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6:湯加減はいかかでしょうか?


 勇者と言っても、平時はとくにすることがない。

 各地に存在する教会を通じて魔物や魔族の討伐依頼が飛んでこない限りは、普通の人々と同じように――とはいかないことが多いが、とにかく、普通に暮らす。

 現在、都の大聖堂で登録されている勇者は十二名。

 序列はとくにないが、年齢的に一番下にあたるナナカはそこまで重用されていないというのもある。


「……だからって、あんまりっ、なまけると、ねっ」


 霊鳥との戦いからしばらくして。

 鈍ったのを反省したナナカは、鍛錬を再開していた。

 型に沿って剣を振るい、拳や蹴りを繰り出し、体技を研ぐ――という、大聖堂で修練を積んでいた頃と同じ内容だ。自分の動きに納得でき、剣先まで力が乗ったと感じられるまでこれをずっとつづける。

 最初は宿の前庭で行っていたが、増えたお客さんの目にさらされることが多くなったのでいまは離れた森の中でひとり行う。

 ときには《聖気》を練り上げ、周囲にまとい、鏃と化して放つ練習もした。

 鋭く風を切って飛んだ聖気の鏃は太い樹の幹に深くめり込み、二撃目で貫通した。


「うん。霊鳥には通じなかったけど、威力が低いわけじゃない。……でも」


 それゆえ、これに頼り切りになっていたのだと、いまは思う。

 クラギのように隙をうかがい相手の仕草を観察し、弱所を見切る目の方が大事なのだ。大雑把に威力のある攻撃だけで押し切ろうとするのは、おそらくナナカの悪癖だった。

 汗をふきつつ森を駆け、宿に戻ったナナカは、玄関を開けてすぐのホールでてきぱきと動くクラギを見つけた。

 お客さんが増えたというのに相変わらずひとりで宿を切り盛りする彼は、けれど常に急いでいるようには見えない。

 宿の中をけっして走らない。動きひとつひとつは早くもない。

 だがいつの間にやら為すべきことはすべて終えている。


「ふしぎだなぁ」

「なにか気がかりな点でもございましたか?」


 調度品として飾ってある大きな壷を磨いていたクラギが、ホールの端にいたナナカに目を留める。

 どきっとしてぱたぱたと手を振り、「いやなんでも、なんでもない」と言葉をつづける。


「その。お客さん増えたけど、宿屋さんはちゃんと全部仕事できててすごいなぁって」

「望んで臨む仕事です、当然のことですよ」


 にこりとして、掃除に用いていた拭織物を汚れた面を内側にするよう折りたたみ水籠バケツに入れて歩んでくる。


「お客様が大勢いらっしゃって、私は感無量です。それもこれもナナカ様の御威光あってこそ、誠にありがとうございます」

「いやいや、それは宿屋さんの功せ……あーうん、これは言わないアレでしたね……」


 常の距離よりほんの半歩こちらに詰めて立ったのを察して、ナナカは目を逸らしながら身を縮こまらせた。一月と少々のお付き合いだが、この宿屋主人がなかなかの曲者であることをナナカは理解しはじめていた。


「というか近いちかい、いま鍛錬してきて汗かいたからっ、ちょっ離れて」

「これは失礼をば。しかし活動的にしていらっしゃるお姿もまた、可憐で素敵でございますね」


 すすっと半歩退きながら、ついでのようにこういうことを言う。慣れないナナカは、ぎくりとしながらため息をついて気を落ち着けた。


「はあ、もう」

「しかし冷えてはいけません。夕刻の湯殿の準備はもうできておりますので、ご利用をどうぞ」

「あーほんと至れり尽くせりで困るなぁこの宿……」

「ですから、今後とも当館を末永くご愛顧いただけますと幸いです」

「まあ、それは。……宿泊費だいぶ待ってもらったし、もちろんそうさせてもらうんだけど。ただ依頼が来たらわかんないからね?」

「無論ナナカ様のご都合を最優先していただいて結構でございます。私はあなた様の生活のささやかなお手伝いをさせていただくのが務めですゆえ」


 ささやかな手伝いが霊鳥の首を締め落とすことだろうか、との言葉が頭をよぎったが口にするのはやめておいた。曖昧にうなずきだけ返すと、これに満足したクラギはでは、と一礼して仕事のつづきに戻っていく。

