第12話『勇者ちゃんが顔面騎乗する話』
ある日、呉乃あかりは勇者になった。
地球にいた頃は花の女子高生で、一年生の十五歳。
母親は幼い頃に事故で天国へ旅立って、父親の仕事関係で引っ越しが多いこと以外は、普通の範疇からそんなに外れてない生活だったと思っている。
人生によくある悩みのタネは、引っ越す度によく名字を『くれの』と呼び間違えられる程度。
趣味は――それを趣味というべきなのかは人を選ぶが、所謂人助け。
召喚された当初は混乱と困惑の極みだったが、事情を把握した今は、趣味がそのまま仕事になったような感覚でここにいる。
午前中の訓練を終えたあかりは、自分の部屋に戻って早々ベッドの上にダイブした。
「ふぃー。あーここが天国かあ……」
勇者になるための鍛錬は毎日ハードだ。
ジョブドライバーがあるとはいえ戦いは命懸け。そしてあかりは素人冒険者。毎日汗だくの泥だらけになって戦い方を学んでいる。
冒険の依頼も何度か請け負っていた。
以前のゴブリンみたいに変則的なこともなく、兵士達もいるので難易度は高くないが実戦ではある。
「でも厳しいのは期待と真心の裏返し!」
うつ伏せになりながらぐっと右腕を頭上に突き出した。
指導員となる騎士達も厳しい中に優しさを感じられて、訓練後は毎回魔導師の人が治療してくれる。
それに彼らはプロだからこそ、異世界からきた素人の女の子を戦わせることに躊躇いを感じているのだろう。それも彼らの接し方でなんとなく伝わってきた。
皆、良い人達だ。故に自分が力になれるなら、なってあげたいと思う。
いつもなら午前の訓練が終わると即食事に向かっていた。
城内には貴族向け高級レストランと、兵士やメイド達といった平民が使用する大衆向け食堂がある。
あかりは勇者の特権としてレストランを使えるのだが、それでも好んで食堂を使う。
お硬い雰囲気よりも、休憩中の兵士やメイド達と談笑しながら食べる方が楽しかった。
今日は午後の訓練がなく、予定ではセシルの授業で、また拓馬と一緒だ。
同じ日本人であるあかりからしても、彼はかなりの変わり者だった。
二言目には幼女で、毎日のようにセシルの尻を追いかけ回している姿は、変態の一言である。
とはいえ、毛嫌いしているかと言えばそうでもない。
年齢は自分より二つ上。学年は一つ上の二年生なこともあり、それなりに話題は合う。
地球の話題が通じる相手との対話は、あかりにとって貴重な息抜きにもなっていた。
――できればこのまま暫く休んで、お昼ご飯食べてから、セシルちゃん達と合流したいけど……。
あかりは襟首のあたりを手でくいっと摘み、臭いを嗅ぐ。
「駄目だ、汗臭い」
セシルは当然のごとく身だしなみはキッチリした少女だ。それにいくら拓馬が幼女にしか興味のない残念さんだと言っても、汗臭い身体で会うのは女子の尊厳が許さない。
元々そのために一度部屋に戻ったのだ。
あかりは着替えなど一式を鞄に入れて、一階にある大浴場へと向かった。
脱衣場で服を脱いで扉を開けると、吹き込んでくる大気が素肌を撫でた。
来客用館の大浴場は露天風呂形式になっている。初めて見た時は驚いたものだった。
もちろん、周りはちゃんと高い壁で区切られていて、城の窓が付いてない方面にある。
幸い浴場は昼間でも問題なく使える。
水の魔石と魔法による水質管理が為されていて、朝から夜まで入浴可能らしい。水は日本よりもずっと綺麗に保たれている。
入り口近くにある洗い場で、先に頭と身体をささっと洗ってしまおう。
信じ難いことに、この大浴場はちゃんと簡易的な石鹸やシャワー付きなのだ。水の出るヘッド部分は、蛇口ではなく蓋で開け閉めする形である。
この世界は、地球に比べて技術の進歩がかなりちぐはぐだ。エネルギーの媒体が変わると、地球より簡単にできることもあれば、難しくなってしまうこともあるらしい。
――その内こういうのにも慣れて、当たり前になっていくのかなあ。
なんて考えながら洗い始める。
こういう時に、短めの髪は洗いやすいし乾かすのも楽だ。
胸の起伏があんまりないのも……いや、少しはある。年齢相応? くらいには……。
「ある、よね……」
というか、まだ育つよね?
