017_魔晶石(後)
「でも、まあ、それなら魔物の越境を押さえてさえいれば、少しずつ魔界域を清浄域へ『浄化』していくのは可能ってことだよな。」
俺はだんだん肩に食い込んできた粗朶の束を揺すり上げながら言った。
「…どういう過程でそうなっていくのかは知らないけどさ。」
聞いて、将聖は俺の顔を軽く覗き込むと、とっておきの話をするようにくいっと眉を上げた。
「お前、ハノスさんが普段使っている魔石は、魔物から採取されたものだって知ってたか?」
「え? そうなの?」
「うん。『魔法粒子の澱み』から採れる白魔晶石や白魔石は貴重だから、ご家庭に出回っているのは、ほとんど狩られた魔物から採取したものだ。つまり、ドロップ・アイテムってこと。」
「なにその設定…。」
魔物を倒すとアイテムをゲットできるということか。
俺がげんなりと肩を落とすと、予想通りの反応だったのか、将聖は楽しそうに笑った。
「HPゲージもステータス・ウインドウもないイザナリアの、数少ないゲーム要素じゃねえか。少しは喜べよ。」
「…全っ然嬉しくねえわ。そんなケチなアイテムよか、俺白物家電が欲しい。」
俺が毒づくと、将聖も乗った。
「それを言うなら俺だって汎用型農業機器が欲しいわ。『伝説の剣』とか『賢者の杖』なんて、実在したらただ物騒なだけじゃん。それよかトラクターのが世界を救うだろ。」
「魔王倒したら、それくらい落ちてくりゃいいのにな。」
「まったくだ。」
言いたい放題を口にして、俺たちは大笑いした。以前レニオラが言っていた、俺と将聖の「難しい話」というのがこの下らない応酬のことだとしたら、真相を知ったらさぞかしがっかりすることだろう。
俺は将聖に訊いた。
「…ってことは、お前も魔物の魔石を集めてるのか?」
「集めてるよ。多分消耗の度合いによって変わるんだろうと思うんだけど、体内に魔石を持たない魔物もいるから、魔物を狩った証拠とは別扱いになるし、プロの魔狩人にとっては大事な収入源の一つになるから。」
頷いて、将聖は自分の項のあたりを指さした。
「大抵の魔物の場合、魔石はこの辺に形成される。多分ここに魔法粒子を蓄えておいて、いざという時に、またエネルギーに変換して全身に送っているんじゃないのかな。ラクダみたいにさ。」
「…そんなかわいいもんか?」
俺は抗議した。こういう時の将聖の感性は、正直よく分からない。だが将聖も「ラクダって、かわいいか?」と真顔で訊き返してきたのでそれ以上追及はしないことにした。俺と将聖の意見は常に一致するというわけではないのだ。
「でも、それって安全なのか? 魔物から採れるんなら、その魔石も汚染されているわけだろ? そこから清浄域が汚染されちまう可能性もあるし、ハノスさんたちの体にも良くないんじゃ…。」
ハノスさんが魔人化してしまう、とは俺には口にできなかった。将聖は俺のその言い方が気に入ったのか、「優希も『黒魔石』には気ィ付けてな」と言いながら、またくすくすと笑った。
「だから、俺たち自警団の連中はこういうのを持たされている。」
将聖は腰帯に括り付けた革袋を外すと、口を開いて中を見せた。
「これには、黒魔石を浄化する力まではないけどな。瘴気を中和するくらいの力はあるから、短時間ならこの中に入れておける。」
革袋の中には、ハノスさんが使うものとよく似た、白く濁った石が数個入っていた。
「魔石を取り扱っている商人なら白魔晶石の一つや二つは持っているから、黒魔石をこれに入れて持って行けば買い取ってくれるんだよ。黒魔石は白魔晶石の中で浄化することができるし、浄化すれば普通のご家庭でも使えるようになるから、結構いい値を付けてもらえるんだ。魔石の浄化って、地面に口まで埋めた甕の中に、黒魔石と白魔晶石をただ一緒に入れておくだけなんだそうだ。弱い磁石を強力な磁石の傍に置いておけば、N極とS極が反転してしまうような感じかな。魔晶石にはそれくらいの力があるから、魔界域を清浄域へ浄化することも可能なんだと思うよ。」