 湯殿に向かう途中、ほかのお客さんとすれちがった。彼らは赤毛で判断したのか「いまの勇者様?」「ほんとにいるんだ」「あとでちょっとお話してみよう」と話し合っていた。

 漏れ聞こえた会話の中には「ここの主人は幸運だったよなー、勇者様が泊まるなんて」との声もあった。……幸運だったのはあたしの方だけどな、とナナカは肩を落としつつ湯殿の扉をくぐった。

 脱衣所で貫頭衣チュニック脚衣パンツと肌着を脱ぎ、髪をまとめていた紐を引き抜くとナナカは浴槽に向かう。いまはだれもいないらしい。

 岩で浴槽をかたちづくったこの湯殿を、ナナカはとても気に入っていた。手桶ですくった湯を身体に浴びせ、汗と汚れを洗い流してからゆっくりと身を沈める。

 長い赤毛がふわりと水面に浮かぶ。腕や足に湯を馴染ませるように、彼女はゆっくりと手を這わせて身体を揉んだ。

 傷の多い身体だ。

 幼少期から鍛錬に明け暮れていたので、さすがにこればかりは避けえない。


「……うーん」


 だから、というのもあるか。

 見た目を褒められるのはどうも慣れない。さっきもそうだし、ことあるごとにぽろっとクラギはそういうことを言うけれど。慣れない。

 無論褒め殺し(リップサービス)だというのはわかっているが……頭で理解していても「少しはそう思ってくれているのでは?」と期待してしまう自分がいる。

 ばしゃばしゃと顔を湯で洗い、気を落ち着かせた。


「あー、うー」

「湯加減はいかがですか?」

「うわああ!」


 突然話しかけられたので、身をすくめて一瞬湯に沈む。すぐさまばしゃんと飛び出して、声の位置を探った。

 湯殿の上の方高くにある小窓だ。

 夕日が差し込んでいる屋外から、クラギが声をかけてきたようだった。


「ぬるいようであれば薪を足しますが」

「あ、ああー、うん。大丈夫。ちょうどいい」

「左様ですか。ではこのままに」


 ごそごそとなにやら薪の位置を調節しているようで、外から作業の音がする。

 ちゃぷんと再び湯に身を沈めて、ナナカはふうと一息ついた。


「夕食はピトスィ様たちの隊商から仕入れたハナミマスのソテーでございます。夕食のお時間がいかがいたしますか」

「うん、湯から出て着替えたら行くから……いま泊まってるひとたちの時間と合わせてもらっていいよ」

「かしこまりました。食事はお部屋に運ぶこともできますが、いかがしますか」

「ううん、食堂でいい。お客さん、あたしと話をしてみたいってひともいたから。ごはんのときにちょっと話してもいいかなって」

「これはこれは、お心遣い感謝いたします。きっと皆さまお喜びになることと存じます」

「旅の話はいろいろあるからねー……砂漠で水がなくなって同行してた魔導師ハイウィザードのつくった氷を舐めてしのいだ話とか、北方の雪山で毛皮着込んでたら地元の狩猟民族に獲物だと思って追い回された話とか。この辺が鉄板」

「私もうかがってみたく存じます。ただ、給仕がありますゆえ」

「ま、そうだよね。あ、じゃあ仕事終わった時間にでも、お話しにいこっか? 宿屋さんの部屋に」


 日頃の感謝というわけではないが、なにかちょっとでもクラギに求められるところがあるのなら返せないか、と思ってナナカはそう口にした。

 しばらく沈黙があった。

 押し付けがましかったろうかと思って不安になるが、少しして、己が気軽に口にした内容がなかなか際どいことだと気づく。

 ……他意などなかったが。夜間に女が男の部屋を訪ねようと提案するのは、少々刺激の強い意味あいだ。


「……せっかくのご提案ですが、その」


 めずらしくもクラギが口ごもるので、完全にそういう意味に取られたと理解した。


「ちっちがっ、そういう意味で部屋に行くって言ったわけじゃなくて、仕事終わりで疲れてるだろうから食堂とかに呼ぶのは手間かなって配慮? みたいなことを思っただけでねっ、とにかくちがうから!」


