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俺たちは勇者じゃない  作者: 陶子
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027_越境(前)

霜暦九七七〇年 マヨルフィネの月(※1) 


「へえ……。そういう仕組みになってんのか。すごく単純なんだな。」

「うん。単純だから繰り返し使える。一度使ったらそれっきりっていうよりは、何度も使えた方がいいだろ? 森の中なら、縄だけあればそこら辺にあるもので簡単に作れちゃうし。」

「確かに。」

「俺さ、こういう罠って、もう地球世界(あっち)イザナリア(こっち)も関係なく存在するもんなんだな、と思った。多分向こうでも『人類共通の知恵』とか言われてたんじゃないかと思うけど、すでに時空を超えて『全次元共通の知恵』みたいになってる感じで。こういう『昔ながらの知恵』ってやっぱ強いんだよな。地球世界(あっち)の文明だけが全てじゃないっつーか。」

「あー、うん、分かる。それに、その罠ってさあ、よく映画に出てきてたやつじゃん。俺その仕組み分かんなくて、どうなっているのかな、ってずっと思っていたんだよね。」

 俺と将聖はハノスさんの家の裏庭にいた。例の羽虫の魔物の女王を抑え込む「仕掛け」の設置に参加していた将聖が、予定していたよりも早く帰ってきたので、その話を聞きながら、頼まれていた散髪をしてやっていたのである。

 将聖は襟足がすっきりしないのをひどく嫌う。剣道の(めん)を被っていた頃の名残だ。面の下に緩衝(かんしょう)用の手拭いを巻くので、髪が長いと邪魔だし汗が籠るからである。今はそうそう床屋に行く金がないので、俺が切ってやっている。本人は前髪も思い切り短くするのが好みだが、俺は少し長めの方がこいつに似合う気がするので、俺に切らせてもらえて内心喜んでいた。時々「もっとバッサリいって」と頼まれることもあるのだが、「俺プロじゃねえし」などと言ってうまく胡麻化している。

 この朝将聖たちが設置してきたのは二種類の罠だった。ザインさんが『勇者の手記』から抜粋した罠の設計図を自警団にも配布してくれたので、一応その図に沿って制作したのだそうだが、素材も大きさもまだ何が一番有効かは分かっていないため、これからも試行錯誤を繰り返して改良していくのだそうだ。

 魔刃蜂(ビシュパズ)は空を飛んで目指す獲物まで直行してしまうので、仕掛けは「境界域ではなく、集落の近くに設置するように」と『手記』には記載されていたそうだ。このため東西南北の市門のすぐ外に、各自警団が分担して設置している。はしばみ(ギルズアイ)自警団は西門前を受け持ったのだが、東門前はエリュースト卿のたっての希望で鋼鉄(シェルリーク)自警団が受け持ったそうで、気をよくした鍛冶屋組合の連中の手により、芸術作品のような「箱罠はこわな」が、着々と完成に近づいている。

 二種類仕掛けるのには理由があり、女王と眷属を別々に捕獲するためだそうだ。眷属は数が多いので、同じ罠では女王までは捕まえきれない可能性があるからだ。眷属用には「箱罠はこわな」を、女王用には「跳ね上げ式」の罠が設置されているという。よく冒険ものの映画で見かける、(あみ)で捕獲して巾着のように木の枝に吊るし上げる、あの罠である。

 通常、イザナリアでは「跳ね上げ式罠」は「(くく)り罠」が一般的のようである。「(くく)り罠」は(つな)環状(かんじょう)にして仕掛けたもので、イノシシのような四足獣の足を(くく)って吊り上げるからその名が付いている。だが魔刃蜂(ビシュパズ)の女王は(つな)で逆さ吊りにするというのは難しいと考えられたため、(あみ)を使う方法が採用されたもののようだ。

 この「跳ね上げ罠を使って獲物を捕獲する」というネタは、俺の厨二心(ちゅうにゴコロ)をいたく刺激した。将聖が日頃仕掛けている魔鼠(ベグダ)用の捕獲網とは一味違った野生を感じるからである。男なら、括り罠を使ってイノシシを捕まえたり、弓矢を使ってウサギを仕留めたりしてみたいと、一度や二度は夢見るものだろう。

 そして俺にはもっとほかの願望もあった。

「俺、ホントはあれに一度かかってみたかったんだよね。」

「ワザとかかりになんか行くなよ。」

「分ーかってるよ。いいじゃん。言うだけなら。」

「うん。まあ、気持ちは分かるけどさ。」

「お前もかかってみたいだろ?」

「いや、俺は別に……?」

「あーっ、嘘つけ! お前、前に『かかってみたい』って言ったぞ!」

「そうだっけ?」

 将聖はいつも忙しいので、なかなかゆっくり会話をする機会がない。朝は早く出てしまうし、夕飯が終わったら寝室代わりの納戸へ直行してしまう。飯時の会話からハノスさんたちを締め出すことはできないので、仕事帰りの将聖が手足を洗ったり着替えたりするこの裏庭が、俺たちが束の間言葉を交わせる場所になっていた。

 そして今日は、二種類設置するということで将聖は早朝から作業に呼ばれていたのだが、さほど複雑な作りではなかったためか、早々に片付けて帰宅していた。まだ昼前だというのに、こんな時間に将聖がいるのが珍しいせいか、俺は妙に気持ちがはしゃいでいたのだった。