将聖は俺を安心させるようにそう言うと、その白い石を一つ取り出して、俺の手のひらの上に置いた。
俺はふと思い出して顔を上げた。
「お前はさ、なぜ魔法粒子と素粒子が似ているって思ったんだ?」
「…? 突然なに?」
「いや、フォーリミナがお前にイリューンについて説明した時、素粒子に合わせて『魔法粒子』って言葉を選んだんだよな? ということは、お前がその二つについて、何か共通点があるとか、そういう風に感じたのかなあと思って。」
「あ、ああ、そのことか。」
思い出したようにうなずくと、将聖は少しの間、考えるように天を仰いだ。
「そいつはフォーリミナが俺に『魔法』の説明をしている時に、蛇足的に触れられただけの話だ。いいか、魔法粒子はこの世界にたくさん存在している。それが具体的にどんなものなのかとか、どんな働きをしているのかとか、そういったことまではフォーリミナは俺に教えなかった。それはイザナリアの人間が、いつか自分たちで発見しなきゃいけないことだからだ。ここまではいいか?」
俺はうなずいた。自分たちの生きる世界について自分たちで学ぶこと、それが進化を促す条件の一つであることを、俺はすでに将聖から聞かされている。
「ただし、魔法粒子の『存在の仕方』については、こんな風に言っていた。『波のように存在する』と。で、人間が、もっと正確に言うと魔法の能力を持った人間がそれに意思を持って関わると、それは『具体的に存在するようになる』らしいんだ。俺はただ、そう言われて、ああ、素粒子に似たようなもんか、と思っただけだ。」
「ふーん。」
だとしても、そこで素粒子を思いだすだけで、俺は「こいつやっぱりオカしいよな」と思っちまうんだが。
「それでフォーリミナは、俺にとってはそのほうが理解しやすいんだろうと判断して、『魔法粒子』という言葉を使った。これ以上はもう訊くなよ。俺だって分からないんだから。」
「うん、…了解。俺も理解できそうにないしな。」
俺はそう応えて、額の汗をぬぐった。俺たちは会話をしながら、最初に粗朶を集めた切り株の周辺からずいぶん森の奥まで歩いてきていた。俺の背中の束もだいぶ大きくなっている。
「――!」
不意に将聖が顔を上げた。俺さえも見たことのないような、厳しい表情をしている。
「しょうせ…。」
「しっ。」
将聖が手を挙げて俺を制する。
魔物が近づいているのだ。それは俺にも分かった。だが、こんなに張り詰めている将聖は初めてだった。
「…ウソだろ。ここはだいぶ南寄りだぞ。」
ややあってから、一度だけ将聖はつぶやいた。東の共有林とはいえ、その中では最も南に位置するこの区画では、時折魔鼠が罠にかかることはあっても、中型や大型の魔物は現れたことがなかった。安全を期して選ばれた場所だけに、索敵能力を持たない俺でさえも、こんな場所にさえ現れたか、と追い詰められたような息苦しさを感じずにはいられなかった。
「…子供たち。木に登らせないと。」
それでも遠慮するように声を低めながらも、俺は将聖に言った。さほど散らばっているわけではないが、やはり全員に事態を知らせて対応するには時間が必要だったからだ。行動するなら、早いに越したことはない。
「いや。逃げろ。走れ。足の遅い子は手を引いてやってくれ。」
はっとしたように俺を振り返ると将聖は言い、それからほんの少しだけ表情を緩ませた。
「ごめん。そっちが最優先だった。悪いけど、子供たちをよろしく頼む。」
俺は黙ったままうなずいた。
将聖が魔物の気配のほうに完全に気を取られてしまうなど、俺にとっては初めてのことだった。いつもは真っ先に俺に木に登るよう促し、ほかのみんなにも伝えに行くのが常だからだ。
