11:勇者の業務でございます
霊鳥の首のはく製が完成した。あの戦いからずいぶん経ったものだと、クラギは回想する。
もう外を見れば乾いた冷たい風が吹いている。乾季のはじまりだ。
「しかし立派でございますね」
二階の回廊の壁へかけた首は、いまにも山々へ轟き渡る鳴き声をあげそうな「くわっ」と嘴を開いたかたちである。
横でこれを眺めていたナナカは「……ちょっと廊下に飾るには大きすぎない? 下くぐらなきゃいけないし」と言っていたが、勇者逗留の記念碑的なものなので目立てば目立つだけいい、とクラギは思っていた。
「いまや霊鳥との戦いは吟遊詩人が各地で伝え歩いていると聞き及びます」
「それほとんど宿屋さんがピトスィさんたちに語って聞かせた作りばな、」
「英雄譚というのは事実より少々の誇張がある方が楽しめるものです」
「……そんなものかなぁ」
発言を封殺すると、ナナカはなんとも言えない顔で肩をすくめていた。
「べつに、宿屋さんの評判が上がってもいいんじゃないかと思うんだけど。すごく強い宿屋さんがいるって知ったら、それはそれでお客さん安心できていいことじゃない?」
「それは、そうかもしれませんね」
「じゃあ」
「ですが私の望みは、宿屋なのです。インセッチ様がいかに武器の扱いに長けていようと戦士ではなく武器屋たらんとしたように」
「……だから、強いと周りにバレたくない?」
「己の強さにさしたる自信があるわけではないのですが。領分をわきまえていたい、とは考えておりますね。そも、強さなど相対的なものです」
あくまで宿屋だから、宿屋でありたいのである。
ナナカは納得したようなそうでもないような顔で、ふうんと気のない返事をしていた。
と、そこで一階の方に気配がした。
「お客様ですね」
すたすたと階段を降りるクラギ。
視線の先、玄関扉を見るとちょうどいま開くところであった。
「遠路はるばるようこそいらっしゃいました。ご休憩ですか? それともご宿泊で――」
「宿泊で頼むよ」
現れた男の姿に、姿勢が固まった。男の方も、きょとんとしていた。
追いついて横にやってきたナナカが何事か、とそんなクラギを見つめている。
玄関に立ち尽くしていたのは、ぼろぼろのシャツを着て大きめのズボンをサスペンダーで吊るし、その上から羽織ったマントを後ろに流したいかにも旅人然とした風貌。
前髪をすべて掻き上げて後ろで一束に結った髪型をしており、広く出た額にはどこか表情をひょうきんな印象に見せるしわが刻まれている。
細面で、頬のこけかけた中年の男だった。
彼は口の端にくわえていた煙草からふうっと紫煙をくゆらせつつ、クラギに言う。
「よーう。クラギ。ひさしぶりだな」
「……ゼルトラ様」
「そうだ。覚えていてくれてうれしいよ」
肩に担いでいた革袋を下ろすと、その表面にはカンバス地が縫い付けてあり『ゼルトラ・ペント 俺のもの』と大きく書いてある。相変わらず妙なところで自己主張が強い、とクラギは思った。
「ゼルトラ……ってまさか」
横のナナカがクラギの驚きの顔と、訪問者のにやにやした顔とを見比べつつ思い当たった節のある表情を浮かべる。
ゼルトラは口の端を大きく吊り上げる。
「そうだ。俺がゼルトラ・ペント」
そしてナナカの腰の物に目端を利かせつつ、言った。
「嬢ちゃんの先先先々代にあたる《勇者》アザレアと共に少しばかり伝説をつくっただけの、絶対的な強さ以外は取り立てて語るべくもない、ただの旅人さ」
大仰な言い回しもなにも変わっていない。
あとこれらに付け加えて、彼を説明すると。
「……宿をする以前に私と共に、旅をした間柄です」
え、と言う顔でナナカがこちらを見る。
ゼルトラはかかか、と笑って煙草の火を握り消した。
勇者を名乗り活動するにあたり、すべての勇者候補は大聖堂で座学などの講義も受けるという。
各地を旅するにあたっての文化風俗についての知恵、この国と周辺国の歴史、地理と地層と天文と気象の読み解き、情報を引き出す駆け引きの技術――ありとあらゆる知識を総合的に叩き込まれるそうだ。
当然その中には自分たち勇者についての知識も含まれるようで、ナナカは自身と同じく勇者としての活動をおこなっていたいくらか前の代のアザレアについても知っていた。
「あたしは南方の森林地帯にある比較的穏やかな魔力溜まりだったけど……アザレアは北方の、吹雪く風に閉ざされたとこで拾い上げられた、出自からしてかなりの強者だったって聞いてる」
