第16話『神に愛されし国はかくて堕ちたり』
拓馬がここまで語った知識はセシルが与えたもの故に正確だ。けど、だからこそ足りない。
「その……」
引き止めたのに、続く言葉には迷いがあった。
自分はこれから、とても罪深いことをしようとしている。
「タクマさんの説明には大事なところが欠けています」
これを話すと後には引けない。けど、このままでは……。
「グラドニアが栄えていたのは前勇者が活躍していた頃が最後です。女神様の神託や召喚もない空白の四十年でグラドニアは衰退しました」
「え……?」
あかりの表情が曇る。これは自分達の置かれた現在へと直結する話。それも良くない方向に向かっていると感覚的に理解したのだろう。
「四十年召喚がないなら、プロジェクターの概念はいつ出てきたの?」
「世界から召喚された方々は年代が前後しています」
「聞いた話だと二十世紀生まれのオッサンの次に、第二次世界大戦中の若者が呼ばれるなんてことがあったぐらいにな」
「そうなの? でもボク達は同じ時代だよね?」
「お二人の召喚も含めて、原因は四十年前から女神様がご不在のため起きた機能不全と言われています」
拓馬とあかりはそれぞれの証言により、同時代から召喚されたと判明している。
過去の召喚は時空を越えた相対座標によって対象が選ばれていたが、二人は今の時間軸による絶対座標ではないかと魔導師達も考察していた。
グラドニアの産業は全て女神と召喚者ありきで成り立ってきた。女神からの神託は途絶え、勇者も行方不明。
最初はかつての貯金でなんとか食いつないだが、やがて外国からの利益も激減して国全体が衰えた。
「現在のグラドニアは国家運営に必要な供給源が停止した状態です。そしてわたし達には、最後の希望であると同時に急所となる鍵もありました」
「それは……?」
「女神は不在でも召喚システムはまだ生きている事実そのもの、です」
希望とは時に残酷だ。何もなければ諦めるしかないが、一滴でも希望が残っていれば人はそこに縋りつく。
「異世界召喚魔法は未知の領域です。それでも部分的な解析は以前からなされていました。その結果、召喚に必要なものは聖域と一流の召喚師だと結論付けられたのです」
その考察があったから召喚の許可が下りて二人はやってきた。
「女神様は歴史の標となって召喚者を招くべき時を告げ、適材の人物を選別してくださいました」
だが、その女神は長きに渡り不在となったまま、指示のない召喚儀式が成功した。
「つまり、それはグラドニアでなくてもいいと……そう解釈できます」
動くはずなのに停止している異世界召喚の儀式を、他国が放っておくわけがない。
「故に残る六つの大国は責任追及をして、異世界召喚を聖域ごと取り上げようとしました。女神が現れなくなったのは、グラドニアが召喚した勇者様を喪失してお怒りになったのだと」
「そんな!」
そこまで驚く話でもない。女神不在の今、召喚システムを掌握することは世界の覇者になると同義だ。
他国にとっては聖域入手が最優先。召喚を行使する理由は後付でも問題はない。
「ですが、そんなことをしては世界のバランスが壊れてしまいます。当然我々は拒否しました」
けど召喚システムのためなら、疲弊しきった国一つ滅ぼしても構わないと考える国だってある。
「それでも異世界召喚に手を出そうとする者達で小競り合いが起きました。そんな折です、魔王の復活騒ぎが起きたのは……」
それは世界を新たな恐怖と混沌に落としかねない情報だったが、グラドニアにとっては僥倖だった。
「ボク達が召喚されたのは魔王が復活しかけているって噂だけだったのは……」
「魔物の活性化。それは他国に奪われるより先に、召喚行使に踏み切る理由になったのです」
「でも、世界の危機は本当なんだよね?」
あかりの声色に不安が濃くなっていく。それは認めたくない事実を突きつけられた拒絶の反応だ。
自分の本当の立ち位置が見えてきている。だが現実はもっと残酷だ。
「勇者……いいえ、アカリさん……。現在の異変を解決して世界をお救いになったら、その先はどうなると思いますか?」
「どうって……」
「今、勇者の定義は揺らいでいます。これまでは魔王を討伐するために喚ばれる者が勇者様。けれど女神無き今はどうでしょう?」
あかりは即答せず、視線を下げて考える素振りをみせた。
「それは……魔王の復活を阻止できたら本物の勇者として認められる?」
「その通り。少し視点を変えると世界救済を経たから勇者と名乗る資格を得ると、そういう流れになっているのです」
それこそが、女神に依らない次世代の勇者を生み出す勇者教計画。
同じ召喚者だからスレスレで成り立つ理論展開だ。けれど成り立ってさえいれば次のロジックも通る。
「女神無しでも召喚は正しく機能するならば、プレゼンターも同様。そういう言い訳が立ちます」
「でも女神様の選別はもうないよ」
「そう。だから俺が喚ばれた。異世界召喚を望まない俺がな」
「タクマさん……」
セシルは不安と悲哀を込めた瞳を向けた。彼はもう気付いている。
「その証拠にグラドニアは今も俺から知識と技術を引き出そうとしている。女神の制約外で喚ばれた俺はルールの外なのさ」
引き出すためには、まずこの世界の文化を知らなければならない。これまでの仕事や授業はそのための教育だった。
「選別なき召喚は、どれだけ理由を付けてもまさしく拉致だ」
知識を引き出した末に拓馬は他国の手へと渡るだろう。そうすることでグラドニアは利益だけを得られる。
モラルの崩壊はもう始まってしまっている。違いは他国か自国の手によるものかだけだ。