「とにかく、そういう訳だから。あの辺りには近づかないでくれ。危ないから。」

「うん。分かった。でもさ、みんなにも分かるように、立ち入り禁止の札とか、立てておかなくていいの? ……ほら、字が読めなくても、ピクトグラムとか。」

「今は奉公人じゃない子供たちに、交代で見張りに立ってもらっている。慣れない人たちにはピクトグラムも意味分かんないと思うし、()(かん)立てても、見ない奴は見ないからな。」

「そっか。」

 俺は(うなず)いた。俺自身、日本にいた頃には案内図や注意書きを見逃して変な場所に入り込んだことが何度もあったし、それが魔物用の罠なら大いに危険なことだろうから、子供たちに注意してもらえるなら、そのほうがずっと安全だろうと思ったのだ。

 ふと、その見張りに立ってくれている市内で働く子供たちが、今回の襲撃における一番の被害者だったことに俺は気づいた。弟子入りして奉公する先がない子供たちは、普段は振り売りをしたり、小売商や食堂の店先の掃除をしたりして金を稼いでいる。将聖のように日雇いであることが多いが、周囲の大人たちに混じって何とか気の利いたいい仕事をしようと、幼いながらもいつも真剣に働いていた。ライナルさんの店に毎日野菜くずを受け取りに来る、マシェアスさんの家の長男のヨルンは実家の養豚を手伝っているが、こいつも弟をかばって背中に大きな傷を負った。ヨルンは一見のんびりとしているようで、家族の中の誰よりも力仕事を率先してこなす。俺はそのことを知っていたので、あの羽虫を「姑息」で「不愉快な奴ら」と毛嫌いするノルアスさんの気持ちがよく分かった。

「もうあいつら来なきゃいいけど。」

「無理だな。また来る。それは止められない。」

 将聖は俺の願望を言下に否定した。俺は少し面白くなくて「そんなソッコーで否定しなくても」と口を尖らせたが、将聖は「悪いな」というように俺を見ながらも、意見を変えようとはしなかった。

「ウィクタ・ノファダも落ちた。ヴァイズ・ルフスも年々魔物の出現が増えてるって聞いた。状況的に、魔界域で今、魔物が大量発生していることはもう疑いようがないんだ。おそらく、魔刃蜂(ビシュパズ)は魔界域内の食物連鎖の末端で、上位の魔物に追い回されるから清浄域へ出てくるんだと俺は思っている。あいつらが『大移動の先鋒』って呼ばれているのは、多分ほかの魔物より簡単に、清浄域に()()ができるからなんじゃないかな。だから行ったり来たりを繰り返すことで、清浄域へ行動範囲が拡大していくんだ。そしてその動きが、ほかの魔物の移動を誘発している。」

 ヴァイズ・ルフスは、エリュースト卿が赴任していた防衛拠点の砦の名前である。魔界域が帝都(ティオキリアス)に最接近している地点であり、その背後は広い平野になっているため、この帝国の人々が、ある意味メドーシェン市よりもその防衛に神経を尖らせている場所だった。ヴァイズ・ルフスを破られたら魔物が四方に向かって拡散する恐れがあるし、背後の平野はザグスフェルデン帝国有数の穀倉地帯でもあるため、ここで農業が立ち行かなくなった場合、その被害は想像を超えて甚大なものになると思われるからである。

「なんかそんな話聞いてると、巨狼(ワーグ)もただの雑魚(ザコ)みたいだな。」

 俺はぽつりと言った。

「今の時点で清浄域側(こっちがわ)に来ている奴らなんて、まるで魔界域(あっち)じゃ弱すぎて、ダンジョンの中にさえ居られないって感じだわ。」

雑魚(ザコ)だよ。巨狼(ワーグ)なんて。」

 将聖は当たり前の事のように言った。

「巨大樹の森を歩いていた時なんてさ、魔界域の奥の方から、もっとずっと大きくて鳥肌が立つような気配がしていたもんな。さすがに、たかだか俺たち二人のためだけに、あそこを出て襲って来ようとはしなかったけど。」

 俺は将聖の髪を切る手を止めた。こいつは一体どんな神経でいるのだろうと思ったのだ。巨大樹の森の区分は、すでに清浄域から境界域になっている。当時は気づかなかったが、俺と将聖はメドーシェン市に向かいながら、かなり魔界域に接近した危険な場所を通過していたのである。しかし「ディフリューガル山脈中腹の獣道から外れないように」というフォーリミナの指示があったお陰で、俺たちは安全とは言い難くとも、魔界域からは常に一定の距離を置いて移動することができたのだ。

 だが当時すでに、その距離をして、あの巨狼(ワーグ)さえも「雑魚(ザコ)」と言い切れるほどの魔物の存在を、将聖は感知していたことになる。

 感知しながら、それでもこいつは戦おうとしているのだ。

 メドーシェン市を、イザナリアの人々を守るために、戦おうとしている。

「そんなに心配しなくていいぞ。」

 俺の沈黙をどう捉えたのか、将聖は優しい声を出した。

魔刃蜂(ビシュパズ)はさ、いつかはまた来てしまうと思うけど、そうそうすぐの事じゃないから。それに、あいつらの動きにほかの魔物たちが誘発されるってのも、行ったり来たりを繰り返せば、の話だし。たった一回、出て行ったきり帰ってこなかったんなら、そんな事があったことさえ気づいてないと思うよ。だから今のうちに、魔刃蜂(ビシュパズ)の奴らを『帰らせない』方向で抑えられるように、オルグさんたちも代官様も動いているんだ。」

