13:宿屋の安息あずかる勇者
ゼルトラ・ペントの伝説は数え出したらきりがない。
古竜や獅子王や狒々をも敵に回し、アザレア戦団で常に初撃か終撃を加えたその偉業。
得物を持たず素手のみで、魔力による身体強化を駆使し敵を打ち滅ぼしてきたその異業。
はたまた、借金苦でひとところに二日と留まれなかったその悪行。
枚挙にいとまがない。
だが共に旅をしたクラギは、アザレアたちと同じくらいよく知っている。
それだけの苦難を乗り越えてなお、
この男は大怪我ひとつ負うことなく今日までを生き抜いてきたのだ、と。
「ッシッッ!」
破裂音のような息吹と共に、突きこまれる左の正拳。
踏み込みの着地と同時に腕が伸びきる、前進と同時の突きだ。まともに食らえば魔物であれ一撃で仕留める、けれどゼルトラからすれば牽制にすぎない一手。
先読みしていたクラギは右手で前腕を払いのけるようにして左へといなす。
最初に頬に食らったときも、直前にこのように威力を大幅に逸らしていたために少し口の中を切る程度で済んだのだ。そうでなければ今頃頭蓋が砕けている。
「――っだァラァッ!!」
左拳を逸らされたゼルトラは、伸びきった前腕をそのまま真横に払ってくる。
鉄棍を振るうがごとき一撃を屈んで前転することで回避し、クラギは己の背後でキヂキヂと繊維を軋ませながら折れ砕ける木の音を聞いていた。
振り返ると身を翻したゼルトラの左足で前蹴りが迫っている。
「っと、」
低い姿勢のまま、左手でかかとをすくい上げる。
するとゼルトラはすくわれた勢いを加算し、その場で体を大きく反らした。
思わず左手を引っ込めると、ぼうっ! と眼前を打ち上がる右足の蹴り。一撃目の蹴りが無効化されたと察して即座の二連蹴りだ。
「よくかわした!」
蹴りの勢いで後方に宙がえりし、すたんと着地してすぐ右の逆突き。
滑るような突進に合わせて発生した風圧がザワリと周囲の草を薙ぎ倒し、クラギの前に圧を発する。
懐に飛び込んでゼルトラの右腕に己の手をからみつかせ、腰を切って背に載せる。
魔狼のときのそれよりもはるかにキレのある投げ――相手の突進がすさまじかったためだ――が炸裂し、暴風が吹き荒れた。
山津波で落ちてきた岩のような勢いですっ飛んだゼルトラは木々を三本に渡ってへし折り、最後にここらでもっとも太く頑丈に生き延びてきた巨木にズ、ずン、とめり込まんばかりの音を立てて背を打ち付け、止まった。
揺れた巨木が雪のように木の葉を散らし、枝葉に住まっていたのだろう鳥が群れを成して飛び立っていく。
「くく」
笑みを浮かべて起き上がる。
魔力による純粋な身体強化が生む、異常な頑強さ。おそらくいまの彼は投げで頭のてっぺんから地面にたたきつけても、首まで土に埋まるだけで済む。
この防御を突破するには、同程度の魔力の練りで対抗するか、ゼルトラが魔力切れを起こすまで凌ぐしかない。
前者はクラギには無理だ。そもそも魔力を使えない。
となると自動的に後者の手しか許されないが、剣呑にすぎるゼルトラの猛攻を一撃たりとも取りこぼさずにいなし、かわしつづける必要がある。
しかもそれを一昼夜はつづけることを覚悟せねばならない。獅子王との戦いでアザレア戦団が刻んだ伝説のひとつが、ちょうどそれくらいの長期戦だからだ。
「おらっ、」
びゅ、と風切る音。
風を超え、音に追いすがり、砲弾のごとく迫るゼルトラの蹴撃。
横にかわせば、逆の足が跳ねあがる。またも掌で払いのけ、あらぬ方向へ吹っ飛ばした。
空中で器用に身をねじり、腰や背の稼働で威力を殺してのけたゼルトラはすたんと頭上の枝に足裏をつけた。まるで猫がそうしたかのような、柔らかで音の無い接触。
重力に加え、己の枝を蹴り出す力でゼルトラが襲い来る。真上からの襲撃に、クラギは大きく飛び退った。
さっきまで自分がいた位置にゼルトラの掌打が撃ち込まれ、