――一体、何が来ているのか。
俺の頬のあたりを、ぞわぞわと何かが這った。巨狼を知っている俺は、あの気配を思い出しただけで胸が悪かった。
だが、俺は冷静ではなくても、それを装う必要はあった。将聖は強いが、何もかも一度にできるわけではない。足枷のプライドにかけて、できない部分をフォローするのが俺の役割なのだ。
「どこまで逃げればいい? 子供たちに、市門までは無理だ。」
「オストさんの果樹園のある丘に行ってくれ。あそこの石垣を乗り越えられたら、多分大丈夫だ。」
「分かった。追いつかれても、あそこなら石投げて応戦できるしな。」
「俺は行く。ほかの自警団の人に、方向や数は呼子の合図で知らせると伝えてくれ。後は頼む、優希。」
「お前も気を付けてな。」
こいつに魔物を任せて自分だけ逃げるのは、心底悔しい。だが、これが俺のできる「最善」なのだ。俺はスカートをたくし上げて、今日の粗朶集めに参加しているターニャさんのいそうな場所を目指して走った。ターニャさんははしばみ自警団団長のオルグさんの奥さんである。今の状況なら、こういう事態に慣れているターニャさんに指示を出してもらうのが一番いい。
将聖が魔物の気配を察知したと伝えるだけで、ターニャさんは素早く動いてくれた。将聖の索敵能力のことをオルグさんから聞いているのだろう。ターニャさんは呼子を使ってみんなを集めると、男たちに将聖の言葉を伝え、応戦の準備をしながら合図を待つように指示した。
それから俺とリーシャに、ほかの女や子供たちを連れて果樹園に向かうように言った。
「ターニャさんはどうするんですか?」
俺が訊くと、ターニャさんは腰に付けた袋の中からピンポン玉くらいの丸薬を取り出した。赤い顔料のようなものが練りこんである。
「わたしは狼煙を上げてから追いかける。街に魔物のことを伝えないと。それに応援も必要だしね。うちの旦那に来てもらう。わたしは大丈夫だから、もう行きな、ユーク。」
俺は頷いた。ターニャさんはこういう経験を何度も積んでいる。任せていいだろう。
俺はリーシャやほかの女たちに声をかけると、シーリンさんの上の女の子の手を引き、マシェアスさんの末の男の子を腕に抱きあげて果樹園に向かって急いだ。こんなことができるのも、毎日の水汲みで育てた労働筋のなせる業だ。ギターを弾く以外はゲームばかりやっていた以前の俺なら、簡単にへばっていただろう。
将聖やターニャさんがすぐに俺たちを逃がしたのは正解だった。やはり、女子供の歩みは鈍いのだ。まだ魔物の姿が見えないこともあって、注意が散漫になりがちな子供たちを急き立てながら歩いている間、俺の心は焦るばかりだった。果樹園へ続く最後の坂道を登りながら振り返ると、森から赤い煙が立ち上がっているのが見えた。数人の女が悲鳴を上げる。あの煙の意味を知っているのだろう。俺たちの一隊の中に緊張が漲った。
果樹園にたどり着いたときは心底ほっとしたが、まるでそれを待っていたかのように、今度は森のほうから呼子の音が響き渡った。一箇所からではない。
俺が何も言わなくても、子供たちは石垣の陰に隠れた。女たちも、子供たちをかばうようにそれに続いた。小さい子供たちに「絶対に顔を出しちゃだめよ」とリーシャが言い聞かせている。俺は狭間のように少し崩れた石垣の隙間から、元来た道のほうを見下ろした。
「――っ。」
将聖が森から駆け出してきた。もうあんなところまで来ていたのか。果樹園からはまだだいぶ距離があったが、開けた牧草地のためにその姿はよく見える。魔物の数が多くて押されて出てきたのなら、あいつ一人では支えきれないだろうと俺は思った。
そんなことを考えていると、後を追うように森から魔物が駆け出してきた。
――なんだ、あれは?