「……うん。分かった。」

 俺は納得をしたような表情(かお)をして(うなず)いた。

 イザナリアに来て一年以上経っても、俺の役割には何の進歩もなかった。一人で何もかも背負い込もうとする将聖に、何も気づかないふりをして、ただへらへらと笑って見せるだけだ。

 俺は将聖の髪に注意を戻した。俺の髪もうねりがひどいが、将聖の髪はもっとクセが強かった。顔立ちはよく似ていたのに、この髪質だけは、艶やかな黒髪のまりあちゃんとは決定的に違っていたのだ。しかも将聖の髪は完全な猫っ毛で、日本にいた頃は「こんな頭でも銀杏(いちょう)に結いたいのかね?」と内心ひどく可笑(おか)しかったものである。

 色は変わってしまっても、その質感は以前のままで、今日も柔らかな光沢を放つ銀色の房が形の良い将聖の頭上でふわふわと逆立っていた。

「顔に傷、つかなくて良かった。」

 (うなじ)や肩に降りかかった髪の毛の断片を払いながら、俺は将聖に言った。

「ん~?」

 将聖が首を回しながら俺を見た。

「今俺、動いたか?」

 マチアさんから借りている散髪用のはさみは先端がやけに尖っているため、俺はその扱いにひどく気を遣った。このため、極力動かないようにと俺は散髪のたびにこいつに言い含めていたのである。

「ううん、今じゃなくて。ほら、魔刃蜂(ビシュパズ)が来た日のこと。あの羽虫に襲われた人たちはみんな、顔を狙われて大変だったみたいだから。」

「ああ。」

 あの日の戦いぶりについては、俺も大分こいつに文句を言ってしまった。「死んじまったらどうするんだ」などと縁起でもないことを口走った挙句、あんまり興奮しすぎて泣き出しそうになったほどだった。後で思い返すと、なかなか恥ずかしいものがある。

 だが、エリュースト卿から厳しい訓戒があり、それをオルグさんを通して団員たちにも伝えられるという一件があってからは、俺はあの時の戦闘に関しては言葉を控えることにしていた。将聖も、大勢を心配させたことには深く反省しているようだったし、何よりも自分がそれほどに愛されていることを今更ながら再認識したようで、代官様やオルグさんが言う通り、功を焦らずに少しずつ経験を積んでいこうという方向に気持ちを切り替えている様子だったからである。

 これ以上はもう、俺の出る幕ではなかった。将聖は十分に灸を据えられたわけだし、一方の俺は非戦闘員なのだ。部外者がこの上さらに何か言ってみたとしても、それはただの愚痴か出しゃばりにしかならないだろう。

 とはいえ、あの日の戦いについて、俺はずっと将聖に訊きたい事があったのだ。

「あの日、羽虫に襲われた人たちはみんな、顔だけじゃなく、体中切り傷だらけにされたでしょ? 俺と一緒に避難所に逃げた人も、顔や手を傷だらけにされて、……その、見ているのが辛かった。だからあの時俺は、将聖もあんな風に傷だらけになっているんじゃないかってすごく心配だったんだ。大群に取り囲まれたって聞いていたから……。」

 俺は将聖の横顔を見やった。頬骨から形のいい顎へと続く引き締まった肌に、傷跡らしいものは見られない。

「でも、将聖には傷、ほとんどなかったよね? もちろん、ないほうがいいに決まってるけど。……だから、少し驚いてる。」

「……籠手は大分、傷つけちゃったけどな。」

「いいの、それは。そのために買ったんだから。」

 将聖が済まなそうに表情を曇らせたので、俺は強い声を出した。

 女王との戦いで、それなりに傷をこしらえた将聖ではあったが、その体に驚くほど外傷は少なかった。魔刃蜂(ビシュパズ)蜂球(ほうきゅう)のように群がっていたという話を聞いていただけに、顔面が変形していることさえ覚悟していた俺だったが、意外にも魔刃蜂(ビシュパズ)から受けたと思われる傷は魔石を握っていたらしい左腕の籠手に集中しており、首から上には小さな切り傷が数箇所あるのみだったのである。

「あの魔物は、魔法粒子(イリューン)の変化にすごく敏感だったから。」

 将聖は言い、魔石を取り出して左の手のひらの上に載せた。

「離れてろよ。ちょっと見てな。」

 将聖が意識を集中させると、手のひらの中央がうっすらと青く光り始めた。こいつが使える魔法は今のところ火魔法だけのようで、その威力もせいぜい携帯ガスコンロ並みだが、今は更に力を低く抑えている。

 だが、その将聖の魔法に呼応するように、魔石も淡く光り始めた。この光は魔石の中の魔法粒子(イリューン)が燃焼するときに放出されるものなのか、それとも魔法粒子(イリューン)自体に魔力に反応して光る性質があるのか、その辺りはよく分からない。しかし魔石が光り始めると、その周囲の空気も暖かくなってきた。

「うわ。あったかい……。」

 俺は魔石に向かって暖を取るように手を差し出した。すでに夏至を過ぎ、初夏とさえ呼べる季節になっていたが、冬の寒さの厳しいメドーシェンに住んでいると、何となく「明るく、暖かいもの」にはそうすることがついつい習慣になってしまっていたのだ。

 俺のそんな仕草に将聖はくすくす笑ってから、ゆっくりとその手を頭上高くに差し上げた。昼間なので目立たないが、魔石の光が明るさを増す。

「さすがに顔の周りを飛び回られるのは鬱陶しかったからさ……。」

「……!」

 魔石が将聖の手を離れて、中空に浮いた。スポットライトのような光の筋が魔石と将聖の指先の間を走っていて、その魔力のつながりが切れていないことを示しているが、魔石は深呼吸をするように穏やかに明滅を繰り返しながら、将聖の指先より五十センチほど上の空中に回転しながら留まっている。

