叫びながら泣き続けた。自分自身が気持ち悪い。吐き気がした。目が回る。

 げふっ。

 俺が体を二つ折りにし、吐きながら泣くのを見て、ついに将聖も泣きだした。

 吐きながらといっても、出てくるのは胃液が少しばかりだったけどな。

「ごめん、優希。ごめん。…ごめんっ!」

 将聖は俺を無理矢理立たせると、自分に向かせて取りすがるように両肩をつかんだが、俺はあいつの胸を乱暴に押しやった。

「触んじゃねえよっ!」

 将聖は、俺の細腕に素直に突き飛ばされて尻餅をついた。そのまま項垂うなだれて膝を抱えると、肩を震わせて泣きだした。半狂乱になっている俺よりも、みじめな姿だった。

 将聖の支えを失った俺も反対側に尻餅をつき、腹を押さえたままわあわあと泣いた。

 体の中を、嵐が吹き荒れる。

 俺は声を上げて泣き、将聖は声もなく泣いた。

 …後から振り返ると、俺にあそこまで泣かれた将聖が、あの時どんなに傷ついて、辛い思いをしたのだろうと思う。あの時すでに将聖は、俺の一生の面倒を見るつもりでいたんだろう。

 そのための、俺は足枷あしかせなのだから。

 俺たちは泣くだけ泣いて、ひたすら泣き続けた。

 それが俺たちの中に、何か浄化作用を起こしたのかもしれない。

 しばらく泣き続けて…、俺たちは泣くのに疲れて、どちらからともなく泣き止んだ。

 何だか泣きすぎて、体がふわふわする。

 こんな風に泣いたのは、ずいぶん久しぶりの気がした。小学生以来かもしれない。

 ぼおっとする頭をあいつに向けて、俺は言った。

「もう寝るわ。とりあえず、明日になったら食い物か町を探そうぜ?」

 目と鼻を真っ赤にした将聖も頷く。こんな時なのに、濡れたまつげが綺麗だと思う。

 さっき起きたばかりなのに、俺はどっと疲労感に襲われて、どうにか寝ていた元の場所に戻ると、また倒れこむように横になった。目印は地面に敷いてあるブレザーだったが、ふと見やると俺はちゃんと自分のブレザーを着ていて、それは将聖のものだと気づく。ワイシャツだけのあいつが寒そうだ。

 返さなきゃ、と俺は頭の片隅で思ったが、意識はすぐに暗闇の中に呑まれていった。



 俺と将聖は巨大樹の森を、南西に向かって歩いていた。

 あの女神(フォーリミナという名だそうだ)が、地上に着いたらその方向を目指すようにと将聖に指示したのだそうだ。上天気の日で、これほど巨大な樹木が密生しているというのに、陽光が隙間から差し込んで下生えを明るく照らしている。こんな状況でなかったら、日本では決してお目にかかれないような雄大な風景を楽しみながらハイキングを満喫できただろう。

 だが、先行きの不安な俺たちは、ただひたすら先を急いだ。元の世界でも球技大会が終わって、二学期末の定期考査試験の準備が始まるころだったから、季節はほぼ同じ晩秋の頃合いで、天気は良くても空気は肌寒かった。

 俺は将聖の腕にすがって歩いていた。

 俺が目覚めてから、今日で三日目になる。今朝になっても、俺の手足はうまく動かなかった。だがこれは当初よりはずっとましなほうで、出発した朝はもっとひどかった。将聖が手を貸して立ち上がらせてくれたが、俺は全身がぶるぶると震えて、しばらくは足を踏み出すことも思うようにできなかったのだ。

 俺はいまだにまだ少し眩暈めまいもして、何度も足をもつれさせた。でも以前よりも身長差が開いた将聖は、俺が体重をかけて寄りかかってもビクともしなかった。

 おんぶするか、というあいつの申し出に、俺は聞こえなかったふりをした。

 ずいぶんと歩いた気がする。

 俺がなかなか前へ進めなくて休み休み歩いたといっても、丸二日歩き続ければそれなりに距離は稼げているはずだ。それなのに、まだこの巨大樹の森から出ることもできない。どれだけこの森は広いんだろう。