俺は目を見張った。初めて見る魔物だ。
「四肢蛇か!」
追いついてきたターニャさんが言った。ずっと走ってきたのだろう、まだ苦しそうに肩で息をしている。
「この辺りじゃ滅多にお目にかかれない魔物だよ。あんなに大きいのは初めて見る。おそらくディフリューガル山脈の東域からきたんだろうね。ユークは見覚えないのかい?」」
東域と聞いて、俺はどきりとした。最近その方面から来たと思われる魔物の襲来が確実に増えてきているのだ。
先日現れた「はぐれ巨狼」以降、将聖たちが巨狼の群れをメドーシェン市の近郊まで近づかせたことは一度もないが、尾鞭虫の小規模の群れや、まだ俺は名も姿も知らない魔物の一団との小競り合いが東の森の先の境界域で頻発するようになってきている。将聖が懸念している「大型の魔物が山脈のこちら側に決壊したように押し寄せてくる」という事態も、遠い先のことではないのかもしれない。
俺は思わず、石垣から身を乗り出すようにして将聖を目で追った。四肢蛇という魔物は、将聖とかなりの体格差があるように見える。
気味の悪い魔物だった。頭部は鼻が前方に伸びて獣を思わせるのに、体部は二足歩行でまるで人間を思わせる。上肢が長く、それを時折地面について体を支えるので、ゴリラやチンパンジーのような類人猿も思い起こさせるが、どう見てもその手には、武器のようなものを握っているのだ。
遠目にはよく分からないが、頭髪はなく、肌は苔むした岩のようなまだらな色合いで、まるで全身が鱗に覆われているように見える。全体的なイメージを強引に一つの名詞に当てはめるなら、「蜥蜴人間」と呼んでもいいかもしれないが、漫画やアニメで見かけるような、「知的生命体」という気配は片鱗も見られなかった。
四肢蛇が武器を振り下ろす。俺の目には鉄パイプのように映るが、気のせいだろうか。将聖がかわす。腕が長く、懐が深いせいで、なかなか斬り込むことができない。
援軍はまだ来ないのか。俺は息苦しさに耐えて周囲を見回した。近くに、援護の矢を射かけてくれる人はいないのだろうか。
将聖は落ち着いていた。それだけは遠目にもはっきりと分かった。ギリギリまで引き付けて、かわす。かわす直前に、仕掛けている。急所が狙えないなら、末端から削っていくつもりなのだろう。将聖が狙っていたのは武器を握った前肢で、指を落としたか、それとも手首の腱を斬ったのか、長い対峙の果てに四肢蛇は武器を取り落とした。
「やった!」
ターニャさんが声を上げる。
「相手がよく見えてる。いけるよ、ショーセ!」
ターニャさんの歓声に、女たちが石垣から顔を出す。子供たちもすぐに続いた。
「頑張れ、ショーセ!」
少年の一人が声を張り上げる。
俺は声が出なかった。時間がかかり過ぎる。四肢蛇の前では、将聖はまるで大人を見上げる十歳児だった。それだけ向こうのほうに体力の余裕があるのだ。将聖は走らされ過ぎている。
あいつのスタミナは、いつまで持つのか。
四肢蛇は反対の手で武器を取った。かなりいら立っている。いや、逆上していると言ってもいいかもしれない。
四肢蛇はまた激しく武器を振り始めた。体の大きさに似合わぬ素早い乱打だった。腕の長さを考えると、むしろそんな動きができることのほうが驚きだ。将聖は紙一重のところでかわしている。
「――!」
将聖がバランスを崩した。四肢蛇は素早く武器で横薙ぎに払う。将聖は山刀で受けることができず、腕で頭部と体をかばった。
鉄パイプの一撃は強烈だった。将聖は、倒れ込みはしなかったが数歩たたらを踏んだ後、地面に膝をついた。
俺は悲鳴を上げることさえできなかった。
立て。立ってくれ。将聖…!
