第36話『魔女が来たりて笛を吹く』
リアノンの使命は領民の安寧と、シャルロンテ家をより高みへと引き上げることだ。
それを心の中で、今は亡き父と母に何度も誓ってきた。
勇者パーティー候補の選定も、自分の能力をより強く王室へアピールできると思ったから引き受けた。
その結果がこれでは、王室へ一体どう報告すればよいのか。
己の館で、己の領地で、人が死んだ。
これは病死や事故死ではない。殺人だ。
「何をしてる早く回復してくれ! お前もいい加減に目を開けろアートリス……!」
まだフレイルは妹を起こそうとしている。
彼女の錯乱でリアノンはかえって冷静を保てたが、本音は今すぐこの場から逃げ出して、全て忘れてしまいたかった。
しかし、この悲劇をただ傍観するわけにはいかない。
自分にはやらねばならないことがある。
「やめいと言うておるじゃろう!」
「離せ! アートリスを早く……!」
「早く、どうするのじゃ?」
「それはっ…………!」
フレイルも勇者パーティー候補として最後まで残った強者。
あまりに唐突な妹の死に錯乱しているが、狂ってしまったわけではなく、ただ受け入れたくないだけ。
「辛いのはわかるが、現実を見ねばならん」
「うぅっ……ぐっ!」
彼女が歯を食いしばる。
耐え難きを耐えるために、受け入れ難きを受け入れるために。
「さもなければ、犯人を逃すことにもなりかねん」
「犯人……?」
犯人というキーワードに反応して、フレイルの意識が切り替わった。
あまりの事態に頭から抜け落ちていたのだろう。
「そうじゃ、犯人はこの部屋の中におる」
「それは一体誰っスか?」
拓馬とリィスは周囲を見回して警戒を示していた。
リィスはともかく、拓馬も冷静だったのは少々意外だったが、それでも何ができるというわけでもない。
彼からは今も凡人の色しか視えないのだから。
「我様にははっきりと視える。アートリスを殺した邪悪がの」
リアノンは人の才能や感情をオーラで視ることができる。
フレイルなら燃え上がる情熱のような赤いオーラ。
アートリスはいかようにも変わる青く清い水のようなオーラ。
どちらも素晴らしい輝きだったが、一つは怒りで燻り、一つは完全に消えてしまった。
「ずっと必死に隠しておったのじゃろうが、今なら貴様の悪意がよう見えるぞ」
故に自分だけは見える。沼のようにドス黒く吹き出す悪意が。そしてこの館の誰より強大な殺しの技能も。
「のう、魔女クーリエ……!」
「えっ!?」
ハーフエルフの娘は心底驚いた顔で、リアノンを見つめる。
どんな反応を見せようが無駄だ。皆の前では己の眼は絶対。
「違っ! わたしが来た時にはもう……」
「エルフ、貴様か! 貴様がアートリスを!」
血走った目でフレイルが立ち上がり、剣を引き抜く。
不味い、怒りで我を失っている。
「貴様だけは絶対に許さんッ!」
「ちょっと落ち着くっス!」
怒り狂っていても素早く重い一撃を、二振りの剣を横に傾け、上下で構えたリィスが受け止めた。
仲の悪さは厄介だが、いざという時の戦力として念のために入れておいて正解だった。
クーリエは向けられた殺気に怯んだような様子を見せている。
「どけえッ! アートリスの仇は私が討つ!」
「気持ちはわかるっスが、まずは正規の手順を踏むべきっスよ」
「そいつは魔女なのだぞ!」
「魔女だったら猶更っス!」
二人の剣士が向き合っている中、光の輪が手枷となってフレイルにかけられた。
手枷は空中に固定されているので、これ以上剣は振れない。
「これは……!」
「ご主人さま、ご無事ですか!」
「うむ、ようやってくれた」
白髪のメイド、ルルアが拘束魔法でフレイルを捕獲した。
続け様に、リリアの生み出した槍の穂先を模した黒い魔力弾が、二人へと向けられる。
「ご主人さまの御前です。二人とも剣を納めなさい」
「うちは止めた側なんスけどねえ」
「すまぬのリィス、助かったぞ。フレイルの武器を回収してくれ」
「承りっスよ」
リィスは自分の武器を鞘へと戻すと、手早くフレイルから剣を回収する。拘束されて少しは頭が冷えたのか、彼女もこれ以上暴れることはなかった。
「リリルルは魔女クーリエを捕獲せい」
「クーリエさまが、魔女……ですか?」
「これはどういう状況なの?」
たった今駆け付けた二人はまだ状況を把握しきれていない。
しかし細かな説明をしている暇もなかった。
「言うたままじゃ。ただちに憲兵への連絡せい。いや、その前に魔女を監禁し他の候補生を集合させよ。徹底的に見張らせるのじゃ。人はいくら使っても構わん」
