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鶯の抵抗  作者: 梔虚月
17/29

01 署長の迷推理

 政信には予告状に使用されたのがA新聞の活字であり、招待客の中でA新聞を契約していたのが兼久だけだったと報告した。

 良夫が殺されたので当然だが、予告状を送り付けたのが彼だとしても、事件を裏で操る真犯人は他にいる。

 だから予告状にA新聞の活字を用いることが、真犯人が兼久に濡れ衣を着せるために用意したミスリードの可能性があることを付け加えた。

「では兼久くんは、真犯人に殺された?」

「はい。ただ政信氏の証言が確かなら、兼久は引き金を引く瞬間まで共犯者だったと見るべきです。貴方に銃口を向けた彼は、真犯人に利用されただけの被害者ではありません」

「なるほど。予告状を調布の家に投函したのは、兼久の仕業と考えて良いのだな」

「ええ、真犯人に唆されていた兼久は、被害者とも言えなくはありませんがね。それでも予告状を送り付けたのは十中八九、東京在住で手元にA新聞があった彼の仕業でしょう」

 兼久は黄金銃を盗み出せない状況下で、政信を黄金の弾丸で殺すことで単なる遺体の発見者となり、警察に逮捕されないと考えていた。

 つまり真犯人が彼にそう教唆したので、深く考えず自宅で契約しているA新聞で予告状を作ったと考えられる。

「兼久を唆して、良夫を射殺した真犯人は、いったい誰なのかね?」

 真犯人は黄金銃を盗み出して、兼久に『不可能犯罪だ』と凶器を渡しているので、応接室に飾られていた黄金銃を盗み出せた者である。

 しかし兼久を殺す動機があるのは、現時点で貴子の死後に縁戚関係を切られた甥である優馬、夫の議席を確保したい落選議員の榊原夫妻、彼が予告状を送りつけることで屋敷に招待された三人だった。

 政信が亡くなれば屋敷を購入できると考えていた良夫も、先代からの付き合いがある兼久を教唆できたかもしれないが、彼は殺されているので真犯人ではない。

 真犯人は、兼久の代わりに黄金銃を盗み出せた者、そして兼久と良夫を殺す動機がある者である。

 そうなると良夫の父親である飯田大善と親交があった榊原夫妻はともかく、優馬には良夫との接点が見当たらなければ、与えられた部屋も二階の客室だった。

 自室で寛いでいた私の目を盗んで応接室の上げ下げ窓から侵入できたのは、自室の窓から出入りできる高平家の子供たちと榊原夫妻だと考えれば、良夫との接点がある榊原夫妻が最も疑わしいのだが、彼らが良夫の口車に乗せられていたと言うのは岩壁の憶測でしかない。

「真犯人の動機がわからないうちに、あれこれと口にすれば混乱が生じます」

「うむ」

 それに忘れてはいけないのが、政信がA新聞を取寄せて予告状を作り、殺したい相手を容疑者として屋敷に呼びつけた――自作自演の可能性が否定できないのである。

「しかし予告状を出した兼久が真っ先に死んだ訳合いは、役割を終えたからでしょう。つまり真犯人は脅迫に屈しない政信氏の性格を熟知しており、予告状を使って殺したい相手を屋敷に集めた人物です」

 甚平の指摘したとおり、兼久に良夫殺しの濡れ衣を着せるつもりならば、殺される順番の後先が逆なのだ。

 真犯人は兼久の逆恨みを煽り、協力するふりで政信暗殺の青写真を描くと、幕の上がった舞台から主役の彼を早々に引き摺り下ろしている。

 真犯人にとっては彼も殺したい一人であり、まんまと殺したい相手が屋敷に集まったので、操り人形が臆して口を滑らす前に、まず用済みから始末したのだろう。

「君は、私も疑っているのか?」

 政信は、身も蓋もない台詞で切り返した。

「いいえ、滅相もない。政信氏が真犯人なら、私の上司や署長さんを屋敷に呼ぶはずがありません」

「そうかね……。では、その調子で今後も頼むぞ」

 招待客を人選したのが高平家なので、本来ならば頷くしかないのだが、貴賓室で優馬を張り倒したのを見ていれば、彼の逆鱗に触れるのは得策ではなく、お為ごかしに首を横に振るしかなかった。

 しかし彼にも、政敵とは言え兼久を殺す動機も、屋敷の売却を持ちかける良夫を殺す動機も、今のところ足りないのは確かである。

 それに兼久が、彼の自殺を手伝う義理もない。

「ところで、私を呼び出した用事は何ですか」

 私は捜査を続行すると約束して、政信の顔を覗き込んだ。

 彼は執務室のソファに腰掛ける私の顔をマジマジと見てから、険しかった表情を緩めてパイプをくわえる。

「政信氏?」

「うん、ああ……そうだな」

 私が長く沈黙する政信を急かすと、手招きするのでテーブルに身を乗り出して顔を近付けた。

「黒羽少佐が身代わりに寄越した君は、神戸の黒羽家と全くの無縁というわけではないのだろう? こんなときにどうかと思ったのだが、改めて()()()婿()()()()()と考えておるのだ」