 将聖は魔刃蜂(ビシュパズ)を自分のほうへ引き付けながらも、ちゃんと自身の安全を確保する方策は取っていたのだ。魔石に魔法粒子(イリューン)を放出させながらも、こうして距離を取っていれば、あまり賢いとは言い難い羽虫が将聖に気を取られる割合は低くなる。

 魔刃蜂(ビシュパズ)から受けた傷が左腕の籠手に集中していたのは、これが理由だったのだ。俺は籠手を買ったことが無駄ではなかったのが嬉しくて、思わず弾んだ声を上げた。

「セ〇もプ〇ンセス天功も真っ青じゃん。」

「種も仕掛けもないけどな。」

「そっか。これぞまさしく『魔法粒子(イリューン)ジョン』!」

「んー。ちょっと座布団にはキツいかな。」

「あはは。ケチケチすんなよー。」

 俺は笑いながら、将聖の背中をポンと叩いた。将聖がひるんだように身をよじらせて「っ」と叫んだが、手遅れだった。

 びりっとする強い感覚が、空気を伝って走った。

 パンッ。

「ひゃっ。」

 指先を強力な輪ゴムにパチン、と打たれたような感覚だった。じんとした痛みが残る。

「悪い、痛かったか?」

 将聖が慌てたように魔石を手の内に戻してから、俺の手を握った。

「へ、平気だよ。大したことない。こっちこそ、ごめん。」

 俺はしどろもどろになりながら答えた。将聖が俺の右手を両手で包み込むようにして調べていて、そっちのほうが気恥ずかしかったのだ。

「その……、今のは何?」

 俺が訊くと、「多分、静電気」とあっさりと将聖は答えた。

「魔石浮かせてる間はすごく集中しているから、意識して出来ているわけじゃないんだけど、多分、自分で思っているよりも強い魔力を使っていて、そのせいで周りの空気中の魔法粒子(イリューン)も活性化しているんじゃないかと思うんだ。俺の周りに魔法粒子(イリューン)の膜みたいなのができていて、それが帯電した空気みたいになっている。」

「ああ、それで魔刃蜂(ビシュパズ)は……。」

「うん。俺には近づこうとしなかった。」

 魔刃蜂(ビシュパズ)の眷属は、強い魔法粒子(イリューン)に触れるとその外形さえ保つことが難しいのではないか、とエリュースト卿は見ている。この眷属は外殻が固く物理攻撃に特化しているくせに、ボスモンスターが倒されると簡単に消えてしまうなど謎の部分が多すぎて、俺も将聖もどういう相手なのか測りかねていた。いかにも「魔法使いの魔法によって生み出された、魔物らしい魔物」という感じがするのだ。

 とはいえ、「将聖にはかすり傷一つ負わせることが出来ない」と分かった時点で、魔刃蜂(ビシュパズ)が何であるにせよ、俺にとってはもう「どうでもいい存在」に成り下がっていた。奴らの正体など、未来のイザナリア人がじっくり解明すればよいのだ。可能な限り短時間のうちに撃退することさえできれば、俺にはそれ以上望むことはない。

 俺は滅茶滅茶気分が良くなって、にたりと笑いながら将聖を見上げた。

「ねえ、将聖。その魔石浮かせるの、もう一回やって。もう一回。」

 俺がねだると、将聖が露骨に嫌そうな表情(かお)をした。

「何? なんか嫌な感じがするんだけど。」

「気のせいだって。ね、ね、やってみて。」

「いーやーだ。もう終わり。」

「えええ~。いいじゃん。やってよー。俺がBGM(ビージーエム)担当してやるからさあ。」

「どんな?」

「テケツクテケツク、テンテンテケツク……。おめでとうございま~す!」

「……傘回しじゃねえっつの!」

 将聖が蹴りを入れるように足を振り上げて見せたので、「きゃ~っ」と言いながら俺は逃げた。

 柔らかな風が行き過ぎて、俺たちの笑い声を空に運んで行った。



 突然呼子が鳴った。このところずっと耳にしていなかっただけに、ひどく不吉な感じがして俺はぞくりとした。見ると、通りを行く人々もみな言葉を失っている。その回数は減ったとはいえ、魔刃蜂(ビシュパズ)の一件があってから、人々は魔物の出現の報せに過敏になっていた。

 俺は将聖を振り返り、こいつが落ち着いて洗顔に使った(たらい)の水を捨てているのを見てほっとしていた。エク・セドラス騎士団が合流してから、ゴスカデュロスの騎士たちはみな士気が高い。監視塔から合図があったら、最初に出動するのは彼らだった。ようやく完成した土嚢付近に、新たに設置された屯所(とんしょ)もある。何かあったら即座に対処できるよう、交代制で騎士の一部隊が常駐しており、今も彼らがすでに馬に乗って飛び出しているはずだった。