広範囲にわたって地面に亀裂が入り、次の瞬間めくれあがった地表が爆散した。
飛び散る土くれ。ふはは、と笑い声のする方向で位置を察しようと努めたが、うまく森の中へ反響させているのか距離感がつかめない。
ただひとつ、見つけたのは、土煙の中に右手へはためいていくマントの裾だった。
「――囮か」
「ご明察!」
マントを脱いで投げ捨てたのだろう、逆の左手から来たゼルトラの連撃が土煙を切り裂いた。
右の回し蹴り・かかとをひっかけるよう引き戻す掛け蹴り・着地しての左貫手・腰から放つ右逆突き・鎖骨狙いの左掌打。
ほぼすべてをかわした。
が、掌打だけわずかにかわし損ねる。
ジャケットをかすめる程度に触れたその一撃に、クラギは吹き飛ばされた。
「二徹じゃ集中力が落ちてるだろ」
「……そのよう、で」
まだ戦える。右肩は痛むが外れたわけでも折れたわけでもない。
だがこの隙をあの男が逃すはずもない。
追撃に、クラギはどういなすかを判断しようとして――
「聖気の鏃っっ!!」
木々の間を射抜いてきた光の矢を見た。
ゼルトラは己の身を狙ったその矢を瞬間的に左手でつかみ、クラギへの追撃をやめる。じゅう、と握った左手から白い煙があがった。
「……ナナカ嬢ちゃんか。ちっ、戻って来たとはな」
「や、宿屋さんに……なにしてるのっ!」
剣を抜き聖気をまとい、左手の周囲に鏃を十本停滞させた状態でナナカは詰問を飛ばした。
ゼルトラは左手の矢を投げ捨て、ふんと鼻を鳴らす。
「仕事さ。そして俺にとっては人生の楽しみのひとつでもある」
「こんな、殺し合いが?」
「そういうイカれたとこがあるから、俺は机仕事に向かないんだ」
ぽりぽりと頭を掻き、悪びれることもなく言う。
その様に話し合いは不可能だと悟ったか、ナナカは鏃を構える左手に力を込めた。
「じゃあ、止める。宿屋さんは殺させない」
「勇者だなぁ、嬢ちゃん。だがお前、挑んでくるっていうなら」
頭の後ろに手をあてがった、油断してさえ見える姿勢で。
ゼルトラはぎんと眼光だけで、ナナカの身を硬直させた。
「――死ぬ覚悟はしろよ」
「ナナカ様っ!」
掻き消えたかのような速度で動くゼルトラ。森の木々の陰に這うように、獣の如く疾駆する。
ナナカは左手をあたふたとさまよわせ、どこに狙いをつけたものかと迷っていたが……最後には正面へぴたりと狙い定め、動かなくなった。
その彼女の、背後に。
音もなく回り込んだゼルトラが、手刀を振り下ろした。
「んんっ!!」
「ほお、防ぐか」
聖気をまとった剣身を掲げ、防ぐ。
同時にその力に押させるように己の上半身を後ろへ反らしていき、左手を自然にゼルトラの正面に向けた。
「放てっ!!」
十本の鏃が空を穿つ。
すんでのところでかわしたゼルトラは、距離を置いて自分の左耳を掻いた。
ぽつりと血が滲んでいる。
指先に付いた己の血を眺めながら、彼は獰猛にかははははははと笑った、
「《勇者》とは相性が悪い」
「……私とナナカ様が近くに行動しているときに襲おうとしなかった理由は、やはりそれですか」
「想像ついてたのか?」
「《聖気》は魔道の最果て、行き着く先だとはうかがっておりましたので」
要するに魔力より聖気の方が上位の力であり、その流れに干渉できる。
よってナナカが敵意を込めて放った聖気の鏃は、ゼルトラの絶大な魔力防御を以てしても防げない。流れの支配を奪われ、素の体で受けることになるからだ。
「とはいえ、まあ……前菜が増えた程度のことだ。ちと前菜にしちゃ刺激が強いが」
左半身の深く重心を落とした構えを取り、ゼルトラはゆっくりと拳を握り締める、
予定が狂っても、ここから引いて仕切り直す気はないらしい。
二名まとめて葬り去るつもりの、構え……。
「ナナカ様」
先の位置から歩み寄ってきたクラギは、ナナカの横に並びつつ声をかける。