「かしこまりました」
「すぐに手配するわ」
二人は返事をするやいなや、早速ルルアがバインドをかけクーリエの動きを封じた上で、リリアは衣服に仕込んでいた短剣を抜き突き付ける。
「待ってください! わたしじゃない!」
「くれぐれも用心せい」
クーリエの言葉はあえて無視してメイド達に告げた。
嘘や欺瞞は魔女達にとっては特技だと知っている二人は、取り合わずに彼女を連行しようとする。
「わたし達に従ってください」
「少しでもおかしな挙動をすればその場で刻むわ」
これで良い。自分は最善の判断をしている。そこは間違いない。
しかし、クーリエはしつこく叫ぶ。
「待って……! 話を聞いてください! わたしが来た時にはもうアートリス様は!」
「口答えは許さないわ」
「ひぐうううう!」
ルルアが手にしている刃がクーリエに触れると青白い電光のような魔力が走り、苦悶の呻き声が漏れ出した。
――もう諦めるのじゃ。魔女は一刻も早くこの町から排除せねばならん。
「お願い……駄目なの……もういや、なんです……」
そうだ、諦めろ。
拷問染みた行為だが、それは二人が魔女の恐ろしさと、リアノンの魔女に対する恨みをよく知っているからこそだ。
これ以上足掻いても長く苦しむだけ。
「こののまでは次の犠牲者が出ます! わたしは、もう……誰にも、死んでほしくない!」
ぎりぃっと自分の歯が軋む音がした。
――まだ、言うか! 言うのか! もうやめろ! やめさせてよ!
「我様の眼は欺けぬ! 早く魔女を連れていけい!」
ありたっけの怒りを込めてクーリエを睨みつける。
自分の判断は正しい。それは絶対と断言できる。
「うあああああああ!」
再び刃を当てられて、今度はぐったりと項を垂れた。クーリエの瞳はもはや誰も見てはいない。
暗く澱んだ、諦めの色に染まった瞳。
この屋敷に、いやこの街に来てからの、いつも周囲を警戒していた目よりも、更に深い絶望を宿していた。
「クーリエ、君は君の意思を見せた。今はこれ以上抵抗しない方がいいよ」
それは部屋の中から聞こえてきた。今この場でただ一人の男の声。
もはや何もあの娘には届かないし、彼の言葉だって誰も聞きはしない。
「メルーお主は……」
「すぐ兵団へ連絡を入れますう」
「うむ、頼んだ」
力なくメイド達に連行されていくクーリエの姿を見届けて、残る者達への指示を出す。
おっとりした言葉遣いとは裏腹にメル―は既にテキパキと動き始めていた。
彼女は元々グラドニア兵団所属であり、この中ではある意味一番場数を踏んだ専門家だ。
「リィスや。お主はフレイルを自室に送り届けて、落ち着くまで見張るのじゃ」
「それはいいんスけど、あっちは?」
「何じゃ? アートリスの遺体はすまんがそのままじゃ。すぐに憲兵が来て現場を取り調べるのでな」
メルーがすぐに回復を中止したのは現場保存のためでもある。職業上、人の死に向き合うことも多いため、そういう機微を理解しているのも彼女の強みだった。
「そうでなくってスね……」
リィスが指差した先には拓馬がいた。
いつの間にか手袋を嵌めており、部屋の中をウロチョロして勝手に見て回っている。
「何やっとるのじゃお主は!」
「え、現場捜査だけど?」
「勝手に部屋の中を触るな!」
「ああ、現場写真もならもう撮った。手袋してるし、触ったものはすぐ元に戻してるよ」
そういう問題じゃないし、敬語すら消えてる。しかも僅かにこっちを見て答えたらすぐ調査へと戻った。
「じゃ、うちはフレイルさんを部屋にお連れするんで、そっちは任せるっス」
「触るな、一人で歩ける」
彼女らを二人きりにするのは心配だが、犯人がはっきりしたことで、フレイルも少しは落ち着きを取り戻している。
とはいえ、彼女のオーラはまだまだ黒い炎のようで、恨みと怒りで心の中はいっぱいだったが。
それよりも今は拓馬だ。もう今この場には自分と彼しかいない。
「おい、いい加減にせんか。お主も部屋を出よ!」
「確認しておくけど、リアノン様は本当にクーリエが犯人だと?」
アートリスの死体の前に座り込みながら彼が問うた。
何を言われても自分の判断は覆らない。
「そうじゃ。我様の見立てに異議があるのか?」
「ふーん。その目、思ったより節穴だったんだね」
「なんじゃと!」
拓馬は立ち上がり、こちらを見た。そこでリアノンは思わず棒立ちになる。
「死体の欠損部に獣みたいな鋭い歯型がある」
「だから何じゃ?」
「犯人は人間ではあり得ない」
なんだこの男。その程度のことでこちらを節穴呼ばわりしたのか?