 市内に馬蹄の音が響かないせいか、風に乗って警戒を促す声だけが聞こえてきた。

四肢蛇(サビク)だ! 四肢蛇(サビク)が群れで現れた!」

 胸壁の上から、狼煙の合図の意味が分かる者が叫んでいる。

 聞いて将聖が眉をひそめた。

「群れ?」

「どうかしたか? 将聖。」

 俺は訊き返したが、将聖は首を振った。

「いや……。ただ、俺は四肢蛇(サビク)は単独行動をする魔物だと思っていただけだ。根拠はない。俺が知っている四肢蛇(サビク)は、去年相手をした一体だけだし……。」

「ああ……。確かに。俺も、あいつが群れで行動するところは想像がつかないかも。」

 俺がうなずくと、将聖が「お前は四肢蛇(サビク)のこと、どう思う?」と尋ねてきたので、あの魔物に関する印象をまとめようと、俺は眉間に力を込めた。

「俺は四肢蛇(サビク)って、俺が知っている中では一番得体が知れなくて、不気味な魔物だと思っているんだよね。二足歩行するところとか、道具を使うところとか。」

「人間と似ているか?」

「うーん。そこが微妙なとこかなあ……。」

 俺は言葉を濁して肩をすくめた。

「お前と戦っていた奴は、確かに武器は使っていたけど、お世辞にも『知能が高い』とは言えなかった気がする。むしろその辺の豚や鶏よりも、頭は悪かったんじゃないか? どうしてそう思うのかはうまく説明できないけど。」

 今度は将聖が眉間に皺を寄せる番だった。

「……危険を回避しようとする本能が、まったく見られないんだ。」

「え?」

「普通の動物なら、どんな種だろうと、危険を避けようとする本能くらいは持ち合わせているもんだろ? クマやトラみたいな捕食者だって、火や大きな音を怖がるし、突然獲物に襲い掛かるような無茶な真似はしない。周囲の状況を確認するくらいの警戒心は持っているんだ。自分の方が力は強くても、立ち位置によっては不利になることを知っているんだと思う。ライオンだって、狩りに失敗して負傷したら撤退する。魔物もその辺りの感覚が少し希薄な気はするけど、基本は同じなんだ。大怪我をすれば、嫌でも撤退する。でも、四肢蛇(サビク)には多分、そういう発想はない。」

 何となく分かってきて、俺は思わず声を上げた。

「そっか。あいつは多分、中の電池が切れるまで暴れまくるだけなんだ。」

「と、思う。」

 俺は(うなず)いた。俺が何となく感じていることを、将聖が言葉にしてくれるから助かる。確かにあの四肢蛇(サビク)という魔物には、そういう制限装置(リミッター)が外れているような危うさがあった。

 俺の頭はすっきりしたが、将聖の言葉は終わらなかった。

「……ただ四肢蛇(サビク)は、一概(いちがい)に『暴れるだけの魔物』とも言いづらい気がするんだよね。」

 将聖の表情は悩ましげだった。

「以前現れた時のこと、覚えているか? あいつは俺たちの警戒網の裏をかくように東南の森に現れた。普通の魔物とは行動範囲が違うのかも知れないけど、一番防備が手薄なところを襲ってきたのは確かだ。俺もたまたま気配に気づけたから良かったけど、もし油断してあのままお前との話に夢中になっていたら、かなり近距離まで間を詰められて、何も対応できなかったと思う。巨狼(ワーグ)のような圧倒的な強さはないけど、気づいた時には後ろを取られているような、薄気味悪さがあいつにはあった。」

 俺は黙って将聖を見返すことしかできなかった。

 たまたま、などと謙遜しているが、あの日俺たちを救ったのは、将聖の高い索敵能力である。

 そのことを、魔刃蜂(ビシュパズ)の襲来を体験した今になって、俺は痛感していたのだった。魔刃蜂(ビシュパズ)が現れた時に将聖と一緒にいなかったら、俺があの羽虫の格好の餌食だったことは間違いないからである。

 四肢蛇(サビク)が初めて現れたあの日も、俺たちは本当に幸運だった。ヴェニマンさんがほんの思い付きで将聖に粗朶(そだ)集めへの付き添いを譲っていなかったら、あの魔物に襲われて、森に出ていた者たちにどれだけ大きな被害が出ていたことだろうと思う。子供たちにどれほどの犠牲が出ていたか想像もつかないし、俺だって、生きていられたかどうか分からない。

 あの日将聖がいなかったらどうなっていたかということも、あんな幸運がこれからも続いてくれるかどうかということも、俺にも将聖にも分からないことなのだった。

「まあ、今日は大丈夫と思うけど。」

 将聖は、東の空へ視線を投げた。四肢蛇(サビク)と交戦中の騎士たちの事を気遣っているのだろう。

「大丈夫だよ。あいつら、巨狼(ワーグ)の群れだってやっつけちゃうし。」

 俺は努めて明るく将聖に言った。励ましが届いたのか、「だな」と将聖が笑顔になる。

「これからまた、仕事に戻るの?」

 俺が尋ねると、将聖は少し迷った表情(かお)を見せた。

「少し早いけど、先に昼飯を食っておいたほうがいいかな……?」

「じゃあ、今日のシチューは俺が作ったから、それ食べて行って。」

 俺は急いで将聖を引き留めた。



「落ち着かないね。」

 俺は遠慮がちに言った。さっきから呼子の音が鳴りやまず、将聖が神経を尖らせているせいだ。境界域の狼煙が上がり続けているということなのだろう。俺はゆっくり食事をしてほしくて、わずかでもその音を遮断しようと開け放ったままの勝手口のドアを閉めようとしたが、「閉めるなって」と将聖にややきつい口調で止められ、手をこまねいていた。

 異常を察して、ハノスさんも畑から帰ってきていた。マチアさんは魔刃蜂(ビシュパズ)が現れた後に取り付けた(かんぬき)で窓を戸締りしている。鶏小屋の掃除をしていたリーシャも家の中に呼び入れられ、早めの食事が与えられていた。地下のパントリーに長時間隠れていることになるかもしれないからだった。

