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鶯の抵抗  作者: 梔虚月
13/29

04 狩猟の時間

「少佐、取調べしているのは私なんですよ」

 取調室では私服刑事の岩壁が、私の質問が多すぎると焦れている。

 とはいえ彼の質問は、犯行時間のアリバイ、屋敷に招待された経緯、また招待に応じた経緯である。

 銃声を聞いて玄関ホールに真っ先に向かった私は、被疑者を除く招待客が客室から出てきたこと、現場となった政信氏の執務室から節子が、助けを呼びに現れたことを証言している。

 招待された経緯も、それに応じた経緯も、私と彩子の婚約を祝う祝宴であれば説明不要だったし、他の招待客の事情も把握していれば興味がなかった。

「節子夫人が銃声を聞きつけて夫の執務室に向かったのはわかっているが、現場と同じ屋敷左棟にいた三人の子供の動向が知りたい」

「いくら少佐でも、捜査上知り得た情報をおいそれと話せませんよ」

「署長さんは、捜査協力を惜しまないと言っていたがね」

 上司の名前を出すと、岩壁は和政、恵子、彩子の犯行時のアリバイについて語りだした。

 長男の和政は、実業家の良夫から借りていた本を読みながら、経理や事務処理の勉強をしていたが、銃声が聞こえたので、長女の部屋を訪れて恵子の安否を確認したらしい。

 二階中央寄りの現場から遠い一階の角部屋だった彩子は、眠たい目を擦りながら自室を出ると、兄と姉に急かされて玄関ホールに向かったと言うことだった。

「和政くんは、銃声を聞いて恵子さんのところに向かった。長男には、長女に殺される訳合いがあると考えたのかね」

「兄姉は隣室ですから、まずは長女の安否を確認しただけでしょう」

「それとも逆か……いや、何でもない」

 岩壁には、もう一つ兼久が応接室から黄金銃を盗み出した仕掛けがわかったのかと問い合わせた。

 すると彼は私見だと前置いて『玄関横の空き部屋が怪しい』と、現場真下の空き部屋の窓から出入りしたのではないかと推理した。

「確かに怪しいですね」

 私が向き合っているテーブルに身を乗り出すと、岩壁は背を仰け反らして『でもこんが見当たらなかったのです』と、弱気に答えた。

 高平家の私室の間取りを聞けば、一階の四部屋は招待客が泊まっている部屋と同じもので、二階は二間の壁を取り払った水回りがない家主の執務室、その隣に同じ広さで水回りを完備した高平夫妻の私室がある。

 玄関横の空き部屋が客室と同じ間取りならば、出窓から外に出ることが可能であり、子供たちの私室の前を通らないので、気付かれる恐れも少ないように感じる。

「兼久は十年前にも屋敷を訪れているので、部屋の配置も心得ていたでしょう。私が出会ったとき、彼は玄関ホールのソファで本を読んでいましたが、そこで玄関横が空き部屋と知ったのかもしれません」

「しかし少佐、兼久が庭を歩いていたのなら、出窓の窓枠に下足痕を残さず出入りできるでしょうか」

「シーツのような布を窓枠に被せてしまえば可能でしょうし、靴を脱いでしまえば痕跡を探すのが難しい」

「なるほど……、少佐の見立てには一理ありますね。ええ、そうかもしれませんね」

 岩壁が私の推理に押し切られたとき、取調室に入ってきた貞治が『あり得ませんな』と、室内を見渡しながら会話に加わった。

 部下の私服刑事に事情聴取を任せていた署長は、邸内の各部屋を見て回っている。

「空き部屋は当夜、恵子さんが全て施錠して鍵を管理していました。兼久が、空き部屋から出入り出来たとは思えませんな」

「では署長さん、兼久はどうやって黄金銃を盗み出したのですか」

「私は今、その証拠を探しておるんですよ。二階からロープを使って出入りしても、一階の榊原夫妻に見つかってしまいます。だから疑わしいのは、応接室の真上からロープ降下したんじゃないかと――」