「ああ。強かったな、アイツは。……ま、俺ほどじゃないが」
廊下のソファにて腰を下ろし、煙草をふかすゼルトラは本心からそのようなことを言っていた。
ナナカはその言いぶりに確信を得たように言う。
「アザレアの代は魔物の出現がひどくて、勇者も単独で旅して現地のひとと協力するんじゃ追いつかなくて……大聖堂が教会を通じておふれを出し、募った戦団で倒してたって聞いたけど。それじゃ、あなたが?」
「そうだ。俺がゼルトラ・ペント」
自分の胸を叩いて示す。
煙を肺腑に入れていたからか、げふんと輪になった紫煙が噴き出た。
「アザレア戦団の一番槍と殿を最も多く務めた男。天知る地知る人が知る、隠した業績も暴かれてしまう男。それが俺だ」
本当に自信過剰な男だった。
実際、その自信に見合うだけの実績を持ってはいるのだが。
「して、ゼルトラ様。なにをしにいらっしゃったのです」
「なにをしにとはご挨拶だな」
「最後に別れたときは東方の熱砂地帯だったでしょう。こんな南方に近い僻地に来るなど、時間がかかるはずだと思いましてね」
「なんだよ。かつての旅仲間がやーっと資金を貯めて宿を開いたと聞き、わざわざ足を運んでやったんじゃないか」
「頼んでおりませんが」
「頼まれずとも来てやる。俺はそんな人情味にあふれた男でね」
「そもそも資金が微妙に貯まらなかった理由は、あのころ旅に同道していたあなたの不始末に私も付き合わされたからだと記憶しておりますが」
「大変な旅だったよなぁ」
他人事のように言う。灰皿に煙草の火を押し消しながら、ゼルトラは笑っていた。
そう、実力は疑いようもないのだが、この男……身なりのみすぼらしさからある程度予想がつく通り、大変に金遣いが荒い。
宵越しの銭を持たない、を地でいく男なのだ。戦闘能力にだけは信用がおけたが、それ以外は一切信じられない。
そんな男に取っ捕まって、クラギは半年ほどひどい旅をした経験がある。
「まあ本当のところは、ちょいとした視察だよ。アザレアの奴がここらの魔力溜まりを気にしていたからな」
「アザレアが?」ナナカが言う。
「ああ。そこのナナカ嬢ちゃんに大聖堂から調査依頼をかけていたようだが、魔狼、霊鳥につづいて熊の魔物化と、この三か月少々であまりに数が多いということでな。ひとつ腕の立つ奴が見てこいと、アザレアの奴に頼まれたんだ。奴も老いて前線を退き、いまは机仕事だからな」
「……ゼルトラ様もお歳を考えますとそろそろ前線を退くべきでは? 私よりひとまわり上ですから、今年で四十かそこらでしょう」
「俺はまだまだ現役だし、そもそもギルドでやるような数字と文書の仕事はとても務まらんよ」
その『務まらない』が頭の出来の良しあしではなく、つまらない数字の仕事なら書き換えだって平気でする突飛さに由来することをなんとなくクラギは察した。
この男には基本的に目の前の物事が面白いかどうか。強い奴と戦えるかどうか。その判断を除いて、優先順位が存在していないのだから。
「なんにせよ、魔力溜まりだ。いまが励気節だというのは知っているか?」
「噂には聞いております。地底からの魔力流出の活性期でしょう」
「そうだ。いま文職についていない現役の勇者は嬢ちゃんを含め、アザレア以下の年齢である四名。うち、嬢ちゃんを除いた三名は二十代で《聖気》もピークに入った。なのでいまもっとも対処を必要としてる危険な魔力溜まりを抑えにかかってる」
「要はいま動ける人間はナナカ様しかおらず。けれどまだ年若く経験も力も十分でないために、応援としてあなたが寄こされたと」
「そういうことだな。まあ俺は勇者ではないから《聖気》は使えないが……。とりあえず魔物が現れても払いのけることはできるし、魔力溜まりの捜索の手にもなる。ひとまずは俺もここを拠点にさせてもらうよ」
「……あなたは勇者ではありませんし、居ても宿の宣伝にはなりませんがね」
「なにか言ったか?」
「いえ特段ゼルトラ様が気にされるようなことは」
聞こえない程度に毒を挟んだが、すぐ横に居たナナカには聞こえたらしい。片眉を上げてクラギを見上げてきた。
「なにはともあれ、本件が解決するまでよろしくな」ゼルトラはナナカに手を差し出した。
「アザレアには講義でお世話になったし、あのひとと戦ったひとなら信用できるよ。よろしく、ゼルトラさん」
ナナカは手を握り返した。