「……ショーセ。いるか?」

 玄関から低い声がした。バレルドの声だった。

 俺が顔を出すと、いつもなら玄関の扉を開く前から「おーい、ショーセ。出かけるぞ~」と能天気な声を張り上げるバレルドが、立てた指を唇に当てた。俺が「台所にいます。食事中です」と抑えた声で応えながら中に招じ入れると、そのまま案内も待たずに奥へと突き進んだ。

「代官様からのご命令だ。行けるか?」

 台所のドアを開けると、ハノスさんやマチアさんへの挨拶も抜きにバレルドは言った。すでに将聖は立ち上がり、グヘルムさんの籠手を腕に装着しているところだった。

「何かあったのか?」

 ハノスさんも低い声でバレルドに訊いた。バレルドの緊迫した気配に、大声を立ててはいけないと察したのだろう。

「お前さんたちが行くんなら、ほかのはしばみ(ギルズアイ)の連中も出かける準備をしたほうがいいだろうが。団長のところへは行ったのか?」

 バレルドが少しだけ頬を緩ませて首を横に振った。

「いや、まだ自警団が出張(でば)るところまでは行ってねえよ。敵さんはまだ、境界域も越えちゃいない。ゴスカデュロスの騎士様方がしっかり食い止めているよ。今回はお宅の奥さんも、三人の嬢ちゃんもみんな無事だ。安心しろ。」

 そう言ってバレルドは俺にウインクを投げて見せた。

「じゃあ、なぜショーセだけ呼びに来たの?」

 リーシャが尋ねた。俺が投げかけたかったのだが、うまくはぐらかされてしまいそうで出てこなかった質問だった。

「あー……。ちょっとな。」

 バレルドはそう言って、リーシャの頭にぽんと手を置いただけだった。そして急いでいる素振りで、すぐに表に出ようとした。

「待て。」

 引き留めたのはハノスさんだった。

「ちゃんと説明していけ。何があったんだ?」

「おやっさん。急いでるんで……。」

「ショーセはもう一年以上、うちで暮らしている。もううちの家族だ。代官様からのご命令だろうが何だろうが、家族に理由も聞かせずに連れていくなんてことは出来ないはずだ。ショーセがたとえ罪人だったとしても、罪状を示されないうちは、勝手に連れ去ることは許されん。」

「その……。帰ったら説明します。それではいけませんか?」

 将聖が口を挟んだがハノスさんは取り合わなかった。

「ショーセ自身が何と言おうが、家長の俺が認めん。何があった。」

 バレルドはしばし唇を噛んだ。一瞬、リーシャに視線を走らせる。言葉を選ぶようにひと呼吸置き、それから言った。

「……魔物に捕まっちまった奴がいる。魔界域に連れ込まれた。」

 ひゅっ、と音がした。マチアさんが息を呑んだ音だった。いや、悲鳴を飲み込んだ音かもしれない。マチアさんはリーシャの手をつかむと、急いで台所を出て行った。

 二人がいなくなると、バレルドは遠慮を捨てた。

「連れ戻そうとして魔界域に踏み入れてしまった騎士様方も行方不明だ。瘴気(ヌアン)は俺たちの方向感覚を狂わせる。」

「何人連れて行かれたんだ。」

 ハノスさんの口調は落ち着いていたが、それでも声がややしわがれていた。

「牧草地で作業をしていた奴らが三人。四肢蛇(サビク)が群れで現れて、連れ去ったんだそうだ。一体が一人ずつ、さらっていったと聞いている。残念だが、代官様はこの三人については諦めろと(おっしゃ)った。」

 名前は伏せられていたが、最初に捕まったのが冬の飼料用の干し草刈りをしていた大人たちの元へ弁当を届けに行った少年だと聞いて、俺はその場に凍り付いた。

 先日魔刃蜂(ビシュパズ)に傷を負わされた、ヨルンの笑顔がちらついた。ヨルンの家は養豚農家だが、一頭だけ牛も飼っている。弟思いのヨルンなら、東の牧草地に弁当を届けるような危険な役目は自分で買って出るだろう。

 まだその少年がヨルンと決まったわけでもないのに、俺は胃袋をねじり上げられたような気分になった。

 周囲の大人たちも、俺と同じ思いだったらしい。少年を何とか助けようと夢中になり、深追いし過ぎてしまったのだ。結果二人が殴り倒され、まだ息があるまま魔界域に連れ去られたのだという。

 魔界域には二重の恐怖が待っている。「死」であれ「魔人化」であれ、到底受け入れられるものではない。少年は泣き叫び、捕まった男たちも死に物狂いで抵抗した。そんな彼らを見捨てることが出来ず、騎士たちも魔界域に飛び込んでしまったのだそうだ。

「行方不明になった騎士様は四人だ。代官様は俺たちに、この四人だけでも連れ戻せないか試みるようお命じになった。」

 バレルドの声は真剣そのものだったが、この命令自体は妥当なものとして受け入れている様子だった。

「個人差はあるが、『瘴気(ヌアン)酔い』が始まるのは魔界域に入ってから半日ほど経過してから。意識の混濁、もしくは異様な興奮状態が始まるのは一昼夜経ってからだ。その後も魔人化するまで数日間、せん妄と覚醒状態とを繰り返す。十人のうち九人は、その前にほかの魔物に食い殺されるが、二日以内に連れ戻すことができれば、助かる確率の方が高いはずだ。『ハールヴァイトの悪魔侯』と呼ばれたマリエンゲフ侯が、罪人を使って行った実験で明らかにしている。」