「貴賓室と応接室の中央塔裏手は、切妻屋根ですよね。兵隊でもない兼久が、足場のない急斜面からロープ降下できるのですか」

 取調室の窓から端が見える中央塔裏手の屋根は、三角柱を横に倒した切妻屋根であり、そのせいで客室と家族の私室の屋上が左右に分断されている。

 左右の屋上を行き来するには、左右を繋ぐ中央塔三階部分を通らなければならないと、邸内を案内してくれた恵子が説明してくれた。

「切妻屋根を越えるのは、無理でしょうな。しかし屋根の左右には、人が通れるくらいの足場があるのです」

「それにしたって屋上から地面までは十メートルほど、素人が降下できる高さではないでしょう。それに、そんな長いロープが見つかったのですか」

 貞治は『だから探しておるんです』と、四つん這いで取調室に置かれているベッドの下を覗き込んだ。

 兼久がロープで地面に降りたとしても、屋上まで壁を伝って戻るなんて不可能で、署長の見立ては見当違いである。

「ところで岩壁刑事は、呪いの滝をご存じですか。この近くには、口減らしや姥捨て山の言い伝えがあってね」

「私の出身は甲府ですから、この辺りの言い伝えを知りません。なんですか藪から棒に?」

「私も今朝、良夫さんと彩子さんに聞かされた話なのですが、私が知らないだけで有名な話なのかと思いましてね。もしも有名な話なら十年前に兼久の妻が、どうしてそんな恐ろしげな滝に一人で向かったのか気になりませんか?」

「さあ、初耳ですね」

 私が横目で貞治の様子を窺うと、ズボンの裾を払って立ち上がった彼が、こちらを見るので目と目が合う。

「少佐、その話は親や教師が小さな子供に聞かせる話ですよ。大人が『滝は呪われているから近付くな』と、子供に諭しているんですな。地元の子供なら一度は耳にしておるでしょうが、外からきた者に聞かせる話ではないでしょう」

 これは面白い。

 呪いの滝は地元民が誰でも知っているならば、後で甚平にも聞いてみようと思った。

 黒い爪襟の運転助手は、どんな回答をしてくれるのだろうか。

「私は他の部屋を見てきますので、これで失礼します」

 貞治が部屋を後にすると、岩壁は私の供述調書をまとめており、内容を確認して認印を押せば事情聴取が終了のようだ。

 その間にも屋敷の外では時折、銃声が山に木霊していたものの、聞き慣れてしまったのか、今朝ほどの驚きがなかったが――


 ドンッ!


「今のは近かったですね」

 岩壁は筆記を止めて窓の外を眺めているが、今の銃声は近過ぎる。

 川より手前の森から鳥が木々を揺らすように一斉に飛び立ったのを見て、はじめて私服刑事も異常事態を察したようだ。

 しばらくして銃声が木霊したのは、音源が山より近くだった証拠である。

「昨夜の銃声は、狩猟を楽しむ狡猾な犯人のほうせいだったようだ。岩壁刑事、事件は終わっていないよ」

「まさか、だって兼久は死んでいるんですよ?」

 私が取調室を飛び出すと、続いてきた岩壁と手分けして屋敷にいる者の安否確認を急いだ。

 貞治は十分後、玄関ホールに生存している屋敷の者を集めたが、優馬、恵子、良夫の姿が見当たらなかった。

 優馬と恵子の二人は、両親を口説き落とす算段に外出している可能性があるものの、昼食を待たずに良夫が敷地内を歩き回っているとは思えない。

 私と岩壁は、部屋の合鍵を管理している恵子を待つ時間も惜しく、施錠されていた良夫の部屋のドアを体当たりで壊して踏み込んだ。

 ベランダの窓を開け放っていた部屋の中央には、大量の血溜まりにうつ伏せに倒れている男がいた。

「少佐、先ほどの銃声にやられたんでしょうか」

 私はうつ伏せに倒れている男を良夫であること、首の頸動脈に指を当てて死亡していることを確認した。


 ※ ※ ※


 中央階段を登った二階手前の客室、移築されたトライデント城の購入を打診していた良夫は、市警察の事情聴取が終わると、ベッドサイドの執務机に向かって算盤を弾いていたらしい。

 何者かに銃で撃たれた彼が横たわっている床には、机から落ちて弾けた梁と算盤の珠が散乱していた。

 私が見たところ家具の配置は違っていたが、部屋の作りは他の客室と同じで、入口を入った右手に水回り、その反対側にワードローブが置かれて、奥に進んだ洋室にベッドと執務机が並んで配置されている。

 ただ一階の客室が腰の高さで出窓になっているところ、二階はベランダ付きの掃き出し窓になっており、特筆すべき点はそこに尽きた。

「良夫が撃たれたのは、どうやらベランダのようですな。猟師の流れ弾に当たって死んだのか、それともヤクザ者の恨みを買って殺されたのか」

 署長の貞治は、部屋の中にうつ伏せに倒れる良夫の遺体から、点々と続く石造りのベランダに付着した血痕を見ながら呟く。

 良夫が汚れていない背中を上にして、血溜まりにうつ伏せにも拘らず銃殺されたと断言できるのは、やけに近くに聞こえた銃声に、事情聴取中だった私と私服刑事の岩壁が邸内を捜索したところ、この現場に行き会ったからだ。

