7:手合わせの観戦といたしましょう
「……サフラン。そう呼ばれてる」
目を覚ました魔術士はそう名乗った。
術を使えないように杖は取り上げロープで全身を縛り、掃除道具をしまう狭い部屋に押し込めていた彼女と再び対面したのは、クラギが本日の業務をすべて終えた真夜中になってのことだった。
「どこからか後ろ暗い依頼でも受けてのことでしょうか、此度の襲撃は」
ナナカを狙っての襲撃だった以上、怨恨や政治的な事情などが絡むかもわからない。
クラギが腕組みして訊ねると、どっかと足を広げて座ったサフランはふんと鼻を鳴らして答えた。
「いや。むしろこれからそっちの業界に渡る際に手土産にしようと思ってのことだな。ところがまさか、風呂場で足を滑らせて倒れるとは……無様と笑ってくれ」
蓮っ葉な物言いでサフランは首をすくめた。
頭を打った衝撃でなのか、それともクラギの投げが見えていなかったのか、自分に都合の悪いことは歪めて捉える性質なのか。
いずれにせよ彼女はクラギに倒されたとは、認識していない様子だった。
「……四属性扱えるんだから、相当に練度の高い術士のはずなんだけど」
気になるから、と夜着のガウン姿で一束に結った髪を流しつつ現れたナナカはぼやく。横から見ていた彼女には、サフランとクラギがどのように対峙したのかすべて見えていたらしい。
「近接戦は訓練を積んでいなかったのでありましょう。距離の開け方がお粗末に過ぎました」
「そんなものかな」
「魔術士もいろいろです。ナナカ様は勇者として遠近どちらにも対応できる戦闘術をお修めですが、そのような方ばかりではございません」
「ふうん」
寄ってきたナナカは髪をかきあげながらクラギの横に屈む。先ほどの湯殿での一件を思い返してしまい、ちょっと戸惑った彼は足下をにじるように少しだけ空間をあけた。
ちなみにナナカが危ういことを口走ったのは、互いの中でなかったことにしている。
「なんだ勇者様。わたしを笑いにきたか?」
「いやさっき自分で笑ってくれって言ったんじゃない……それにしても、なに? あたしそっちの業界でそんなに名前売れてるの?」
「赤毛の勇者と言ったら、いまはなかなかのものらしいぞ。各地で腕っこきがその首狙って動き出してるとか」
「なんでそんなに……」
身に覚えがないのか、ナナカは首をかしげた。
サフランはひどく引きつった顔で「まじか」とつぶやいた。
「アンタの武勇は吟遊詩人が語るような表向きのものだけじゃないんだろ。裏の業績も多い」
「裏ってなによ」
「裏社会の連中さ。あそこにゃアンタの手にかかった奴は多いが、それを知られちゃ面子が立たん。だから表には話が出てこないそうだ……けど、被害者は相当いるらしいぞ。西方の暗殺教団に邪教の集いに呪法研究社、東方なら野良騎士団に狂乱侯に山越えの盗賊団、賞金首も複数名。北方でもなにやらいろいろやらかしたとわたしは聞いた」
「……、……え? なにそれ」
「おいうそだろ」
さっぱりな返答にサフランは首をひねって、編んだ長い亜麻色の髪をぶんぶんさせた。
身に覚えのない様子のナナカはクラギを見やる。
「どういうことなのかな」
「私に聞かれましても、残念ながらお力にはなれそうもございません」
「なあおい、アンタにとってその辺の裏社会の連中は、いったいなんだったんだ?」
「……わかんないけど、記憶に残らない程度の相手だったんだと思う。この数年、魔物とか狩るのに忙しくしてきたし」
比べてあまり印象になかったか、仕事の途上で知らぬうちに倒していたか。そんなところだろうとクラギはあたりをつけた。
サフランは青い透き通った瞳を半目にして、「信じられん」とナナカを見上げている。
「……すげえな。アンタ。アンタにとっては、連中ですら路傍の石に過ぎなかったってことか」
「さすがに石ころ扱いしたつもりはないんだけど……」
なんと答えたものか迷っているナナカを前に、サフランの目は少しずつ強い色を帯びていった。
それからきりりと表情を引き締め、低い声音でつぶやいた。
「なあ、もう一回。もう一回ちゃんと、戦ってくれないか?」
「初手で入浴中の不意を狙って失敗した身で、まだ相手できるとお考えですか?」
「うぐっ。そ、それはそれとしてだな……今回は純粋に。ただ術士としての力比べをな。挑みたいんだ。頼むよ」
真面目な顔をして述べたものである。
こればかりは当人であるナナカの意向に沿うほかないので、クラギは横に座り込む彼女をじっと見やる。
ナナカは少し考え込んだ様子だったが、やがてひとつうなずいた。