 イザナリアにもナチスの「死の天使」メンゲレのような人物はいたらしい。いや、だからこそ魔物のような生命体が存在するわけだが、聞いただけで俺の背筋に冷たいものが走った。

「代官様がお命じになったのはお前と将聖だけ? ほかの魔狩人(シーカー)や騎士様連中は?」

 俺の問いに、バレルドは首を横に振った。俺は苛立ちを隠せなかった。

「お前らだって危険だろうが。何でほかの奴らを行かせないんだよ。」

「今、三人を救うために四人の騎士様を失いかけている。その四人のために、これ以上犠牲者は出せないとお考えなんだ。境界域の屯所では、帰り道の目印代わりの狼煙(のろし)がずっと上がっている。俺たちも、それを見失うほど奥まで立ち入ってはならないと言われているんだ。制限時間は、今日の日暮れ前まで。騎士様方が魔界域の深みにはまり込んで、暗くなる前までにどうしても見つけ出せなかった場合は、諦めて引き揚げて来いとも命じられている。」

 この期に及んで、このヴァイズ・ルフス帰りの若い代官がどこまでも冷静だということは俺にもよく分かっていた。エリュースト卿の人望が厚いのは、この代官自身が部下をとても大切にしているからである。それは先日の将聖への訓戒からも明らかだった。人海戦術が適応できるのなら間違いなくそれを選んだことだろうが、この一事に人員を割いて、二次災害、三次災害と被害を拡大する危険は冒せないことを理解しているのだろう。

 また、バレルドや将聖に対しても、下した命令の内容は公正だった。「代官」という強権を持つ以上、その気になれば、エリュースト卿は二人に「必ず見つけて連れ戻せ。それまでは帰ってくるな」と命じることも出来るのである。そんな厳命が下ったなら、二人は自分たちの延命をかけて、死に物狂いで騎士たちを探そうとするだろう。

 だが、エリュースト卿は捜索の範囲を限定し、時間制限さえ設けた。バレルドや将聖の命を軽く扱ってはいない証拠だった。

 ただし、幸か不幸か今は夏至祭りが終わったばかりで、この地域の可照時間は恐ろしく長かった。今から屯所のある境界域に向かい、さらに魔界域に乗り込んだとしても、半日近くは行方不明者の捜索に当たることになる。

「それと、おやっさん。ユーク。今まで黙っていて悪かったんだが……。」

 まだ険しい表情(かお)をしているハノスさんに向かい少し躊躇(ためら)ってから、バレルドが言葉を継いだ。

「俺とショーセは今までも、何度か魔界域に入っている。」

「……?」

 一瞬、俺の頭は思考を停止した。

「はあっ?」

 俺は目を剥いてバレルドの顔を見直した。

「魔界域に入った? 今までも?」

 魔界域への越境は、エリュースト卿が固く禁じていることだった。いや、そもそも自分から入ろうとする人間がいるとは思えなかった。物見遊山で出入りできる場所ではないのだ。下手をすると、足を踏み入れた瞬間に魔物の群れに囲まれて八つ裂きにされる恐れすらある。

 俺は将聖を振り返った。

「聞いてねえぞ!」

「言ってない。」

 将聖が挑戦的な口調で言った。それを取りなすように、バレルドが口を挟む。

「いつかこういう時も来るだろうって予想はしていた。それで、こいつも魔界域に慣れておいたほうがいいと俺は思っていたんだ。だから……。」

「でも、最初に頼んだのは俺だから。」

 将聖が早口で割り込んだ。

「俺がバルに、魔界域に行ってみたいって言った。で、連れて行ってもらった。」

 将聖が俺を睨みつけた。その目がぎらぎらしている。たとえどんなに俺が泣こうが喚こうが、絶対に行くと決めてしまった目つきだった。

「大体、俺が大丈夫だってことも、お前知ってるよな?」

 将聖が言う意味は分かった。俺たちの中に、「魔物の遺伝子」は存在しない。巨大樹の森を抜けた時も、妙な気配のする場所を通過せざるを得なかったことがあるが、俺たちが「瘴気(ヌアン)酔い」することはなかった。その事を言っているのだろう。

 だが、俺は将聖を睨み返した。最近の将聖は、俺に隠し事ばかりする。それを問いただしたい気分だったのだ。俺一人が蚊帳の外に置かれているようで不満だったし、何だか傷ついてもいた。

 ……確かに、一緒に肩を並べて戦うなんてことは出来ねえけどな。

 俺は歯ぎしりした。

 でも一緒に転生した者同士、もっと色々と打ち明けて、仲間として扱ってくれてもいいじゃねえか!