「はあ?」

 私は政信の提案に脱力してソファに深く凭れると、顔色を覗いながら煙草をふかしている調子はずれな彼に呆れた。

「じつは黒羽少佐を屋敷に招いたのは、私が懇意にしている少佐の評判を聞いた妻が、彩子の縁談相手に乗り気だったからだよ」

「節子夫人は、私が少佐の名代だと存じているのですか」

「いいや、彼女には君が少佐の身代わりだと伝えていない」

「では私と彩子さんの縁談は、夫人がお認めにならないでしょう。そもそも私は黒羽家に世話になっていますが、貴族のお嬢さんと釣り合う身分ではありません」

 戦場で黒羽家の家長に拾われた私が、何処の馬の骨ともわからないのは、当人も太鼓判を押すところだ。

 拾われた私が日本語を口にしていたから日本人で、黒羽家が身分を保証してくれなければ、日本人だったのか、そこからして疑わしい出自である。

「妻も平民の出であれば、娘の嫁ぎ先の家柄に拘る女ではない。それに考えてみたまえ、少佐には『妻は本気だ』と前置きして、娘の縁談相手で参加してほしいと連絡すると、少佐は君を身代わりに寄越した。つまり少佐は、君が彩子の婿に相応しいと推薦しているんじゃないのかね?」

「私を寄越したのは少佐の悪戯、政信氏の曲解ですね」

「私は少佐の人を食った性格ならば、さもありなんと思う」

 次女の彩子の歳頃、家柄、可愛らしい容姿、愛嬌のある仕草を考えれば、縁談話に不自由するはずがなく、政信が長女の恵子と優馬の交際に強く反対していれば、突然の申し出に違和感がある。

 よもや私を取り込んで、犯罪の隠蔽に加担させるつもりとの勘繰りもできた。

 なぜなら彼は、市警察の署長である貞治を十年前も今も、祝宴の招待客と同列に扱っているが、それは地元警察の権力を掌握したいためだとも思えるからだ。

「まあ、その話は事件が解決してから改めてしましょう」

 書類封筒を脇に抱えて立ち上がった私は、政信に頭を下げてから執務室のドアを開けようとした。

「妻の節子は、子供たちの将来を本気で考えている。節子は彩子が君を好いているのなら、家柄など気にせず嫁がせたいと思うだろう」

「節子さんが?」

「私と節子は、親が決めたお見合い結婚でね。高平家の台所事情は議員の歳費だけで支えきれず、資産家の娘だった節子を半ば強引に嫁にもらった。だから妻は、私なんかより子供たちの将来に熱心なんだ」

 なぜか政信の言葉には、心に引っかかるものがある。

 その訳合いはわからないが、醜聞を嫌う彼の本音を初めて聞いたからだと思う。

 英国から古城を移築した貴院議員は見栄っ張りで、他人に弱みを握られるのを極端に嫌がる性格だと考えていたが、高平家の内情まで晒して引き留めるほど、私に彩子との縁談を勧めている。

「なぜ、そこまで?」

「君が私の若い頃に似ていれば、意固地になっているように見える。君が彩子を見る目が優しく、娘が君の前ではしゃぐ姿を見れば、二人が惹かれ合っていることくらい見抜ける」