四肢蛇が将聖に近づいていく。将聖は左手首を押さえたままうずくまっている。
このままでは、四肢蛇の鉄パイプの間合いに入ってしまう…!
将聖が立ち上がった。すぐ立ち上がれないなら生きてはいられない。
「いいね。」
ターニャさんは右手を握って、三者三振に抑えたピッチャーのように、小さくガッツポーズをした。
「一瞬ひやっとしたけれど。大したことはなかったようだ。」
「応援は…。」
俺は将聖から目を離すことができず、ほんの一瞬だけターニャさんに顔を向けた。体が震えて、もどかしいほどに声が出なかった。
「オルグさんやほかの自警団の人たちは、まだ来ないんですか?」
「来てるよ。」
「え…?」
ターニャさんは近づくと、俺の肩をしっかりと抱いた。
「うちの旦那はあそこだ。見えるかい?」
ターニャさんが空いているほうの手で森の入り口を指す。最初は分からなかったが、静かな手の動きで何かの合図を送っている人影を藪の中に認めた。その人影に気付いてようやく、俺の目にもその周囲に二、三人が潜んでいるのが見えてくる。
誰かが身を潜めているのは森だけではなかった。
将聖が戦っている牧草地を囲むように、武装した男たちが隠れていた。数人単位のグループで、数か所に分かれて遠巻きに様子をうかがっている。
「四肢蛇が現れたら、確実に仕留めないといけない。牛や羊だけじゃなく、子供も持っていかれちまうからね。手負いで逃がそうものなら後々もっと厄介になる。うちの旦那はここで決着をつけたいのさ。」
ターニャさんは肩を抱く手に力を込めて、微笑んだ。
「こんなこと、今まで考えられなかったことだよ。ショーセが来るまで、四肢蛇狩りは罠を仕掛けたり囲いを築いたりしなきゃ何もできない、数日から数週間がかりの戦だったんだ。ショーセは今、四肢蛇の足をあそこに止めている。今日一日で仕留められたら、間違いなくはしばみ自警団始まって以来の快挙だろうね。」
そうなのか。
やっぱり、あいつは只者じゃなかった。
俺はまだ動悸を抑えられずにいたが、やや安心して頷いた。オルグさんたちが来ているのなら心強い。
将聖。
頑張ってくれ、将聖…!
四肢蛇の攻撃が、当初より緩慢になったように見えた。怒りに任せた乱打は消耗が激しかったようだ。鉄パイプを握る腕が大振りになり、わき腹にわずかな隙が生まれる。将聖の体が一段と低く沈んだ。
将聖の足が、四肢蛇に向かって深く踏み込んだのが見えた。腕が大きく振られ、山刀が一閃する。
――入った…!
