第三章00 望帝の嘆き
今から十年前の昭和三年、普通選挙法に基づく初の衆議院議員総選挙が行われた年の初夏である。
高橋是清を次いで政友会総裁に就任していた田中義一貴院議員が内閣総理大臣に任命されており、組閣には国粋主義者の平沼騏一郎に司法官僚として重用されていた政友会の鈴木喜三郎内務大臣、同じく騏一郎の息のかかった弁護士の原嘉道司法大臣が入閣、今は終焉を迎えつつある政党政治が幅を利かせている時代だった。
また田中内閣は国粋主義者の小川平吉鉄道大臣や森恪外務政務次官、喜三郎の義弟である鳩山一郎内閣書記官長らも就任しており、保守思想の強い親軍的な内閣でもあった。
そんな中、今回の事件で渦中にある政信、兼久、三徳も貴族院議員互選を通過した与党議員として、親軍的な内閣の恩恵を享受する立場にあったらしく、帝都に赴任していた黒羽少佐と貴院議員との付き合いは、この頃から始まったのだろう。
そして今でこそ落選議員の身となった三徳は、貴院議員としてトライデント城の落成式に招かれた当時を振返り、政信と兼久は政策や考えに差があれど互いに認め合う朋友であり、宴席で掴み合いの口論をしたのが『信じられなかった』と、証言している。
掴み合いの口論というのは、兼久の妻である貴子が転落死した前日の宴席での出来事であり、口論の内容は高平家に潜入している諜報員の甚平に聞くところ、おおよそ次のとおりだった。
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帝都では明治維新以降に建築も近代化されて、街並みに西洋建築が溢れていたとは言え、英国から信州の奥処に移築される政信のトライデント城は、鉄道貨物で次々に運ばれてくる資材の運搬や、大勢の人足が雇われて地元経済に恩恵をもたらすと、建設前から地元新聞などに取り上げられるほど話題になっていた。
ゆえに移築を終えた古城の落成式に催された宴は、良夫の父親である飯田大善など地元の有力者のみならず、兼久や三徳のほか数名の貴院議員や、その親族も参列する華やかなものとなった。
このとき参列者の衆目を集めたのは、歌劇団を退団して三徳の妻となった朱美である。
既に四十代だった貴院議員に嫁いだ二十代半ばの彼女は、特権階級の家名を欲して結婚したのではないか、榊原家の財産目当てではないか――マスコミに醜聞を書き立てられていたが、派手なドレスで宴席に現れた妖艶な妻は、そんな悪評をお構いなしに、噂どおり歳上の夫を顎でこき使っていたらしい。
朱美が歌劇団を脱退したばかりであれば、その美貌は現役の女優に見劣りするはずもなく、歳上で貴院議員の夫を従える堂々たる態度は、家名や財産目当ての小狡い女との悪評を覆すもので、参集していた者、とくに御婦人からの羨望の眼差しを集めていたのだろう。
また招待客ではないものの、市警察から警備に派遣された現場主任として、貞治も部下の警官を率いて邸内にいたようだ。
中央政府から遠く離れた古城には当時、栄華を誇る貴族たちが集まっていたのだから、市警察が邸内の警備に駆けつけることに不思議はない。
ただ現場で指揮を任された彼が、仕事そっちのけで立食だった会場内で飲み食いしていれば、招待客のように振舞い主催者の高平夫妻や、注目の的だった朱美と談笑する姿を下働きに目撃されている。
件の口論が始まったのは宴もたけなわのとき、運転手の寅吉が厨房で賄い料理を食べていると、貴賓室の出入口付近で政信と兼久が、何やら不穏な会話をしていた。
「――いいかい、私に向かって侮辱するような口を聞くんじゃない。政信さんには帝国議会で世話になっているが、それとこれとは話が別だ」
声の主は政信を兄貴分と慕う、歳が五つ下の貴院議員である大坪田兼久だと、聞き耳を立てた寅吉にわかったものの、何がきっかけで怒っているのかわからなかった。
