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鶯の抵抗  作者: 梔虚月
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05 殺戮本能

 美しく鳴くウグイスという鳥は、ともに初夏の訪れを告げる渡り鳥の不如帰ホトトギスに托卵されると、自分の卵と見分ける術がないらしい。

 山奥に佇む鶯の巣では今、不如帰に産み落とされた一つの卵が羽化しようとしている。

 鶯の卵より先に羽化した不如帰の雛は、宿主の卵を全て巣外に落として殺戮すると、巣立ちの日まで仮親の寵愛を独り占めしてしまう。

 托卵された鶯の卵は、たった一羽の不如帰の雛により根絶やしにされる。

 托卵された鶯には、もはや抵抗する手段がないのだ。

 だから鶯は――


 ※ ※ ※


 時間は少しだけ遡る。

 夕食を終えた私たちは、それぞれの部屋に戻ることになり、高平家の者は家族の私室がある屋敷の左手に、客室一階を宛てがわれた私、貞治署長、榊原夫妻の四人は右手に、残り三人は中央塔の階段で別れた。

 最初に騒ぎがあったのは半時経った頃、部屋を訪ねてきた署長に呼び出された私が玄関ホールに戻ると、そこに高平夫妻が顔をしかめて立っており、応接室に飾っていた黄金銃と七つの弾丸が見当たらないと言うのだ。

「黄金銃が、招待客に盗まれた――と言うことでしょうか?」

「いや、その可能性は低いと思いますな。屋敷の中から応接室に向かうには貴賓室を通り抜けねばならないのですが、そこには食事の後片付けをする下働きがおりました。上げ下げ窓の一ヶ所が開いており、犯人はそこから侵入したと思われます」

「では外部の犯行なのですね」

「まあ、あの金ピカの銃は目立ちますからな。状況証拠では、物取りの犯行と考えるのが筋でしょう」

 私の疑問に答えた貞治は、口髭を撫でながら難しい顔をしている。

 事件が発覚したのは、食器の後片付けをしていた下働きが、応接室の窓が開いているのを不審に思って見渡して、ガラスケースに飾られていた黄金銃が無かったことに端を発する。

 それを節子に報告したところ、夫人が執務室で仕事をしていた政信を伴って署長の部屋を訪ねたらしい。

「しかし殺害予告がある屋敷で、銃が盗難されるとは気になりますね。武器を取り上げられた我々には、犯人に銃口を突きつけられても抵抗する手段がない」

 招待客は拳銃など武器一切を入口で長女の恵子に取り上げられており、全員が丸腰であれば一先ず安心と考えていたものの、黄金銃や弾丸が予告状を送りつけた犯人の手に落ちたとすれば、丸腰でいるのが恐ろしい。

 とはいえ護身用に拳銃を戻せとは、本末転倒で言えるわけがない。

「少佐、それは心配いらん。招待客の荷物は恵子が入念にチェックしておるし、私たち家族の拳銃も奪われかねないので娘に預けた。預かっている拳銃などの武器は、金庫に保管して厳重に管理している。お目こぼしは、少佐の刀だけだよ」

 私の心配をよそに、政信は落ち着き払っている。

「だからこそ盗まれた銃が、気掛かりではありませんか?」

「黄金銃はキリスト教のカテキズムをモチーフにした単なる美術品で、実弾が発射できない作りになっている」

 政信の説明では、盗まれた黄金銃の銃口は鉛で塞がれており、引き金を引いても弾丸が発射できない。

 それに銃を装飾している黄金がメッキであれば、大した被害でもないと言った。

「黄金の輝きに目が眩んだこそ泥も、地金が鉄と知ったら臍を噛むだろう。君たちも部屋で寛いでいたところ、こんなことで騒がせてすまなかったね」

 政信は『被害届けは出さない』と、急いで署に連絡しようとする貞治を制止した。

「私は構いませんが、早く手配しないと犯人に逃げられてしまいますぞ」

「大した価値のない品の盗難で、警官に邸内を荒らしてほしくない。それに招待客を夜中に叩き起こして、市警に事情聴取させるわけにもいかん」

「ですが――」

()()()()()()()と、言っておるのがわからんのか。議会の閉会中に警察が屋敷に踏み込んだとの醜聞が広まれば、政治家として命取りになりかねん。招待客には、私の議席を狙っている三徳や兼久もいるんだぞ」

「まあ……そういうことであれば、警察は届けのない事件を捜査できませんからな」

 政信の言うとおり、黄金銃が詰め物のされた美術品であり、資産家にとって値打ちがない品と言うのであれば、招待客に足を掬われる事態を避けたいのだろう。

 彼は招待客の犯行ではないと言っているが、二階の客室にいる兼久、良夫、優馬はともかく、一階の奥まった客室にいる榊原夫妻ならば、窓から抜け出して応接室の黄金銃を盗むことが出来たはずだ。