むしろすくすく育ってね。という願いを込めながら体も洗う。
そうして臭いや汚れの心配から解消されると、浴場の中心に位置する巨大な湯舟へと向かった。
巨大な洗面器に近い形状になっており、近付くだけで薔薇の香りが漂う。中心には噴水もあって、子供の天使像が水瓶からお湯を流している。
その豪華な浴場を、今はあかり一人で占拠しているのだった。
「あー、染み渡るぅー」
身体から疲れがお湯に溶け出していくようで、脱力しながら上を向いた。
今は昼だが、夜空には星が多くて、特に目立つのは地球よりも明らかに大きく美しい月が見られる。
『ボクの知らない世界……』
あの月を見た時、ここが本当に異世界なのだと意識して呟いた言葉だった。
今でも心に残っている日常の終了。
ただの女子高生だったあの日々には戻れない。戻るべきでもない。
地球に己の居場所はもうないのだから。
気が付くと頬を伝っていた雫を、湯船のお湯で拭いさり立ち上がる。
立ち止まってはいけない。止まると不安と寂しさがこみ上げてくるから。
状況に流されているとは思う。
けれどその流れがあったから、今に絶望せず済んでいる。
脱衣所戻ると柔らかなバスタオルで水気を拭う。
前向きに考えよう。最初は不可思議と驚きばっかりだったけど、少しずつこの世界活にも慣れてきた。今ならちょっとやそっとじゃもうビックリしない自信がある。
うんうんやるじゃんボク。と自分の適応力に感心して頷いていると、突如脱衣所の扉がけたたましい大音を上げながら倒れた
同時に男が一人転げるように突入してくる。
「な……な……!」
ん? え? 男の、人? 状況を理解できず自分でもよくわからない声が漏れた。
黒い髪に黒い目。一昔前のドラマみたいな探偵ルックで、首にはチョーカーを巻いている。自分以外で唯一の日本人、暁拓馬だった。
彼はこちらに気付くと、ろくろを回す手振りで半回転のジェスチャーをして、
「我は胸より尻派である。なお、幼女は全身余すことなく目に焼き付けるからな! 勘違いするなよ!」
「さっさと出てけー!」
衛兵さん! この人です!
「出てくも何もそこに魔物いるんだけどおおお!」
「魔物? お城に!?」
何の冗談だと思ったら、壊れた入口の縁からひっこりと手足の付いたダイコンが頭を出してきて、
「ダダッ? ダー!」
即逃走。
「ほらね?」
拓馬はなんかムカつくドヤ顔をかましたが、今はそれどころではない。あかりは脱衣籠に入れていたジョブドライバーを引っ掴み変身アプリを起動した。
「転身!」
アーマードジョブを装着すると、ソッコでダイコンを追いかける。
「待てー!」
乙女の花園を荒らしたダイコン、許すまじ。
そうでなくとも人ひとりをドアごと吹っ飛ばすとか普通に危険だ。
「ダーッ!?」
追跡者に驚いた反応をするが、走力はこちらが上。彼女の後ろには遅れて拓馬も続いていた。
距離を詰めながらこれは倒してしまっていいのかちょっと迷う。何かしら理由があってここにいる可能性も鑑みて、白いボディを両手で挟むよう捕獲を試みる。
「ダダッ!」
「うわっと!?」
こちらの動きを読んだダイコンは指が触れる寸前に跳んだ。
しかも器用にも身に捻りを入れ、上下を逆にして壁を蹴る。三角跳びだ。
「ダッ! ダッ! ダッ! ダッ!」
ダイコンが続け様の連続跳躍で華麗に翻弄してくる。
「こいつ、収穫後ダイコンの分際で、戦いながら成長してやがる……!」
収穫後なのに成長とはこれいかにと思うが、現実問題として拓馬が一人で対峙していた時より厄介になっているらしい。
「ダダー」
ダイコンが横ピースで余裕ぶっこき出した。
「こんのお!」
釣られてあかりも跳んだのと同時に、背後から多くの足音が聞こえてきた。騒音を聞きつけた兵士達かと気を取られたその時、
「ダーッ!」
「きゃうん!」
跳ねるダイコンの向きがこちらへと向き、伸ばした足が空中であかりを打撃した。
バランスを崩して後ろに飛ばされる。
「あたた……」
反射的にそう言ったが、アーマーの守りによってダメージは無い。ただ驚きがあっただけだ。
「おい」
「ひゃうん!」
不意の声と、もぞもぞ動く感触に、尻もちを付いた床に違和感があると気付いた。
覗き込むと、尻と床の間に拓馬の顔面がクッションとして挟まっていた。
「あ、ごめん」
「勇者様!」
「大丈夫かいアカリちゃん? 俺達が来たからにはって、えぇ!?」
足音の主はやはり兵士達だったが、彼らは一様に怪訝な顔をする。
「あの、勇者様……往来でそのような特殊プレイはお控えを……」
「そういうのじゃないですから!」
「圧迫祭よ!」
「変なこと言うな!」
尻派と宣う馬鹿が意味不明ワードを繰り出した。
あらぬ誤解を受けて、羞恥で頬を朱に染めながら急いで立ち上がる。
「よくも……! ってダイコンは?」
こちらが倒れた隙に逃げたのか。焦りながら見回すと、窓の外に走り去っていく魔物の後ろ姿が見えた。
「あれは……ダイコンか?」
「絶対逃がすもんかあ!」
呆気に取られている兵士達を置き去りに、あかりは怒りを燃料にして猛追した。乙女の尊厳にかけて絶対に許すまじダイコン。
ヒロインの尻に敷かれる主人公(物理)