第26話『信仰は天に至らず』
拓馬の捕獲は思った以上に厄介だった。
追いかけると、自分は進みやすく、けれど落とし子の体躯では進み難い通路を的確に選択していく。
聖域に向かうと思い先回りを試みれば、全然異なる道を選ぶ。
元々この城は魔物の侵攻を防ぐための砦だ。
だが何通りもあるルートで、理想的な選択を続けるには構造の理解が必須。
あの男はプレゼンターになるための学びを優先していたはず。それをサボってマッピングでもしていたのかと疑いたくなる。
だが身体の限界は避けられない。体力の消耗に加えて、舌を噛み千切る激痛と流れる血が呼吸を阻害しているだろう。
そんなコンディションで逃げ切るなど到底不可能だ。
やがて逃走する速度は目に見えて落ちだし、落とし子達が距離を潰していく。
ほら、後三歩。
二歩。
一歩。
確実な射程内にまで捕捉して、我が子は飛びかかる。
拓馬は足がもつれたか、前のめりになりながら倒れ込んでいく。
追いつこうと肉薄した落とし子は、彼の頭上を通りこして、宙空で何かに弾かれたように窓側の壁へと叩きつけられた。
「約束通り追いつきましたよ」
「セシルたん!」
幼き召喚師が魔力刃の付いた杖を構えている。彼女が槍を振るい黒塊を弾き飛ばしたのだ。
拓馬は彼女の背後へと回り込み膝をつく。
「ごめん、ちょっぴり限界……」
「はい、少しご休憩ください」
すぐさま態勢を整えた黒塊は再び突撃。その動きに合わるようにセシルも踏み込み槍を薙ぐ。
すると刃が伸長し、直ではなく曲を描いた。
鞭のように刀身をしならせ、切り裂きながら打ち据える。
軽やかに手首を返すと、対照的に刀身は荒れ狂い、止まらぬ連撃は黒塊の身動きを封じながら身を削ぎ落す。
それは軟体が身を保てず光になるまで続いた。
「その辺のオークなら五回は始末できていますね」
「もうセシルたんが勇者でいいのでは……?」
本気か冗談かわかりにくい拓馬の言を、彼女は軽く笑い飛ばす。
「わたしじゃ全然足りません」
狭い道に詰めかける落とし子達を前に、彼女は剣をしならせ言い放つ。
「けど、今この場は拓きます」
セシルは行った。
幼い肉体は躍動し、殺到する黒塊を拓馬まで届かせることなく切り裂いていく。
●
「プラズマ・チェイン!」
前方、襲い来る複数のスライム達を雷の鎖が絡めとった。
その強靭にして柔軟な体躯を縛り上げ見事に動きを封じている。
相手の位置が定まれば、無駄な浪費もなく効果的に軟体を削げる。
時間はかかったが、殺到していた全てのスライムをたった一人で消滅せしめた。
「さあ、残るは貴女だけです」
「ふふ、お見事ね。まさか幼子がここまでやれるとは思わなかったわ」
視界の先にいつの間にか現れていた人型の黒塊。そのプロポーションから女性であると判別できる。
そして、彼女から感じ取れる強大な魔力が、一筋縄ではいかぬ相手だと告げている。間違いない、魔王復活を目論む魔女の一人だ。
先程拓馬を逃したのは正解だった。
彼はここまで一人で生き延びて、魔物の主である魔女も見つけだし、セシルはその間に黒塊と戦う手を考えられた。
「タクマさんに手出しはさせません!」
「私も、これ以上時間をかけるのは好ましくないと思っていたの」
魔物の主が開けていた間合いを詰め始める。
軸のブレがなく隙のないその足取りだけで、相当な手練れであると理解できた。
「気を付けて……アンヌは、影に潜る」
なるほど。それなら三つの門を魔物が突破したのも納得できる。
「なら潜る間すら与えません」
「フフ、それ以前に使わせられるかしら?」
構えのない無形な足取り。
そのまま剣戟の間合いに入るや否やセシルは刃を打ち付ける。
狙いは脚。
だが、その一撃は空を切り、魔女は何事もなかったように歩みを止めない。
――無造作に歩く所作で躱した!?