「魔女には魔物を召喚する秘技がある。己の血を使っての」
全ての魔女が魔物を召喚するわけではないが、魔女でないとこの惨状はまず作れない。
憲兵も同じ判断をするだろう。
「その魔物達は何処に?」
「この手の魔物は役目を果たせば自然消滅するモノもおる」
拓馬はなるほどね、と納得したように頷いた。これで如何に自分の発言が的外れだったか理解したはずだ。
「ならばやはり、クーリエは犯人じゃない」
「貴様、我様の話を聞いておったのか?」
「ああ、恐らく俺はこの魔女を知っている」
「なんじゃと?」
そう言えば、彼は一度グラドニア城で魔女と遭遇しているのだった。
「魔女は勇者として召喚された俺を誘拐するため、自分の血で魔物を召喚していたんだ」
勇者の旅立ちを妨害したい魔女がいて、それが同じ力を使ったのでそこに類似性を見ているのか。
「残念じゃが、魔女は変化の魔法も扱う。本来の姿を隠すため、クーリエがお主の知る魔女に化けていた可能性は十分にある」
魔女は様々な魔法を使いこなすことでも知られている。だからこそ危険極まりなく、犯人の特定も非常に困難なのだ。
「だから節穴なのさ。ズレてるんだよ、観点がね」
「ズレておるじゃと?」
「クーリエの傷を覚えているかい?」
「手首から血を流しておったのは我様も見た。あれこそ魔物を召喚した証じゃ」
クーリエの手首からは血が滴っていた。犯行の証拠としては十分だ。
「魔物の召喚に使う血は少量でいい。俺が見た時は指先をほんの少し傷付けていた」
「そうなのか?」
実際に魔女が魔物を召喚する姿を見たことはない。それは純粋に知らない知識だった。
「これまでコソコソ隠れて機会を伺っていたのに、手にあんなわかりやすい痕跡を残すかね?」
死体発見時からそうだが、人が死んでいるのに、彼は驚く程冷静に現場を観察している。
「そもそも、魔物の召喚なんて使わなくても、二人きりの空間なら暗殺は可能だ。アンヌはむしろそっちを得意としていた」
聞き慣れぬ名前だったが、恐らくはアンヌが城を襲撃してきた魔女の名前なのだろう。
「そもそも、お主を襲った魔女と今回の魔女が同じという証拠がないじゃろ」
「確かにそうだね」
ここまで語っておいて、拓馬はあっさりと認めた。
「それにこの部屋から出ても必ずロビーを抜けねばならん。この部屋には途中までしか開かぬ換気窓しかないし、廊下の窓は嵌め殺しになっておる」
もし壊していたら音でわかる。消音系の魔法はあるが、強引に破壊した痕跡はない。
「この廊下はロビーと繋がっているけど、その反対側は? 角は二階への階段になっていたはずだろう?」
「そこはクーリエ監視のため一時的に上へ繋がる扉を閉めて、鍵もかけておった。つまり我様達のいるロビーを抜けねば脱出は不可能じゃ」
「そうか、ありがとう。参考になったよ。さて、じゃあ、そろそろ出ようか。憲兵の邪魔になってはいけないしね」
「ようやくか。本当に手間のかかるやつじゃ」
自分もここにはあまり居たくない。憲兵が来るまで監視を付けて閉鎖するとしよう。
「俺はこれから、重要参考人に話を聞いて回ってくるよ」
「まだそんなことを抜かすか」
「抜かすさ。ところで、俺と双子メイドがあの部屋を離れてからロビーに行くまで君は何を?」
「貴様……我様を疑っておるのか!」
この屋敷の主人、つまり領主である己に、こうまで堂々と質問してきた。なんという不尊さだ。
「我様をではなく我様もさ」
「同じじゃ!」