 フォーリミナは、俺たちを転生させた直後に遭難させる気でもいたのだろうか。不思議と腹は空かなかったが、こんな大自然の真っただ中に放置するなんて、正気じゃない。

 俺がそういうと、将聖が首を振った。

「俺たちが異世界から来たことを隠しておくためだ。」

 歩きながら、将聖は話し始めた。俺が「再構築」の反動で気を失っている間に、フォーリミナからいろいろなレクチャーを受けていたらしい。

「この世界は…、イザナリアっていうらしいんだけど、これまでも何度か異世界から転生者を呼び寄せていたらしい。」

 将聖の説明によると、イザナリアは俺たちの世界よりずっと古く、何度も氷期や間氷期を迎えて様々な進化を経た後らしい。イザナリアにも人類はいるが、文明が生まれては滅び、発展しては衰退し、を繰り返し、大量破壊兵器によって絶滅したことさえあるという、地球よりはるか先を行った世界なのだった。

 とはいえ、今生きている人類はイザナリアにおいては四度目(!)に現れた人類で、地球世界(アルウィンディアと呼ばれているらしい)での中世に近い文化程度なのだそうだ。俺はそんな惑星規模の歴史を聞かされてもピンと来ず、ただ、どこまでもテンプレな転生先ワールドだと思っただけだった。

「俺たちが転生したことの理由をいうのに、進化の始まりから説明されたのか? そんなことを聞かされたからって、何になるんだよ。」

 俺はできるだけ低い、不機嫌な声で言った。

「いいから聞けって。こういった歴史をちゃんと知っといたほうが、いろんなことが理解しやすくなるんだよ。」

 将聖も低く硬い声で言う。俺のほうを見ないようにしているのは、俺がそう要求したからだ。

 今日の俺は、歩きながら会話ができるほどに今の身体からだに慣れてきていた。

 しかし一昨日おとといの朝は最悪だった。イザナリアでの旅立ちの日だというのに、目覚めた時から頭が重くて、鏡を見なくても顔がむくんでいるのが分かった。だがそれは、これから始まる最悪の日々の始まりに過ぎないのだ。

「あの時死んでいればよかった。」

 そう思う時が来るのが、こんなに早いとは。

 だが、今、俺が声を低めているのは、おそらく将聖が考えているのとは違う理由からだった。

 細くて、高い声。とても自分の声とは思えない。違和感がありすぎる。

「要するに、イザナリアでは石炭や石油のような化石燃料はほぼ使い果たされてしまっていて、すぐに使えるエネルギー資源としては、水車や風車以外は『魔法』しか残されていないっていうことなんだ。」

「クソ。チートで無双する夢が一つ絶たれたな。」

 俺はできるだけ冗談めかして言ってみたが、将聖は笑わなかった。

 フォーリミナの話によると、地球世界アルウィンディアは温暖化やエネルギーの枯渇の進行でかなり危うい状況にはあるけれども、まだそこに住んでいる人々はそれを合理的な方法で解決しようと努力しているため、人類としてはかなり優秀な部類にあると評価されているということだった。

 すなわち、俺たちを創った「創造主」たちから、それらの危機を克服できる可能性があると見做されて、期待されているということなのである。国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)や海洋プラスチックごみの回収プロジェクト、太陽光や風力による発電などといった取り組みは、俺たちを凌駕した存在からも注目され、危機を克服することを熱望されているという話なのだった。

 …もうなんだかそれだけで、ちょっとついていけない話である。

「神々の望みは、俺たち人類を『さらなる高みへ進化させること』なんだそうだ。」

 将聖は続けた。

「世界を作り、生命を誕生させ、成長を見守り、いつかその中から自分たちに似た者が現れるのを待つ。要するに、新しい『神』が生まれるのを待っているそうだ。」

「そんなまどろっこしいことをする必要があるのか? そいつらは『創造主』なんだろ? 新しい神なんて、必要なら自分たちで創り出せばいいじゃないか。」

 とりあえず話を合わせてそう言う俺に、将聖は首を振った。

「俺もそう思っちゃったんだけどな。『神を創造する』なんてことは、どんな存在にもできないんだそうだ。なぜなら、それが『神』だから。唯一無二の存在だから。」

 そう言われて、俺は頷いた。多分俺は、将聖ほどにはフォーリミナの言うことを理解できていなかったろう。でも、俺たち人類が日々学び、努力をしながら大人になっていくように、「神」も初めから「神」であるわけではなく、長い進化の果てに生まれてくるのだと聞いて、少し納得するところがあったのだ。

 生命が生きる究極の目的が「種の存続」にあるのだとしたら、神々も、自分たちの種を存続しようとして創造を繰り返すということなのだろうか。

「だからさ、神々は今、地球世界アルウィンディアの人類に望みをかけている。俺たちの世界の人間が、種として新たな神へ進化するんじゃないかと期待しているんだ。ここまでは分かったか?」