「宿屋さん」
「ゼルトラは、ああなれば確実に我々を撃滅するでしょう。しかし、ナナカ様なら」
すっと目だけでナナカを見やる。
彼女はどこか期待したような面持ちであったが、クラギはかぶりを振った。
「ナナカ様のみなら、逃げることもかないましょう」
「ちょっ……逃げろって? あたしに? この状況で?」
「私ひとりでゼルトラに勝つことはできません。ですから」
「ふざけないでよ!」
言葉を遮られる。見れば、ゼルトラもきょとんとしていた。次いで、「話し合いがまとまるまでは待ってやるよ」とわずかに構えを緩めた。
もう一度ナナカに目を戻すと、泣き出しそうな顔で彼女はクラギをにらみつけていた。
「あたし勇者だよ!? 逃げられるわけないでしょ!」
「私は宿屋です。お客様の安全を第一に考えねばなりません」
「じゃあおたがいに守るっていうんじゃだめなの!」
「勝てません。即席の連携でどうにかなる相手ではないのです。そして私は逃げてもゼルトラの追い足にはかないません」
「だからって……そんな……少しでも可能性あるなら、あたしは宿屋さんと戦いたい!」
「ならば言いましょう、可能性は絶無だと。お逃げください」
「やだ!」
「わからないことをおっしゃらないでください。互いに職務において持つ領分、それが此度は私の側に存在している。それだけのことでしょう」
「なに、領分、領分って……」
ナナカは歯を食いしばり、うつむいた。
けれど見えなくなったはずの表情は、さっきまでよりも鮮明にクラギの脳裏に浮かんだ。
怒りと、悲哀と、憐憫とが入り混じったような。
激しい形相だった。
「職にとらわれるばっかりで――ひとが、見えてないじゃない!」
激しい、感情の猛りだった。
動揺したクラギの前で、ナナカはどん、と深く、優しくクラギの胸を叩く。
「そりゃあ、あたしとクラギさんは宿屋とお客でしかないかもしれないけど。でもっ、もう三か月もここにいるんだよ!? そんな、職だ領分だって言われて、簡単に投げ捨てられるわけないじゃない! そんな簡単に割り切れるわけないじゃない! 仕事終わったって、ここにいたいと思ってるんじゃない! あたしにとってクラギさんは――クラギさんにとってあたしは――友達とかじゃ、ないのっ!?」
思いの発露に。
クラギは、胸の奥深くを揺らされるような心地がした。
……友達。
かつて友と思っていた相手に牙を剥かれているこの現状で。
まだ付き合いは浅いが、この少女が。
初めてのお客様である少女が。そんなことを言ってくれた。
領分。
職。
そこを逸脱しないこと、その範囲で最大限のことを成すのが――過去に暗いものを抱えるクラギにとっては、なにより大事なことだったのだが。
友達というのは職も領分の垣根もない、そういう存在だ。
なら。
いいのだろうか。
「……よろしいのですか」
「なにが」
「……頼っても」
「当たり前じゃない」
ため息をついて、ナナカはゼルトラに向き直る。
にやにやと笑う彼を前に、剣と鏃を構えて挑む。
「友達の宿だと思ってなきゃ、こんな危険で辺鄙なとこ、ずっと泊まりつづけるわけないでしょ」
その、言葉に。
少しだけ過去の自分が救われたような気が、して。
静かにクラギも、ゼルトラの方に向き直った。
「話はまとまったようだな」
頭脳ある獣がぐつぐつと笑いをかみ殺す。
「ええ。――――ナナカ様。私を信じていただけますか」
「信用してる、信頼してる。だから、勝とっ」
「では。私が崩しますので、ナナカ様が仕留めるかたちで」
こくりと、ナナカはうなずきを返してくれた。
ゼルトラが、二十トルメ先でぎりぎりと拳を握り、関節を鳴らしている。
この、魔術での撃ち合いだってできる距離でさえ、奴からすれば二、三歩で詰められる近距離戦といってもいい。
接敵は一瞬。
そこですべてが決まる。
