02 七つの原罪
黄金銃はキリスト教のカテキズムに影響された美術品で、一緒に飾られていた七つの弾丸は、それぞれ暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬の七つの死に至る罪を表していた。
そして黄金銃の暴発で死んだ貴院議員の兼久は【嫉妬の弾丸】で、射殺された実業家の良夫は【強欲の弾丸】で殺されており、これが真犯人の意図したものであれば、残り五つの弾丸で裁かれる死に至る罪を犯した者は、暴食、色欲、憤怒、怠惰、傲慢の五人である。
岩壁の言うとおり、たまたま良夫の殺害に強欲の弾丸が使用された可能性、また真犯人は高平家の者であり、招待客の七人が被害者だと暗示することで、高平家に濡れ衣を着せようと演出されているのかも知れない。
これが真犯人の演出であれば、兼久に使用されたのが、嫉妬の弾丸だったことには首を傾げる。
なぜなら嫉妬の罪を背負うのは、同期の貴院議員を妬んでいる落選議員の三徳が似合いで、挙国一致を突き進む現内閣に抗わず軍門に下った兼久は、怠惰の罪が相応しいと思うからだ。
それに暴発した黄金銃に込められていた嫉妬の弾丸が、政信を狙ったものだったとしても、それはそれで虚飾に満ちた彼は、傲慢の罪に裁かれるのが適当だろう。
「捜査の撹乱が目的ならば、岩壁刑事のように深く考察する必要がないのだが……。何事も捨て置けないのは、私の悪い癖だ」
私は応接室の書棚から英訳されたダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』を拝借すると、自室に持ち帰って机に向かった。
叙事詩『神曲』は地獄篇、煉獄篇、天国篇の三部で構成されており、作者であり主人公のダンテが地獄、煉獄、天国を旅する長編叙事詩で彼の代表作となっている。
七つの原罪が登場するのは煉獄篇であり、煉獄は永遠に救われない地獄と異なり、犯した罪を悔い改める余地がある死者が罪を浄める場所だった。
煉獄で浄められるべき七つの大罪を背負ったダンテは、煉獄山を下層から登ることで罪が浄められて、旅の最後はベアトリーチェに導かれて天国へと昇天する。
真犯人は七人の招待客をダンテに見立て、ベアトリーチェを気取って七つの弾丸を用いて罪を浄めるつもりなのだろうか、あるいは私や警察が、そう勘繰るように仕向けているのか。
私には真犯人が人殺しを正当化するため、黄金の弾丸を使用して兼久や良夫を殺害したように感じる。
兼久は嫉妬の罪で、良夫は強欲の罪で、黄金の弾丸で浄められて当然だと、そのようなに自己主張しているのではないだろうか。
「真犯人は善行を成していると考えており、被害者を手にかけても罪の意識に乏しい。どんな残忍な手段も、どんな非道な訳合いも、被害者の罪を浄めてやることが善行だと信じている」
事件を裏で操る真犯人の心情を読み解こうとすれば、その冷酷さに背筋が凍るようだ。
この先も事件が続いて被害者が出れば、黄金の弾丸に隠された犯行動機も解明するのかもしれない。
ただそれは、さらなる被害者を欲するに等しく、凶弾に倒れる被害者が彩子や他の招待客かもしれないと思えば、真犯人が罪を重ねる前に身柄を確保しなければならなかった。
※ ※ ※
夏になれば日の入りが遅く、十六時を回っても窓の外が明るかった。
つい先月までは夕暮れ時、移りゆく時間の流れを感じると、早く事件を解決したいと焦りが募る。
関東軍憲兵隊の私には、内地の事件を捜査する時間が限られているからだ。
そんなことを考えながら、私が邸内をくまなく探していると、長女の恵子に立ち入りを禁じられた屋敷左側の廊下で、神妙な顔で話している節子と彩子に出くわした。
私が声をかければ、母親は招待客や身内に犯人がいるかもしれないので、娘に用心するように話していたらしい。
ここが人里離れた山奥の古城であり、犯行に使われたのが黄金の弾丸なのだから、良夫を殺したのが外部の犯行ではないと、捜査に参加していない母親だって考えているだろう。
まして警察は事件の発覚直後、屋敷にいた者を貴賓室に集めてアリバイを確認しており、その中に良夫殺しの犯人がいると決めつけている。
「少佐は、誰が犯人だと思います?」
彩子が立ち去ろうとした私の袖を引いて、不安な顔で聞いてきた。
自分が犯人でないならば、命の危険を感じて当然で、誰の犯行なのか気になるのも仕方がない。
しかし事件が十年前に端を発しているのならば、まだ子供だった高平家の兄妹や優馬が狙われる可能性は、少ないように感じられる。
あくまで可能性の問題なのだが――
「いえ、まだ誰の犯行なのかわかりません。しかし彩子さんには、殺される訳合いがないのでご安心ください」
母親の節子は、怯える彩子に気休めを言った私の顔を訝しげに覗き込んだ。
「娘の彩子には、犯人に殺される理由がない? 少佐は、どうして断言できるのですか」
「犯行動機はわかりませんが、犯人がのべつ幕なし人殺しを楽しんでいるわけではありません。だから彩子さんには、殺される訳合いがないと思うのです」