 将聖が俺をちらりと見、俺と目が合ってしまって慌てて逸らした。

「じろじろ見るな」と俺が言い、あいつが俯いたまま「分かった」と頷いたからだが、本当に約束を守ろうとしてずっと顔を背けているのが将聖らしかった。

 神々は、自分たちの創造した世界の個々の事象に直接干渉することはできないのだそうだ。もちろん設計段階で進化の方向性を決定することはできるし、そういった意味での「修正」は可能だ。例えば、牙の大きくなりすぎたサーベルタイガーに似た生物はイザナリアにも存在したらしいが、地球世界アルウィンディア同様絶滅し、今は「修正版」のユキヒョウに似た種が栄えているらしい。

 また、直接の干渉は許されなくても、生まれる前なら個々の動植物や人間に、ある程度の特性を付与することはできるのだという。イザナリアでは「加護」と呼ばれている特性だ。俺たちの世界なら、長い歳月を経て神木として祀られるようになった木とか、人間さえも脅かすほど猛威を振るい、やがて神と呼ばれるようになったシャチや熊や狼や蛇などの動物とか、天才、聖人と呼ばれる人々のことなどがこの「加護持ち」に当たる。

 神々はこういった「加護持ち」たち、特に人間に「人並み優れた行いをし、人類の進化に貢献する」ことを願っているのだそうだ。

 他にも、進化を促すための何らかの手掛かりとして、神託を行ってみたり、霊感インスピレーションを与えてみたり、星々を使って未来の予兆を示してみたり、時には大嵐や旱魃などの試練を与えたりしながら、間接的な方法で常に人類を応援し続けている。

 まるで親が子供の進学のために、代理受験はできないけれども、ほめたり叱ったり夜食を作ったりしながら、何とか入学試験に合格できるよう手助けをしているようなものだ。神々も自分の子供たちの行く末を、横槍を入れることのできないじれったさにイライラしながらも、ずっと見守り続けているのだという。

 だがその「子供たち」は、必ずしも神々の思惑通りの人生を送ってくれるわけではない。

 人は間違う。迷路に迷い込む。

 怒りに我を忘れちまうこともあるし、我欲に理性を失っちまうこともある。そうやって、後戻りできない道を突き進んでしまうのだ。

 イザナリアの人類も、そうだったのだという。

 もともと、イザナリアは地球世界アルウィンディアよりも「魔法粒子」が多い。「魔法粒子」とは、魔法を形成し発動させるためのエネルギーとなるものなのだそうだ。簡単に言えば「魔力が強い世界」ということである。

(ちなみに『魔法粒子』という言葉は、将聖に理解しやすくするために『素粒子』に準じてフォーリミナが使った造語だそうだ。こっちの世界では、普通『イリューン』と呼ばれているという。日本のゲームやアニメ文化の中では『魔素』とか『ミスト』とか呼ばれているものと同じらしいが、物理に弱い俺には、いずれにせよよく分からない。)

「驚きだけどさ、俺たちが普段『魔法』とか『フォース』とか呼んでいる力って、本当は神様が使う力と同じなんだそうだ。『魔法』っていうより、『神通力』とか呼んだほうが正しいのかもな。」

 将聖は俺の手を引いて大きな倒木の上に引き上げながら言った。この森の倒木は巨大すぎて、迂回するには時間がかかりすぎるのだ。

「え? それが何で驚きなんだ?」

 俺は将聖に抱き下ろされながら聞き返した。巨大樹は乗り越えるのも一苦労で、手足がまだ十分に動かない俺は、将聖に引っ張り上げてもらった後、小さな子供のように抱き下ろしてもらわなければならなかったのだ。

「よく考えろよ。世界を創る神様と同じ力だぞ。世界を創造できるし、作り変えるし、操ることだってできるんだぞ。ちょっと怖えだろ。」

「いや、だからって俺ら使えないだろうが。」

「まあそうだけど。でも人間は、神へ進化するまでの過程の中で、この力の使い方に必然的に目覚めていくんだそうだ。」

「でもそれって、俺たちよりもずっと未来の人類の話だろ?」

「そうでもないらしいよ。あっちでも『悟り』とか『人類の革新』って言葉があったじゃん。そういうのは何かのタイミングで、突然やってくるんだって。で、人類はいつその時が来てもいいように、その知識は事前に与えられているんだそうだ。現にさ、俺ら見たこともないうちから、魔法とか超能力とかの存在は知っているだろ? そのテの映画とか漫画とか小説とかがいっぱいあっただろが。」

