5:鳥をしめるなら一瞬で
霊鳥の注意がこちらに向いてしまったので、仕方なくクラギは参戦を決めた。
ネクタイを引き抜いて輪のように握り、投石器にしたクラギはひゅんひゅんとひっかけた石ころを回転させながら霊鳥を睨む。
「さてどのようにいただきましょうか」
部位ごとの調理を頭にめぐらしつつ、ぼやいた。
クラギによって右目に掌底を食らって怒り狂った霊鳥は、その巨躯で見下ろして足元をうごめく目障りな存在を食らうことに決めたようだった。
「や、宿屋さん! でもあなた、戦いたくありませんって言ってたじゃない!」
遠くに吹っ飛ばされてやっと追いついてきたナナカは、クラギを心配するように言った。
たしかにクラギはそのようなことを口にしていた。
口にしていた、が。
「戦いたくはありませんが、できないこととは……申し上げておりません」
「うそぉ!」
「あ、いらっしゃいましたよ」
霊鳥の首の根元がぶるりと震えるのを視界の端に見て取る。
――あの長大な首はかなり厄介な武器だ。
異様なリーチと素早さ、斬り込んでもまるで通用しないほどの筋肉を誇る。
だが、身の丈ほどの長さの部位を振るうには、必要になる予備動作がある。人間で言えば剣を振ることを考えればわかるだろう。
蹴爪で踏み込んで身体を安定させること、だ。加えて大きな翼の根元を上下させることで微細な運動の均衡を取り、あのうねり撓るような軌道の突き込みは成る。
ゆえに、観察してそれさえ見切れば。
「あぁあぶなっ、ってなんであなたそんなぎりぎりでかわせてるの?!」
「見えておりますので」
叫ぶナナカのように大きな跳躍は必要ない。事前に二、三歩横にずれるだけでかわせる。
見失った霊鳥が雨に濡れた犬のように首をぶるぶると左右に振るわせて追撃してくるが、関係ない。前進してすでに首の下に潜り込んでいた。
そこから、クラギは。
ネクタイを手放し、肩に提げていたロープに手をかけた。
……投石は、すでに終えていた。
「――五、四、三、」
数える。
その間にロープを投げ、弧を描いた太い荒縄は霊鳥の首にふわりと巻き付く。
「二、一、ゼロ」
両手でロープの両端をしかと握った。
瞬間。
霊鳥が、凄まじい速度で首を持ち上げ引っ込めた。
すべて、計算ずくだった。
数えていたのは真上に撃ちだした石ころが落ちてくる距離。狙っていたのは、自分のいる位置に攻撃を仕掛け、そのあと首を振る追撃を仕掛けてくるであろう霊鳥の右目。
痛みを受ければ反射的にこの霊鳥は首を持ち上げる。
となれば。
クラギは天高く引っ張られた。瞬間、喉笛を蹴りつけて駆け上がり、霊鳥の首にまたがるような格好になった。最初から一端を輪のかたちに結んでおいたロープに、逆の端を差し入れる。
そのまま引っ張り、嘴の方に向かって飛び降りた。
クラギの体重で霊鳥の首が締め上げられる。たまらず首を振るう霊鳥だが、もがくほどに振り回されるクラギの重さに輪はますます締まる。締まる。絞り切る。
耐えられたのはわずかな間だけだった。
ふっ、と糸が切れた人形のように、力を失った霊鳥の巨体がず、ずん、と横倒しになった。
寸前でロープを手放したクラギは足裏から着地し、折った膝を地につき、ひねった腰を落として、そこから背中を転がすようにして斜面をころころと落ちて衝撃を殺した。
「や、宿屋さんっっ!!」
ナナカが駆け寄ってくる。
むくりと身を起こしたクラギは、けれどくらりとして頭を振った。落ちた衝撃よりは、霊鳥に振り回されたことによるダメージだった。
「ご心配なく。無事です」
片手を挙げて応じ、クラギはゆっくり立ち上がると砂まみれになった全身をぽんぽんとはたいた。
+
山の上に夜のとばりが落ちる。
頸動脈を締めて落としただけなので、霊鳥も放っておけば目を覚ます。
結局のところ倒すまでしかできないクラギなので、あとはナナカにお任せした。
ナナカは「寝込みを襲うようでなんかなぁ」とぼやいていたが、仕事は仕事と割り切っているのか瞬時に喉元――羽毛が薄くなった首と頭部の境界線に沿う、頸動脈を引き裂いた。山が赤く染まる。
「最初からここ狙えばよかったのね」
「ええ。頭部の羽毛がほかの部位と比べて濃くなっていたのは、攻撃に嘴を用いた際に喉元への反撃を逸らすためと考えられましたので」
ある種の生物にとってのたてがみのようなものだ。ナナカの放った聖気の鏃があまり通じなかったのもあり、このたてがみじみた頭部の羽毛には相当な防御力があると判じた。
よって急所は喉元にあると判断し、締め落としに移行した。それだけだった。
「ともあれ、倒しましたね」
少しずつ血の流れが収まっていく。半開きになっていた霊鳥の下まぶたを、クラギはそっと押し上げて閉じる。
倒れるときにうまく避けたのか卵も無事だ。あの隊商に、売り上げの一部と引き換えに回収と商売をお願いしようとクラギは思った。
剣を納めてうん、とうなずくナナカは申し訳なさそうにうなだれた。