「岩壁刑事、良夫の殺傷痕を調べたいのだが、ひっくり返すのを手伝ってもらえるかな」

「しかし遺体を勝手に動かすのは――」

 岩壁は難色を示したものの、署長の貞治が『少佐は、我々より経験豊富だ』と後押してくれた。

 これが一介の軍令憲兵であれば、管轄外の事件に出しゃばる私に、彼ら市警察が素直に従っただろうか。

「いいかい、そちらに転がすから腕を引っ張ってくれたまえ」

「うわぁ……ずいぶん出血していますね……こいつは太い血管が破けてますよ」

 机を背にした私は、倒れている良夫の胸と腰に腕を差し込んで浮かすと、岩壁が自分の方に引き倒した。

 私は彼の協力で遺体を表に返すと、血に汚れた白いワイシャツを脱がせて弾痕を調べる。

 シャツの上から見ても出血が激しかった腹部を指で探れば、ひだりろっこつの下方に小さな穴が空いており、先ほど見た背中が綺麗だったので、弾丸は体内に留まっていると思われる。

「署長さん、裏の川幅も広ければ狩猟区からの流れ弾は有り得ません。弾が対岸から良夫に着弾したなら、よほど腕の良い狙撃手だったでしょう」

 私が頓珍漢な貞治の見立てを否定すると、岩壁が口を挟んできた。

「良夫は裏家業との付き合いもあるので、ベランダから顔を出したところを撃たれたのでしょうか? 地元では、彼の口車に乗せられて大損こいた連中も大勢います」

「口車?」

 二の腕で口元を隠した岩壁は、遺体の傷口に指を突っ込んで穿ほじくる私に嫌悪感を抱いたようで、視線を背けながら話を続ける。

「良夫は観光開発の儲け話で資金を集めていましたが、ここの購入だって頓挫していたんでしょう? 投資した資金を回収できない連中は、彼の羽振りの良さに騙されたと騒いでますよ」

「どおりで彼は、屋敷の購入に執心していたのか」

「良夫の観光開発は、西洋の古城ホテルを中心とした交通や公共設備の整備と、それに伴う山間地域の用地転売でした。彼の与太話に踊らされた資産家や市会議員が、二束三文の山を高値で売り付けられたと、警察にも駆け込んでいます」

 私の背後から覗き込んでいた地元警察の岩壁は、実業家の良夫には黒い噂も多く、命を狙われても不思議じゃないと決めつけている様子だ。

 昨夜の今日で人が死んだのだから、二つの事件は一連の犯行と疑うべきで、さらに疑うべきは屋敷にいる者の犯行なのだが、市警察の二人は呑気に構えている。

 現場刑事の岩壁は、黒い噂が絶えない良夫の周辺を洗っていたので、昨夜の暴発事件と関わりない事件と考えたのは、まだ理解できた。

 しかし待機させていた二名の警官に対岸で狩猟している猟師に、任意同行を求めるよう命じた署長の早合点には疑問を感じる。

「良夫は、政信氏に屋敷を譲ってもらわなければ死活問題だった。でもそれは彼が政信氏を殺す動機であっても、彼が殺される動機にはならない」

「ですから、地元の者の犯行が疑わしいと言うわけです……ところで少佐は、いったい何をしているんですか?」

 私の手元を覗いた岩壁が、ギョッとして飛び退いた。

 指先に目当ての物が触れた私は、死んでいるので泣いたり喚いたりしない良夫の傷口を左右に押し広げて、押せばコポコポと血の溢れるそこを手探っている。

「あ、あんたっ、いったい死体を弄んで何がしたいんだ!」

「岩壁刑事は、戦地で兵役に着いたことがあるかね?」

「あ、ありませんよ」

「着弾した弾丸は、すぐに取り除かないと鉛中毒で死に至る」

 良夫の体内に残っている弾丸を人差し指と中指に挟んで引き抜くと、血の滴る弾丸を貞治と岩壁に見せた。

挿絵(By みてみん)

 二人とも目を細めて取り出した弾丸を見ているが、私が何を見せたいのか理解できないようだ。

「戦場では、こんな乱暴な取り出し方をしないし、もっとも良夫は既に死んでいるので、弾丸を取り除くことに意味はない」

「少佐は、我々に何が言いたいんですかな」

 血に汚れた弾丸は、まるで真鍮のように鈍い光を放っているが、親指で端を拭ってみれば紛れもない黄金の輝きである。

 凶弾に倒れた良夫の体内からは、応接室から盗まれた黄金の弾丸が使用されていた。

「それは黄金の弾丸……。つまり今回の事件は、まだ続いとるんですか?」

 署長の貞治が言葉足らずなので、私は頷いて『兼久の死も仕組まれた殺人です』と、念押しして黄金の弾丸を彼に手渡した。

 

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