第3話
夜中に、私のスマホが鳴った。
女の勘というか予感というか、そんなものに従ってスマホを手に取ってみると、アプリからの通知で、彼氏からのメッセージが届いたと知らせていた。
「……何かな」
こんな夜中に返事があるというのが、どうにも気になる。
今日は土曜で、……いや、もう日付が変わっているから日曜か。学校が休みではあるので、だから夜更かししていても別におかしくはないのだが、ともあれ、
「えっと、何かな……。……え?」
チャットアプリには、彼氏からのメッセージが、いや、元彼氏からのメッセージが踊っていた。
『別れよう』
短くそれだけ。
「……意味わかんない。なんで?」
口から出た疑問そのままをチャットアプリに打ち込んで、送信する。
返事がすぐに届いた。
『俺じゃこころを幸せに出来ないってわかった。だってこころには、あんなに素敵なお兄さんが居るじゃないか。俺じゃ叶わないよ』
その言葉の意味を、私はよく理解出来ない。だが、私がフラれたっていうのは明確な事実としてわかった。
愕然とする私は、されるがまま、なされるがままに抱きしめられた。
「大丈夫だ、こころ。泣きたいなら泣けばいい。朝になれば気分もスッキリしてるはずだ」
穏やかな兄の声と腕とに包まれて、私は、
「いや、別に泣かないけど。……でも、うん、お兄ちゃんありがとう」
心地良い気持ちの中、眠りに落ちた。
***
「ねえ、なんで昨日の夜はお兄ちゃんが私の部屋に……というか今もだけど何でここに居るの?」
「あはは、なんでだろうねえ? ……というか、その握り拳は下ろそう? 結構痛いんだよ?」
あまりに自然なこと過ぎて、というか中学生までは一緒に寝ていたのだ。
だから私は、翌朝目を覚まして目の前に微笑んでいる兄の顔があるのを認識しても、しばしの間はそれをおかしいと思わなかった。
だが、意識が次第にハッキリしてくると、やっぱりその違和感に気付く。
だから、意味はあまりないとしても、兄を問い質さずには要られないのだった。
返答次第では、グーで殴るのも辞さないぞという意志表示もしていたのだが、あまり効果はないように思う。
何か道具を使うべきだろうか、と思案し始めたところで、
「あの、こころ……? 目が笑ってないよ? 何か良からぬことを考えていそうな雰囲気があるけど、そういうのはちょっとおすすめしないなあ」
私の拳を使うと兄も痛いだろうが、私も痛い。
だから、枕を使って一通りストレスを解消した後、私はスマホのアプリを起動する。
すると、例の元彼氏からのメッセージが丁度届いた。
『昨夜は、ごめん。会えなくて不安になっちゃって。でも、もう大丈夫。やり直そう』
そのメッセージを見て、私の心は一気に晴れた。
「これはもしかして……攻略成功?」
「楽しそうだね、こころ。……それって、最近女子高生の間で話題だとかいう、高度なAIを搭載したチャットメインの恋愛スマホゲームだろ? 最初から言ってくれれば、あんなに嫉妬もしなかったのに」
「……恋愛ゲームを嬉々としてやってるところを家族に見られたくないっていう、そういう女心くらいは察して欲しいんだけど。お兄ちゃんだって、逆の立場だったら恥ずかしいでしょ?」
言ってはみるものの、
「いや、こころ相手ならば恥ずかしいことは何もない。むしろ、こころ相手に十八禁なあれやこれやをすることも厭わない」
「……お兄ちゃんサイテー。あーもう、私は彼氏に癒してもらおっと」
そうして私は、アプリを起動してAI彼氏との高度な会話を楽しむのだった。
知らずニヤついていた私の姿を横目に、兄が、
「なあ、知ってるか? そのアプリってさ、高度なAIが返答してるっていう触れ込みだけど。実は現実の男女がアプリで繋がって会話してるっていう噂があってだな?」
「……噂は噂、でしょ?」
なんだろうか、何か、妙な予感というか、これから兄が何を言おうとしているのか、何故だかわかるような気がする。この先は、出来ることなら聞きたくは、
「でもな。俺の会社でも、こころがやってるのと似たようなチャットメインの恋愛スマホゲームが流行っててだな?」
うんうん、それで? まさか、私のチャットの相手が兄だったとか、まさかそんな馬鹿みたいな確率と話がある訳が、
「論より証拠。これが、俺がやってるゲームのチャット部分ね。ほら、見覚えのある文じゃないか?」
兄が見せるスマホのアプリ画面には、