――ざわりと枝葉が風に揺らされる。
対峙する絶対的強者の殺気が、びりびりと空間を伝ってこちらに流れる。
もうクラギとナナカは目も合わせない。
しかし、すでに呼吸はひとつになっていた。
機は、熟しつつある。
――やがて。
風が、凪ぐ。
ゼルトラが風を、薙ぐ。
振るわれる剛腕。払われる剛脚。
全霊の一撃とクラギの受け流しが、今まさに交錯し……
と。
おそらくはゼルトラとナナカがそう思った。
瞬間に。
「失礼」「ひゃわっ!?」
クラギはくるんと横を向きナナカの重心を崩して膝を後ろから蹴り抜くように払った。
おそらくはゼルトラとナナカが困惑した。
その、指を弾く間にも満たない猶予に。
クラギはナナカをつかんで投げた。
ぶんと振るわれたナナカの身体が伸びきり、彼女の手にしていた剣の腹が、ゼルトラの側頭部をズコンと打ち抜く。
当然、この剣にも聖気はまとわれている。
「がっ……はっ……」
魔力防御を貫いた一撃に、ぐるんと目を回したゼルトラはふっと意識を失い、そのまま昏倒した。
振りかざしたナナカの身体の重心を制御してくるくると空中で回し、クラギは自分の腕の中へぽすんとおさめる。
抱えられた赤子のような姿勢になったナナカはその位置からクラギの顔を見て、ぼっと顔を赤くした。
「な、なっ――、なっっにこれぇぇぇ!!」
「……申し訳ございません。勝つ手としてはこれが最良というのは最初から見えていたのですが……やはり、お客様を私の武器にするというのは、あまりにも外聞が悪すぎたので」
「え、なにその説明っ……あ。ひょっとして『お客様じゃなく友達だからいい』ってこと!?」
「そのように解釈させていただきました」
ぺこりと頭を下げる。
ナナカは、きょときょとと目を泳がせて、何度かあー、うー、とうめいていた。
最後には両手で顔を覆い、「……もういい」と許してくれたのかあきらめたのかわからないことを言っていた。
「もう、この宿の主人が変なのには、慣れた」
失礼なことを言っていた。
+
「ほらよ。金貨五枚だ」
じゃらりと金貨を出して、ゼルトラは煙草をふかしながら頭をさすっていた。
「なんです、これは。見逃してくれという意思表示ですか」
「いや、前に借りた利息無しの借金がまだこんだけ残っていたろう」
「ああ、それですか」
「裏の術士の依頼を受けたときの金だがね。もらっておけよ、クラギ」
「……普通そういうのは成功報酬ではないのですか? なぜ前払いで持っているのです」
「ん? がたがたうるせえからブン殴って奪ってきた。が、ご覧の通り失敗したからな。俺は成功報酬以外の金は自分の手元に置かない主義だ」
「きっちりしているのか、怠慢なのか」
「臨機応変というんだ」
かははと笑い、紫煙を噴き上げた。
……結局この男、『暇だったので手合わせをしにきただけ』だった。
「いやあ、面白い戦いだったぜ」
「私は二度とごめんです」
「そう思うなら今度は騙されないようにするんだな」
してやったりという顔で、ゼルトラは肩を揺するように大きく笑った。
クラギはため息をつく。
……宿屋の業務を第一に考えるクラギのことだ、普通に挑んでもまずあしらわれるだけ。
となれば、どこかから依頼を受けた体をつくり自ら演技に没入すればなんとかなるだろう――とゼルトラは無駄に知恵をめぐらしたらしい。
結果として騙されてしまったわけなので、クラギとしてもまだ精進が足りないなと己を反省することしきりだが。
「じゃあ俺は行くよ。また暇だったら殺し合いに来る」
「二度とこないでください。もう貴方は友達とは思いません」
「なんだ、友達の枠は常にひとりだけか? じゃあその嬢ちゃんが友達じゃなくなるのを祈っておくか」
「あたしはクラギさんに襲いかかったりしないし……」
「ん、いやそういう意味じゃなくてな。……ああ、でも『襲う』ってならそうか。ありえなくもないか。さっさと既成事実をつくってしまえ」