続け様に胴。
彼女の動きが刹那に止まる。
空を切る。
頭。刃が抜ける頭一つ分だけ屈む。
空を切る。
右肩。
胸を反らして右へ。
空を切る。
右足。
空。
左腕。
空。
胴体。
空。
右足。
空。
頭。空。左腕。空。胴。空。脚。空。腕。空。肩。空。脚。空。頭。空。
狙。空。狙。空。狙。空。
狙空狙空狙空狙空狙空狙空狙空狙空狙空狙空狙空狙空。
距離が詰まり連撃の速度も上がっていく。
だが、その全てが掠りすらしない。
まるで踊るように、ステップを刻み、彼女は蛇の舞う制空域を渡る。
「私だけ躍らせるなんて、意地悪ね」
連なりの嵐を息一つ乱さず抜けた魔女の手が、そっと己の頬に触れ撫でるように首へと抜けた。
彼女の愛撫は熱に似た鋭い痛みを伴い、血が首から吹き上げた。
「あぐぅ!」
油断していたつもりは毛頭ない。
かつてセシルは魔女と相対したこともある。
その力も恐ろしさも重々承知していた。
だが、そのどれもがここまでではなかった。
仕留めるまでに十を越える兵を失ったこともある。痛みと怒りに震えはしたが、こちらの技が一切通じないなんてことはなかった。
百の兵を投入すれば勝てるか。
否。それでも誰一人触れられず死体の山ができあがる。
勝てる想像が浮かばない。
――けど!
身体強化の魔法を付与、蹴り抜く。
それもまた抜けられた。
胴。
が、そのタイミングに合わせて横一閃。
これも当たらない。が、魔女は手で弾いた。
体の中心を抜ける一撃は避けづらい。
畳み掛けるよう前へ出ると、魔女の指先が先に届く。
聖白の生地が赤く染まった。
「くう!」
そして、己を的にした幼き少女は魔女の腕を掴んだ。
「プラズマ・ブレイクゥゥゥ!」
セシルの手から魔女へと青の雷撃が迸る。
犠牲を顧みない捨て身によって得た勝機。幼き天才の魔導が直撃した。
「――――――――」
雷撃の最中、青に弾けた閃光を浴び続ける魔女の動きも停止している。
「フフ……フフフフフ! アハハハハハハハ!」
「え!?」
セシルの瞳に驚愕と絶望が浮かんだ。
渾身の雷撃魔法を受けながら、魔女は高らかに笑い出した。
「ごめんなさい。あまりに心地よいマッサージだったから」
「かふっ!」
魔女の爪先がセシルの腹を打ち抜いて、掴む手を強制的に離されその場に崩れ落ちる。
「私の身体、この皮膚は落とし子達と同じ」
あれだけの雷撃を受けてさえ、威力が中にまで浸透していなかった。
せいぜいが魔女の動きを多少阻害する程度。
「だとしても!」
左手で首の出血を押さえてセシルは立つ。
あれだけ浴びれば多少の手傷にはなったはず。窮地であっても攻め込む機に変わりなし。
「あーん」
「ごふっ!」
魔女の影から新たな巨影が蠢き、幼子の脇腹に食らいついた。
「私が動かなかったの、子供達を増やすためだと気付かなかった?」
ぞろりと魔女の足元から絶望が這い出てくる。
敵の数は振り出しに。けれど残った力はあまりにごく僅か。
「だと、してもぉ……!」
召喚師は残った力で鞭剣を振るい噛み付く黒塊を打ち削る。
連打でようやく脱出したが、脇腹の肉は見るも無残に成り果てていた。
「まだ勇者を守ろうとするの。ふふ、可愛らしい」
激痛に苛まれる肢体と残った精神を振り絞り、視線を守るべき者へ向ける。
「絶望を振り払うのが勇者様ですッ!」
それを望んできた。信じてきた。
誤った道に進もうとする国を正し、世界を救うための道を付けて、暗闇の荒野に進むべき道を切り拓く。
そのためになら、地位も、名誉も、命も、全てを捧げる。
諦めない。諦めてたまるものか。
――絶対に、タクマさんを……。
「そりゃあ駄目だよ……セシルたん。これは、負け戦だ」
足下が覚束ないまま拓馬は立ち上がり、優しく、けれど力のなく笑いかけてくる。
「駄目……です……!」
「君の勝ちだ……魔女アンヌ。頼む……その子だけでも、助けてくれ」
――それでもわたしは、あの日の言葉を信じてる。