 一介の諜報員でしかない私が、見栄っ張りの貴院議員と似ているとは思えない。

「私は彩子さんの何も知らないし、彼女だって私の何も知らない。私の態度が誤解を与えたのなら、きっと人を魅了する訓練の賜物でしょう」

 政信が『そうか』と、ドアを後ろ手に閉めた私の背中に呟いたのには、後ろめたさを禁じ得なかった。

 私が真っ当な人生を歩んでいる人間であれば、彼の申し出に飛びついたと思うと、難儀な出自を呪うところである。

 しかし突然の申し出に顔が綻ぶ反面、私の胸中は複雑だった。

「彩子さんが見ているのは、のっぺらぼうの私が被る仮面の一つなのです」

 私は自分に言い聞かせると、押し殺していた彩子への想いを、政信に言い当てられて動揺する未熟さを正そうと身を引き締めた。


 ※ ※ ※


「少佐、重要な証拠が見つかったんですぞ!」

 鼻息を荒くした貞治は、玄関ホールで警察署に引き揚げる警官たちに手を振りながら、中央塔二階の階段踊り場から顔を覗かせた私に声をかけてきた。

 良夫の殺害で呼び戻された警察官が、邸内から凶器の拳銃でも見つけたのだろうか。

 早朝に駆け付けた警官が見落とした拳銃を、再び訪れた彼らが発見したのならば手柄である。

 もっとも早朝に現場検証した警官は、邸内に拳銃が隠されていると考えて家探ししていない。

「私の見立てどおり、やっぱり兼久はロープを使って黄金銃を盗み出したんですな。中央階段の最上階には、地面まで届く長いロープがあるんですぞ!」

「ああ……そっちのことでしたか」

「兼久は中央塔の見晴台(四階)から応接室の横に長いロープを下ろして、金ピカの銃を盗んで政信氏の殺害を試みた――私の推理は、間違っていなかったわけです」

 二人目の犠牲者が出ていれば、兼久の単独犯だった可能性は皆無に等しく、兼久がロープを使って屋敷の出入りが出来なければ、長いロープが見つかっても意味がない。

 よく考えてほしいのだが、中央塔に一番近い客室に私が在室していたのだから、中央塔からロープを垂らした先にいる私が、そんな異変に気付かないわけがないのである。

 貞治は犯人が窓のすぐ外をロープで昇り降りするのに、全く気付かないほど私がポンコツだと思っているのか。

 そうだとしたら腹立たしいものの、署長の慧眼がポンコツなのは明らかで、文句を言うのも馬鹿馬鹿しい。

「少佐の意見も聞きたいので、こちらに来てもらえませんか」

 貞治は岩壁に足の悪いと思われる私の介助を指示しつつ、意気揚々と胸を張って階段を登っていく。

 中央にぽっかり穴の空いた円形の見晴台には、天井の中心にある滑車に繋がる長いロープが壁の糸車に繋がっており、滑車のロープ先端には金属製のフックが、壁に糸車に巻かれたロープ先端は鉄製の錘に括られていた。

 ロープは糸車のハンドルを回して巻取りができるようで、トライデント城が移築前に教会であれば、中央塔の仕掛けは釣り鐘を上げ下げした名残りと思われる。

「滑車に繋がったフックを見晴台から外に出して、壁のハンドルを目一杯まで回すと、応接室の横にある地面まで届くんですぞ。兼久は散会した後、自室を抜け出してロープを使い黄金銃を盗み出した。外部の犯行と思わせておいて、政信氏の殺害を試みたというわけです」

 自慢話のように語る貞治だが、死んだ兼久に良夫を殺せるはずがないのだから、そうだとしても彼は真犯人に踊らされていたに過ぎず、署長の見立てには何の意味もない。

「署長さん、良いですか。兼久が仮にコレ(巻取りロープ)を使って壁を登ったのならば、ロープを巻き上げる共犯者がいないとなりません。署長さんは四十になる彼が、ロープだけで垂直に切り立つ壁を自力で登れると思いますか」

「そんなことは、検証すればわかるでしょう?」

 貞治には『在室していた私に見つからずに?』と、追い討ちをかけたが、自分の推理を曲げなかった。

 署長は、暴発で死んだ兼久の事件は()()()()()、銃殺された良夫の事件は()()()()()別の力学が働いたと処理したいようだ。

 どちらの事件も黄金の弾丸が使用されていれば、そんな出鱈目な推理がまかり通るはずがないのに、兼久の死は自業自得で、良夫は口車に乗せられた者の犯行と決めつけたいように見える。

「兼久の単独犯だと言うのなら、良夫殺しはどうなるのですか」

「良夫を殺したのは、応接室に残っていた榊原三徳だと睨んでおるんですよ。うちの岩壁くんの見立てでは、良夫の投資話に騙された一人ですからな。彼が兼久の盗んだ金ピカの鉄砲弾を入手した経路は、取調べで自供させますぞ」

 それは見立てと言わず、単なる憶測である。

 いきり立つ貞治の背後では、部下の岩壁が手を合わせて詫びているので、強引な見込み捜査で誤認逮捕には至らないだろう。

 署長は『行くぞ! 岩壁くん!』と、颯爽と階段を降りていくのだが、若い刑事は私を介助するとその場に残った。

「良夫の投資話に、榊原夫妻の関与を疑ったのは私の失言でしたか」

「岩壁刑事の嗅覚が、朱美の態度が変化したと見抜いたのでしょう。彼女の言動は、良夫が殺されてから弱気に転じています。私も、彼らに後ろめたい関係があったのではないかと疑いました」

「少佐も、そうでしたか! では私の刑事の勘も、満更でもありませんね」

 岩壁は私が同意すると、照れながら指で鼻頭を掻いた。

「そう言えば、鑑識から面白い情報があったんですよ。良夫の遺体から少佐が取出した弾には、線条痕で判別が難しかったのですがラテン語で物欲(avaritia)と彫られていたんです。兼久の命を奪った弾は、嫉妬(invidia)でした。たまたまなのでしょうけど、詐欺師紛いの実業家は、強欲の弾丸で殺されたんです」

 盗まれた七つの弾丸が人の原罪を裁くのであれば、兼久が嫉妬、良夫が強欲の弾丸で殺されたのは笑えなかった。

 私を裁く弾丸は差し詰め、虚飾を兼ねる傲慢(superbia)なのだろう。

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