 俺と将聖が睨み合っているのをなだめるように、バレルドは穏やかに言葉を続けた。

「なあ。これは物凄く名誉な事なんだぜ? 『魔狼(ガルム)の大群が現れた』なんて、騎士様だけでは手が足りない時は、自警団にも出動の要請がかかってくる。『未知の魔物の出現』みてえな、時間をかけて観察や対策をしなきゃならねえ時は、魔狩人(シーカー)連中に依頼がかかるだろ? だが今は数を頼みには出来ねえし、急を要する案件だ。そこで選ばれたのが俺とショーセなんだ。おやっさん。ユーク。そこをどうか解ってくれねえか?」

 何も言わなかったが、ハノスさんの折れた気配が俺にも伝わってきた。エリュースト卿の命令が決して理不尽ではなく、しかも今後のメドーシェン市の防衛の在り方も見据えながら、今できる最善の選択としてこの二人を捜索隊に選んだのだということは、細かく説明されなくても十分に理解することができたからだろう。

 今ゴスカデュロスにいる騎士は、ヴァイズ・ルフス帰りの十二人と、元々派遣されていた二十人の計三十二人である。この人数で、メドーシェン市近郊から境界域一帯、ディフリューガル山脈に続く山道やサティシュ川の支流域まで、すべての警備を一手に(まかな)っている。しかも、彼らの仕事は昼夜を問わず発生するのだ。屯所での夜勤に従事した後で、新参の魔狩人(シーカー)らが引き起こす市内の揉め事の対応に当たることもある。少し前までは、そこに境界域での土嚢建設も含まれていたのだ。

 そこで働く一人一人の価値を認め、尊重するエリュースト卿の人望があるからこそ支えられているのだが、実はゴスカデュロスは日本の基準から考えればかなりブラックな職場と言えるのだった。しかも今後の魔界域の動向によっては、エリュースト卿はこの騎士たちに、その命さえ差し出すよう命じなければならない時が来るかもしれないのである。

 だが、それは今ではない。魔刃蜂(ビシュパズ)の襲来を最後に穏やかな日々が続いた後で、青天の霹靂のように現れた、ほんの三体の四肢蛇(サビク)相手に、四人もの騎士を奪われるなどあってはならないことなのだ。

 俺はまだ胃袋に不快なねじれを感じたままバレルドを見上げ、それから将聖に振り返った。

 将聖はもう俺をガン無視することに決めたようで、森を歩く時はいつもそうするように、(すね)に紐を巻いてズボンの裾を押さえていた。魔物狩りに行くのが自分の役割で、それがどんな状況であろうがいちいち動揺する必要はない、と俺に当てつけているようにも見えた。

 ――俺だって、もう腹は(くく)ってるんだよ。ただ、俺が言いてえのはよ……。

 悔しさに大爆発したいのをぐっと(こら)えて、俺は何度も深呼吸をした。

 俺は将聖の靴下の穴を繕うより、将聖の隣で戦いたかった。将聖が泥だらけの足を洗う(たらい)を用意するよりも、一緒に泥の中で働いた後に、どこかの用水路で頭から水をかぶりながら笑い合いたかった。

 俺がそんな風に思っている事の十分の一でも、こいつに思い知らせてやりたかった。

「魔界域に入った後の事は考えているんだよな?」

 俺はバレルドに訊いた。目の奥が痛くなって声がかすれたので、俺は唾を飲み込んだ。

「命綱とか、目印用の白い小石とか、何か必要な物はないのか?」

「さすが、分かってるな。ちゃんと用意してあるよ。」

「俺たちに手伝えることはないのか?」

 隣のハノスさんも俺と一緒にその顔を見上げたので、「へへっ」と笑いかけたバレルドも、すぐに真顔に戻って言った。

「済まねえが、今は何もない。ただこの事は、ほかの連中には黙っていてくれ。」

 俺は(うなず)いた。

「そうか。了解した。じゃあ俺は普段通りの顔をして、黙ってお前たちの帰りを待っていてやるよ。」

 狙い通り、不敵そうな面構えができたかどうかは分からなかったが、俺は精一杯口角を上げて、笑顔を作って見せた。

 俺の殊勝な態度に、何か感じるところがあったのだろうか。視線を避けたままではあったが、将聖が俺に向かって低く言った。

「行ってくる。」

「おう。気を付けてな。」

 俺も精一杯、不機嫌な声を出して見せた。

「お前が魔人化したら、次は俺の出番だからな。俺が魔界域まで、お前を倒しに行ってやるよ。」

「……分かった。そん時は頼むわ。」

 俺の最後の挑発も受け流して、将聖はバレルドに目をやった。「行こう」という合図のようだった。

「じゃあな。暗くなる前には、必ず帰ってくる。」

 玄関で見送ると目立ってしまうので、台所の戸口に並んだハノスさんとマチアさん、リーシャと俺に向かって、バレルドが笑顔で言った。そして表に出る前に軽く手を振ると、東門の方へ走り始めた。

 将聖は何も言わず、ただハノスさんとマチアさんに小さく頭を下げた。

 俺も何も言わなかった。

 リーシャがバレルドに手を振り返そうとしたが、途中で思い直したらしく、上げかけた手を引っ込めてしまった。


(※1: 地球世界アルウィンディアの六月。)


 お待たせいたしました。第27章です。お楽しみいただければ幸いです。

 怒涛の6、7月でした。前回見つけた修正箇所も、まだ手を付けておりません。本当は、家事と同様見つけた瞬間に修正すればいいのでしょうが、

「書き直しはいつでもできる(はず)。とりあえず、今は物語を先に進めることが最優先。」

と自分に言い聞かせて、もう目をつぶることにしました。悪しからずご了承ください。

 とにかく、何と言いますか、激しい日々です。昼休みに机に突っ伏して眠り、夕食後、食卓に突っ伏して眠り、死に物狂いで自分を風呂に入れた後、布団に入るとぐっすり眠れます。そして今、背中の真ん中が張り裂けそうなほど痛い。

 現在、休日しか執筆できていないため、これからもランダム投稿になりそうです。ご理解くださいますようお願い申し上げます。

 我儘と愚痴ばかり多い作者ではありますが、これからも精進してまいります。今後も応援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。



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