{第4章} 由良とゆらゆら二人旅(その2)
「今日は楽しかったです。それじゃ、おやすみなさい」
由良はそう言うとワゴンのドアを閉めた。
――お兄さんのこと、愛しているって言っているんですよ
なんだろう。さっきの由良の言葉がいつまでも脳内を駆け巡っている。
え? これって告白されたってこと?
いやいや、いつもみたいにからかっているだけだよな。
俺はこのモヤモヤした気持ちを抱えたまま家路に着いた。
すでに千歳は寝ているのか、リビングの明かりは消えていた。
「ただいま〜」
千歳を起こさないように電気をつけずに移動する。
むにゅ。
ん?
リビングの手前で俺は足で何かを踏んだ。
「なんだ、これ?」
スマホのライトで足元を照らしてみる。
「げっ!」
暗がりの中、明かりは千歳の寝顔を照らした。
と言うことは、俺の足にある生暖かくて柔らかい感触は……
「……ん、眩しい」
ライトの光のせいで千歳が最悪のタイミングで目を覚ましてしまった。
すでに踏み出した足に体重が乗っていて、後には引けない。
「あ、お兄ちゃん。やっと帰ってきた」
「おう。ただいま」
「……ねぇ、なんで私の胸に足が乗っているの?」
「千歳さん、これは……」
あ、終わった。
被告、神野大和。
罪状、公然わいせつ罪。
弁護人、なし。
判決、丸めた雑誌での打擲。
「なんで!(ペシン) お兄ちゃんは!(ペシン) 帰って早々!(ペシン) 妹の(ペシン)胸を(ペシン!)踏むの!(ペシン)」
照れ隠しに必死で頭を叩く千歳を見ると、つい口元が緩んでしまう。
け、決してマゾではないぞ。
「お兄ちゃんっ!」
「は、はい」
千歳の突然の名指しに俺は姿勢を正す。
「なんで笑っている!」
「笑ってないです。はい」
「ほんと、由良とご飯に行くわ、私のラインには返信しないわ、帰ってきたら……帰ってきたら……あー、もう言わせるな!(ペシン)」
いや、今のは自爆だろ。とは言わなかった。
今は速やかにこの場を収めて寝たい。
「ごめん。お前のおっぱいを踏んだことは謝るから」
俺は決して『そんなところで寝ているお前も悪いだろ』とは言わない。
理由は、以下同文。
「お、お、お、おっぱいって! 妹に向かってなんてことを言っているの!」
俺はまたペシンと叩かれた。
「だからその件は悪かったって。許してくれよ」
「それ以外は?」
妹の目が急にマジになった。
え?
由良とご飯食べただけでそんなに怒るの?
そもそもお前が勝手に断って家に帰ったじゃん。
「お兄ちゃん。今、『私が勝手に帰ったんじゃん』なんて思っていませんよね?」
千歳が都合よくテーブルに置いてあったコーラの瓶に手をかける。
やめろ、それで殴られたら流血しちゃう。
ていうかなんで敬語?
「そんなこと思っていません、はい。俺が全部悪いです」
だから、頼むから瓶を置いてください、千歳様。
「そうですか。じゃあ、お兄ちゃんは今後、私以外の女の子と二人きりで遊んじゃいけません」
千歳は俺に指を差しながら高らかに宣告した。
「は? それはあんまりだろ。お前、お兄ちゃんに彼女作んなって言ってるの? 結婚するなって言ってんの?」
「い、いいじゃないですか、お兄ちゃんは、そ、その……その……」
千歳が急にも指をもじもじし始めた。
「お兄ちゃんは何?」
俺が聞き返しても千歳は口をパクパクさせるだけで声を発しない。
千歳はどうしてこう、肝心なところはいつも言わないんだ。
「おい、なんなんだよ?」
俺はじれったさに耐えられなくなり、千歳を急かしてしまう。
いつの間にか攻守が入れ替わっていた。
すると、千歳は急に目を釣り上げて俺を見てきた。
え? なんで怒った?