「確かに。」

 徐々に将聖の口調がいつもの調子に戻ってきて、俺はほっとしながら話を続けた。

 あいつにいつまでも遠慮されているのは、正直辛い。

 難しいフォーリミナの話を、俺に分かりやすく噛み砕いてくれるのもありがたいしな。

 将聖がフォーリミナから聞いたところでは、人類は神に通じる力、「神通力」の「知識」を持っていて、さらにはそれを使う「因子」も持っている。だが、力の存在に気付いても、それを正しく使いこなすことができるとは限らない。だから本来は、その使用が許される時が来るまで、その能力は遺伝子かどこかの中に隠され、封印されているのだそうだ。

「『進化』も一種の『神通力』らしいけど、イザナリアは地球世界アルウィンディアよりも魔法粒子イリューンの濃い世界なんで、地球世界アルウィンディアよりも早いスピードで生物が進化するそうだ。」

「『神通力』を働かすガソリンが豊富だからってことか。」

「そういうこと。そんなエネルギーが世界に満ち溢れてるんだから、自分たちの種の向上にも利用しないって手はない。」

「分かるな、それ。」

 俺は周囲を見回した。この巨大樹の森からも、途方もなく強い生命力を感じるが、これは木々さえも、成長のために「魔法粒子イリューン」を取り込み利用するという能力を、進化の過程で獲得しているということなのだろう。

「イザナリアに生まれた人類も、ずいぶん早い段階で魔法を使う能力に目覚めてしまったらしい。地球世界アルウィンディアよりも文明的には遅れているというか、いろいろな意味で知識とか精神性が成熟していない段階で。」

 それは当初、イザナリアを創造した「創造主」を喜ばせたのだという。「創造主たち」はみな、自分の生み出した世界から、早々に神が出現することを望んだからである。

 しかし、魔法を使う能力に目覚めた人々は、簡単に堕落してしまった。自分たち自身が努力して変わっていくよりも、自分たちを生み出した世界を、自分たちに都合よく変えたほうが楽だったからだ。

 彼らは欲望のままにイザナリアを搾取し、安易に滅亡の危機にさらしては、都合よく作り変えていった。

「イザナリアにも温暖化問題はあったらしいんだが…。」

「へえ、そうなんだ。ちょっと安心したわ。」

「安心してんのかよ。」

「いや親近感っての? どこの世界も一緒なんだなあと思って。」

「いや、そうでもないぞ。対処法が全然違う。」

 将聖は俺に説明した。俺が将聖からまた聞きしたフォーリミナの話を、簡単にまとめると次のようになる。

 イザナリアの人々は、世界に二酸化炭素が充満すると、それを吸収して急激に成長し、最後には炭と化して死滅する植物を魔法で作り出した。某有名アニメスタジオ作成の、数々の賞に輝いた映画に出てくる特殊な胞子植物のような植物である。

 そしてその「炭化植物」が、自力で進化を遂げてきた従来の植物との生存競争に勝ち抜いて、周囲を淘汰し始めても気にも留めなかった。「炭化植物」があれば、元の森の減少で発生する二酸化炭素も浄化できると踏んだからだった。

 だが、「炭化植物」が世界をクリーンアップし、成長に必要な二酸化炭素がなくなって死滅しても、従来型の植物の森はもう取り戻せなかった。成長に時間がかかるからだ。このため、逆に二酸化炭素を大量発生させては「炭化植物」で浄化するという手順を踏まなければこのシステムは機能しないという、負のサイクルに陥ってしまった。結局、二酸化炭素の受け皿となる森が再生するまで、この問題は解決しないのだ。これにより、イザナリアの気候変動はより激しさを増すことになる。

 しかしイザナリアの人々は、気候変動が顕著になると、反省する代わりに従来型の植物を魔法で作り替えることにした。「炭化植物」ほどではないが、一部の森の木々の成長を速めたのだ。

 これにもリスクが伴った。一部とはいえ、植物の成長速度が急激に速まると、結局それらに養分を奪われて土壌が痩せる。ほかの植物が育たなくなるのだ。

 下生えなどが育たなくなると、それを食べて生きていた生物が消えた。食物連鎖はガタガタになり、猛禽類や熊、狼など連鎖の上位種も消えていった。

 もっと深刻な問題は土の中で起こった。地中には微生物がいるが、彼らが動植物の死骸を分解し、養分に変換している。だが、植物の成長速度が速すぎて、需要に供給が追い付かなくなったのだ。結果、一か所で爆発的に繁茂した「急成長型植物」は、自身の急成長に環境が追い付かないが故に、急激に枯死していく。