「今後もプレゼンター召喚を続けるなら、召喚間隔も最大限短くなると思います」
喚ばれた者は上辺こそ大事にされるが、それは女神の庇護がないただの商品。強制的に従わされて未来を選べない。
「国王様は世界全体の秩序よりも、国家再生を最優先にしました」
話がここまでに至ると、国交はプレゼンター独占者が一方的に優位となる。
そうやってグラドニアは喪失の穴埋めを狙っているのだ。四十年に及ぶ月日で広がってしまった巨大な穴を。
「やっぱりロリ婚くらいしないと割に合わないよな、これ!」
「この人、ここに至ってもブレない!」
「グラドニアでは難しいですが、他国に渡った後ならあるいは……」
他国の場合は技術の秘匿を重要視するケースもある。自国に留める楔としての政略結婚は一つの手だ。
「ならよし!」
「よくないでしょ! だったらボク達で世界を救った後は召喚を止めるよう説得しようよ。それなら……」
あかりの提案に、セシルは沈痛な表情で首を横に振った。
「プレゼンターを召喚しなければ、この国は遅かれ早かれ衰退して滅びます。召喚者の橋渡し役を拒むと他国からの侵略を受けるでしょう」
やり方は決して褒められたものではないけれど、理由はあくまで弱りきった国の再生と他国介入を防ぐ外敵排除。国と民を救うための大義がある。
「お二人が先程退治した精霊は、もし勇者教計画が失敗に終わるか、途中で他国の侵攻があった際に対抗するために生み出された実験体です」
「え、あのダイコンが!?」
「妙に動きが機敏で、ピンチになると巨大化してパワーアップ……センスが光るなグラドニア!」
「結果的に暴走して計画は一旦ストップになりましたが、いずれ再開されるでしょう」
計画はもう動き出してしまった。勇者教計画が後にもたらす恩恵のために、グラドニアは全力を尽くしている。
「つまり勇者の擁立は地球人の無差別誘拐を引き起こし、幼女の既婚者が増える」
――地球人の男性は子供としか婚姻しないのでしょうか?
地球人側は回避も防御もできない。これまでの生活を一瞬で壊され、異世界生活を余儀なくされる。
あかりが勇者として正式に認定されれば、そうなる未来が確実にやってくる。
「なんとか止める方法はないの?」
「その方法は一つ。勇者の力で召喚の聖域を破壊することです」
「そんな……そんなのって……」
「それはこの国を滅ぼし、世界の発展方法を根から刈り取ることを意味します」
計画の停止は世界の発展を破壊する。
異世界に依存して進歩してきた歴史にとって、聖域の破壊は致命的な損害をもたらす。
「追い詰められた異世界人奴隷商国家――これがグラドニアの正体ってわけだ」
奴隷商は流石に言葉が過ぎる。けど、拓馬の視点からすればそうなるのだろう。
話の本質から大きくズレているわけでもなくて、肯定も否定もできなかった。
拓馬の言葉に反応するように、座っていた椅子を後方に倒してしまう勢いであかりは立ち上がった。
「こんなのってないよ! ボクはこんなの全然聞いてなかった!」
「この国見捨て滅びを歩ませるか。それとも救い地球人を見捨てるか。選べよ勇者」
拓馬がシニカルな笑みを浮かべて言った。
貴族達がやっていた過剰に持ち上げる褒め方だって、その気にさせてとにかく旅立たせるため。
一度旅に出てさえしまえば、後はもう流れるまま。人々の危機を救っているのは事実である以上、途中で足を止めることは難しい。
「……………………」
言葉を失ったあかりは、見るからにいつもの意気を失っていた。
「わたしは女神様の導きを信じています。今、言えるのはそれだけです」
「でも、その女神様がいないから、こうなったんでしょ?」
セシルは答えない。己の信仰は、今のあかりにとって盲信にしか見えないだろう。
「わたしは信じたから、この道を進むと決めました」
「信仰なんてない勇者を? そんなの矛盾してるよ」
「そうしないと、勇者様を召喚できなかったのです」
理由が欲しかったのだ。勇者は女神が遣わす者。勇者が現れるなら女神もいる。
セシルは今でもそう信じている。
「じゃあタクマさんは? あの人はどうして転身できないの?」
「それは……」
答えられなかった。
いくら女神の存在を信じても、最初の失敗が不在の証明になっている。
勇者を望まぬ少年。
勇者になれなかった一人目。
「もう、どうすればいいかなんてわからないよ……!」
あかりは今、ようやく自分が立たされている本当の立場を知った。
旅立つ前だからこそ、彼女は自分の道を選択せねばならない。
「アカリさんっ!」
感情のままに吐き捨てて、彼女は走って部屋を出て行った。
すぐに走って追いかけようとしたが、拓馬の存在を思い出して立ち止まる。
「タクマさんは、今の話を聞いてどう思われましたか?」
「売却先は法的に幼女と結婚可能な国でお願いしますっ!」
とても力強くお願いされた。基本的なテンションが特に変わらない。
「もしや最初からすべて察しておられたのですか?」
「俺がそんな優秀な人間に見えるかい?」
「…………」
「沈黙が痛い!」
少なくとも真実を知ってもロリ婚と宣い続けるメンタルは強い。
そうなると問題はやはり勇者。自分の言葉が国を亡ぼす。あまりに重く、恐ろしい決断。けど、それでも、
「わたしは、アカリさまとタクマさまを騙したくありませんでした」
何も知らない者を、自分達のために利用する。それはきっと悪徳だ。
悪に染まって国を守る覚悟が自分にはなかった。そして、たとえ嫌われても、二人には自分の進むべき道を選んで欲しいから……。