8:武器屋というにはあまりにも
「にひゃくさんじゅうーろく」
ぱからん。
「にひゃくさんじゅうーなな」
ぱからん。
「にひゃくさんじゅうーはち」
ぱからん。
「にひゃくさんじゅうーきゅう」
ぱからん。
「にひゃくーよんじゅう!」
ぱからん。
左右にちょうど、一二〇ずつ。
分かたれた薪が、うずたかく積まれていた。
振り下ろした剣を肩に担ぎ上げてふうと息をつき、ナナカは横に並んだ薪の山を見た。だいぶ積み上がってきたので、そろそろ裏手に移動させようと考える。
「よーいしょ」
掛け声をかけ、全身から金色の聖気をあふれさせた。
強化された肉体が、ナナカの身体に見た目からは想像もし得ないような膂力を発揮させる。
以前にパブで見た、二十以上のジョッキを「ほいっ」と一息に運んでいた女中の姿を思い出し、そのやり方を真似て薪を運ぶ。抱えた山を両側からみしっと押し固めるようにしてやれば、強化された力も相まって一二〇ずつ運ぶのは容易かった。
裏の薪小屋は今回の分でいっぱいになったので、ナナカはうんうんとひとりうなずいてパタパタと宿の中に戻った。
「宿屋さーん、薪割り終わったよ」
「ご助力感謝いたします、ナナカ様」
「いえいえ、お世話になってるのあたしの方だから」
軽く手を振りながら、屋敷内を掃除中だった彼に声をかける。暇つぶしに仕事がないか尋ねたところ薪が少なくなっているとのことだったので、手伝いをしていたのだ。
掃除のために持っていたハタキを止めたクラギはナナカが腰に提げた剣に目を留め、瞳孔の細い瞳でじいと見つめる。
「おや。斧ではなくその剣で割ったのですか?」
「こっちの方が慣れてるもの。いい鍛錬になったよ」
ぱちんと鞘ごと腰から外し、ナナカは柄に手をかけ剣身を抜く。
ひゅっと風切る刃はナナカの片腕ほどの刃渡りだが、よく切れる丈夫な品だ。ここ三年ほど愛用し、ずいぶんと手に馴染んだ剣である。
「前に拝見した際にも思いましたが、なかなかの業物でございますね」
「宿屋さんわかるんだ、そういうの」
「必要とされればお客様の刀剣の手入れも業務のうちですので。ふむ、よく見たことがありませんでしたがこちらは……剣身に浮かぶ紋からして、一部に純粋魔石を使用しておりますね」
「え、そうなの? あたし詳しく知らないんだけど。都の大聖堂を出るときに持っていきなさい、って司教様から賜ったの」
拵えにもなんら華美な装飾がない質実剛健な代物で、いかにも清貧を尊しとする教会らしいとナナカは思ったものだが。純粋魔石を使っているとなると、結構値の張る剣ということになる。
魔石。それは魔力を含み『状態を保持する』性質を持った石ころだ。
含有魔力が少なく純度の低い混ざりものの石ならば、それこそ日用品として用いられる。風呂や煮えた鍋や倉庫の食材の温度維持、生け花を長持ちさせる、などなど。
純度が高い高魔力含有ものとなれば維持する効果時間も長くなる。そこで武具や建物、破壊されてはならないなんらかの象徴などに、純粋魔石は使用されているのだ。
大聖堂でナナカが勇者としての講義を受けていた頃の記憶がたしかなら、地質学者の一説にはこうある。
いわく、『現在発見されている最古の地層への魔石の混合具合などからして、この世界の地の奥底には巨大な純粋魔石塊が存在している。ひょっとするとそれがこの世を維持しているのではないか』だそうだ。
閑話休題。ナナカは思考を現在に戻す。
まあとにもかくにも、純粋魔石は貴重で高価なものなのである。
「へえ。そんなものだとは思ってもみなかった」