 応接室の出入口は一つだが、窓からの侵入であれば三徳と朱美は窃盗の容疑者である。

 しかし黄金銃を奪われた当の本人が、散会を呼びかけているのならば、この騒動は私と署長の胸に納めるしかなかった。


 ※ ※ ※


 部屋に戻った私はその後、机の引き出しから予告状を取り出して、持ち込んだ新聞を机に広げる。

 私に与えられた任務は、予告状を送りつけた犯人を特定して事件を未然に防ぐことであり、盗まれた黄金銃の捜索ではないと自分に言い聞かせた。

 時計の針は0時を過ぎていたが、仮眠していたせいで眠気はない。

 それでも卓上の灯りで活字の拾い出しに集中していたので、目の奥がちりちりと痛んできた頃、窓の外枠に不如帰がとまり羽を休めにきた。

 目の合った鳥に急かされた気がした私は灯りを落とすと、上着だけを脱いでベッドに横になる。

 暗い森と同化した鳥の気配は、しばらく窓の外から室内を覗き込んでいたようだが、気を逸した隙に羽音を残して飛び退った。

 目を閉じた私は遠くに聞こえる鳥の鳴き声で、高平家の書生だった優馬が『もうしばらくの辛抱です』と、祝宴前に恵子を諭したのを思い出す。

「優馬くんは、恵子さんに何を諭したのか」

 言葉通りの訳合いならば、鶯の巣に托卵が終われば不如帰も鳴き止むと言っているに過ぎない。

 そうでなければ、二人の交際を反対している政信が、間もなく殺されることを暗示しているとも考えられる。

 容疑者の言葉遊びに頭を悩ませても取り留めが無いのだから、答えの出ない自問自答を終えようと思ったとき、


 ドンッ!


 一発の銃声が屋敷に鳴り響くと、驚いた鳥たちが暗い森から一斉に飛び立ち、虫の音も止んで周囲に静寂が広がった。

 静寂に包まれた室内に風と虫の鳴く音が戻ってくると、続いて耳を劈くような節子の叫び声が聞こえた。

 飛び起きた私が軍刀を手にして玄関ホールに向かうと、おそらくは一番乗りで到着したので、右手の客室から高平家の私室に向かう者、その逆に高平家の私室から客室に逃げる者がいないか、ホールから中央塔の吹抜けを見上げて目を光らせる。

 銃声が政信を銃殺したものであれば、容疑者の動静に注意を払う必要があるからだ。

「少佐ッ、今の爆音は銃声か!?」

「ええ、あれは銃声でしょうね」

 私に遅れること刹那、貞治が着崩れた浴衣を整えながら一階の廊下に姿を見せる。

「現場は?」

「犯人が予告状を送りつけた者なら、政信氏の寝室か二階の執務室だと思われます」

「では、私が見てきます」

「署長は容疑者の行き来がないか、ここで見張ってください。犯人が銃を所持しているなら、丸腰で近付くのは危険です」

 軍刀の鍔を指で浮かせた私が螺旋階段の手すりを握ると、二階の踊り場から身を乗り出した夫人の恵子が『誰か来て!』と、動揺した様子で声を張り上げた。

 事が急を要する事態であれば、なりふり構っていられない。

 手すりを放した私は、上階で膝から崩れる夫人を支えるために駆け寄り、すんで落下するのを助けると、背中に回した腕で床にゆっくり寝かせる。

 それから軍刀の柄に右手を添えて、鞘を握った左手の親指で鍔を軽く押し上げた。

 犯人と対峙しても間合いにさえ踏み入れば、抜刀術の心得があるので軍刀でも銃に勝ち目がある。

「政信氏はどちらに?」

「しゅ……主人は執務室にいます」

 踊り場の奥を指差した恵子は、騒ぎを聞きつけて客室の二階から駆けつけた優馬と良夫に介抱を頼んだ。

 一階の玄関ホールを見下ろせば、榊原夫妻、それに政信の三人の子供が貞治に事情を問い質している。

 二階の客室にいるはずの兼久の姿は、踊り場にも玄関ホールにも見えない。

「犯人は、貴院議員の兼久か」

 廊下の窓からの射し込んだ青白い月光で、執務室までの廊下に人影がないことを確認すると、閉じかけている執務室のドアを足で軽く蹴飛ばして開いた。

 大きな執務室に座っている政信は、床に視線を落として青ざめているが、私に気付いて顔を上げたので、どうやら殺されていない様子である。

 ランプの灯りだけで薄暗い室内に入れば、応接室セットのテーブルに置かれた灰皿で紙巻きが紫煙を燻らせていた。

 こんな深夜に、執務室に来客があったのだろうか。

「彼は突然、私に向けて発砲してきたのだ……私が止めたのに、彼は自ら引き金を引きおった」

 政信が視線を落としていた先を見れば、ソファの影に兼久がうつ伏せに倒れており、爪先で小突くがぴくりとも動かない。

 毛足の長い緑の絨毯ラグマットに顔を押し付けている彼の周囲には、黒くぬめりのある血痕がじんわり広がり、右手には盗まれたはずの黄金銃が握りしめられている。

挿絵(By みてみん)