「……まあ希望してる、っていうならそれはべつに」
「本当か!」
「本当によろしいのですか」
再確認でクラギが問えば、顎に人差し指をあてがいながらナナカはこそこそと耳元で言う。
「このひと、あたしを倒したことを手土産に、って言ってた。これって食い詰めてそっちの業界に行こうとしてたって意味じゃない?」
よくその業界のこと知らないけど、と付け足して困り眉で笑いながら、ナナカはつづける。
「ならここでちゃんと相手して資質を見極めて、その上で近場の教会とかに仕事の紹介状書いた方がのちのち犯罪者を増やさずに済むんじゃないかとね……もちろん、いままでの経歴とかも調べないとだけど。いずれにせよ官憲に突き出すなら、あたしは相手を見ておきたい」
まっすぐな瞳でそう告げる。
炉のように燃える目は力強く、クラギは彼女の生き様を刻んできたその目に撃たれた。
「なるほど。ナナカ様の深慮には頭が下がります」
「いやはは。食い詰めたらだれだってなにするかわかんないし。未然に防げるなら、それが一番でしょ」
当たり前のことであるかのように、ナナカは笑っていた。
+
宿から少し離れた森の中。
開けた場所で、二人の戦いはおこなわれる運びとなった。
さすがに四属性同時に扱える逸材と勇者の戦いを宿の近くで開催するのは宿が危険だと判じてのことだった。
「……のわりには観客がいるんだけど?」
「皆様是非に観戦したいとの仰せでして。やむをえず」
「いや半券持ってるの見たよ。観覧料取ってるじゃない」
「サフラン様の術で湯殿の岩壁が破損しましたので、その補修代に充てさせていただきます」
「賭比率、とか客席から聞こえたのは?」
「私は関与しておりません。ただ特定の文章が書かれた紙片を高額で買取する取引所を臨時に設えたのみでして」
ナナカからの追及をのらりくらりとかわしながら、クラギは刻限が来たと言い訳して二人から中間にあたる位置を取った。
彼我の距離は二十トルメほど。
術の撃ち合いにも距離を詰めての接近戦にも対応できる間合いだ。
客の人々には観覧中に巻き込まれても文句を言わないとの念書をいただいた上で、木々の巨大な根っこの陰に客席を設けている。距離も離れているので、まず二人の攻撃の余波をもらうことはないだろうが。
「それでは先に規則の確認です。
武器の使用、魔術の使用、呪法の使用は許可します。空間はこの、根で囲われた広場の中のみ。時間制限はありませんのでどちらかの意識途絶を以て勝敗を決します。敗北した側は勝者の要求をひとつ飲むこと。――以上でご納得はいただいておりますね?」
クラギの言葉に、両者がうなずく。
よしとうなずき、クラギは後ろに五歩下がった。
ひび割れが入って使わなくなった皿を懐から取り出し、これを掲げる。
「落ちた瞬間に開始です」
言って、上空へ放り投げる。
ナナカとサフランは互い、皿には目もくれない。
音に反応すると決めてかかっているから……というよりは、両者とも『目を離したすきに攻撃されないとは限らない』との疑いの元に動いていると思われた。
尋常の勝負である。
互いにすべて覚悟の上だ。
やがて。
クラギが振り上げた手を腰の後ろに組んだところで。
落ちてきた皿が高い音を立てて砕け、二人の動きがはじまった。
ナナカは金色の《聖気》を噴き上げて全身と剣にまとい、地面を蹴りつけ距離を詰める。
対するサフランはどっしりとその場に構えたまま、ローブと長髪をはためかせた。右手の杖を深く掻い込んで左手を正面に掲げる。
「《緋の矢》《紫電箭》《蒼の射手》《空弓》――」
湯殿で出したのと同じ、四属性同時に顕現させる。渦を巻いて現れた焔・雷・氷の矢が三本ずつ。
その周囲を風が取り巻き、加速させる。
「――撃てっ!!」
焔と氷の矢が乱れ飛ぶ。
六本の矢が着弾の機をずらしていくつもの射線でナナカの動きを牽制し、懐に突っ込もうとした移動を押しとどめる。
そこへすかさず、温存した雷を放った。これには左手をあけて《聖気の鏃》を構えていたナナカが相殺――ではなく貫通させた。
自分の雷矢を突っ切って現れた鏃を回避したサフランに、追い打ちを仕掛けるナナカ。《聖気》をまとった剣が頭上で閃く。体勢を崩したサフランは避けられない。
「と、思わせて」
にやりと笑ったサフランの、だぶついたローブの裾口から再び焔と氷の矢が飛ぶ。さすがに予想外の仕掛けで、ナナカは剣を止めのけぞりかわした。
そこへ追撃の、風。急停止で重心が崩れていたナナカはふわりと身を浮かされる。そこへまたしても雷矢!