「ナナカ様に降りかかる数々の苦難を払うことを期待され、鍛えられた剣なのでございましょう。見たところ刃こぼれや錆もありませんし、相当に強力な状態維持が掛けられているとお見受けいたします」
「まあずいぶんとお世話になってるからね、この剣。霊鳥のときもそうだし、こないだのサフランのときも雷矢の盾にしたし」
そういえばあの魔術士は元気にしているだろうか。調べたところ素行にもさほど問題はないようだったので近くの教会に推薦状と共に見送ったが……とナナカは思いをはせる。
「彼女もいい勝負をしておりましたね」
「手数が多かったのと、自分のローブに氷の矢を当ててこっちの攻撃かわされたのがねー。かなり展開としては厳しかったよ。結局、計四回もこの剣で雷矢を防がされた」
「都度手元を離していたために攻めあぐねましたね」
「うん、しかも柄握ると電気抜けても熱が残ってて熱い熱い。でもそれだけ食らってもちゃんとしてるわけだから、やっぱりしっかりしてるんだろうねコレ」
言いながら上段に構え、むんと力を込める。正面でクラギは微笑ましいものを見るような目をしている。
「その構えで思い出しましたが、最後の一撃は見事でございました」
「そ、そう? あたしも我ながら、なかなかうまく決まったなとは思ったけど。こう、ね。上段から――びしーっと」
言いながら再現するように振り下ろす。
瞬間。
柄の中で。
パキャっと嫌な音が、した。
あ、と思ったときには、柄から――剣身が、正面のクラギに放たれていた。
「ややや宿屋さーっっ!?」
「おっと」
身を半身にしつつハタキを振るい、すっ飛んでいった剣身を弾いた。
パァン! と快い音を立てて力の向きを上に捻じ曲げられた剣身は、吹き抜けのホールの天井に突き刺さってびいぃんと震えを放っていた。
危うくクラギの命を奪うところだったナナカは、止まっていた息が戻ると同時にがたがた震えながらすがりついた。
「ややややや宿屋さんんっっ! ごごごめっ、あたっあたしっ、まさか剣っ、壊れてるなんて思わなっ、ごめ、本当にごめんなさい!!」
「問題はございません。お気になさらず」
「いやっ気にするよ!! だって、下手したら――宿屋さん、死、」
「いえ大丈夫でしたよ。予測しておりましたので」
さらりとわけのわからないことを言い、クラギは平然としていた。
「……え?」
「ですから、ナナカ様が戻っていらっしゃった際に最初におうかがいしたではありませんか。『斧ではなくその剣で割ったのですか?』と」
「……ごめんなさい、ちょっと意味がよく」
もっと詳しく、とナナカが頼むと、それほど大したことではないのですがと前置きしつつクラギは言った。
「拵えのがたつきはサフラン様との戦いのあとから存じておりました。腰に提げているときの音が微かに変化しておりましたので……剣身は無事でも、それを固定する目釘の方が電熱で焼けこげて傷んでいたのでございましょう。故、あと百か二百も振るえば目釘が破損して折れるであろうと予測がついておりました。
そしてお頼みしました薪割りは、小屋の残り空間から考えて収まるのはおよそ二百がいいところ。つまりは斧でなく剣を薪割りに使用したなら、もう目釘は限界に近い状態でございます。なので次に振るったならば剣身が吹き飛ぶ可能性は十分あると判じておりましたので、最初から備えていたのです」
つらつらと述べて、クラギは「ご理解いただけましたでしょうか」と締めくくった。
理解は、できた。
でも納得は、できないナナカだった。
……そんなわずかな情報から積み重ねて、次に起きるこんな事故を予測していた、と?