 容疑者の一人だった貴院議員は、銃口に鉛の詰まった黄金銃の暴発で死んだらしい。

「政信氏、なぜ兼久がここに?」

 胸のハンカチーフで汗を拭った政信は、震える指でオイルライターを着火すると、パイプの火皿に入れた煙草を炙る。

 狼狽えている彼が、煙草で一服したい気持ちは理解できる。

「兼久が『酔が覚めたら部屋に行く』と言うので聞き届けたが、まさか深夜に訪問してくると思わなかった」

 政信の話を聞けば、大勢派の方針に懐柔しようと執務室に訪ねてきた兼久が、話もそこそこに銃口を突き付けてきた。

 政信は黄金銃を見て引き金を引かぬように説得したが、本性を顕にした兼久は忠告を聞き入れず、狙い澄ました顔の側で暴発した弾丸により絶命したらしい。

「殺害の予告状を送りつけたのは、兼久だったのでしょうか。もしも彼が脅迫した犯人だとすれば、引き金を引く前に何か口にしませんでしたか?」

 政信は『何も』と、即答して首を横に振った。

「兼久が脅迫していた犯人なら、七つの罪源を戒める黄金銃により、奇しくも返り討ちにあったわけですね」

 殺害予告の容疑者を屋敷に招待している政信は、人が寝静まった深夜に招待客と二人きりになるのが、どれほど危険なのかわかっていただろう。

 危険を承知で会っているならば、相手の誘いを断れなかった裏の事情があるのかもしれない。

 被害者は容疑者を追い返すことも出来たのに、そうしなかったことが腑に落ちない。

「少佐、なぜ兼久議員が倒れておるんですか?」

「兼久は、既に亡くなっています」

「いや、しかし……、これはどういうことだ」

 貞治は屋敷にいる者を玄関ホールに集めて待たせると、政信の執務室に駆けつけたようだ。

 予告状の件を知っていた署長は当然、政信が殺されたと考えていたので、兼久が死んでいるのを見て混乱している。

 私から事情を聞いた署長は、殺害予告を送りつけた兼久が、予告どおり犯行に至ったのだろうと推理した。

「しかし署長さん、兼久の犯行が成就していたのなら、彼はどうやって言い逃れるつもりだったのでしょうか?」

「少佐には、わかりませんか。政信氏の殺害に用いようとしたのは、屋敷の応接室から盗まれた黄金銃です。兼久は政信氏を殺害した後、銃を窓から捨ててしまえば、窃盗犯の仕業と見せかけることが出来ます」

「我々が駆けつける前に兼久が執務室にいたとしても、それは遺体の第一発見者に過ぎないということですか」

「少佐は、さすが優秀な憲兵ですな。私の見立てを、ちゃんと理解されている」

 貞治は得意げな表情で口髭を撫でながら、夜が明けたら二階の客室にいた兼久が、応接室の窓から侵入して凶器を持ち出した経緯を検証しようと言った。

 兼久が真犯人であれば、盗み出せない黄金銃での犯行、その謎こそが言い逃れるために用意されたトリックに他ならない。

「君たちは、殺されかけた私に配慮がないのかね。私が殺される、殺されたと、名前を連呼されて気分が悪い」

「これは失礼しました。まあ犯人は銃の暴発で亡くなってしまいましたし、市警には夜明けを待って連絡いたしましょう。市警が到着するまでは、皆さんお休みになられて結構です」

 政信が部屋を出るとき、貞治が現場を保存するので執務室の鍵を預からせて欲しいと伝える。

 彼から鍵を預かった署長は、被疑者死亡により殺害事件は未遂に終わったと信じているようだ。

「署長さん、ちょっと良いですか。これを見てください」

 私は兼久の握っていた暴発でリコイルシールドの壊れた黄金銃を取り上げると、回転弾倉を左下に振り出して署長に渡した。

「少佐、証拠品に手を触れてはなりませんぞ」

「弾倉には七発の弾丸が込められるのですが、そいつには暴発した一発しか弾が込められていません。兼久が政信氏を一発で仕留められるほど銃の扱いになれていたなら、銃口の詰め物に気付かなかったのはおかしい。どうです、奇妙だと思いませんか?」

 黄金銃の回転弾倉には、弾丸の落下防止のため背後にリコイルシールドが設置されていたが、鉛の詰まった銃口に発射された弾丸が行き場を無くして、そこを破壊すると兼久の目の前で暴発した。

 私が剥き出しになった回転弾倉を覗き見たとき、そこに込められているだろう黄金銃とともに盗まれた残りの弾丸がないことに気付いた。

「確かに奇妙な話ですが、残り六発の弾丸も金ピカですからな。政信氏の殺害を強盗の仕業に見せかけるなら、犯人が黄金の銃弾を持ち去らないと矛盾します」

「なるほど、署長さんの言うとおりだ」

「しっかりしてくださいよ」

 貞治は『優秀な憲兵』の前評判に疑念を感じているようだが、彼は失念しているのだろうか。

 政信に招待された者は七人で、盗まれた弾丸は七つである。


 ※ ※ ※


 托卵された鶯の卵は、たった一羽の不如帰の雛により根絶やしにされる。

 托卵された鶯には、もはや抵抗する手段がない。

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