 ざばっと立ち上がって叫ぶが返事はない。

 気まずいことになった、と思って風呂の中だというのにだらだらといやな汗が背を伝う。

 もう一言さらに弁明をつづけるべきか、と逡巡していると――


「ナナカ様」


 はっきりと明瞭な発音で、クラギは名を呼んだ。


「う、うん?」


 まぬけな調子で声を返すと、クラギはつづける。


「――敵意ある気配が湯殿に近づいています」


 言葉の終わりとほぼ同時に。

 ざわりと背中が粟立ち、ナナカは《聖気》を全身にまといながら振り向いた。

 定まりきらない視覚の中で、向こうから飛来する物体を認めて射線から身をかわす。

 ばギン、ガリッ、と背後でけたたましい音が鳴り響き、岩壁を砕いたのがわかった。

 飛んできたのは……氷の塊。


「はぁっはは! うまく避けたな赤毛の勇者!」


 見据える先には、湯気を巻いて立ち尽くす女がいた。

 背丈はナナカより少し高い程度。黒いローブを着込んで杖をついており、くるぶし近くまで伸ばした亜麻色の髪を編んで肩の前に流している。

 長髪は、魔術を扱う証だ。魔術士はその毛髪に力を注ぎこんでいくため、整えることはあれど髪を短くすることはない。

 髪留めで横に流した前髪の隙間からぎろりとこちらを見つめる瞳は青く透き通った色合いで、端正で怜悧な面立ちにぴんとひとつ筋を通したような印象に見せていた。

 にいいと笑んだ魔術士は、床についていた黒塗りの杖を脇に掻い込むように構えた。明らかな戦闘態勢に、ナナカは問う。


「……だれ?」

「だれでもいいだろうよ。単に、名を上げるために勇者アンタを狙ってきた者さ――《緋の矢(カディナ)》、《紫電箭(ヴィオレト)》、《蒼の射手(アズュール)》、《空弓カイブル》」


 言いつつあいていた片手を空に横薙ぎにすると、焔、雷、氷の矢が三本ずつと、それらを取り巻いていく風の動きが魔術士の正面に出現した。


「四属性を、同時に……!」


 宮仕えの魔導師ハイウィザードに近い級位の所業だ。

 警戒を強めるナナカを前に、頬をひん曲げて笑う魔術士は斉射の機をはかる。


「はぁっはは――《勇者ヴァリアント》。さあ、あまたの魔物を屠った称号持つ者の実力、どんなものか試してや」「失礼いたします」


 がちゃんと音がしてまたも侵入者、

 ではなくクラギだった。ひゃ、と悲鳴をあげてナナカは湯に沈み込んで身を隠す。

 湯殿から外へ通じる勝手口よりここへ入ってきたのだ。


「……ああ? なんだお前は……」「お言葉を返すようですが、それはこちらの台詞でございます」


 つかつかと歩み寄っていく。

 急ぐことも焦ることもない。

 魔術士は不審に思った様子だったが、杖を振って矢をクラギの方へぎりりと向けた。


「なんだかわからんが……これが見えな、」「これ、とは?」


 魔術士は言葉を失くす。

 てくてく歩くだけのクラギと魔術士。二人の距離関係を横から見ていたナナカには、その感覚がさっぱりわからなかったが。

 反応からして魔術士は『ふいにクラギを見失った』ように見えた。


「なっ、どこに、」「ここです」


 やはりそうだった。

 歩きつつ、ほんの一歩横に身をずらしていただけに見えたが。それだけでクラギは魔術士の視界から姿を消していた。

 いや、姿を消したというよりは……予想していない位置(・・・・・・・・・)に動いた、のか。


「こ、このやろっ」「体軸がなっておりませんね」


 なにか言おうとするたびクラギに割り込まれる魔術士はとっさに矢を放とうとしたのだろうが、もう遅かった。

 間合いに入り込んでいたクラギが魔術士の横を過ぎると同時、彼女は足を滑らせたかのようにぐるんと脚を天に向け、後頭部から床に落ちた。

 ごちんと石材を骨で叩く痛ましい音がして、からんと杖が手元から転がった。

 術者の魔力が途絶えて、顕現した各属性の矢はぶしゅんと煙になって消える。

 完勝だった。


「……ええー、そんな、あっさり……」


 浴槽の端につかまって頭だけのぞかせていたナナカがなんともいえない声を上げると、クラギはちらとこちらを向き、あわてて顔を背けた。


「か、替えのお召し物と拭織物をお持ちしますので。湯冷めしないよういましばしお待ちくださいませ」


 常よりほんのわずか急ぎ足で、クラギは湯殿から出て行った。

 ……あんな会話のあとだったから、というのはおおいに関係しているのだろうが、

 それでも、多少は意識してくれてるんだ……とナナカは自分の起伏が薄い身体を見下ろし、ほんのちょっとうれしい気がした。

 が、すぐにものすごく恥ずかしくなって湯に沈んでしばらくぶくぶくと水面に泡を立てていた。



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