「少佐が犯人でないなら、なぜ彩子が殺されないと断言できるのでしょう」
どうやら節子は、彩子に殺される訳合いがないと断言した私が、招待客を殺した殺人鬼だと考えたようである。
良夫が殺害されたとき、岩壁と取調室にいたのだから、私が犯人のはずがないのだが、そんなことにも思い当たらないほど疲弊しているのだろう。
「用心に越したことはありませんが、不用意に事件を探ろうとすれば、お嬢さんも狙われるかもしれません。余計な詮索が、死を招く結果になるかも知れないのです」
「ええ……そうでしたわね」
真犯人に彩子や無関係な者を殺害する動機がなくても、犯行を目撃されたり、犯行を言い当てるようなことがあれば、口封じに殺され兼ねない。
私だって確信の持てないうちは、事件の心象や見立てを口にしないのである。
「犯行動機がわからぬうちは、下手に犯人探しに興味を持たない方が安全なのです。もちろん、皆さんは私が全力でお守りします」
私が軍刀で床を鳴らすと、節子も納得したように非礼を詫る。
そして次女の彩子に『部屋の施錠は忘れないでね』と、注意を促した母親は、私に目配せして屋敷の外に連れ出した。
わざわざ二人きりで屋敷の外に出たのだから、子供に聞かれたくない話でもあるのだろう。
彼女は屋敷に振返り、廊下の窓から娘が自室に戻るのを確認すると、目尻を吊り上げて私を睨んだ。
普段の彼女は笑みを絶やさず、気品のある顔立ちで次女の面影と被るところだが、物言いたげに睨みつける表情は、私から武器を取り上げようと、目尻を吊り上げた長女の恵子と瓜二つだった。
「先ほどは不用意に事件を調べると危険だと言ったのに、少佐は今朝、彩子と貴子さんの亡くなった滝を見にいらしたようね」
「ええ、散歩のついでに――」
「彩子を事件に巻き込むような真似は、お止めになって頂けませんか」
節子の言い分はもっともだが、今朝の時点では兼久の死を以て事件が一旦集結しており、黄金銃の暴発で死んだ彼が、事故か他殺か調べていたに過ぎない。
良夫が銃殺されたことで、連続殺人事件だと判明したのは結果論である。
しかし娘の身を案じる母親に気圧された私に返す言葉がなく、憤る彼女に黙って頭を下げるしかなかった。
「それに、あなた何者なんです?」
私の右足に視線を向けた節子は、足を引き摺るのが仮病と疑っているようだ。
昨夜のことを思い出すと、兼久が死んだ執務室を飛び出してきた彼女が、階段の踊り場から足を滑らせそうになったとき、思わず軍刀から手を離して階段を駆け上がっている。
政信が私のことを夫人に話していないのだから、右足の仮病を見抜いたとすれば、膝から崩れる彼女を抱きかかえたときだろう。
咄嗟の出来事で迂闊だったが、それ以上の対処も思いつかなかった。
素人に素性を疑われるとは、甚平のことを笑えない。
私が言い淀んでいると、彼女はため息を吐いてから顔を上げろと言う。
「主人が貴方を黒羽武だと仰るなら何者か問いませんけど、彩子と世帯を持つなら名無しの権兵衛では困りますわ」
節子は私の素性を疑いつつも、彩子との縁談を破棄するつもりがない様子である。
政信は彩子たちの将来を案じる母親が、嫁ぎ先の家柄に拘らないと言っていたが、身分を偽っている私が相手でも良いのだろうか。
ずいぶんと理解のある母親だが、その訳合いを聞けば得心した。
「私と主人は、親の決めた結婚だったんです。主人との結婚は幸せですけど、娘たちには心から好いた男性と結婚してほしいのよ」
「娘たち? しかし恵子さんと優馬くんの交際には、反対していると聞いています」
「私は、二人の交際に反対してないわ。優馬さんの家柄や素性は存じているけど、だからって惹かれ合う男女の仲を引き裂こうと思わない。もちろん貴方と彩子がそうであるなら、私は貴方たちの味方だわ」
節子は遠い目で語ると、私の肩に手を置いて優しく微笑んだ。
彼女の言葉は本心と思われるのだが、その熱意で恵子と優馬の交際を後押ししてやれば、意地を張る政信を懐柔できそうなものである。
「そうでしたか」
「でも私は二人の交際を応援できても、家長の決めたことには逆らえないのよ。主人が兼久さんの甥だった優馬さんを受け入れないなら、私から口出し出来ない。大正デモクラシーで男女平等になったと言われてますけど、当家では家父長制が徹底されてますわ」
寂しげに俯いた節子は『主人は優しいけど』と、夫婦仲を誤解しないように付け加えた。
彼女が娘たちの自由意志を尊重したい気持ちは理解できたものの、一方で政信が頑なに恵子たちの交際を認めない訳合いには、常に腑に落ちない違和感が付き纏う。
「節子夫人が口添えすれば、政信氏も考えを曲げようなものですが」
「私には、そうした相手もいなかったから、娘たちの色恋に憧れも嫉妬もあるのかも知れないわ」
「憧れと嫉妬とは、相反するものではありません」
「少佐は、優しいわ。彩子が、貴方を選んだ理由がわかるわ」
節子は夕食の支度を確認するので屋敷に戻ると、言い残して邸内に消える。
良き妻であり、賢い母親、良妻賢母を絵に描いたような彼女は、この時代にあって理想の女性だと思った。