三日天下だった。
「おい……千歳?」
千歳はなにも言わずに自分の部屋に閉じこもってしまった。ご丁寧に鍵まで閉めて。
結局扉越しに千歳に謝って、布団に入ったのが夜の2時。
そして今が夜の3時。
俺はこんな時間に電話をかけてきた青山さんのせいで起こされた。
「どうしたんですか? こんな時間に」
『どうしたんですか。じゃないわよ! あんたちょっと事務所に来なさい』
「今何時だと思ってるんですか。始発動いてからでいいですか?」
『い、ま、す、ぐ! 来なさい!』
「はいっ!」
反射神経的に見えない相手に敬礼する。
ここ一ヶ月で学んだ。
電話越しで冷たい声がした時の青山さんはガチで怖いと言うことに。
パーカーを羽織って、俺は部屋着のまま家を飛び出した。
事務所に着くと早々、誰もいない会議室に案内された。
ガチャ。
俺を部屋に入れると、青山さんは後手で鍵をかけた。
「あの、これは一体どう言うことですか……」
「こっちが聞きたいわよ!」
え、なんか初手から超キレてる。
すると、青山さんは一枚の封筒を差し出してきた。
「今朝発売予定の週刊誌の原稿よ」
俺は封筒を受け取ると、中の記事を取り出した。
「え……」
俺は見出しを見ただけで絶句した。
『人気アイドルグループ、3LDKの秋月由良、熱愛発覚⁉︎』
そして、その記事に映っている写真の男は紛れもなく俺、だった。
「これは、どう言うことですか」
「こっちが聞きたいわよ。この写真、どう見てもあなたよね?」
「……はい」
記事にはこう書かれてあった。
『国民的アイドルグループ、3LDKのメンバー秋月由良さんが都内のレストランで男の人と密会しているところを激写! 相手はまだスーツを着こなせていない新入社員か?』
スーツを着こなせていなくて悪かったな。
「この記事が今日の6時に世に出回るわ」
「でもこれは昨日、俺と由良がご飯食べただけで……青山さんも知っているでしょ?」
「もちろん、でもスーツ着た男性とアイドルの由良が二人でご飯を食べている姿を見て、普通の人はどう見ると思う?」
「…………デート?」
「そう言うことよ」
「うわあああああ」
俺は言葉にならない叫びをあげながら頭を抱え地面に崩れ落ちた。
これは大変なことになった。
『責任とって……』の案件じゃないか。
「とりあえず、事務所としては『二人は友人関係』というコメントを出すわ。でも問題は由良の親御さんの方なのよ」
「親御さんにも二人は友達関係で通せばいいんじゃないですか? 嘘を言っているわけじゃないんだし」
「あのね、未成年の娘を一人上京させて、それで熱愛発覚しましたで、電話対応で済むと思っているの?」
足を組んで座る青山さんは、一本のタバコを取り出すと火を点ける。
会議室って禁煙じゃなかったっけ?
「それって……」
「明日から二日、由良のスケジュール全てキャンセルにしたから二人で親御さんのところに説明しに行きなさい。もちろん今回は領収書受け取らないから」
「そんな。お願いします。青山さん、大学生にタダ働きはきついでござる」
おっと、動揺のあまり口調がおかしくなってしまった。
俺は青山さんの前に正座をし、両手をスリスリして必死に拝み倒す。
「……はぁ。まぁ今回は私の監督責任もあるから、特別に、ほんと特別に、このカード持って行きなさい」
そう言って青山さんは黒いカードを俺に差し出してきた。
これは、夢にまでみたブラックカード‼︎
重い!
「やっほい! さすが青山さんです。さすあお!」
「変な略し方しないで。後でちゃんと明細見るからね。それ、会社のカードだから変なことに使ったら全部筒抜けよ」
青山さんがギッと俺を睨んで釘を刺してくる。
「わ、わかりました」
なぜかわからないが敬礼で応えた。
生存本能というやつだろうか。
「ところで、由良の実家ってどこですか?」
「福岡」
その言葉と同時に会議室のスプリンクラーが作動し、青山さんの手にあるタバコは瞬時に消えた。
そして震える水浸しの青山さん。
完全に自業自得なのだけど、火種がこっちに飛んで来る前に俺は、会議室を逃げるように後にした。