「そもそも魔女が他人になりすませるなら、君の中身が魔女でないと証明する必要がある」
「口の減らぬ男よの」
理屈としては正しいからなお腹立たしい。
この落ち着き具合といい、こういう展開には慣れているようにしか見えない。
「それに潔白なら答えられるだろう、クーリエみたいにさ」
クーリエは連行される直前まで己の無罪を主張しておった。それがどれだけ見苦しく、誰も信じようとしなくても。
ふざけるなという気持ちを込めて拓馬を思い切り睨みつけるが、まるで動じず一切目を逸らしもしない。結局はこっちが根負けしてしまった。
「我様が一人になってからは、集合時間の少し前まであの部屋で寛いでおった」
「それを証明できる人は?」
「途中でリリルルが戻ってきたが、その前はない。その時にお主がフレイルと会っていることは聞いたぞ」
「ロビーへの移動もメイド姉妹と一緒だったのかい?」
「そうじゃ。ロビーに着いた時にはもうフレイルがおった」
つまりリアノンの潔白が証明できない時間は、リリルルがタクマの監視に部屋を出て戻ってくるまでの間のみ。そこから事件発生までは必ず誰かと共にいた。
「双子メイドが戻ってからもアートリスはまだ生きていたのを確認しているので、リアノンにはアリバイが成立するね」
「そんなものは当然じゃ。さっきから犯人は魔女であるクーリエじゃと何度も言うておるじゃろが」
そもそも、こんな無実の証明なんぞ何の意味もない。何故なら、
「我様にはこの眼がある。貴様の拙い捜査よりずっと正確に犯人を見通せるこの眼がのう!」
「ククク……拙くはないさ。俺は探偵だからね」
「タンテイ?」
「こういう時の専門家だよ」
聞いたことのない単語だった。ジョブドライバーを使い魔女を撃退したことは聞いているが、その技量はこの眼で確かめるため、あえて詳細は聞いていなかった。
「それじゃあ、俺は先に行くよ。証言ありがとう、またね」
「やっとか、まったく……」
拓馬はリアノンの隣を抜けて、部屋から出ていった。出ていってくれた。
この部屋を自分も早く出なければならないのに、足が動かない。
ぎゅっと手を握りしめると、じわりと汗を感じる。
この部屋も恐ろしいが、それだけではない。むしろ今ようやく元凶が去ってくれた。
拓馬がリアノンを節穴と呼び立ち上がった時、何の変哲もない凡人の全てが変わった。様々なオーラを見てきた己が思わず硬直してしまう程にだ。
自分の前に立っていたのは、黒い人型の塊だった。
どんな者でも、善意でも悪意でも、そのオーラを外側に向けて放っている。
魅力は外に放つから人を引きつけるし、悪意は周囲に撒き散らすから皆避けるのだ。
彼は違った。
まるで闇そのものがピッタリと体に収まって人の形を作っているような、漆黒の塊。
それに小さな点のような白い目と口がポッカリ開いている。そんな化物と二人きりで話していた。
オーラを外に放つどころなんて話じゃない。
むしろあの闇にこっちが引きずり込まれそうだった。
「何なのじゃ、あやつ……!」
あんな者はこれまで一度も見たことがない。
拓馬のことは、有能でなくともどこか不思議な愛嬌のある者だと思っていた。
それも一種の才能ではあるが、勇者に関わるものでは全くない。
ただ彼といると腹は立つが居心地が良かった。
マッサージの効果もあったのだが、どういうわけか疲れた心も軽くなる。
それが、一瞬にして理解の届かない漆黒に変貌したのだ。
――なあ、我が友セシルよ。お主は一体何をこの世界に喚び出したのじゃ。