「一度に撃てるのが九本とは言っていないぞ!」
「焔、氷、雷はどれも四本ずつ、計十二本同時に撃てるわけね」
冷静に判断しつつ、剣を手放して盾にすることで雷矢を防ぐ。電流が周囲に四散して弾けた。ち、と舌打ちしたサフランは地面を蹴りつけるとまだ落下中のナナカに近づき、左手を突き出す。
瞬時に顕現した四属性が、手を下ろす動作に伴い次々に放たれた。
再び剣をつかみ《聖気》まとわせ振り回したナナカは、身に迫る氷の矢に打ち当てて逸らし矢と矢の同士討ちを狙って地面へ降りたつ。
どちらも引かない、高度な戦いが繰り広げられていた。
サフランは防がれたことに動揺しつつも、どこか楽し気に頬を緩ませる。ナナカは逆に強さを認めたのか、口許を引き締めている。
互いの距離は五トルメほどにまで縮んだ。この距離では、接近戦に長けるナナカの方が優るだろう。
……とまあ、そんな決戦を横目に見つつ、クラギはその場を離れはじめた。
てくてくと歩いて広場を離れ、よいしょと根っこをいくつかよじ登り。
常の食料採集で通る道など使いながら、森の中を縦横無尽に歩き回る。
そのうち出たのは根に根が重なって高台となった場所で、この大森林に多く生える樹の巨大な葉がそこかしこに積もっていた。
厚く繁茂した苔を踏みつけながらやってきたクラギは、何気ない感じでそこにいた人物へ声をかけた。
「よく見えますか?」
ぎくりとした動きですぐさま手元の杖を抜き、隠れていた人物はクラギを見上げる。
年のころは四十ほどの、まぶたと口周りにたるんだ皮膚をたくわえた男だった。伸ばした頭髪は乾いて広がっており、ところどころに白いものが混じる毛並みをしている。森の中で目立たないようにか、濃い黄土色のマントを濃緑のローブの上にまとっていた。
「……何者だ。なぜここが」
「あの場を見やすく逃走にも適した場所、と考えて逆算したところここと、あと数か所該当する地点がありましたのでひとつずつ当たるつもりでした。最初で当たるとは運が良い」
こつりと間合いを詰めようとすると、男はばっと杖を掲げた。
「寄るな。一般人であれ容赦はできぬぞ」
「そうであるなら私が声をかけた時点で術を放ち打ち据えるのが常道というものでございましょう。しかしそうはできない……ここで術を使えば勇者様に位置が露見します。サフラン様との戦闘で少しでも疲弊し、集中を解いた瞬間を狙撃するという目論見が台無しになりますからね」
指摘しつつ、クラギは一度だけ目を逸らしてナナカとサフランが戦う様子を見た。両名ともなかなかの競り合いになっていた。
「……どこから気づいていた?」
男の問いに、クラギは首をすくめる。
「失礼を承知で申し上げるなら、サフラン様はあまり頭の回る様子がございません。勇者を倒した功績を手土産に裏社会へ、という考えはあまり彼女らしくないと言わざるを得ませんでした。話がどれも伝聞調でしたしね。
加えて言うのならそも、ナナカ様が当館へ宿泊する原因となった、偽の依頼もありましたし……かねてからナナカ様への怨恨で動いている者どもがいるのは自明。であれば、その連中がサフラン様に酒場ででも『手土産があればこちらへ入れる』との考えを抱くよう思考を誘導する話をした――こう予想するのは至極当然のことでは?」
「だから、ここで戦わせることに……?」
「ええ。見通しの良い場所ですから狙う者があればわかりやすいと考えまして」
言いつつクラギは一歩踏み出し、男の杖先から己の身体をかわす。
「お客様の身の安全のため、申し訳ありませんがあなたにはご退場願います」
すぐさま男は杖でクラギを追いかけるが、しかしそこに彼の姿はない。
動きだし、『ここに来る』と相手に予想させた『次の瞬間の位置』――そこからわずかにずれた位置に動くことで、クラギは相手の視界から消える。サフランと湯殿で対峙した際にも用いた歩みだ。
相手の心理を先読みできるからこそ可能なこの歩みに追いつけず、困惑するうちに男はクラギに足を払われた。
重なる根と根で高台になった場所から、ああああ、と情けない悲鳴をあげて落ちていく。運が良ければ獣の餌にならずに済むだろうと酷薄に思い、クラギは男が監視のため座り込んでいた位置に腰を下ろす。
ナナカとサフランの戦いへ再び目をやった。
「……まあ、こうして騙されていたということは、やはり悪い人間ではないのでしょうね」
ならば詳細を伝えることもあるまいと、いま見た裏社会の男について忘れると決めて、クラギは静かに観戦をつづけた。
ほどなくしてナナカの勝利に終わった。