ゼルトラの言葉にしばらくナナカは硬直して。
どういう意味にとらえたのか、顔を赤くして。少しして、クラギも意味を察したので顔を背けた。
「かはは。若いの二人、仲良くな」
「さっさとどっか行ってよもうっ、この老害!」
「俺まだ四十だぜ……」
最後のナナカの言葉にだけ傷ついたような顔をしながら、ゼルトラは前庭を抜けて去っていった。
本当に厄介で面倒でうっとうしいひとだ……と思って、クラギはどっと疲れが出てその場にしゃがみこんだ。
「だ、大丈夫? クラギさん」
「ええ、ちょっと……二晩徹夜であの男を見張ったこともあり、疲れが」
「早く寝ないと。部屋運んだげるから」
「いえ、自分で歩きます」
「遠慮しなくてもいいよ」
「……あの、ですから。淑女が軽々に異性のベッドを訪れようとしないでください」
さっきのゼルトラのからかいが効いた状態で変な意識を持ちたくなかったので、クラギはそう言って牽制した。
ナナカはあ、うん、と言いながらこくこくうなずき、のろのろと歩くクラギの後ろを歩くだけになった。
部屋にたどり着き、ベッドに寝転がって。「昼過ぎには起きますので」とナナカに告げたクラギは静かに目を閉じた。
「……思えばひさびさですね」
「なにが?」
「だれかに頼ったのが、です。ゼルトラとも背を預け合ったことはありますが……あの男はああいった具合なので、頼ったというよりは互いに利用したという感が強く」
「ああー……それはなんとなくわかる」
「ほうっておいても奴ならなんとかなるだろう、と投げただけでしたが。……ナナカ様とは、本当に勝てる可能性がないと思って、挑んだかたちなので」
「まあ騙されましたけどあたし」
「私が崩してナナカ様が仕留めると言いましたよ」
「言葉はまちがってないけどさぁ」
くすくすと笑うナナカの声が耳に快い。
薄目を開けて、部屋の入口に立っていた彼女にもう少しだけ、話をした。
「……領分領分と、すみませんでしたね」
「べつにいいよもう。なんか、こだわりがあるんでしょクラギさんは」
「ええ。私の村、宿屋がなかったせいで焼けたので」
するりとこぼした言葉に、ナナカは目を丸くした。
どうやらゼルトラは雑談の折にこのことを話してはいなかったらしい。変なところは律儀だな、と思ってクラギは少し笑った。
ナナカは絡ませた指先をもじもじさせて、クラギにうかがうように言う。
「それ……あの、話しにくいこととか、そういうのだったら」
「話したいから話すだけですよ。……まあ、ありふれた話です。私の幼い日に村が魔物の群れに襲われ、そこがまた僻地だったもので。救援を呼んだのですがなかなか来てくれなくて、ですね。
しかも途中の道に宿がひとつもない。正確には昔はいくらかあったようですが、近くにできた魔石鉱山の方で採掘した方がお金になると聞いてだれもいなくなったわけです」
だから救援も途中で休む場がなく、ペースを乱しながら村へ来るしかなくなり。
気が付けば魔物の群れを掃討したとき、土地以外のすべてが焼けてしまっていた。
「……領分にこだわるのはそこからですね。だれもが自分の成すべきことをしていればこうならなかったのではないか、と。そんな風に強迫的に思っておりました」
ナナカの方を見ると、居たたまれない顔つきで彼女はたたずんでいた。
……考えてみれば彼女も勇者だ、救援する側の人間である。
同じように『手遅れ』になった村や町を目にしていても、おかしくはない。やはり疲れのせいで頭の働きが鈍いようだ。感情に動かされて、配慮に欠けていた。
「申し訳ございません。ナナカ様にとって、責めるような物言いに感じさせましたね」
「ううん。いいよ。……たまにはクラギさんだって、吐き出さないとでしょ。それはお客様には言えないことだろうし。あたしになら、愚痴を言ったっていいよ」