それはもう予測ではない。ほとんど予知だ。
「……なんていうか、宿屋さんと一緒にいると世界は広いな、って思う……」
「左様でございますか。私は、宿とその周辺くらいしか存じておりませんので。世間は狭いなと感じることしきりでありますが」
飄々とそのようなことを言い、クラギはけたりと笑った。
「さて、このまま頭上に『繁栄の中にも危機はあり』との教えの図を掲げておくのもいいですが……せっかく剣身は無事なのですし、抜いておいていただけますか」
「あ、うん。本当、ごめんなさい」
「大丈夫です。天井の修繕費は別途で請求いたしますので」
「うっ」
怒ってはいないようだが甘くはないクラギだった。
さて、クラギは先読みと観察眼こそ人間をやめたような人物だが身体能力は並なので、鞘とベルトを置いたナナカが聖気を纏いぴょんと飛び上がる。
吹き抜けのホールの上空で、天井をマス目のように仕切る細い梁のひとつをむんずと指先でつかんでぶら下がり、むき出しの茎に手を伸ばした。
「よい、しょと」
ぐいっと下に向かって引っ張ると、思ったより滑らかに剣身が抜けた。もっと力が要るかと思っていたため予想外で、つるんとナナカの手の内から滑り落ちる。
「わたたっ、あっ」
くるくると回転しながら剣身が落ちていく。
さすがにクラギも真下にはいなかったので大丈夫そうだが――と思っていたら、落ちてくるところへタタターっと走り込んでくる影があった。
「えええ!? あ、あぶなっ!」
そして。
落ちる剣身の真下に来た、その人物は。
「――おおっと剣呑。しかし幸い。こんな業物、床に落とすのぁあまりにもったいない」
すしゅ、と左腕を頭上に振るった。
次の瞬間、無傷でそこに立ち尽くす。
剣身は、どこにも見当たらなかった。
「え、えええええええ!?」
再び驚くナナカ。あわてて飛び降りると、人影に近づきわたわたする。
「あ、あなたいったいっ、っていうか剣はどこ? なんで無事なの!? あとごめんなさい落っことしちゃって危なくって怪我はしてない!?」
ナナカがあわあわと話しかけると、人影――頭にフードをすっぽりとかぶり、大荷物を背負った人物だった――は、ち、ち、と立てた人差し指を気障に振るった。
「ご心配には及びやせんよ、お嬢さん。見ての通りわたしゃぁ無事でございます……それからこれ、おたくの剣も、ね」
しゃがれた、低い男の声で言って、左手を差し出した。
そこには、ナナカが飛び上がる前に床に置いていった鞘がある。
まさか?
いやそのまさかだ。
鞘の中にはたったいまナナカが天井から落とした剣身が、すこっと行儀よく納まっていた。
落ちる剣の真下に来て、この人物は左腕を頭上に振るっていた。
あまりに流麗な動作だったために見切ることすらできなかったが……その動きで、逆手に握っていた鞘の中へと剣身を呑み込ませていたのだ。
どれほどの神技だ? 回転して落ちる剣身の切っ先を正確に見切り、鞘の内に受けるなど。
ナナカは千回やっても成功できる気がしない。万回やって、やっとどうだろうというところだ。
それをこうも、容易く。
「……あの、剣を拾ってもらって、ありがとう。どなたかわかりませんけど……ひょっとして、名のある剣客の方?」
おそるおそる尋ねると、しゃがれ声の男はかかかっと笑った。
「名など売れてはござんせん。大したものじゃございやせん。わたしゃ剣客でも、ありませんでな」
男がフードを払うと、白髪ばかりの男の双眸がじいっとナナカを見ていた。鷲鼻で、日に焼けた顔。歳の頃は二十代後半か。
背丈はクラギと同じくらい。フード付きの赤褐色の袖無外套を羽織り、裾を絞った黄土色のズボンが下から伸びている。靴はくるぶしから下を包むだけの簡素な形をした革靴だ。
そして彼は、背負っていた巨大な荷物をどすりと床へ下ろす。
かかっていた大きな革の覆いを外して、中身を広げた。
剣。
手槍。
斧。
弓。
鉤手甲。
鎖鎌。
鞭。
節棍。
……その他、ナナカでは名称のわからないものも多々あるが、共通しているのはその形状に込められた意志。
すなわち殺意。
すなわち、武器。
武器しか、男の荷には入っていなかった。
「わたしゃ武器屋のインセッチ。お嬢さん、ひとつ見てってくだせえな」
無駄に凄腕の、武器屋だった。