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2:まずは身体を温めた方がよろしいかと

 魔狼はかなり強力な魔物である。

 素早い爪牙の攻撃。

 高い知能による群れでの連携。

 加えて獲物への強い執着心。

 勇者として厳しい訓練を積み、《聖気》を用いた戦闘術を駆使できるナナカでさえ、こうして疲労が溜まっていては深手を負わされるほどの魔物だ。

 勲章を下賜された宮仕えの魔導師ハイウィザード将軍ジェネラル……、そういう存在に近い強さがなければ到底相手にならない。

 だが彼は。

 クラギという男は。

 自己申告を信じるならば、戦士ウォリアー魔術士マジシャン呪法士ソーサラーといった戦闘向きの職種ジョブですらなく。

 単なる宿屋の主人だと、そう言った。


「うっそでしょ、あれで『宿屋』とか……」


 残る魔狼を、クラギは次々に仕留めていく。

 傍からは飛び掛かった魔狼が自分から転んだり滑ったりしているようにしか見えない。

 だがその実、間合いと呼吸をつかんでクラギがいなし、投げ、払い、ひっかけた結果だ。

 魔狼はその絶大な膂力と剛脚以上に群れでの恐るべき連携こそが持ち味で、六体を超えた群れともなれば諸侯の抱える兵力を注ぎ込まなくてはならないとされるのに。

 彼にかかれば、まるで子ども扱いだった。

 そしていま、ついに最後の一体へ。


「これで――」


 足を払われて横倒しになった魔狼の顎を、足刀そくとうで蹴り上げて噛みつかれないようにした上で、勢いよく頚椎を踏み折る。

 ぐったりと、魔狼の四肢から力が抜けていく。

 雨の中、息のあるものはただひとり。

 立ち尽くすクラギを中心に、魔狼の亡骸が転々と転がっていた。


「――終わりです」


 雨に濡れて顔に貼り付いていた黒髪を掻き上げ、クラギはふいっとナナカの方を振り返った。

 瞳孔の細い目をしていた。顔立ちはさほど目立つところがない。しいて言うなら血色が悪く薄い唇が唯一、特徴的な部分だろうか。

 角襟の白シャツに黒いボトムスだけの恰好で、背は少し高めだが体格は並。手足も細く、さほど荒事に向いているようには見えない。ごく普通の青年に見えた。

 けれど彼の動きは、勇者であるナナカですら見たことがないような凄まじいものだった。

 そしてよくよく見れば、濡れて透けたシャツの内に、傷跡の多い肌がうかがえる。並々ならぬ戦闘の経験があると、そう見受けられた。


「……なにか?」

「えっああいやっ、ごめんなさいじろじろ見ちゃって」

「べつに構いはしませんが」

「そ、そう……それにしても、あなた本当に強いのね……」

「勇者の安息あずかる宿屋が、弱くて務まるとでも?」

「いやその理屈はおかしくない? その理屈に則るとあたしが泊まった宿屋のひとみんな強くないといけないじゃない」

「それは大変なことになりそうですね」


 涼しい顔でクラギは言い、すたすたと玄関ポーチの下へ戻ってきた。


「さて。あの魔狼の群れはあとで片づけるとして……」


 クラギはナナカの前に立つと、腰からしっかりと上体を傾けて一礼した。


「あらためて、ようこそお出で下さいました。『木の洞』へようこそ、ナナカ様」

「……えっと。これ、あたし泊まってく流れ?」

「ご宿泊されないのですか?」


 心なし、哀しそうな声を発してクラギは顔を上げる。印象の薄い顔に、わずかながらくもりが見られた。


「魔狼に追われ脅威が身に迫っていたために、私を巻き込まないよう宿泊をためらっていたのだと存じておりましたが」

「え、ええと。まあそうなんだけど」

「でしたらもう追っ手はおりませんし、どうぞごゆるりとおくつろぎください」

「そう言ってくれるのはうれしいんだけど、ちょっとね。泊まるのは」

「……もしやナナカ様は、私が良からぬことに及ぶとご心配されているのでしょうか」

「よっ、良からぬって! なに、急になにを!」


 予想外の方向に話が飛んだので、ナナカは慌てふためいた。

 良からぬとは。

 まあつまり、やらしいこと、だろう。ナナカは女でクラギは男だ。良からぬこと、あり得ないとは言いきれない。

 だがナナカはこうした話題に耐性がなかった。

 なにせ己は勇者。まず以てその身分で周囲を威圧してしまうので、十六年の人生の間に男性にそうした目で見られることがなかった。

 そして人間、見られないと、そういうものだと思い込んでしまうようで。ナナカは自分に女性としての魅力があるとはこれっぽっちも思っていなかった。だから、ひどく驚いたのだ。

 クラギはいたたまれない様子で腹の前に組んだ両手の指をせわしなく動かし、固まっているナナカに対してつづける。


「ううん……ご心配されるのも無理ないことと存じ上げます。ナナカ様はお美しくていらっしゃいますし」

「ちょっちょっと待っていまなんて」

「ナナカ様はいままで私が見た中で最もお美しくていらっしゃいますし」

「さっきより盛ってる!」

「事実を正確に申し上げたまでです。勇者様の立ち寄った先はひとの行き来が栄え観光地になることもあると風の噂にうかがいましたが、なるほどその美貌もひとを呼ぶ一因なのだろうと納得いたしました」


 微笑を浮かべて彼は言った。

 たしかに、ナナカが立ち寄った土地では勇者来訪を売りにして栄える場所も少なくないのだが、それは彼女がその地を荒らしていた魔物や魔族を討伐したことに起因するものである。べつにナナカの見た目どうこうでなにか起きたりはしない。