ここらの道に詳しいからと、節子の紹介で雇われた地元の運転手は、奥方に兼久が若い頃から家主と懇意にしていると聞かされており、ここらのゴルフ場に二人を乗せて駅から送迎したこともあったが、彼があのように口答えする姿を初めて見る。
そもそも若い貴院議員は、家主と幼少期からの付き合いであり、大坪田と高平の家柄を考えても、彼が家主に表立って反抗的な態度を取れないはずだった。
「私は、べつに君らを侮辱しているわけではない。貴子さんが壁の花で退屈そうだから、夫婦仲を尋ねただけじゃないかね」
「だからッ、政信さんが私の妻を気に掛ける必要がないと言ってるんですよ!」
「お、おい……何も怒鳴らなくて良いだろう」
「私は妻の事情を心得て結婚しているし、私が芸者を金で身請けしたと、周囲の者が私たち夫婦を蔑んでいることも存じている。それでも彼女を愛していれば、政信さんにだけは口出ししてほしくありませんね」
壁に伝わる衝撃で、兼久が政信を壁際に追い込んでいることがわかる。
それに口論のきっかけは、芸者だった貴子のことで、家主に非礼があったらしいこともわかった。
「兼久議員、手を離したまえ」
「政信さんは、古蜀の第四代君主だった望帝杜宇だ。望帝は宰相の開明に位を譲って山に隠れた後も、都に『帰りたい、帰りたい』と嘆いているんですよ」
「な、何を言っているんだね」
「政信さんは、あの鳥のようだと言っているんだ。ほら、耳を澄ましなさい。こんな真っ暗な夜でも、はっきりと聴こえるでしょう」
異変に気付いた招待客らが、胸ぐらをつかみ合う政信と兼久を見て静まり返ると、暗い森からキョキョキョ、キョキョキョと鳴く不如帰の鳴き声が聴こえる。
まだ子供だった長女の恵子が、その不気味な声に耳を塞いで『うるさい! なんなの!』と、怒鳴って泣き出したので、招待客も我に返り一触即発だった二人の仲裁に駆けつけた。
「まあまあ政信さん、兼久くんも何があったのか知らないけど、祝の席で喧嘩することはないだろう。二人とも、お酒の飲み過ぎじゃないのかね?」
三徳は事情を知らぬまま、掴み合いで口論する政信と兼久に割って入る。
「いいかい、政信さん。あんたは、都を開明帝に譲ったことを嘆く望帝だ」
怒りが収まらない兼久は、背広の襟元を整える政信を指さして捨て台詞を吐いた。
これが高平家に潜入していた甚平が、運転手の寅吉から聞き出した十年前の宴席でもめた政信と兼久の口論の全容である。
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話を聞き終えた私は、甚平に政信が執務室に来る前に消えるように言いつけてから、部屋に入って応接セットのソファに腰を下ろした。
長女の恵子が、不如帰の鳴き声を不快に感じているのは、十年前の宴席で兼久と口論する父親の姿を思い出す心の傷が原因なのだろう。
他にも面白い事実が、いくつか明らかになったものの、甚平の言うとおり、宴席での口論が原因で、政信が貴子を事故に見せかけて殺す動機に繋がらない。
むしろ妻を侮辱されたと憤る兼久が、政信の殺害を企てたというなら理解できるが、十年前の口論をきっかけに黄金銃を手にしたとは、それこそ馬鹿げていると思われた。
となると兼久は、貞治や榊原夫妻の証言どおり政信が事故に見せかけて貴子を殺害したと、逆恨みしていたのが引き金を引いた訳合いなのだろう。
それにしても彼が貴子を愛していると口にしていれば、転落死した妻と死後離縁して実家との縁戚関係を切り、彼女の甥である優馬の支援を投げ出したことが腑に落ちない。
愛した女の面影もあろう甥であれば、真っ先に援助を名乗り出てもおかしくない。
彼が政信を不如帰の異名である『望帝杜宇』に例えたのならば、その訳合いから口論の本質にも心当たりがあるのだが、醜聞を嫌う当事者に問うても、真実を話すと思えないので確かめる術がない。
「口論は、鶯の抵抗だったのか」
私は独り言ちると、部屋に入ってきた政信に会釈して、応接セットのテーブルに書類封筒を投げ置いた。