「急成長型植物」は養分を求めて、周辺地域を侵略していった。エボラ出血熱が罹患りかんした人々を滅殺めっさつしながら波紋状に広がっていくように、一方では「震源地」を中心に土地を砂漠化させながらである。森の異変は農村の生活とも無縁ではなく、「バーナムの森」のように襲い掛かる森の木々に放牧場や果樹園は次々と飲み込まれ、それを阻止しようと森に火が放たれた。

 二酸化炭素問題は新たな二酸化炭素問題を生み出すばかりで、決して改善はしなかったのである。

「いくらなんでも、無茶苦茶だろそりゃ。なんで安易に作り替えちまうんだよ。」

「それができてしまうってところが、問題なんだろうなあ、結局。」

 将聖にしても仕方のない俺の質問にも、あいつは真面目に応えてくれた。

「海洋ゴミ対策にも、新種のプランクトンを生み出したみたいだぜ?」

「もういい。なんか、結果が分かる。」

 俺は首を振って、続きを断った。

「俺たちの世界でも遺伝子組み換えとかやっていたけどな。」

「でもその是非についてはずっと議論され続けているし、多角的に研究も続けられているだろ? それがここじゃ、魔力が強かったり、制御の能力に長けていたりすれば、そいつの言うことが絶対、ということになってしまったらしい。」

「いいのかよそれで。」

「価値観の相違だから。…俺たちの世界だって、大地が平らで、天が動いていた時代があったんだし。イザナリアの人類は、その能力に対して知識が全然追い付いていないんだ。この『第四期』の人類だって、魔法崇拝の文化だとフォーリミナは言っていた。使える人間は限られているらしいけどな。」

「そうなんだ…。」

「この『第四期』の」と言われて、俺はおびえた。要するに、今現在生きている人々のことだが、俺はまだこれから先の生活について考える余裕がなくて、今のイザナリアの状況など聞きたくなかった。それより過去の歴史を聞いているほうが、まだ現実味がなくていい。俺は将聖に魔法の説明を続けさせることにした。

 俺たちは小さな流れにたどり着いて、水を飲むために立ち止まった。

 岸に屈みこもうとする俺を制して、将聖が両手に水をすくい、俺に差し出した。眩暈めまいのせいで、しゃがむことさえ困難な俺を気遣ってのことだった。

「沸かさないけど大丈夫か? 生水だけど。」

「後で腹を下してもいい。今はただ飲みたい。」

 俺は将聖の両手に手を添えて、顔を突っ込むようにして水を飲んだ。

 二、三杯飲ませてもらって、俺はようやく唇をぬぐい、将聖を見上げた。

 将聖はずっと俺を見ていたらしい。俺が顔を上げるとバツの悪そうな表情で目を逸らした。耳がさっと赤く染まる。

 あいつが思わず見てしまう理由が分かるから、この時の俺は黙っていた。

 将聖が水を飲んで、それから周囲を確認するために木登りをしている間中、俺は傍の手頃な倒木の上に座って、将聖を見ていた。

 将聖の身ごなしは軽やかだった。枝から枝へと飛び移りながら、あっという間に巨大樹のかなり高いところまで登り詰めてしまう。「再構築」される以前からあいつの体は柔らかかったが、今は力強い全身が、しなやかなバネのようだ。

 木々の隙間から零れ落ちる日の光が、将聖の横顔を照らし出す。鼻筋から口元にかけての繊細そうな線を裏切るように、引き締まった形のいい顎をしている。綺麗だ。

 結局、この巨大樹の森を抜けないうちは、周辺を見ることはできないということが分かった。将聖が木の上から俺に向かって呼びかけたが、俺はとっさに両腕を挙げて、見られないように顔を隠してしまった。

「俺は前だけ見てるから。足元に気を付けてくれ。」

 木から降りた将聖が、俺を視界に入れないようにしながら両手を差し出した。出発の合図だった。

 すまん。もう少し、俺を見ないでいてほしい。

 俺は声に出して言うことができず、心の中で将聖に謝った。

 この体が鬱陶しい。違和感だらけで、おぞましくて吐き気がする。

 俺は将聖の手を乱暴に握って、立ち上がった。


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