「でも、ひとりだったらもっと長引いてたというか、危なかったかも……どころか、今回は宿屋さんを危険にさらしちゃって。勇者なのに」
しおしおとしている。隊商を護衛していた魔術士たちと同じく、自分の力量に自信があったのだろう。
だとしても、クラギがかける言葉はひとつだった。
「それでも、倒しましたね」
「う、うん」
「ナナカ様が。激闘の果てに、倒しましたね」
「うん……え?」
さらりと吐いたクラギの虚言に、ナナカは顔を上げた。
微笑を浮かべてクラギはつづける。
「道案内を仰せつかった宿屋の主人を守りながら、美貌の勇者様が難敵だった霊鳥を単身で打ち破った。そうですね?」
「……え、それ事実とちがう」
「事実がなにかは大衆が決めてくれましょう」
クラギは断言した。
ナナカは目をぱちくりさせていた。
ややあって、クラギの意図するところを察したのか、表情が固まっていく。
「……まさか、あたしが倒したことにするの?」
「左様です」
「うそじゃない!」
「ですが世間はそのような話を求めておりません。その辺の宿屋が魔物を仕留めたなど、聞いても面白い話ではないのです」
求められるのは英雄譚だ。
勇者が血沸き肉躍る激しい戦いの末に魔物を打ち倒した。
そのような、痛快な活劇だ。
「ですからお美しい勇者様であられるナナカ様が倒したと。そのように語っていただく方が、人々としては受け入れやすく愉快なのです」
「また美しいとか……で、でもうそをつくのはぁ……」
「嘘もまた時と場合によっては妙手足りえます。そも、単なる一介の宿屋に過ぎない私が霊鳥を締め落としたなどと語ってだれが信じましょう」
「そ、それはそうなんだけど」
「そうでしょう? ナナカ様もご理解されているようで安心いたしました。では山を下りてからはそのように話を合わせていただくようお願いいたします」
「でも」
「そのような素晴らしい勇者様が宿泊していたという事実。これほどに宣伝になるものはないのです。宣伝が効果を発揮すれば、それすなわちお金になるということです」
「あ、はい……」
笑顔で念押しすると、ナナカはそれ以上なにも言わなくなった。これでナナカの勇者としての評判が上がり、クラギの宿も有名になる。
だれもが得をする理想的な着地点であった。
+
ロープでぐるぐる巻きにした霊鳥の頭と卵を抱え、クラギとナナカは夜を過ごす。いかに山や森に慣れているクラギでも、夜の自然は人間にとって危険しかない。火を熾し、霊鳥の翼で暖を取りながら霊鳥の肉を焼いて食べ夜明けを待った。
翌朝早くに出て、昼頃、宿の前で待っていた隊商に合流する。
「おまっ……本当に生きて、しかも霊鳥を狩って帰ってきやがった!」
紙巻きタバコをふかしていたピトスィは火種を口許から落としてあち、あち、とぼやきながら二人に近づいてくる。
クラギはナナカと共に抱えてきた首を下ろし、うやうやしくナナカに礼をした。
「さすが勇者様、の一言でございました。
山の頂にて現れたる霊鳥、翼を広げれば闇が降ってくるかのように思われ、その瞳の白さは周りを餌食としか映さぬ酷薄なもので、ああ鷹の影を見た魚の気分とはかようなものであろうかと私は恐怖に震えておりました。
ところがそこで勇者様が腰の剣に手を当てたのです。
途端、抜けば玉散る氷の刃、影も稲妻も水面の月をも斬り裂かんというその剣技の冴え、圧巻圧倒の幕開けでございます。美貌の勇者たるナナカ様の神々しき聖気は霊鳥をも圧してすくませるほどのもので――」
称える言葉を川の流れのようによどみなく語るクラギの後ろで、気まずそうなナナカはあさっての方を向いて沈黙していた。
だがその様がまた、「気取っていない」「偉ぶっていない」と隊商の人々には好評で、さっそくその日のうちに山から彼らが下ろしてきた霊鳥の肉を以てその夜は宴会と相成った。
隊商は霊鳥を問屋へ持ち込みに行き。その際にナナカの武勇が語られただろう。
……二週ほど経って。
わらわらと、矢庭にお客様は増えてきた。街に預けた霊鳥の頭は、三月ほどではく製となって宿に戻る手筈だ。
はく製が戻るまではホールの吹き抜け、二階回廊の一部にある場所に、クラギがキャンバス地に木炭で描いた霊鳥の絵が代わりとして貼ってある。
「……宿屋さん絵もうまいね」
ナナカが立ち止まってぼんやりと絵を見つつ言う。
「下手の横好きですが、お褒めにあずかり光栄です」
「というか……あなた何者なの? 本当に。宿屋じゃなくてもっとほかの仕事をしてるべきひとだとしか、思えないんだけど……前職とかないの?」
こわごわと、ナナカはクラギを見上げている。
いつものように、クラギは微笑を浮かべて返す。
「いまもむかしも、私はただの宿屋でございます。そして、ただの宿屋を営むことをこそ望んでおります。すべきことではなく望むことをしたいという、ただのわがままな個人でございます」
ナナカはなんとも言えない顔でふう、ん、と釈然としない声を出した。