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鶯の抵抗  作者: 梔虚月
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06 身代わり地蔵

「政信議員の殺害を企てた兼久は、盗んだ銃の暴発で亡くなっています。被疑者死亡により事件解決と言うわけですから、皆さんは部屋にお戻りください」

 市警察の貞治は、不安な顔をして玄関ホールで待機していた高平家の身内や招待客に事件のあらましを説明すると、犯人が死んでいるので気にせず部屋に戻れと説得している。

 しかし政信の身内はともかく、予告状の件を知らない招待客は『なぜ兼久が政信氏を殺そうとしたのか?』と、そのことが気掛かりの様子だ。

 私が聞き及ぶ範囲では、現内閣を支持する兼久が抵抗勢力である政信の暗殺を企てた。

 事件は、政治的な謀略ということになる。

「殺害動機については今後、市警の警官が責任を持って捜査いたします」

 眠い目を擦っている署長は、さっさと話を切り上げてベッドで横になりたいのだろう。

 それは政局と関係ない者も同意するところで、階段中程に腰を下ろしていた良夫は大きく背筋を伸ばすと、

「政治家同士の確執が原因ならば、商人の俺とは無関係のようだ。俺は署長のお言葉に甘えて寝るけど、君たちは夜通し署長を問い詰めるのかい?」

 欠伸混じりに公言した彼は、隣室に泊まっている優馬の肩を叩いて、部屋に引き上げようと催促している。

 誘われた優馬も政治家を志しているのならば、兼久の犯行動機に興味があるのだろうが、険しい顔の恵子に顎をしゃくられたので溜息を吐いている。

 犯行動機を根掘り葉掘り聞き出せば、彼女の父親である政信の後ろ暗い秘密に直面するだろうし、それは交際を認めてほしい彼らには得策ではない。

挿絵(By みてみん)

「きっと日が開ければ、僕らも警察に事情を聞かれるでしょう。休めるうちに、ちゃんと休んだ方が良いかもしれない」

 優馬は、先を行く良夫を小走りに追い掛けて自室に戻った。

 それに続いて高平家の家族もヤレヤレといった様子で、連れ立って左手の私室に戻るので、私は廊下を覗いて部屋の位置を確認した。

 彼らの私室は、政信の執務室の真下にある手前の部屋一つを飛ばして、長男の和政、長女の恵子、次女の彩子、そして高平夫妻は廊下の突き当りにある塔の螺旋階段を上っていくので、私室は執務室の並びにあるようだ。

「署長さん、まさか兼久議員は()()()()()()()()()()で、まだ政信議員を疑っていたんでしょうか?」

「貴方、私たちも寝ましょう。そんな話が政信さんの耳に入ったら、華族会館での立場がますます悪くなるわ」

「だってさ、あの件が原因だったら」

「お黙りなさい!」

 玄関ホールには私と貞治のほか、榊原夫妻が残っていたのだが、夫の三徳は兼久の殺害動機に心当たりがあるようだ。

 政信が男寡婦だった兼久の妻の死に、何かしら関与しているとは初耳である。

 気弱な夫は本人の前で確かめるわけにいかず、人が消えるのを待って署長に話を切り出したのだろう。

「それも動機かもしれません。しかし例の件は十年前に()()()()()()()()()話です。今さら犯行の動機になりますかな」

 貞治にも、私の知らない兼久の殺害動機に心当たりがあるようだ。

 十年前に事故死した兼久の妻の死に政信が関与しており、それが深夜に訪問して黄金銃の引き金を引いた訳合いならば、政治謀略とは事情が異なってくる。

 被害者に銃口を向けたのは彼の犯行に揺るぎないが、それでも殺害動機が妻の敵討ちだったとすれば、そこに強い殺意が込められていたと考えるべきだ。

 邪魔者を排除するなんて動機よりも、純粋で明確な殺意が見て取れる。

「署長さん、どうなんですか」

「とにかく兼久が、政信氏を狙って引き金を引いたことに間違いありません。犯人が死んでおるんだから、今夜は大人しく部屋に戻ってください」

 貞治は及び腰になる三徳の背中を叩いて客室の廊下に押してやると、私を横目で見て『少佐も』と、道を譲って部屋に戻れと言いたげだった。

「署長さん、十年前の事故というのは?」

「高平家が城を移築した十年前、政財界の友人を招いて盛大なお披露目を行ったんです。兼久――大坪田夫妻も招待客だったのですが、ふらりと城を出ていった彼の妻が足を滑らせて崖から転落死したんです」