「で、早速だが。ナナカ嬢ちゃん、いま捜索が終わってるのはどのあたりだ?」
「ええ、っと。こっちの森奥深くでまず魔狼に襲われて」
「ああ、沼地の辺りか」
地図を広げて二人は仕事をはじめる。
クラギは肩をすくめ、二名が仕事に励む間自分もなすべきを成そうと、まずはゼルトラの部屋の用意をしにその場を後にした。
+
「ああいう宿屋さん、はじめて見た」
日もとっぷりと暮れて夕食も終わり、ひとのいなくなった食堂にて。
厨房の中で自分の夕食を済ませ、ひとり紅茶をすすっていたクラギの横にナナカがやってきた。
「どうも、ナナカ様。……ああいう、とは?」
「ゼルトラさんとお話してるとき、ずいぶんぞんざいっていうか。なんだかおかしくなっちゃった」
「ああ、それですか。いやはや……どうしても彼に対しては態度が変わってしまいますね」
「友達だから?」
「私としても、友人は選びたいのですが」
言外に一応はそうと認めていることを告げると、ナナカは一層面白そうだった。
「ゼルトラさんからもいろいろ、旅のときのこと聞いたよ」
「左様でございますか。彼自身の失敗談が大半かとは存じますがね……私は宿をはじめる資金や人脈や、色々と準備のための旅でしたが。彼は文字通り着の身着のままで私からも幾度もお金を借用しておりましたので」
「うん。『でもだいたい返したぞ、あとは利息無しの借金が金貨五枚ってとこまではきた』って言ってた」
「別段それは偉ぶることではないかと」
この場に居ない人間に対して言っても仕方がないが、クラギはぼやいた。
ゼルトラの生活リズムが崩れていなければ、食後しばらく経って血の巡りが胃に集中しすぎなくなったいまごろは湯あみでもしているだろう、と思う。
「でも、気の置けない友達関係っていいね」
ぼうっと宙に上げていた視線を下げると、クラギの前でスツールに腰かけたナナカが腕を組んでひとりうなずいていた。
「ご友人は、いらっしゃらないのですか?」
「うーん。親しいひとってのがまず居ないかも。家族も、元からいないし」
足をぶらぶらさせて言う。
《勇者》は生まれながらに《聖気》を操る。
それは凝縮された魔力であり、魔道の最果ての力だ。
そんなものが身に宿る理由は……簡単な話。生まれる場所による。
《勇者》は魔力溜まりで生まれる。
人間が本来命を長らえることができないほどの濃度、ほとんど瘴気と言っていいほどの魔力の奔流の中に、突如として生まれる。理由も原因もいまだ不明だ。
しかしとにかく、それ故に、親兄弟はない。子を成すことはできるが、それは《聖気》の加護が沈静化していく二十代の終わりからであり、子に《聖気》が継がれることもないという。
だから今代、現在の勇者、との呼称になるのだ。
「基本的にあたしは転戦転戦また転戦、だからね。親しくなる暇もないし、それに、ほら。強いから。勇者様――、って、距離置かれちゃうこと多いし」
「ああ。それはそうでしょうね」
「だからお互いに強くて、それでも友達でいられて。二人がいいなあって思うよ」
そう、言い終えてから。
なぜかナナカは首をかしげた。
「……あたしなんでこんなこと言いに来たのかな」
「私に訊かれましても」
「うーん。なんか言いたかったから来たんだけど。まあいいや、それじゃ」
自分で自分に疑問符を浮かべたようなもやもやした顔のままだったが、ナナカは去っていった。
だが食堂から出る少し手前で振り返り、「そうだ」と言い残す。
「明日朝からゼルトラさんと捜索に出るから、昼に食べるものがあるとうれしい」
「かしこまりました」
「昨日までは見つからなかったから、ちょっと遠くにあるのかなぁ」
「見つかった場合は、《聖気》で封じるのでしたか」
「うん。小さければあたしの《聖気》と性質は同じだから、一体化させて操れるし淀まないように地中に流れをつくる。大きければ、ほかの勇者がやってるように本人がその場に留まってしばらく流れをかたちづくるとこからだね」
「なるほど。小さければそれで片付いてしまう、と」
「ここに逗留する理由がなくなっちゃうね」
何気ない感じでナナカは言った。
しかし少しだけ、クラギは心中にひっかかりを覚えた。
「そう、なりますか」
「次の仕事先が指示されるかもだし。ま、とにかく明日の弁当お願いね」
「ええ、それはもちろん」
平時と同じように返しつつ。
クラギは先のひっかかりを胸の内に反芻して、ナナカが去ったあとの食堂でひとり首を傾げた。