「……すいませ……いや。ありがとうございます」
「いいえ」
にこっと笑ったナナカは、つづけて言う。
「でも、領分を出た行いとかいうなら。クラギさんがそもそも、そういう風だったでしょ」
「私が?」
「宿泊客でもないあたしを、守ってくれたじゃない」
三か月少々前。あの雨の中の出来事を、ナナカはつぶやいていた。
「……お客様がいなかったので、必死だっただけかと」
「そう? でもそれであたしは、救われたよ。だから結局、持ちつ持たれつなんじゃないかな」
ね、と同意を求めるように結んで、それからナナカは「っと、もうクラギさん寝ないと。それじゃ昼に起こしに来るから」と去っていった。
ぱたぱたと駆けていく足音を耳にしながら目を閉じて、クラギはふーと息をつく。
――持ちつ、持たれつか。
ひとりで宿を回そうと駆けずり回ってきて、そんなことは考える余裕もなかった。
でも。
そういうのも、悪くないかもしれない。
まどろみの中に落ちながらクラギはそっと笑った。
だれかに起こしてもらえるから寝過ごすのを気にしないのも、本当に久しぶりのことだと、そう感じた。
それから、意識を手放す前に。
こちらの欲した言葉をすぐに返してくれたナナカについて、「このひと案外、宿屋に向いているかもしれないな」と思った。
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+
+
宿の前庭にずしんずしんと音がしている。
古びた玄関ポーチに二人が出ると、雨の中。丘が動いてきているのかと見まがうような巨体が、のそのそと近づいてきていた。
魔物化した、マダラブチグマ。
それが、遠雷のような遠吠えを響かせていた。
彼の獣の眼前では、飛び跳ねる少女がひとり。
右手に握った剣がまとう白い光は、少し弱弱しく。全身を覆う光に至っては、消えかかっていた。
「くっ……」
軽装の鎧に張り付くように垂れ落ちた金髪。
身体はぼろぼろで。
けれど瞳の光だけが消えていない。
少女はずざっと地面をこすりながら後退し、熊の剛腕の一撃をいなした。
その背後に。
すたすたと玄関ポーチから出てきた二人組が、のんびりと近づいてきていた。
少女がぎょっとして二人に声をかける。
「ちょ、ちょっと待てあんたら! なにのんびり歩いてきてんだっ、危ないぞ!!」
「こんな激しい雨に打たれてるひと、放っておけるわけないじゃない。はい拭織物」
「あ、ああ。ありが……じゃない! すぐ下がれ、一般人だろあんたら!!」
「では貴女はどちら様で?」
「アタシは今代の《勇者》、十三代目のロツメク・ローバーだ!」
「なるほど、勇者様でしたか」
「なるほどね、勇者かぁ」
すっとロツメクの肩に手を置き、二人組の片割れである女が熊の眼前に踊り出る。
それだけでロツメクは立っていられなくなり、がくんと膝から崩れ落ちた。
なにをされたかまったくわかっていない様子のロツメクの横に、二人組のうち男の方が残る。
「失礼」
「あ、ちょっ! 抱えあげるな!」
「中で暖炉の火を強めますので、まずは身体を温めてください。――では、あとはお任せしても?」
「いいけど。……でも、相手が可愛い女の子勇者だからって、手出さないでよ?」
「そんなことしませんよ」
「前科があるじゃない」
「……貴女が惑わしてきただけです」
二人ともちょっと、顔を赤くして。
からからと、二人よく似た笑い声をあげる。
目を白黒させているロツメクを前に、男が言う。
「ご安心ください。ここは宿屋です」
「そうそう、ただの宿屋。でもね――」
咆哮をあげる熊の前にもかかわらずよく通る声で、女が言う。
少しだけおかしそうに。
少しだけ恥ずかしそうに。
そして万全の、自信を感じさせる声音で。
「勇者の安息あずかる宿屋が――弱くて務まると思う?」