「兼久の妻は十年前、政信氏に招かれた屋敷で転落死していた。何の疑いもない事故であれば、なぜ彼は政信氏を恨んでいたんです?」

 寝巻きの浴衣を整えた貞治は、寝癖のついた髪に指を通して溜息を吐いた。

 署長が『逆恨みでしょう』と、自室に向って歩き始めたので、その肩を掴んで呼び止めると、さすがの彼も険しい表情で振り返る。

「十年前の件は、事故死で間違いないんです。朝が早ければ、いい加減に寝かせてもらえませんか」

「なぜ断言できるのですか」

「そりゃあんた、私が検分した事件だったからですよ。ここに招待されたのも、そのときの縁ですからな」

「署長さんは、兼久の妻が亡くなった件を担当していたのですか」

「兼久にとっては、最愛の妻を亡くした悲しい事故だったと思いますが、事故当時に屋敷にいた関係者のアリバイは完璧でした。他殺だったとしても、政信氏が殺したなんて有り得ませんぞ」

 貞治は『私が調べたんだ』と、そこを疑えば彼自身を疑うことになる。

 これからの捜査の進展を考えれば、市警察の署長と仲違いするのは控えた方が良いし、兼久の殺害動機が妻の死に端を発していたならば、その殺意の矛先には、人の良さそうな署長だっていたかもしれない。

 軍刀を杖に彼を追いかけるように自室の前に立った私は、部屋のドアを開ける署長に問いかける。

「署長さん、最後に兼久の妻の名前を教えてください」

 貞治は室内の天井を見上げると、古い記憶を手繰り寄せているようだ。

大坪田(おおつぼた)貴子(たかこ)です」

「貴子ですね」

 私は念を押したが、貞治は無言のまま部屋に消えた。


 ※ ※ ※


 部屋に戻ってベッドに横になれば、さすがの私も睡魔に勝てなかった。

 それでも新たに得られた情報は、事件の印象を覆すのに充分であり、これを捨て置いて寝てしまうのが惜しい気がする。

 なぜなら祝宴には、政信に殺意を抱く容疑者が集められているのだが、逆に考えれば招待客は政信にとっても、消えてなくなれば都合が良い相手と言うことだ。

 盗まれた黄金銃の七つの弾丸は、奇妙にも屋敷に招待された容疑者と同じ数で、その弾丸の一つで招待客である兼久は死んでしまった。

 市警察の貞治は、押込み強盗の仕業に見せかけるために、死んだ議員が残り六つの弾丸を隠匿したと推理しているが、私には生き残っている六人の招待客に使用されるのではないかと、漫然とした不安が脳裏を過る。

 その一人には、私自身も含まれているのだろうか。

 いや、違うな。

 私は黒羽少佐の代理で参加している異分子に過ぎないので、もしも私に銃口が向くことがあれば、凶弾に倒れるのは満州に残った少佐だったはずだ。

 私は暗い部屋で上体を起こすと、顔を手で覆い隠して憤る。

「少佐は何か勘付いて、私に身代わりをさせたな。私ならば殺されないと踏んで、自分の影武者を送り込んだのか」

 私の上司は抜け目がない。

 ここまでの展開を予期していたとは思わないが、殺害予告を送りつけられた政信が容疑者を招いて祝宴を催すと、少佐にも招待状を送っている。

 上司は自分も容疑者の一人として疑われていると考えたならば、返り討ちを警戒して代理を立てるくらいの知恵者だ。

 私も大概だが、常に意味深長な上司の言動を好かない。

 再びスプリングの効いたベッドに横たわると、久々の内地勤務を二つ返事で引受けたものの、私に与えられた任務が一筋縄でいかないことに後悔した。

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