確かな手応えがあったことだけは、突然動きを止めた四肢蛇の様子からも伺い知れた。だが果樹園からの距離では、どこにどう入ったのかまでは分からなかった。
歓声が上がった。果樹園からではなかった。
四肢蛇が膝をついている。将聖の一撃は、かなりの深手を与えたらしい。
声を上げて飛び出したのは、隠れていたはずの男たちだった。将聖は四肢蛇から距離をとって、大きく胸を波打たせながら呼吸を整えている。まだ山刀を構えていたが、もう勝負はついたといってよかった。
四肢蛇は立ち上がれなかった。足首の腱を斬られたのだ。将聖が低い姿勢で、長い腕の下をかいくぐるように詰め寄って、斬った。
「やった! ショーセが、やった!」
ターニャさんが叫んだ。俺はターニャさんに痛いほど強く抱きしめられて、ただ茫然としていた。
「すごい! たった一人で、すごいよショーセ!」
「いえ…。」
まだ終わっていない。最後まで油断するな、と俺は心の中で将聖に叫んでいた。俺の中の塊のような不安は、まだ喉元につかえていて、苦しくて息もできなかった。
だが、俺の不安は杞憂だった。
鋭い呼子の音が響いた。歓声を上げながら駆け寄る男たちを、オルグさんが制したのだ。オルグさんの合図で、男たちは隊列を組み直し、弓矢を構えながら慎重に近づいていった。ハノスさんが自慢していただけあって、統率が取れている。将聖にも何か指示があったのか、あいつは大きく頷くと、目を離さぬよう後ろ向きのまま、四肢蛇から離れていった。
四肢蛇が、将聖に向かって腕を振った。せめて最後の一撃を、と思ったのかもしれない。だが四肢蛇はその場から動けなかった。四肢蛇もまた、肩で激しく息をついていた。
ピイッ。
短い呼子の音。四肢蛇の体に、無数の矢が突き刺さった。ガアッとひと声上げて、四肢蛇が矢を射る男たちのほうへ駆け出した。いや、駆け出そうと体は跳ねたが、腱を切断された足は思うように動かず、地面に崩れ落ちた。
ピイッ。
二の矢。四肢蛇がそれらを払い落とそうと腕を振り回す。
三の矢。四肢蛇はまだ手足を動かしていた。だがその動きは徐々に弱まっていく。何故か俺はそれを見ていることができなくて、まだ俺を抱き締めているターニャさんの肩に顔を埋めてしまった。
何度呼子の音を聞いただろう。オルグさんは四肢蛇に何度も矢を射込ませた。
「終わったよ、ユーク。」
呼子の音が聞こえなくなってしばらくしてから、ターニャさんが言った。
俺は顔を上げて牧草地を見下ろし、倒れて動かなくなった四肢蛇と、しっかりと立っている将聖の姿を認めて、深く溜息をついた。
将聖の周りに、人だかりができていた。
よくやった、と頭をわしわし撫でる者。肩をしっかりと抱き締めて喜ぶ者。子供たちも次々に歓声を上げて将聖の腰に取り付き、ぎゅっと抱き着いた。あちこちからてんでに抱き着かれて、将聖がよろめいている。
俺は離れたところから満足してそれを眺めていた。
将聖。お前は愛されている。こんなに大勢の人たちから、こんなにも愛されている。
なかなか解放してもらえず、将聖は少し困ったような表情をしていたが、俺はしばらく助け舟を出さずにいた。
寂しがり屋の将聖。自分の居場所が見つけられずにいた将聖。
あいつの中にあった、孤独という名の深い穴は、少しは塞がれてきただろうか。
魔物の死骸を片付けようとしているオルグさんも満足げに笑っていて、将聖やほかの男たちを呼び集めるのを控えているようだ。
「ショーセを連れてくるかい、ユーク?」
「え?」
急にターニャさんが訊いてきたので、俺は驚いてしまった。
「まだ顔色が悪いよ。少し刺激が強すぎたようだね。」
「うん。ユークの顔、まだ真っ白だよ。大丈夫?」
隣でリーシャも相槌を打った。
――そんなにか?