「いやあたしそんな持ち上げられるような女じゃないから……」

「またまたご謙遜を。しかし、ナナカ様のご憂慮をどう払えばよいものか……お気づきかもしれませんが、この宿にはいま私のほかにだれもおりませんので。そこも心配なされる一因でありましょう」

「え、お客さんだけじゃなくて働いてるひとも?」

「元よりこの宿は私ひとりで回しておりますので」


 言われて、見渡す。

 石造りの二階建て、わりに大きな屋敷だ。貴族の別邸と言われてもうなずける程度につくりはしっかりしている。

 これを、ひとりで回しているんだ……とちょっとナナカは感心した。


「まぁ開業したばかりなので、恥ずかしながらまだ宿泊された方はおりませんが」


 回せてなかった。

 感心を返してほしいと思った。


「というか、宿泊客いないもなにも、こんな魔物も出るような森の奥じゃお客さん来れないでしょ……」

「元より私が想定している客層は一般的な宿と異なる層なのです。他の宿と競合しない形態の宿屋を目指した結果、この立地を選ぶことになったのですよ」

「急にまともに経営考えてるようなこと言い出した」

「さすがに赤字を出して道楽でできることではございません」


 というわけで、とクラギは咳払いした。


「率直に申し上げまして、私はお客様を必要としております。第一号のお客様が勇者様ともなれば、宣伝効果キャンペーンも見込めますし……」

「……もしかしてさっきまでの褒め殺し(リップサービス)、あたしを宿泊させるため?」

「とんでもございません。あれは本意です。このようにお客様と宿屋という立場での出会いでなく、静かな酒場や夜景の見える丘で出会えていたならばと思うことしきりです」


 真剣な面持ちでクラギは言った。

 いまいち信用しきれないナナカだった。褒められて少しいい気持ちもしていたのに、営業の物言いだったのではと疑い出すと気分は落ちる。


「まあいいけど。でも、泊まるのはね、結局のところ無理なのよ」

「なぜです?」

「…………お金ない」

「え?」

「お金、ないの。さっき背嚢バッグの中身見たでしょ」


 言われて、クラギは思い返しているのか頭上を見つめた。

 ややあって納得した声をあげる。


「ああ、そういえば路銀が入っている様子は見受けられませんでした……てっきり背嚢に入れず身に帯びているのかと考えておりましたが」

「そう、身に帯びてたのよ。でも寝てる隙に、依頼を受けてから同行してた奴に……」

「盗まれた、と?」


 クラギの指摘にうなずく。口にしたら、腹の奥底でめらめらと怒りの炎が燃えてきた。


「魔物の討伐依頼を受けて、この南方まで派遣されてきて……現地の案内役ガイドだって言うから信用して雇ったのに……! あの野郎ども、あたしを毒の沼地に追いやって弱らせて、最後は魔狼の群れの縄張りにあたしを置いて逃げたの!」

「それは、それは……」

「だから財布もないの! ごめんね!」

「なんといいますか。災難でございましたね」


 逆切れ気味に畳みかけると、クラギは心底同情したという面持ちで腰を屈め視線を合わせ、ナナカの頭を軽く撫でた。

 なんだか泣きそうになった。普段はあまり考えないようにしていることだが、勇者なんて面倒ごとをしているのにどうしてこうひどい目に遭わないといけないんだ、と叫びたくなった。


「あまり思いつめないことですよ」


 クラギは毛並みを整えるようにやさしく頭を撫でつづけた。

 線は細い男だが、手のひらはけっこう大きいな、と思った。

 しばしそうしているうち、ナナカはふるりと身体が震えるのを感じた。


「っくしっ!」

「おや。雨に打たれたので身体が冷えたのでしょうか」


 頭から手をどけると、自然な流れでクラギはナナカの手を取った。

 そのまま引っ張っていき、館の扉に手をかける。


「え、なに。なんで引っ張るの」

「先ほど火を熾し直しておりますので、暖炉で温まってください」

「いや、いま言ったじゃない……あたし、お金ないって」

「うかがいましたが、だからと言って雨で震える方を外に放ってはおけません。宿泊費は……まあおいおい、『仕事』でもして返していただけば結構です」


 どこか含みのある顔つきで、クラギはにやっとした。

 ……へんな仕事じゃないといいが。


「返せるかなぁ……あたし、腕もこんなだし」

「怪我が治ってからで問題ありませんよ。当座の蓄えはありますし、いまは雨季で森の食料も豊富にありますので」


 クラギはぼやいた。

 それから背筋を正し、あらためてナナカに向き直る。


「世話を焼かせてください。もともと、そういったことが好きな性分ゆえにこのような職種ジョブを選んだのです」


 真摯な態度で、クラギは言った。

 じっと男性に目を見つめられた経験がほぼないので、ナナカはたじろいだ。

 だが裏切りにあって魔狼に追われ、途方に暮れていたのは事実。

 そこでこのように助けられて……まあ褒め殺し(リップサービス)かもしれないが、いろいろ言葉をかけてもらえてうれしかったのも事実。

 お返しは少し先になりそうだけれど、と思いながら。


「じゃあ、……ちょっとだけ。ちょっとの間だけ、お世話になります」


 ぺこりと頭を下げた。

 顔を上げると、クラギは喜色満面で「はい、よろこんで」とつぶやいた。

 扉は開かれ、館の中へ通される。

 いつごろここを出立することになるかなぁ、と考えながら、ナナカは後ろ手に扉を閉めた。



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