『別れよう』
『……意味わかんない。なんで?』
『俺じゃこころを幸せに出来ないってわかった。だってこころには、あんなに素敵なお兄さんが居るじゃないか。俺じゃ叶わないよ』
見覚えのありすぎる文面が並んでいた。というか、
「あのさ、このあたりの文は夜中に来たんだよ? お兄ちゃん、別にその時スマホいじったりとかしてなかったじゃない?」
それは、最後の疑問にして抵抗だ。だが、
「いや、俺この『別れよう』ってのと、『俺じゃこころを幸せに出来ない~』って文はさ、昨日の昼のうちに打ってるんだよ。でも、そのあたりが高度なAIの仕様? とかいうのじゃないの? 内容から判断して夜中に届くようにアプリ側で調整してたとかそういうのだと思う。……あるいは、ただ単にサーバー側の不調でメッセージの受信が夜中になっただけ、とか」
身も蓋もない、でも説得力しかない説明だった。
私は肩を落とし、無言でアプリをアンイストールしようとして、けれども兄に腕を掴まれた。
「おい、何しようとしてんだよ」
「……いや、お兄ちゃんとのチャットでドキドキしてたのかと思ったら急に冷めてさあ」
「むしろ俺の方は昨日までは冷めてたけど、今は俄然ドキドキしてる。だから頼む、アンインストールなんてしないでこれからも続けよう?」
「……お兄ちゃんはさ、妹と恋愛ごっこみたいなチャットして楽しいの?」
それは、核心を突く質問のはずだった。だが、
「楽しいぞ? むしろこころ以外の誰とこんなチャットしても楽しめない自信がある」
「なにそれ、まるでお兄ちゃん、私のこと本気で好きだとかそんな気持ち悪い、」
「こころッ! 気持ち悪いなんてことある訳ないだろう!? 兄妹なんだぞ! これは健全で正常なことなんだ!」
「あ……、ごめんな、さい……」
兄の突然の強い口調に、私は黙る。マズいことを言ってしまった自覚はある。
だがそれ以上に、兄が私のことを本気で好きなのだと気付いてしまったというか、兄がそれを否定しなかったことで、逆に意識してしまったというか。
ともかく、気まずいことこの上ないこの状況。兄が真摯かつ真剣な瞳でもって私をじっと見つめていて、それ故に私の心臓がどんどんと高鳴っていき、むしろ、
「ふむ、黙っているということは、これはOKのサイン……? そうか、こころもとうとう決心が着いたか。なら、いざうぷわぷわぁッ!?」
「お兄ちゃん、ちょっと頭冷やそうか……?」
ズボンを脱ごうとし始めた兄への拳の一撃は、存外に良いところに入ったようだった。床に沈んだ兄を一瞥すらもせず、私は溜息を一つ。
何だか空気も気持ちもこもってしまっているこの状況に風を吹かそうと思って、窓を開ける。
秋の爽やかな、そしてややもすると乾燥気味で肌寒い空気が、湿ったこの部屋に吹き込んでくる。
その空気を吸い込んで、私は、
「お兄ちゃん。……私に彼氏が出来ないのはお兄ちゃんのせいでもあるんだからね? でも、きちんと責任取ってくれるっていうのなら、ちょっとは考えないこともないかなって、」
あれ、私は今、何を言った?
ほとんど無意識に近い感覚で出てきた私の本心とも言うべき言葉に、
「それは本当か!? そうかそうか、この兄以上の男なんてそうそう居ないからな。……俺たち兄妹は図らずも両想いだった訳か。うん、これは素晴らしい」
むくりと起き上がって、そんなことを言っている兄を、私は努めて無視することで対応する。
窓の外のひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込んで、私は窓から見える日曜の朝の街の光景を楽しむ。
頬の火照りが収まって、胸の鼓動の高鳴りが静まるまでこうしていようと、私はそう決めた。
だが、私の背に寄り添うように兄が後ろから抱き締めてきて、頬の火照りも胸の鼓動も、どちらも最高潮にまで上がっていく。
そして兄が、私の耳元で囁いた。
「好きだ、こころ」
その真っ直ぐな兄の愛の告白に、私は頬どころか耳まで真っ赤になりながらも、必死に答えた。
「あのね、お兄ちゃん。私、――――」
私がなんと答えたのか、それは皆さんの想像にお任せしようと思います、――なんてね?
発作的に書きたくなって書き殴ったに近い、甘いんだか甘くないんだか……なお話でしたが、いかがだったでしょうか?
もしほんの少しでも楽しんで頂けたのなら幸いです。