俺は自分の頬に手を当てた。そこまで動揺していたつもりはなかった。
「わたしが抱きしめてやるより、ショーセのほうがいいだろ? こういうのは本人にしてもらわなきゃ安心できないものなんだから。」
「い、いえ、大丈夫です。ち、ちょっと、四肢蛇に驚いただけなので。」
俺は両手を振って辞退した。将聖に抱きしめられる。そんな恥ずかしいことが俺にできるわけがない。将聖だって嫌がるはずだ。それ以前に、こんなことで男の俺が不安のあまり顔色を失って、女性のターニャさんにしがみついていたなんて知れたら、あいつに笑われてしまうだろう。
「そ、それよりも、それは何ですか?」
俺はターニャさんから逃げるように、オルグさんに近づいて訊いた。俺が気になって尋ねたのは四肢蛇が握っていた武器のことだった。
「ああ。こいつか。これは車軸だ。」
答えながら、オルグさんは少し頬を歪めた。
遠目には鉄パイプのように映ったが、確かにそれは木製の車軸だった。手押し車などに取り付けられている小ぶりのものだ。古びて黒ずんでいるのと、綺麗に削られ、やすりで磨かれているために金属製に見えてしまったものらしい。
金属製でなくて本当に良かった、と俺は思った。そうでなければ今頃将聖の左腕は、くの字にへし折れていたことだろう。
「道具を使う四肢蛇か。こんな奴が現れるってのは、あまりいい気分じゃない。」
オルグさんは、俺だけに聞こえる低い声で言った。
「人を食ったか。人が成ったか。」
俺の背中に震えが走った。
…そういう可能性もあるわけか。
目を閉じながら、俺は思った。なぜ将聖に説明されているのに、目の前に差し出されるまで気づけないのだろう。これから将聖が戦う相手には、元人間だった魔物がいる場合もあるのだ。もしかしたら、そういう魔物のほうが巨狼の群れよりも数段危険なのかもしれない。
「優希。大丈夫か?」
将聖が近づいてきた。俺は断ったのに、やはりターニャさんは将聖を呼び出してしまったのだ。心配そうな眼をしている将聖に、俺は無理矢理笑顔を作って振り返った。
「お前こそ。手、大丈夫か?」
俺が訊くと、将聖は少し辛そうに顔をしかめて首を振った。
「ちょっとヤバいかもしれない。折れてはいないと思うけど、これからレドナス様のところに診てもらいに行こうと思ってる。悪いんだけどさ、ヴェニマンさんのとこに、俺こんなだから今日はもう行けないって伝えに行ってもらえないか? この刈り入れの時期に本当に申し訳ないんだけど、今日はもう仕事はできそうにないから休ませてもらうって。後で謝罪に行くし、明日以降のことはレドナス様に診てもらってから相談しに行くからって言っておいてくれ。」
「分かった。」
俺は将聖が仕事を休むと言ったのでほっとした。将聖の表情がやや張りつめている。やはり痛みがきついのだろう。
神官のレドナス様は薬草に詳しく、外科医療の知識がある。本人は「本職の医者のように治療するわけはいきませんよ」と言っていたが、自警団の団員たちは怪我をするたびに神殿に駆け込んで、その世話になっていた。
「あ、そうだ。これ、返すよ。」
俺は将聖が戦っている間中、エプロンのポケットの中で無意識のうちに握りしめていた白魔石を将聖に差し出した。先ほどの将聖の言い方では、これはさほど価値のない屑魔石だという口ぶりだったが、差し出しながら改めて見てみると、最初の印象よりもずっと綺麗な色合いをしていると思った。
カルピスみたいな透明感のある乳白色だ。さすがに魔石というだけあって、表面に不思議な艶がある。この白魔石に悪い気を祓う能力があるなら、少しでいいから将聖の痛みを鎮めてくれないだろうか、と俺は思った。
将聖は差し出した手を一瞬止めた。それから魔石を受け取ると、「じゃ、ヴェニマンさんによろしく」と言って市門へ続く道のほうへ歩き始めた。
また、ゆーさん様よりご感想をいただきました。ゆーさん様、この度は具体的にご記入いただきまして本当にありがとうございます。「自分にはこういう良さもあるんだ」という自信をいただきました。これからもいただいた言葉を糧に、執筆を続けていきたいと思っております。
また、このたび新たにポイントを付けてくださった読者様にも感謝申し上げます。少しずつ、目下の目標である総合評価100ポイントに近づいて参りましたのでドキドキしております。とても嬉しいです。本当にありがとうございます。
みなさまからのご感想・ご指摘など、心からお待ちしております。至らない点も多々あるかと思いますが、これからも精進してまいりますので、今後も応援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。




